挿話1 大阪城拠点での平凡な日常
住民の視点で描いてみました。
朝日がさし込む中、田んぼに植えてある稲はすくすくと育ち、それを満足そうに見つめる老人は農作ができる喜びを感じていた。
「安田さん、おはようございます」
「おお、おはようさん。
なんだ、今日は学校がないのか?」
山岡玲人は彼らが大阪城総合学院と呼んでいる城内で設立した学校の生徒たちを連れて、田んぼの近くまでへやってきた。
あいさつをうけた安田という老人は目を細めて若者たちに声をかけた。
「はい。今日は休みなので、なにかお手伝いすることはないかなと思ってこちらに来ました」
「そうか、わしのとこはとくにないがな……
――そうだ、工房のほうで魚の日干しに人手がいるかもしれん。そっちへ行ったらどうだ。
なんせ、きょうも桝原たちは大漁って叫んでたからな」
「そうですか、わかりました。教えてもらえて、ありがとうございます」
お礼を言ってからこの場を離れる山岡たち子供の背中を老人は温かい視線で見送る
「こんな世の中になったからもう老いぼれは死ぬしかないと思ってたが、あの子たちにご飯を食わせるためにもまだまだ死ねんなあ。
鳥が多くなったから、芦田に貸してもらったゴーレムかかしでも動かそうかね」
安田は櫓の上にたむろするカラスの群れに目をやり、次の仕事に取りかかろうと、棍棒持ちウッドゴーレムとゴーレムを操作するための魔道具が置かれている倉庫へ足を運ぶ。
本丸の北にある山里丸はグループの総リーダー、芦田輝が自宅を構えている場所だ。
彼は山里丸の東側に家を構えているため、本丸へいく階段がある東側は建築組が来客用に迎賓館を建てていた。ただ元よりここを訪れるお客様がいなく、しばらくの間は掃除組がお仕事で来る以外、無人のままで閉館してた。
使わないともったいないと考えた芦田は、拠点の会議で迎賓館を成田温子が管理することを提案し、その場にいる幹部たちにより、満員一致の賛成で提案が採決された。
山里ラブホテルという品のない別名がついた迎賓館は、夜になればひっそりと情交を求める男女が訪れる名所となった。
「姉さん、食べ物ない? お腹減ったあ」
「あら、里美ね。
ご飯なら食堂に行けばいいんじゃない」
「行くの、面倒くさい……」
サトミと呼ばれた若い女性はTシャツとホットパンツというだらしない姿で、管理室にいる温子に食べ物をおねだりした。
彼女は迎賓館付きメイドという名目の風俗嬢だ。
ここへ来たときから自分で志願して、城内の独身男性たちが持て余す性欲の発散をお仕事として勤めてきた。サトミのほかに4人の女性が住み込みで、迎賓館付きメイドとしてここで働いてる。
災害前のサトミはそれなりの規模の工場で事務員として働いてたし、彼氏と結婚を前提に慎ましい同棲生活を送っていた。
このコミュニティの中でほかに仕事がないわけじゃなかった。実際、最初は高橋さんという運営に携わる女性から事務員として声をかけられた。
「……いいわ。セラフィちゃんにみんなの朝ご飯を持ってきてもらうね」
「やたー! セラフィのお料理は大好きなの」
嬉しそうな声をあげるサトミは温子に抱きついた。
サトミは温子に感謝していた。
災害で彼氏や家族を亡くし、芦田という青年の誘いに乗ったのもただの惰性だった。
どこで死のうとサトミには同じことのように思えて、ダラダラと日々だけを過ごしていた。そんな彼女を奮い立たせたのが温子だった。
したたかに頬を叩かれたサトミは温子に強く抱きしめられ、災害が起きて以来、初めて声をあげて号泣した。
その時からサトミは温子に憧れてる。
気さくにみんなと接し、新しく入ってきた同行者に温かく声をかけ、態度が悪い同行者を恐れもせずに叱りつける。
初期メンバーの川瀬さんたち以外、みんなから怖がられている芦田という青年と気楽に話せるのは温子だからなせる業だと、サトミは温子の闊達さに憧憬の眼差しを向けていた。
ゴーレム車のときから温子が今のお仕事を管理したのはわかってたし、時には自分の体を張ったのも知っている。
彼女のおかげでここにいる男性たちは性的な暴力を振るわない。お世話になっただれもが温子には頭が上がらない。
だからここへきてすぐ、サトミは温子へ風俗嬢として勤めたいと申し出た。
驚く温子は懸命に説得しようとしたがサトミの決意は揺るがなかった。
サトミには彼氏に言ってなかったことがある。彼女は好きというより人と人の肌が触れ合うことに心の安らぎを覚える。気に入った異性なら、性行為にそんなに抵抗感がない。
「ゆうべはおたのしみでしたね」
「――」
カギを小窓から返すカップルにサトミはニヤリといたずらのような笑みを浮かべる。
その表情を向けられた若いカップルは情事のあとに漂う雰囲気を消し切れず、二人は恥ずかしそうに早足でこの場から立ち去った。
「やめなさいよ。
――もうあんたって子は本当にはしたないわね」
「アハハハハ。
いやいや、姉さん。ヤることをヤったんだから、今さらなにを恥ずかしがるっての」
小言をいう温子にサトミはカラカラと笑いながら反論した。
いつか、サトミも人並みに結婚して夫と子供と一緒に幸せな家族を築きあげたいと思ってる。サトミにはここにいる多くの若い男性からプロポーズをもらっている。
でも今はこういう穏やかで退廃的な生活がいいと、サトミは温子たちと過ごすメイドの日々を気に入ってる。
ゾンビがいる世界でこんなゆったりとした暮らしができるなんて、素晴らしいことじゃないかしらと。
――赤松彩香は目の前の状況で困っている。
ここに来てから牧場のほうは売買がなくなった分、彼女が携わってきた事務は激減して従姉である良子と一緒に食堂の運営を携わってきた。
その傍らに大浴場が立ち上がってからその管理も彼女に任されてる。
今日は朝から彼女の前に大工のおじいさんが憤慨した顔して、大浴場の事務室の前で立ちはだかった。
「電気風呂じゃあ!
わしゃ電気風呂がないと生きていけんのじゃ!」
「田中さん。そうは言ってもピンピンとしてらっしゃるじゃないですか」
「ええい! そういうことじゃないわい!」
じゃどういうことよ――なんてことを彩香はツッコミしたかったけど咄嗟に思いとどまった。
「とにかく、電気は有限ですからわがままを言わないでください」
「わがままじゃとぉ?
お前さんは死にかけのじいさんを労わる気はないのか!」
「これだけ声が出れば死にはしませんよ。お願いですから退いてください。
ここで働くみなさんの報酬を計算しなくちゃいけないですよ」
「ええいっ!
――とにかく! 電気風呂を作るまでわしゃ退かんぞ」
だだっ子のおじいさんは扉の前で座り込み、プイっと顔を背けてしまった。大きくため息ついた彩香は子供をあやすように優しく声をかける。
「田中さん。あなた、大工なんですよね?
自分で電気風呂を作ろうとは思わなかったのですか?
滝本さんに申請すれば通るかもしれませんよ」
「……」
唖然として黙り込むお年寄りに、彩香はただ見守るように視線をさし向けるだけ。
「……そういう手があったのう」
「わかってくれましたら退いてください。
ここで働くみなさんも今日に支払われる報酬を楽しみにしてますから、私は早く計算に取りつかないといけません」
「すまんのう……
死にかけのじいさんの戯言を忘れてくれい」
のそのそと立ち上がるおじいさんを彩香は仕方なさそうに息を吐いた。
「はあー、死にかけって……
はいはい。人間はそう簡単には死にませんから。
――朝ご飯はちゃんと食べるのですよ」
「うむ。わかった」
気まずそうに去っていく大工を見送ってから彩香は事務室のカギを開ける。
朝食の焼き魚定食はとても美味しかったと彩香は思った。
こんな世の中になって、昔のように好きな食事は食べれなくなったけれど、ここにいると少なくても非常食だけの生活にはならない。
これはこれで幸せと思っておくべきだと彩香は微笑んだ。
今日は報酬がもらえるので、少なくなってきたトイレットペーパーなどの日常品を買って、前に琴音ちゃんと約束した飲み会に行こうと、仕事あがりの予定を立てた。
拠点で穏やかな情景でした。
ご感想と誤字報告、ブクマとご評価して頂き、とても励みになっております。誠にありがとうございます。




