59話 提案されたのは勝負することだった
昨夜は外でお風呂に入った後、ヤるかヤらないかでグレースと大ゲンカした。断固拒否した俺の態度にふてくされた彼女は今でも異空間の中で反抗してる。
ひと晩中警戒したものの、ヴィヴィアンというドラウグルが夜襲をかけることはなかった。
「お食事は――」
「いらないから絶対に持ってくるなよ」
「鹿料理はお気に召しませんでしたか。昼食は猪料理に致しましょうか?」
「ご飯はこっちで勝手に食べるから気にしないでくれ」
「はい、仰せのままに」
グレースとケンカした原因を作った無自覚なヴィヴィアンに太い釘を刺してやった。昼からイノシシの半焼け首を拝むなんてなんの罰ゲームだ。
でも彼女の表情を見ていると、どうやら悪気があるわけではないらしい。なにかの本で魚の頭が食べられるなら、シカやイノシシでもいけるじゃないかなと、彼女はそう考えたではないだろうか。
彼女は見た目が人間らしくても、その実態は人間の常識がないなにかだ。ヴィヴィアンと接することで初めてこっちのゾンビという種族を思い知らされた。
「奥さまはお出かけですか?」
「そんなところだ。気にするな……
――それより、話は聞かせてくれるよな?」
ゾンビがいる場所では、いつ襲われてもおかしくないので気が抜けない。
たとえ目の前にいるドラウグルが友好的に見えても、俺としては四六時中にバリアを展開させるべきだと実行してるし、空間魔法の異空間については言及するつもりなどない。
「お宿のサービスは気に召して頂けませんか?」
「冗談にしては笑えないし、本気なら目的を疑いたくなるな」
「そう……それは残念だわ」
最初は遺体が置かれ、ゴミと埃だらけの和室に案内された。
風呂に入ろうと思えば、一階にある風呂場は悪臭するどす黒い液体に浸かる白骨体が浴槽の中にあった。トイレの中には汚れっぱなしで、キッチンのほうには首無しシカの死体と大量のゴミが捨てられてた。
この家にこもってた人たちの絶望的な痕跡が今でも残されてるため、そんな家を宿にしたところでリピート客ができるなんて到底考えられない。
敬語で話すことをやめたヴィヴィアンは着こなしていない振袖の襟をつかむと、両手を広げるように振袖を破り捨てた。その行動にドキッとするとともに期待してしまった自分がいる。
水着姿の女ドラウグルが目の前に現れた。
――期待させやがって、水着があったのかよ!
「うふふ、残念そうね」
「ち、ちゃうわ! だ、だれも期待なんてしてないわ!」
「うふふ。いいのよ、人間の男はこういうのがお好きでしょう?
次があったら、期待してちょうだいね」
「……なにがしたいんだよお前」
やはりこの世界のドラウグルは異常すぎ、人間の知識を知っているようなそぶりをみせる。
――いや、俺が知ってるドラウグルと比べるのがそもそも間違ってる。ここは異世界なんかじゃないんだ。
「ゲームしてくださらない?」
「はあ?」
前置きもなく、唐突にプレイを申し込まれた俺はどう返事したらいいかが全然わからない。
「簡単よ。わたしの手下100体と勝負してちょうだい。
貴方が勝ったら、この辺りにいる同類を連れて、ここからいなくなるわ」
「ふーん、勝負ね……
俺が負けたらどうなる?」
「うふふふ。おかしいなことを言うね、人間。
貴方が負けたら同類になるしかないじゃないの」
からからと面白そうに笑ってるヴィヴィアンに見とれてしまいそうだ。
確かに彼女の言った通り、ゾンビに負けた人間はゾンビになるしかない。バカなことを聞いた俺はやはりおバカさんだった。
「なあ、勝負するのは俺だけか?」
「ええ、そうよ。お連れ様は真っ赤だから強そうなのよ」
「真っ赤? どういうことだ?」
「え? 真っ赤に――」
いきなり口を噤んだヴィヴィアンは俺のほうをジッと見てきて、途切れてしまった言葉を続けようとしない。
――そういえばドラウグルと最初に遭遇したとき、ピンクのマクとかなんとか言ってた記憶があったな。
「おいっ! 真っ赤とはなんのことか、ちゃんと教えろ」
「……本当におバカさんなのね」
「ああっ!」
いくらヴィヴィアンが美女でも、その嘲笑うような言い方にカチンときた。
こいつが普通の容姿したゾンビなら、即時にハルバートで首を斬り落とされてたことを、きっとこいつは知らないのだろう。
「敵である貴方に教えるわけないでしょう?
それともなあに?
貴方は敵であるわたしに魔法のことでも教えてくださるかしら?」
「くっ――」
まさかドラウグルに論破されるとは思いもしなかった。
こいつらが使う魔法の系列はどうやって入手したは知らないが、異世界の魔法を説明するわけにはいかない。
特に空間魔法はヤバい。
無制限の収納は無理だとしても、足止めにポイポイと物を投げられたら、俺たち異世界帰り組でも苦戦を強いられてしまう。
「わたしが用意する勝負は明日の正午にしましょう。いいわね?
やるのは貴方一人、場所は野球場よ」
「ほう、野球場ねえ……」
「こちらは100体の同類を連れて行くから相手してあげて。
貴方が勝ったらわたしはここにいるすべての同類を連れて立ち去るわ」
「……わかった。引き受けてやる」
ヴィヴィアンが用意するという言葉にちょっと引っかかったが、勝てば引いてくれるから、あえてここで突っ込むこともないだろう。
「うふふ、さすがは人間たちの勇者様」
「はあ?」
「どうせ、ゾンビに負けるなんて思ってないんでしょう?」
「……」
「貴方たち、持ってきてちょうだい」
俺の奇声は無視され、ヴィヴィアンというドラウグルは襖の向こうへ声をかけた。
「おい、勇者とはどういうこと――」
「モッテキタ」
襖を開けた袴を着ている女ゾンビが無線機をヴィヴィアンに手渡す。
「勇者は勝負を受けたわ」
『わかった』
言葉を遮られて、唖然とする俺の前にヴィヴィアンはだれかと通話してから、サッと立ち上がった彼女が俺を見下ろす。
無線から聞こえたのは女の声だった。
やはり睨んだ通り、こいつらは人間が作った道具を使いこなしてる。
「勇ましく人間たちのために戦う貴方のことを勇者と呼ばせてもらってるの。
――ねえ、そうでしょう?」
「マスターならムキになって否定するけれど、おおまかその通りね。
ただね、勇者の前にバカってつけてあげたほうがいいわね」
「ふーん、バカ勇者ね。似合いそうで怖いわ」
いつの間にか後ろでゲームするグレースは、俺を無視したままヴィヴィアンを見もしないで言葉を交わした。
「お前ら――」
「また明日にお会いしましょう、バカ勇者様。ここにいるなら好きに使ってちょうだい。
――といってもわたしの家じゃないけどね」
ヴィヴィアンは女ゾンビと共に襖の向こうへ消えた。階段を下りていく音を聞きつつ、雑賀のじいさんから聞いた話を思い出す。
近頃は自衛隊のほうで出所不明の無線を傍受しているらしく、その中で勇者という言葉が記録されたという。
じいさんは俺に心当たりはないがと質問してきたけど、まさか自分のことだとは思いもよらず、そのときは知らないとしか答えようがなかった。
勇者と呼ばれるのは不本意で業腹だけど、そんことより明日の戦闘に備えなければならない。
あのヴィヴィアンというドラウグルが言った通り、ゾンビが相手なら負ける気はしない。
なにせ、魔法防壁はゾンビの攻撃を防げるから、敵を侮らなければ、俺の勝ちは確定されたみたいなものだ。
いきなり戦闘を仕掛けられたではなく、ヴィヴィアンの奇行によって、ドラウグル側の情報が少なかった主人公が出鼻をくじかれ、後手に回ってしまった形となりました。
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