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55話 拠点は心身とも落ち着く場所だった

「天気晴朗なれども波高し!」


 大阪湾の上空は晴れ渡っている。


 帰りは航路の調査を兼ねて、クルーザーで拠点へ戻ることはすでに滝本さんに無線で伝えてあり、彼からは桝原さんたちが大阪湾で漁をしているから、見つけたら声をかけてあげてとのことだった。



「グレース、もうちょっと安全運転はできないかな」


「キャアアア、これ楽しいー!」


「聞いちゃいねえ」


 大興奮するグレースが波の上で飛び跳ねるクルーザーを暴走させてる。車の運転は興味を示さなかったのに、まさか船がツボだったとは思いつかない。


 中継点と製油所の人工島へ接岸して島内をチラ見してきた。ゾンビの数は思ったより少なく、案外制圧が早く済みそうだ。



 沿岸で船を進めさせていたので、広い大阪湾ではどこにいるかも知らない桝原さんたちと会うことはできなかった。


 木津川をさかのぼるに当たって、クルーザーでは橋に当たる恐れがあるために小型漁船に乗り換えようとしたら、グレースが操船する気を無くした。



「ちょっとお……

 ――なにこのダサい船。わたしはこんなの嫌っ!」


「こ、こいつはあ……」


 結局、船の前でグレースはゲームに夢中で小型漁船は俺が操船した。


 荷揚げ門で俺とグレースを出迎えてくれたのは川瀬さんたち。理由は簡単、荷揚げ門の近くに畜舎があったからだ。



「お帰り。収穫はあったか?

 ――って、毎日無線で連絡してたもんな。ハハハハ」


「ただいま。和歌山の件でみんなと打合せがしたいけど、明日でいいかな?」


「帰ってきたばかりだ、今日はゆっくり休め」


「はい、そうさせてもらいます」


 作業服を着た川瀬さんはとても元気そうで、横にいる良子さんから牛舎で牛を飼えてから毎日が元気と耳打ちしてくれた。


 そういうふうに言ってもらえると、山の中から川瀬さんたちを拠点作りに誘ってよかったと安心できる。



「そうだ――滝本が芦田くんに話があるから、家にいくように伝えとく」


「お願いします」


「あとで翔也に牛乳を持って行かすからな、楽しみにしてくれ」


「ありがとうございます」


 青屋門から極楽橋を通ればすぐに山里丸へつくので、ここからの道は自宅がとても近い。




「お帰り、芦田くん、グレースさん。今帰ったの?」


「ただいま。着いたばかりで川瀬さんと話してた」

「あら、ただいま、ユヅキちゃん」


 籠を持った柚月さんと若い女の子が倉庫の近くにいて、道を歩いているときにばったりと会った。



「こんにちは」

「あ、はい。こんにちは……」


 女の子の名前は知らないので、急いで柚月さんに目配りする。


「高校で救助した池宮陽葵(ひまり)さんって子よ、忘れたの?」

「あ、ああ——そうだった。池宮さんだったね」


「はい! ひまりって呼んでください」


 柚月さんの気遣いに感謝するしかない。



 ――ってか、名前なんか覚えてないよ。池宮陽葵さん、初めましてえ。



「そうそう、ヒカルくん。今度矢を補充してくれない? ゾンビ撃ちの練習で無くなっちゃった」


「いやまあ、作るのは全然かまわないよ。

 ――ゾンビ撃ちって、柚月さんは自警団のメンバーじゃなかったよね」


「うん。七手組はないかなって」


 晴れやかに笑う柚月さんの表情にミクの感性を笑う様子があるようにはみえないがら、単に名前を嫌ってるだけだと思う。



 ――おう、その気持ちはめっちゃわかる。せめて城塞騎士団とかにしてほしいよね。



「ミクは柚月さんがゾンビ撃ちしてることを知ってる?」


「うん、知ってるよ。こっちからミクちゃんにお願いしたんだから」


「え? そうなの? なんで自警団に入ってない柚月さんが弓の練習するわけ?」


「前に梅田から武装車が来たやん?

 牛舎ってね、船場に近いでしょう。万が一に備えて、だれかが襲ってきたら、芦田くんや自警団がくる前に威嚇できたらいいなあって」


「わかった。矢の補充は近いうちにやっておくから」


 それはとても良い心構えだと感心した。


 だれも守ってくれない世の中は、自分自身で力を身に着けるのが一番早くて確実だ。それを実践できてる柚月さんには、俺が協力できることなら協力を惜しむつもりはない。




 そんなに住んでないにもかかわらず、やはり我が家というのは落ちつくものだ。


 グレースはすぐにリビングにあるテレビモニターのところへ行き、道中で得た戦利品(ゲームソフト)を収納ラックに並べている。


 セラフィはすぐに自宅へ戻ろうとしてくれたが、食堂は夕食の仕込みで一番忙しい時間台。トランシーバーで仕事が終わってからでいいと伝えてあげた。



 本当はお気に入りのドリップコーヒーがあったらなといつも思う。でも海外どころか、国内の流通が途絶えた今、そういう嗜好品はもう手にすることができない。


 今のご時世じゃ贅沢はいえないし、10年もの間にコーヒーを飲めなかった時期があった。心は持ちようというから、インスタントでもコーヒーを楽しめたらそれでいい。



 中谷さんたち農業班の話によると、沖縄や小笠原諸島のほうでもコーヒーの木が育つというから、時間があったら自分のためにもチャレンジしてみたいことの一つだ。


 いつかコーヒーの豆を栽培ができたら、きっと超人気品になるだろうと予測する。



 自分で入れたインスタントコーヒーを飲んでいるときに、チャイムが鳴ったので玄関のほうへ足を運ぶ。



「よう、お帰り。

 大変だったそうで顔だけ見に来た」


「ただいま帰りました。

 俺がいない間は滝本さんに色々としてもらえました。ありがとうございます」


 滝本さんが良い笑顔で扉の向こうから現れた。



「上がっていきます? インスタントですがコーヒーを入れますよ」


「いや、いい。今日はゆっくり休んでくれ」


「和歌山の支援で物資の一部を渡してきました。

 化粧品とかお酒とかの嗜好品や補充する食糧はちゃんと取ってありますよ」


「うん、()()()()で今日はとにかく休んで。

 化粧品のことを高橋さんたちが聞いてしまったら、間違いなくヒカルくんは時間的に晩ご飯が食べられなくなる。

 ——じゃ、また明日な」


 笑顔の滝本さんはあいさつを交わしてから、すぐに本丸のほうへ立ち去った。



 確かに納品の確認は明日にやってもいいことだ。


 この後は食堂へご飯を食べに行って、川瀬さんファミリーを家に招待するつもり。今夜はセラフィに美味しい紅茶を入れてもらって、手土産で貰ったロールケーキでみんなと一緒に雑談を楽しもう。




お知らせ:

 第2部を含める全話は予約投稿完了いたしました。6月の中旬に最終話が掲載されます。ご高覧いただき、厚く御礼申し上げます。


ご感想と誤字報告、ブクマとご評価して頂き、とても励みになっております。誠にありがとうございます。

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