79話 知ってもらえる人たちがいるだけで幸せだ
腰が抜けるほど、グレースからの暴行で魔力がごっそりと抜かれてしまった。
ドラウグルたちが去ってからのその日、いきり立つグレースを宥めるために山奥へ拉致された俺は自分で立つことができないくらい、セラフィの介護でやっと市内に帰ることが叶った。
満足したグレースはミクたち子供を連れて、徳島市の沖合でクルージングを楽しんでる。
「……ご苦労さん。お前さんには世話になった、お礼を言わせてもらおう」
「いいえ、できることしたまでです。
それに俺が一因であることは否定できないですから」
あの戦いで市の中心部にある建築物がほとんど全壊か半壊したため、市内で使える建物は限られてる。防衛大臣である雑賀のじいさんはこっちまできてくれたので、今は彼と中央警察署の会議室で事前協議の最中だ。
鳴門市や徳島市一帯では米を植えた田んぼも、数々の野菜が生えた畑も、牛や豚を飼ってた畜舎も、賑わっていた商店や飲食店も、人々が住んでいた家も、なにもかもがゾンビの軍勢で踏みつぶされてしまった。
幸い、徳島市より西と南の地域ではゾンビによる被害はほとんど出なかった。そのために復興が終わるまでの農業や畜産業は、そっちのほうで作業を続けることが政府と地方公共団体の協議で決定した。
自衛隊が受けた人員と装備の損害は、再編成を余儀なくされるほど大きかった。
雑賀のじいさんがいわく、現在の情勢を考慮し、陸上・海上・航空の三つに分けた自衛隊を統合することが検討されてるそうだ。
市民も多くの犠牲者が出した。
徳島市のほうは避難が間に合ったものの、ゾンビから急襲を受けた鳴門市のほうは避難が間に合わなかったので、数多くの市民がゾンビになったらしい。
「わしはお前さんのせいなんて思っとらん。
だが一部からの意見でお前さんに厳しい目を向けてるのは確かじゃ」
「まあ、被害が大きかったからしょうがないですよ」
じいさんは優しい口調で語ってくれた。でも本当のところは一部どころか、大勢と言っても過言ではないことは俺も感付いてる。
中には俺自体がゾンビで、人の社会にもぐり込んで今回の事件を自演したという噂が立った。
白川さんから事情聴取を受けたときは失笑しそうになったし、採血検査の協力を頼まれたときはさすがにムッとなって言下で断固拒否した。
ハッキリ言ってドラウグルがこんな大がかりなことをしなくても、こっちの社会に紛れ込むのは簡単だし、人間を全滅させるのはやつらにとって難しいことではない。
それらはこれまでドラウグル野郎が実例を示したが、こっちにいる人々はドラウグルと兵刃を交えたわけでもないので、俺と親しいじいさんたち以外からは理解してもらえなかった。
やるせないことに人では立ち向かえないドラウグルを退けた俺に、事情を知らない人々から恐怖と猜疑の視線が向けられてる。
人生に達観するほど長くは生きてないし、グレースの皮肉ではないけど、こうなることはドラウグルと対決すると決めたときから覚悟してたので、今さら気落ちすることもない。
「やはりわしらも立ち会うわけにはいかんのかのう」
「ええ。力と力で決した勝負ですから、あのドラウグル野郎は政府が立ち会うことを許さないと思います」
お前ら3人というのがドラウグル野郎からハッキリと告げられたこと。あいつは交渉の場に政府の人員が参加することを認めていない。
「一応は政府で案を練っているがのう、白川君はお前さんに一任したほうがいいと言っておる。
ただ総理から頼まれたのでのう、お前さんがなにを交渉する気かを知りたいのじゃ」
「……四国です」
「んん? 四国?」
「ええ。四国をこっちの領土として引き渡してくれって交渉するつもりです」
多くの人々が亡くなった世界だ。例え全国を取り戻しても国土を維持することはできないと、俺はグレースにヤられながらぼんやりと思案してた。
九州と本州、それに北海道。
東側に北側、それと西側の守りをゾンビに投げた上、南は海で防壁を成す。ゾンビが支配する領域が天然の防壁となって、大陸側からゾンビや人の進出が防げると考えた。
世界のどこかでドラウグル野郎と同じ存在が生まれないとはだれも言いきれない。それならあいつらを利用させてもらう。
それに人類が誇った現代文明はすでに滅んだと俺は思ってる。国外から資源が入ってこない今、文明のレベルが落ちるのは致し方ないことだ。
幸いなことに、水力と火力発電があるから、最低限の電力は確保できる。慎ましい生活になることだろうが、生き長らえるような領土を確保できることで喜んでもらいたい。
あのドラウグル野郎なら、このくらいは許してくれるだろうとなぜかそう確信している。
――あいつは戦争をゲームだとか抜かしやがった。戦場となった四国のことなんて、きっとそんな取るに足らない土地なんだろう。
「……せめて本州とかは無理かね」
「四国を取るか、それとも今の確保している地域か……
――俺が交渉するのはそのいずれかと考えてます」
うなだれる老人に俺は労わる目を向けるしかない。
――辛い顔をしないでくれ、雑賀のじいさん。
そうやって人たちの望みを調整してやれるほど、あのドラウグル野郎から時間を与えられていない。俺としては交渉の決裂すなわち再戦だということをきちんと理解してほしい。
俺の楽観的な考えだけど、四国で人たちが生きれる場を築き直せば、海洋に囲まれたこの国は生き延びるチャンスがある。
沿岸部ならゾンビに慣れてきた自衛隊でも倒せるようになったので、いつかは海洋国家として再興するじゃないかなと勝手に妄想してみた。
でも資源回収の依頼で報酬を得るならともかく、四国で政府による復興事業に関与する気がない俺は軽々しくそのことを口にするつもりがない。
「あのね、仮に本州を手にしたとしましょう。
船を作れるゾンビ、それと生きてるかもしれない難民から国を守れますか? 国土を維持できるだけの国力は残されていますか?」
「……」
「艦艇や航空機の維持と運用が困難な世界で、限られた国民と兵力でどうやって広大な国土を守っていくのか、まずはそちらで検討してほしかった」
老人をイジメるほど俺は意地悪じゃない、ただみんなに現実を見つめてほしい。
正直なところ、今の国内にどれだけの人が生き残ってるかは把握できてないし、今さら魔王な俺に依頼するのは政府内でも調整が困難だと俺は推測している。
なにせ、この局面に至った要因となった俺だ。そんな怪しい人間をどう取り扱えばいいのか、政府のほうで争論になってるじゃないかと自虐的に思わざるを得ない。
「……わかった。お前さんの意見を総理に伝えた上、こっちでも検討してみる」
「あまり難しいことを要求するのなら、交渉は決裂かもしれないと伝えてください。
――それと向こうからいつでも戦える用意はしてあると言われたので、そこはきちんと、ハッキリと言ってくださいよ」
「承知した。お前さんの言葉は必ず伝えておく」
親しくしてくれてる雑賀のじいさんを脅すつもりはない。ただ世の中には人になにかをやらせるのに、簡単に物事を考える輩が多いから本当に困ったものだ。
「小僧。娘たちのこともあるから、一つだけ教えてくれんかね」
「なんでしょうか」
じいさんが聞こうとすることは初めから理解できてるつもり。
「これが落ち着いたら、お前さんはどうするつもりじゃ」
「四国から出て行きます。
そのつもりなんで今回の件を含めて、政府からの報酬を請求させてもらいます」
「……できることならもっと話し合いたいのじゃがな、まずはお前さんにちゃんと報いることを考慮しよう」
俺が話したことに雑賀のじいさんは驚かなかった。それが一番いい選択としか今の俺には思いつかなかった。
ゾンビがいる世界で、異能を持つ俺も異端であることに変わりはないと改めて思い知らされた。
社会に馴染もうと努力はしてきたつもりだけど、世知辛い話だ。
「お疲れさま。君のおかげで生き残れたよ」
「白川さんも政府のほうを抑えてくれて、ありがとうございます」
荒んだ人心を癒すために市からの要請で、居酒屋セラは焼け原の中で営業が再開した。
白川さんからの連絡で個室に入った俺たちはお互いの生存を祝って、まずは乾杯でビールを飲み干した。
俺が最強の装備を持ってることは白川さんを含め、異世界帰り組以外の人には内緒にするつもり。
——人の欲望はゾンビより恐ろしい。
「四国からゾンビを追い出すように交渉してきてほしい」
「承った」
白川さんからの知らせは、政府のほうが俺の出した条件を呑むと明言したみたいなもの。
「それともう一つの要請は政府のほうで受諾したから、近々に正式な書類が送付されるはずだ」
「白川さんが預かってくれませんか?
俺、そっちへ取りに行きますから」
「なにかの考えがあってのことだろうが……
わかった。また取りに来てくれ」
どうやって沙希たちと話せばいいか、まだ気持ちの整理がつかない。とりあえずドラウグル野郎との交渉が終わるまで、ひとまず先延ばしにした。そのために俺宛ての書類を自分で受け取ろうと心に決めてる。
大規模な戦闘にとって焼失や倒壊した建物が多いため、徳島市を含むここ一帯の復興工事は困難が伴うのだろう。
もし賀島市長から物資の供給を求められたら、ここから立ち去る前に、できるだけのことは協力してあげたい。
「和歌山地域はこれ以上保持できないと判断された。
近いうちに政府から市へ撤退することを勧告する予定だ」
「……そうですか」
「和歌山市内には物資を含む市の資産があるのでな、芦田君にそれらの回収と輸送を依頼するつもりだ。
引き受けてくれるか?」
「前向きに検討させてもらいます」
和歌山市へ政府のほうから四国へ国民を避難させることについての通達が出されるらしい。
和歌山地域と四国東部で起きた一連の戦闘で、防衛に当たる自衛隊の戦力がかなり消耗させられた。
近畿地方で武器と魔法を使いこなせる極めて強力なゾンビ勢力が存在することで、これ以上和歌山地域を維持するための防衛力は、もう政府には残されてないということだ。
徳島市と同じように、和歌山市には世話になった俺としては協力を惜しまない。
でも小林知事と有川市長の落胆っぷりは目に浮かぶように想像できたので、こればかりはご愁傷様ですとしか言いようがない。
「そうだ、芦田君には先に伝えておこう。
近いうちに私は退職するから、今後の依頼は引き続き中村君が担当するように伝えてある」
「え? そうなんですか!
白川さんみたいなやり手を政府もよく手放したんですね」
「まあ、そろそろ結婚するしな」
「おめでとうございます。
渡部さんはちーっと融通が利かないところはあるんですけど、良い人なんだから幸せにしてやってくださいよ」
「はははは」
白川さんは笑っただけでなにも言わない。
こっちへ来てからの付き合いだが、この人にも色々とお世話になったのだから、渡部さんと一緒に幸せになってほしい。
「もうやってるのか。
――おねえさん、生大一つ」
「生大ですね? ありがとうございます」
いつものしわがれた声がした。
後から来た佐山さんとも近いうちにお別れする。
今まで若造である俺を可愛がってくれてたから、彼らと楽しくやれるうちに飲んで騒いで楽しい思い出を作っておきたいと、彼らへビールジョッキをかかげてみせた。
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