32話 年長者も時には動くべきだ
「芦田くんからの話で明後日に生駒山を越える予定だ。
そこでだ、もし残りたい人がいるのなら、明日の夜までに自車のリーダーに申し出てくれ」
川瀬は、言葉が同行する人に行き届くように少しだけ声を張りあげた。
彼は芦田という青年が、みんなから恐れられてることを知っている。ただ芦田がなにも言うつもりがないのなら、あえて放置すると決めていた。
川瀬としては色々と手を焼いてくれてる青年のために、みんなからの誤解を解いてほしいと考えた。
そう考えた川瀬は息子の翔也から、芦田さんはなにも悪くないのに弁明する必要性なんてあるのかと問われたとき、戸惑ってしまったのだ。
変わった考えを持つ青年ではあると川瀬は思っていた。だがここにいる多くの人が彼に救われたのは確かな事実だ。
立てこもってたとはいえ、食糧や日用品がきれかけてた人がほとんどだった。
彼に正義感と義務感を求める人は多くいる。それによって助けてもらってばかりという疚しい思いを、少しでも減軽したいと考えているためだ。
現に川瀬たち初期の同行者も少なからずそう思ってた。
だが青年はそれについて多くは言わない。大阪城についたら拠点作りで手伝ってほしいとくり返す。
そんなの言わなくてもやると、だれもが決心していることだ。同行者たち全員がいつかは食糧が途絶えてしまうと理解していた。せめて死ぬ前になにかしておきたい思いを心に秘めてる。
それでも人間は十人十色で、できれば楽して生きたいと考えている人もいることだろう。
自分には力がない、自分には技能がない、そのためにできることがないと言い出す人も中にはいるかもしれない。
川瀬や滝本たち車両のリーダーは拠点でそんな人が出ないようにするために、自主的にやる気のない人を辞退させようと考えた。
和歌山県庁にいたとき、一度は自主的に出て行った形で同行者を選別したことがあった。
大阪城でそういう人がいれば、どこかで彼らを保護するために、青年は市役所など別の拠点へ送るだろうと川瀬たちは認識している。
それなら市役所の強化工事が終わった今、ここで出て行ってもらったほうが、拠点で起きうるもめ事が少なくなるだろうと川瀬たちは決意した。
「あのう、それは農業や漁業ができないと、ここから出て行かないとダメなのでしょうか」
おそるおそる手をあげる古谷は川瀬たちが頼んでおいたサクラだ。こういう場合、だれかが先に声を出したほうが後続しやすいものと滝本からの提案だった。
「いや。芦田くんがみなさんに言ったと思うが、彼は大阪城で生活ができる拠点を作るつもりだ。
おれが牛を飼うように、みなさんにもそれぞれ適性に応じて、なにかの仕事についてもらう」
「でもわたしは農業も漁業もしたことがないんですけど、果たしてできるかどうかがわからないのです」
同行者の多くはその不安を抱いてたことは川瀬もよく知っている。大阪城に近付くにつれ、そういう声が上がっていたのだ。
「——なによ、できることからやっていたらいいんじゃないの。そういう約束で誘われたでしょう?
今さら不安になったって、しかたないんじゃない。嫌なら市役所へ行けばいいわ」
川瀬が返事する前に、成田温子という30代の女性が声を出した。
温子は住んでいた場所でスナックを営んでた。
彼女と友人はホームセンターで立てこもっていたが、食糧が少なくなったところで芦田の誘いに乗った。
あっけらかんとした性格でよく芦田に話しかけたり、からかったりする。自分から積極的にコミュニケーションを取らない芦田は、彼女となら気楽に話すようになった。
芦田から打ち明けたことはないが、芦田の母のように物事にこだわらない温子のことを姉のように接していた。
同行者が増えていく中で芦田は温子にある管理を頼んだ。
同行者の中には夫婦や恋人も含まれている。
死の恐怖から逃れ、安定した食事が取れるようになると、基本的な欲望である性欲が生じるようになった。大型ゴーレム車と言っても20人が乗り込むと、どうしてもプライベートの空間が確保できなくなる。
芦田は屋根付き小型ゴーレム車のカギとコンドームを温子に預けた。
小型ゴーレム車には遮音魔道具が搭載されていて、絶叫でもしない限り、外に音が漏れない。それに揺れのことを考慮してサスペンションが装備しているため、多少の激しい運動なら、外から見てもバレないようにしてある。
要するに、芦田は温子にラブホテルを委託したみたいなものだ。
——メイクラブしたいならこっそりと温子に相談する。
それが同行者たちの中でできた不文律。
また、何人かの独身の女性は温子の提案で、芦田が出す贅沢な食事やタバコなどの嗜好品を報酬に、不特定の男性と性行為を自主的に引き受けている。
その人間関係の管理も温子を通して行われていたため、同行者の間で温子に頭が上がらない人が多くいる。
その温子が川瀬たちの意見に賛同したのだから、みんなを集めてのこの話し合いは目立った混乱が見られない。
「市役所に残ると選んだら、今までのように食事と安全は保証してくれるの?」
それでもこれ以上同行することに対して、不安視する数十人の人を代表し、中年のおばさんが川瀬に質問を出した。
「勘違いさせないためにも、もう一度ハッキリとここで表明する。芦田くんはおれたちと同じ、あの子はただの民間人だ。
みなさんもご存知のように、芦田くんには魔法という不思議な力があるし、パートナーのグレースは彼のことをよく支えている」
「……」
「民間人である以上、芦田くんはみなさんの安全と生活を保障する義務がない。それを求めたいのなら市役所へ行ったほうがいいし、主張することもできるでしょう。
おれを含めて、われわれは芦田くんの善意によって保護してもらった。しかし、大阪城についてからはわれわれは自分の生活を安定させ、向上するための努力をしなければならない」
「……」
誰一人として声を出さずに黙って聞いている。
川瀬が視線を同行者へ向けている中、たまに警備ゴーレムによって始末されるゾンビの断末魔が夜闇を切り裂いた。それが却って不気味な雰囲気をかもし出す。
「おれたちはもうゾンビがいる危険な世の中で生きてる。守ってくれてた警察はもういないし、お金があっても物を買える店がない。欲しいものは自分の手で作り出さねばならんのだ。
これから先の日々は、それができる人、したいと思える人、努力する人がこんな世の中で生き残れるとおれは思う」
「――あのう……みなさーん、晩ご飯の準備できましたよ。各車の担当は取りに来れないかしら」
時機を見計らったかのように、川瀬の嫁である良子が声をかけてきた。緊張しっ放しの同行者たちは食事の知らせにホッと一息ついた。
「長々とすまなかったな。結論は明日の夕食後でいい、今夜は家族でよく相談して決めてほしい。
大丈夫、残留することを決めても芦田くんはそれで怒るような人じゃないから。
――それじゃ、解散」
人々が自車へ戻って行く中、滝本は川瀬へウィンクを決めてみせた。
芦田は口に出さなかったけど、人々の動向にはずっと気にしていたことを彼らは知っている。あの青年が動かないのなら年長者たる我々が動くべきだと川瀬たちは自任していた。
もうすぐ芦田が目的地とする大阪城につく。
これまでは彼に任せっぱなしの日々だった。これからはおれたちが自分の未来を築くために頑張っていくんだと、川瀬は秘かに意気込んでた。
成田温子(36):美人ではないが見た目より若くて可愛く見える。男の趣味が悪くてそれで苦労してきた。主人公のことは弟のように思ってる。
ブクマとご評価して頂き、とても励みになっております。誠にありがとうございます。




