特別編 アジトのボスは自分の知恵が頼りだ
谷口のアジトが今回の視点です。
「谷やん、久々に遠征に行かないか?
昨日の夜に女がさ、お菓子がほしいっていうんだよ」
「お前はいつも元気だな、菅原」
「おう! 野菜が食えてるからいつもより元気もりもりだぜ」
アジトの屋上から辺りを見下ろす谷口の隣へ、小柄の若者が笑いながら近付いた。
ここ一帯の店舗に捨て置かれた食品はすでに谷口たちによって取り尽くされたので、今は淀川を越えての北にある地域へ遠征が行われてた。
今は大阪城をアジトとするグループから定期的に食糧が供給されてるので、自分たちの食糧事情は改善できた。そのために谷口は無理な遠征を行うつもりがない。
「行くのは盾部隊の新メンバーが慣れてからだ。それまでは訓練を続けろ」
「キルゾーンできっちりやらせてるから任せとけ」
音を聞きつけると押し寄せるゾンビの習性を利用して、谷口は駐車場にバリケードで囲んだ空間を作り、そこへ一定数のゾンビを誘い込んでからゲートを閉じる。その空間を谷口たちはキルゾーンと呼んでる。
キルゾーンに入り込んだゾンビたちは菅原が率いる攻撃部隊と、ゾンビを止める役割を担う盾部隊の実戦的な訓練に相手させられる。たまにアジトに住む人たちに長い槍を持たせて、ゾンビを慣らさせつつその殺害の練習が行われてる。
訓練や練習が実行しているときはゾンビからの反撃に備えて、バリケードの内側には常に足立たちが放水装置のホースをゾンビへ向けるように待機してる。
公権力によって組織された自衛隊や警察と違い、自分を含めて災害前は平穏な日々を貪ってきた素人たちが集まる今の集団に、必要とするのはゾンビに慣れることと殺せることだと谷口はそう考えてた。
「でも谷やんって優しいよな」
「はあ? なに言っちゃってんのお前」
「だってよ、盾のおっさんやガキらに訓練させてるやん?
あいつらはゾンビもロクに殺せないクズばっかだからさあ、使い捨てでいいやん」
「バーカ。盾が大事ってことはお前も知ってんだろが」
「まあ、そうなんだけどな」
ゾンビがうろつく世界で人間も大事な資源。そのために女を使い潰し、平気で男を囮に使うアッくんこと淳史とは決別しようと決めて、一緒に築いたアジトからの脱走を果たした。
――使える資源がいなくなるとアッくんは絶対に牙を剥いてくる。親友とかほざいてたけど、あいつは自分以外のやつを人と思ってない。
そんな確信を持った谷口は、まだ人が多く集まってた淳史のところから足立と菅原を連れて逃げ出した。
谷口は対人と対ゾンビの戦闘なら、菅原という若者は背中を預けてもいいくらい、だれよりも信用してる。容赦というものを知らない菅原はゾンビであろうと子供であろと、谷口の命令ならだれでも迷わずに殺しにかかる。
ただ菅原の欠点はとにかく口が軽い。
淳史のところから逃げ出す直前に、谷口の考えをポロっとバラしてしまったのは菅原だった。おかげで淳史から敵の認定を受けてしまい、ほとんど身一つでアジトから逃げ出さざるを得なかった。
谷口が盾部隊を鍛えてるのは消耗を嫌ってのことだ。
ライオットシールドとフリッツタイプヘルメットを持たせ、全身にプロテクターを装着させ、ゾンビ犬など動物のゾンビからくり出す噛みつきを防ぐために、自作で薄い鉄板を張った安全靴とグリーブで備えさせてる。
盾役はゾンビに噛みつかれないことが一番大事だと装備に気を遣ってる。
部隊としての秩序を保つことができ、ゾンビを見ても慌てることはなく、これまでの遠征やゾンビの襲撃で前線に立つのはいつも盾部隊。ゾンビを目の前にしても慌てずに谷口たちの指令に従い、ゾンビを食い止めてくれる人材を簡単に減らすなんてとんでもない。
なによりいざとなったら、囮としてゾンビを引き付ける役を果たしてくれる盾部隊はぞんざいに潰す気がない。
そういう考えが盾部隊にバレないように、口の軽い菅原にはいうつもりがない谷口である。
「ところでな、谷やんってさあ、だれが好きなんだよ」
「ああ? お前の話って本っ当に飛びまくるよな。
いきなりなんだよ」
「女たちが気にしてんだよ。
ほら、谷やんってまんべんなく女と寝るやん。気に入った女がいないかって聞かれるんだよ」
「いねえよ、そんなやつ。今は生きていくのが大変だぜ。
恋愛とかガキを産むとか考えてないから、また女に聞かれたらそう答えてくれ」
谷口自身、自分が健康な青年だから性行為自体は生理現象の解消なので、女が欲しがるもので交換すると考える程度のこと。ただアジトで特定の女を作ることは絶対に避けておくべきだと最初から決めていた。
だれかを自分の女と決めてしまえば、そいつはアジトのボスである谷口の威を借りた勘違い女になるかもしれないと谷口は危惧してる。
そうなってしまうとアジト内のパワーバランスが歪んでしまうので、わざわざそういうバカげたことを自らやるつもりがない。だから谷口は特定の女を作らない。
もちろんのこと、そういう考えを口の軽い菅原にいうつもりがない谷口であった。
昼寝から起きた谷口がいる事務室へ信用できる部下の足立が訪ねてきた。
「――谷口さん。やっぱり谷口さんの言う通り、大阪メトロの出入り口からまた新しいゾンビが湧いてた」
「くそっ……
これじゃいくら間引いてもキリがないぜ」
偵察に出かけた足立から報告を聞いた谷口がイラついた。
お付き合いし始めた芦田というやつが居つく大阪城の付近ではゾンビの数が少ない。それは何度か大阪城へ足を延ばしたときに谷口が注目することだった。
「あっちが減った分、こっちに押してきたのかな……」
「え? 谷口さん、なにか言ったか」
「いや、なんでもない。気にするな」
小さな呟きを足立は聞き取れなかった。一方の谷口は今すぐに自分の懸念を足立に打ち明けるつもりがない。
口が堅い足立を信用しないわけではないが、アジトに悪い影響を与えかねない情報は自分のうちに秘めるのが一番だと谷口はそう信じてる。
今のところは期間限定ではあるものの、芦田と交わした労働者派遣の契約で食糧を提供してもらえる。それにこれまでに貯蓄した保存がきく食糧があるので、食べることに困ることはなくなった。
だがゾンビの潜在的な脅威は座視するわけにはいかない。
高さのあるバリケードを築き、絶え間なくここ付近の監視は二十四時間体制で続けさせてる。アジトの要所にはすぐに起動できる放水装置を設置して、女子供を含め、アジトの全員には極力ゾンビ殺しを慣らさせてる。
こっちを脅かす武装グループ以外では、この界隈にある勢力となるべく敵対しないように友好な関係を維持する。
打てる手ならなんでも打っておきたいと谷口は努力を惜しまなかった。今こそ落ち着いているものの、もし災害の時のようにまた大規模なゾンビの襲撃が起きたら、谷口には防ぎきれる自信が持てない。
ゾンビたちが物を使い始めたことに谷口はショックを受けた。
「……それと谷口さんが寝てるときに市役所のやつらがきた」
「なんの用だ」
不機嫌になった谷口へ足立は様子を窺いながら報告し続ける。
「食糧を供給してほしいと――」
「ああ? なんに言ってんだよあいつら!
この間くれてやったばっかじゃん。あいつら、バッカじゃねえの?」
ブチキレた谷口が机を蹴り飛ばし、そのことを予想してた足立は飛んでくる机を上手に避けてみせた。
「谷口さん。前から聞こうと思ったけど、なんで市役所に貴重な食べ物を分けてやるんだよ」
「ああ? んなの、ケンカしたくねえからに決まってんだろが」
「ケンカしたくないって……」
「いいか、足立さーん。
ここがゾンビに落とされそうになったら逃げ場がいるんだよ。
そういうときに公共サービスを提供してもらわんとこっちが困るんだよ、わかるか?」
「あ、ああ」
「あいつらに食べ物をくれてやってんのは税ってやつ。
そうでなかったら、だれがなにを好き好んで貴重な食べ物をわけるかっつーの」
「それなら向こうへ行けばいいじゃないか」
谷口から吐き出すように聞かされたことに、足立は困惑した顔で質問をぶつける。
「足立さん足立さん……」
怒った表情から一変して優しい顔をみせる谷口は足立を諭すことにした。
「前に市役所へ行ったとき、向こうで起きた変化にちゃんーと気付いてたか?」
「……いや、べつに」
「いいか? 役所にジジババと女子供が多かったろ?
俺らみたいな若いやつが減ってたのは、見ててわからなかったのか?」
「あっ……」
ハッとした表情の足立へ谷口は頷いてみせた。
「あんなところへ行ってみろ。俺らは役所のやつにゾンビ狩りと食糧集めのご奉仕させられるかもしれないぜ?
こっちが嫌がってもな、集団の雰囲気って怖いんだぜ? そういうふうに強要させられてしまったら、すぐに俺もお前もゾンビだ」
「それは嫌だな」
「ああ。逃げ場がないならしょうがないけど、今はここで楽しい生活を送ったほうがいい。
役所は逃げ場として確保すればいいんだよ」
「それなら大阪城はどう? あそこなら谷口さんが言ったように強そうじゃないか」
足立からの言葉に谷口はため息してから頭を振る。
「無理だな。芦田というやつが俺らを警戒してんだよ。あれはもうこっちを悪者と決めつけてるって感じだな。
頼んだら受け入れてくれるかもしれないけどさあ、俺らをいつでも簡単に殺せるやつから睨まれたまま息苦しく生きてくなんて、それこそゾンビになったほうがマシってもんだぜ」
「確かにそれは嫌だな……」
「そもそも芦田が俺らを受け入れてくれること自体、俺には思えないんだよ。
あーあ、あんな頑丈そうなお城なら、俺も苦労しな――」
「……谷口さん?」
いきなり黙り込む谷口の様子に足立は言葉をかけてみたが、谷口のほうは右手を挙げて足立の言葉を止めた。
「……足立さん。
賞味期限切れのライスパックとか、みんなが食わないレトルト食品とか、適当に用意してくれ」
「はい?」
しばらくの間に考え込んでいた谷口は晴れやかな笑顔で足立に指令を下した。
「しょうがないなあ。ここは役所の希望通り、税金を支払いに行ってあげようじゃないか。
華井のおっさんに相談したいことができたしな」
「華井の野郎か……」
谷口たちのことを見下す市役所災害対策課の課長を思い出してか、足立は嫌そうに眉をひそめた。
「まあまあ。そうイラつきなさんな、足立さん。
華井のおっさんはムカつくやつだけど、色々と使えるんだよ。
要はね、こっちが我慢して下手に出てりゃ、あいつほどやりやすいやつはいないんだぜ」
「それはわかるけど……」
「とにかくだ、こっちが食わないマズいものを納めに行きましょー。災害対策課はヘビースモーカーが多いからタバコも用意しとけ。
ったくよ。強いゾンビがいるから体が資本なのに、あんな体を壊す煙を吸いたがるやつの気が知れないぜ」
「あはははは」
足立は谷口から禁煙を強要された一人なので、今は苦笑するしかなかった。
大阪城からの支援でアジトの人たちが安心する中、谷口は自ら動くことに決めた。
ゾンビがいる世界で生き残ろうと思ったら、先の先まで考えておかないと、すぐに最悪の事態になってしまうことを彼は信じて疑わない。
この話の時間軸は作中の現在より少し後となってます。
登場するヒャッハーさんたちはなにかの主人公で滅びますが、谷口は生き残るタイプと想定して描きました。狡猾に生きる術を持つタイプはわりと嫌いではないので、裏設定として谷口のエピソードは考えるだけに留めておいたのです。いただいてるご感想でも名前がでてましたから、特別編として投稿させていただきました。
ゾンビが猛威を振るう世界でも公権力と武力を持たない一般的な人は、知力と暴力を巧みに使い分けることで生き残るじゃないかなと考えてみたのが知恵と胆力を持つ谷口でした。
誤字報告、ブクマとご評価して頂き、とても励みになっております。誠にありがとうございます。




