30話 ゾンビがいなくなった都市で人々は生き残ってた
市内には人型ゾンビと動物型ゾンビがまったくいなかった。
「じ、自衛隊だああ!」
市内には生き残った人たちがぞろぞろと出歩いてた。
「これはわたしが見つけたもんだわ!」
「全部取ることないだろうが! よこせよ!」
「ゾンビはどこへ行っただろう」
「しらねえよ。自衛隊がきたみたいだから、あいつらが追っ払ったんだろ?」
道の向こうでおばさんが若者と食べ物でもめてるし、ビルの近くにいる人たちがこっちを見ながら道端で話してる。
小谷さんは俺と顔を見合わせて、状況が掴めずに困惑したまま動けずにこの場で佇むだけだ。
「――お前らのせいでえええ!」
「――」
俺と小谷さんは声がしたほうへ体を向ける。
「お前らのせいで家族が死んじまっただろが! ああっ!」
「――」
小谷隊の若い隊員が汚い身なりのおっさんに殴りつけられたらしく、見たときには隊員が地面に倒れてた。体を丸める隊員におっさんは腹へ目がけて蹴ったり、背中を踏みつけたりと暴力を振るってる。
「いいかげんにしろよ、おっさん」
「――放せええ! 放せよコノヤロおおお!
こいつらがちゃんとしてたらマユもケイイチもゾンビにならずに済んだんだああ!」
小谷さんの顔を見ると歯を食いしばって、我慢している様子がありありと見て取れたので、彼が走り出す前にバリアを張っている俺はすぐに現場へ走り寄り、暴力を振るうおっさんを羽交い締めにした。
大声で泣き叫ぶおっさんの行為は許されるものじゃない。だがその怒りを霧散させるために、どうすればいいかが俺にはわからない。
小谷さんとほかの隊員がうずくまる若い隊員の様子を心配しているようだ。
セラフィがさり気ない動作で、水と装ったポーションを飲ませるところが目に飛び込む。そういう気遣いができるセラフィを俺はとても誇らしく思う。
「ちくしょうがあああ!」
おっさんの魂からの叫びは多くの生存者を呼びつけた。
「おい、どうしたんだ」
「なにを叫んでるんや?
――自衛隊がいるぞおい」
「なんだなんだ」
「今頃なによ。大変な時にほったらかしにして」
「マユううう! ケイイチいいい!」
音を聞きつけられるゾンビがいる世界で大声を出してはいけない行為だった。腕の中にいるおっさんはずっと心からの叫びを我慢してたのだろうか。
「マユうう……ううう……ケイイチい……うう」
叫んだあとのおっさんは俺の腕の中で力が抜けていき、体重がそのまま俺にのしかかった。
いくら叫んだって、自衛隊を殴ったって、家族が帰って来ないことくらいはおっさんにもわかっていることだろう。それでもどうにか発散しておかないと、外へ出てきたおっさんには耐えられなかったのかもしれない。
だからって、懸命に救助活動を励んできた若い隊員に、八つ当たりのような暴力を振るっていい理由にはならない。
「おい、あれ、二丁目に住んでる坂下さんじゃないか」
「本当ね。避難所で妻と子供がゾンビに襲われたって、こっちの避難所に逃げてきた人が言ってたわよ」
「マユうう……ケイイチい……うう」
気が付けば周りは人だかりになっていた。気のせいじゃなければ、不穏な雰囲気が辺りで漂い出したように感じられる。
「放してやれよ! 泣いてるんだろうが」
「そうだそうだ」
「ゾンビを倒せなかった役立たずのくせに、民間人だけはイジメるんだな」
「放せ、放してやれ!」
「……うう」
泣き疲れたおっさんがぐったりとして、その彼を俺が後ろから羽交い締めにしている。どう考えても良い構図には見えそうにない。
「芦田さん! その男性を放してやってください」
「あ、はい」
小谷さんの指示に従って、力のないおっさんを放したら、そのまま地べたに倒れ込んだ。
「人助けはできないのに国民に手をかけるのかこの野郎!」
だれかが人だまりの中から叫んだ。
「ふざけんな! 自衛隊ぃ!」
「いまさらなによぉ、お父さんを返してよ、お母さんを返してよぉ」
「そうだそうだ。ゾンビがいなくなったとたんに現れるなんて」
「役立たず!」
「飢え死にで亡くなった俺のおふくろに詫びろ!」
ここにいる人たちが暴走し出した。
だれかが小石を拾って、こっちへ投げた勢いで次から次へと物が投げ込まれる。
俺にはバリアがあるし、グレースとセラフィが持つ生体防御力はとても高いから、この程度のもので怪我を負うことはない。だが小谷さんたちと地べたで泣き続けているおっさんはそうじゃない。
このまま放っておくとだれかが大怪我するかもしれない。
「みなさん、落ち着いてくださいっ」
「落ち着けるかバカヤロー」
「黙れ自衛隊!」
「そうよそうよ。ゾンビがきたときにあっさりと全滅したくせに」
「役所や避難所を守れなかったのに、えらそうに俺らに指図すんなあ!」
小谷さんが沈静化を図ろうとしたが却って火に油を注いだ。
いくつか大事なキーワードを聞いた気がするけど、今は集まった人たちによって引き起こされた暴動を鎮めることが先決だ。
俺が動こうとする前に気がとても短い悪魔が先に動いた。
「――静まれえ、人間どもお!」
空高く打ち上げられた魔法は上空で轟音とともに爆発し、グレースが放った一発の魔法でここにいるすべての人を停止させた。
「ひ、ば、化け――」
「黙れ人間どもっ。一度しか言わないからよく聞いておけ!
――動いたら殺す! 喋ったら殺す! 空気を吸ったら殺す」
手のひらにドでかい火球を乗せたグレースがものすごい殺気を飛ばしてみせた。それに気圧された人々がこれ以上暴動を拡大させることも、ここから逃げ出すことも瞬時にして封じ込められた。
――とっさの判断でありがとう。だけどな、グレースよ。呼吸を止められたら普通に人間は死ぬって。
「――先はすいませんでしたっ」
「いえ。ケガは治りましたので」
あれだけ取り乱していた坂下というおっさんは、自分が殴りつけた若い隊員に何度も頭を下げて謝っている。
なんでも小谷さんたちを見た瞬間に、防衛が崩された避難所のことを思い出したみたいだ。
駐屯地から駆けつけた自衛隊によって守られたその避難所は、ゾンビ犬とゾンビタヌキの襲撃を受け、あっけなく崩壊したとおっさんは泣いて話してた。
噛まれた妻と息子は坂下さんを逃がすためにゾンビへ立ち向かったらしい。
妻と息子の許へ向かおうとした坂下さんを、生き残った自衛官が避難所から連れ出したとおっさんは小谷さんたちに感謝してた。
生存者の話をまとめると、駐屯地から駆けつけてきた自衛隊は市民を守るため、高知県警とともに最後までゾンビに対抗したらしく、避難所となった高知市役所で全員が殉職したという。
小谷さんは見知らぬ元同僚たちの消息に唇を噛みしめつつ、彼らを感謝する青年から話を聞いてた。十数人の青年は自衛隊の援護射撃を受けて、陥落寸前の高知市役所から脱出を果たした。
「こちらにお代わりがありますから、列を乱さないでください」
「こらああ! セラフィちゃんを困らすんじゃない。
グレースちゃんにガツンとやってもらうわよ」
小谷さんの判断で今はここで炊き出しが行われてる。
手の空いたおばちゃんたちがお手伝いして、市内で生き残ってる人を探し出すために多くの男性がチームを組み、付近一帯の家々へ捜索しに出かけた。
「――聞いた話では全滅です……多くの市民が生き残ってることは確認できてます……
はい、ゾンビは見当たらないので、艦艇を含む支援部隊の派遣を検討してください……
駐屯地内に武器と弾薬が残されてます。それで――」
炊き出しの現場から少し離れたところで、小谷さんは無線機で陸上総隊と現状報告を行ってる。
辺りを見回したところ、数千人が競輪場まで集まってきたようだ。災害からこれだけ時間が経ったにもかかわらず、本当によく生き残れたものだ。
ただ人数が多すぎたために、俺のゴーレム船だけでは対応しきれない。そんなわけで小谷さんは陸上総隊の指示を仰いでるところだ。
「――こらっ! そこのお兄さん、割り込みしないの」
「うっせえよクソばばあ、お前に指図される覚えはねえよ。
こちとら腹が減ってんだ、飯があるなら早く食わせろよ」
水が自由に使えない世界でほとんどの人が汚い身なりを強いられる中、列に割り込もうとする若者は髪の毛がぼさぼさで、異臭がするシャツを平気で着ている。
秩序を守らせるためにおばちゃんが眉をひそめつつも若者を諫めたけど、汚らしい若者から罵詈雑言で返されてしまった。
多くの人が嫌そうな顔を示したので、若者に文句の一つでも言ってやろうと動こうとしたとき、俺よりもグレースのほうが先に反応した。
そう言えば、グレースは不潔なものが大嫌いだった。
「――」
「――っひ!」
強烈な殺気を向けられた若者が糞尿を垂らして地べたに座り込んでしまった。
アウトドアチェアに座ってるグレースは一言も発さずに、粋がる若者を一瞬で撃退した。さすがはサキュバス族きっての戦闘狂、血染めの凶魔と呼ばれた元魔王軍の幹部だったフレンジー・グレース。
――ハッキリ言わせてもらうけど……能力の無駄遣いだ。
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