出陣の時
『いったい、何がしたいんだ? あんたは』
『さあな』
どちらも息が上がっていた。
魔術師は持っている剣と杖を握る手の力を強める。
そして対峙している男を睨みつけた。
『そこまで執着するものなのか、自尊心を保つということに』
『ガキが…お前にはわかるまい』
男は忌々しげに魔術師を睨み返す。
『私の何が悪いという? 持って生まれた力を使い、弱き者を統一することの何が』
『笑わせるね。神の名を騙るにしては、ずいぶんと欲にまみれている。弱いと決めつけ、支配することの何が神のご意志だ。ただの自己満足だろ』
『黙れ!』
襲って来る魔法攻撃を弾きながら、魔術師は続ける。
『自分を認めないから? 自分を必要としないから? そんなのはただの逆恨みだよ』
壊れたような叫び声を上げながらなおを攻撃してくる男を、魔術師はどこか呆れたように見つめ続ける。後ろでは仲間が魔獣たちと対峙していたが、こちらの様子を心配している気配を感じ魔術師は口元に笑みを浮かべた。
畏れるものなど、なにひとつないというように。
どこか、無邪気さを含んだそれはある意味での狂気にも思える。
『その腐った根性、私が叩き直してやるよ。ロキディウス』
向かって来る男に、魔術師も一歩踏み出した。
リファルス国の城は壊滅は免れたが、町同様に大きな被害を受けた。
アリアによって結界こそ張りなおされているが、町の者たちの不安はぬぐうことはできない。それでも毎日、復旧作業が行われている。
そして落ち着くと同時に、少しずつあの日何が起きたのか広まりつつあった。
王宮魔術師であるセイディア・ルーフェンが、闇の魔術師と共に消えた、と。
国の誇りであった彼の予期せぬ行動に、全員が混乱している。
王もそれを感じ取り、全てのあらましを説明することを決定した。一部反対の声も上がったが、わからないままでは余計不安を煽るだろうという判断である。
「王、北の国が出兵をしたと情報が」
「ついに来るのか…」
国境の閉鎖と同時に、北の国は領土の侵略を始めていた。
現在は南の国の一角を占拠し、西の国でも被害が拡大している。
そうなればリファルス国もじっとしてるわけにいかない。
明後日、兵を出陣させ迎え撃つこととなった。オーシャルン国の王はリファルス国と共に戦うと宣言し、二国の王が顔合わせを行う手はずにもなっている。
「アリア、もうそろそろ時間だが」
「ええ、わかっています」
後ろに控えていたアリアに声をかける。
これから魔法による中継のような形で、国内への呼びかけが行われる。
スクリーンに映し出される映画のようなもので、各ギルド支部に設置してある魔法石を利用し映像と音声を流すものだ。
それぞれの町の者たちが殺到し、その瞬間を待っている。
担当の魔術師が杖を掲げ魔法を発動した。
「国内にいる全ての者へ、此度の結界破壊と魔獣襲来の説明を行う」
王の声が響く。
闇の魔術師による、支配が広まりつつあること。
調査したところ、洗脳魔法により多くの者たちが被害にあっていること。
そして今回、セイディアを始めあまたの魔術師たちが各地で姿を消しているということも発覚したと。そしてその地が、北の国に集中しているとも伝えた。
「確証ではない。しかし、無関係ではないとも言える。闇の魔術師により、北の国も洗脳されている可能性があるとだけ、言っておく。我が国は、同盟オーシャルン国の兵と共に、北との国境に向かうことを決定した」
城にも多くの者が王の演説を聞こうと詰め寄っていた。
ざわざわと騒然とする中、代表の兵士たちの名が上げられていく。
アリアの名は上げられなかったが、北の国に共に向かうことになっている。それが唯一、王が出した条件だった。
これからどうなるのか、不安を感じないものなどいないだろう。
兵たちの中でも混乱は続いているが、表には出さないだけだ。
すると、カラ ン 、と涼やかな鐘の音が響いた。
その音がした方に目を向けると、白い装束を身にまとった集団が現れる。フードのしたからは銀の髪と尖った耳がのぞいていた。「エルフだ…」と誰かが呟き、思わず道を開ける。一行は鐘を鳴らしながら王座の方へと向かって来る。
そして一定の距離で立ち止まり、先頭のエルフがフードを取った。アリアは溜息をつき名を呼ぶ。
「シィステリオル…」
「久しいな、我が友よ」
シィステリオルは笑みを浮かべ、王に軽く会釈をする。
アリアは「友人です」と一言添えた。
「我々の王から、言伝を頼まれた」
「エルフの王に…?」
「やれ、骨を折ったぞ。族長が俗世との接触することは禁じられているからな。おかげで隠居することが決定した」
肩をすくめながら、シィステリオルは続ける。
「リファルス国、国王よ。我が一族はこの国に力を貸そう」
「…エルフは、人の争いに介入しないはずでは」
「ああ、しかしながら彼女には恩がある。そして何より、親愛なる友だ」
アリアの前に歩み寄ると、膝をつきその手の甲に唇を押し当てる。
エルフが膝を折ること自体ありえないので、さすがにアリアも目を見開く。シィステリオルは愉快そうに、そのままアリアを見上げ笑った。
「これが人の子が言う、"忠誠"の証なのだろう?」
「…あんたって人は」
どうやらやってみたかっただけのようだ。
アリアはじっとシィステリオルを見たまま「いいの?」と確認をする。
「森の中で暮らしていれば、平和に終わるでしょう」
「そうだろうな。しかし、世界は人のためにあるだろうか? いいや、それは違うだろう。世界はそこに生きる生き物すべてに平等に与えられたものだ。それを守るため、なぜ躊躇う必要がある?」
アリアは一度目をつむり、困ったような笑みを浮かべる。
「すまない、ありがとう」
「礼に及ばん。王よ、許可してくれるだろうか」
「…心強い。こちらからお願い申し上げます」
シィステリオルと王が握手を交わす。その瞬間、町の者たちの重い空気が少し和らいだ。エルフという味方がついたことで希望が出たのだろう。
国民への報告は、こうして無事に終わったのだった。
シィステリオルや、付いて来たエルフたちを交えて今後の作戦会議を終えた後、アリアはひとり城の屋根の上にいた。外はすでに陽も落ち、空には星が瞬いてる。
目を閉じ、張り巡らせた結界に意識を向ける。あちこちで小さな衝撃があることから、以前より魔獣が増えているのがわかった。
「アリア」
「ウィーリアン?」
驚いて振り向くと、ウィーリアンが何とか屋根によじ登っているところだった。
アリアは苦笑いし、なかなか上って来れないウィーリアンに手を差し出す。一瞬ためらった後、ウィーリアンはその手をとりようやく屋根の上にたどり着いた。
「ごめん…」
「いえ。王子が屋根に上がっていいのですか?」
「廊下の窓から君が見えたから、つい」
アリアの隣に腰をおろし、「寒くないかい?」と聞くので「平気です」と答える。
「アリア、僕も北の国への出陣を志願した」
「…危険です。自分の立場も理解していますか?」
「わかっている。僕は剣も上手く扱えないし、足手まといになるかもしれない。けど、何もせずに城にいることだけはしたくないんだ。万が一のことがあったとしても、兄上が生きていれば国は何とか持ちこたえる」
君だって一番危険なところに行くつもりなんだろう?
そう言われると、やはり苦笑いするしかない。
「私は、元英雄ですからね。戦くらい何のことありません」
「それでも、君の力だけに頼るのはどうかと思う。…君より弱い僕が言っても、説得力はないもしれないけど」
「そんなことありません。ありがとうございます」
急に弱気になったウィーリアンにくすくす笑いを漏らすと、彼はきゅっと唇を引き締め視線を逸らした。それから、ぎゅっと右手を握られる。
はっとして視線を向けると、俯いたまま「君は…」と口を開いた。
「誰か、心に決めている人はいるのだろうか」
「……ウィーリアン」
「僕では駄目かい?」
顔を上げ、アリアの目をじっと見つめる。
アリアは握られた手を払うことはせず、静かに視線を逸らす。
「…私の性格は、よく知っているはずですよ。気も強いし、口も悪く、加えて性格もよくはありません」
「正しいことをするためにしていることだろう。君は優しい子だよ。僕は…」
「それより先は、言ってはなりません」
ウィーリアンの言葉を強く遮る。
彼は言葉は飲みこんだが、それでもじっと視線を向けたままだ。
真剣な様子に、下を向いたまま目を瞑る。
横髪がさらりと垂れ、ウィーリアンからはアリアの表情がよく見えなかった。しばらくの間、どちらも何も言葉を発さずに時間が過ぎる。それでも、アリアの方が先に口を開いた。
「……忘れ、られないんです」
「……」
「気持ちを向けていた人が、いました。けどあの頃は、生きるのに精一杯で。それに私は男装してたし、バレた後だって性格なんて変わるはずもなくて」
口を開けば皮肉ばかり。
何度言い争いしたのか覚えていない。仲は悪くないけれど男同士のような関係だった。女らしく淑やかに、なんて無縁。愛だ恋だの、はしゃぐ環境でもなかった。
「私が死ぬとき、彼と目が合いました。シルヴィンみたいに表情なんて滅多に動かない人なのに、目を真ん丸にして、辛そうにして……なんて顔をさせてしまったんだろうって、ずっと、後悔してた」
「アリア…」
「忘れたくないんです…っ」
ウィーリアンにそっと抱き寄せられた。
残酷なことをしている自覚はある。頭を胸元に押し付けることしかできない。
好きだった。
あの時代、がむしゃらに生き抜いて。
それが出来たのは大切な友人たちと、彼が傍にいるという理由が大きかった。幸せになって欲しかった。元の世界でいう学生の年齢であったろう彼らは、予想以上の苦難を強いられていて。精神年齢の高い自分が、心を折ることなんてできるはずもない。
見守る気持ちで一緒にいた。
けれど、精神は少しずつ外見の年齢に近づいていき、一致してしまった。
彼を。
怒りんぼうで、口うるさくて、けれど優しいあの剣士を。
気付いた時には、もう消せる気持ちに留まっていなかった。
「…すまない、これから大変になると言うのに」
「いいえ…」
そっと体を離すと、ウィーリアンはいつものように笑みを浮かべた。
少しだけ寂しそうに、優しい茶色の目でアリアを見ている。
「もしもこの先、君の気持ちが楽になったときでいい。僕の事を思い出してほしい」
「ウィーリアン……ありがとう」
冷えてきたから中に戻ろう、とウィーリアンはアリアの手をとる。
アリアは少し眉を下げ、目元の涙をぬぐうといつものように微笑み返した。
廊下で別れ、アリアは部屋に戻る前にカイルの元に立ち寄る。扉をノックすると、少し驚いたように中に入れてくれる。
「どうしたんだい? …なにかあった?」
「…少し、不安で」
ソファに座らせ、カイルはその前に膝を折るとアリアの目元を指で撫でる。
アリアは心配そうなカイルに笑みを向ける。
「師匠が…魔術師がどうして集められているのか。きっと、ローザ・ルルナ様も同様に操られていたと思うのです」
「ああ、ミラーも参加を希望していた」
「…昔話、してもいいですか?」
カイルはアリアの隣に腰を下ろし、聞く体制になった。
「ロキディウスは、私とよく似ているんです」
「…そうだろうか?」
「ええ。自分の力を必要としてほしい、自分の居場所を作りたい。その願いは、私もこの世界に来てからずっと持ち続けていました。…だってね、あの頃の世界には、私の家族や友人は誰一人いなくって」
帰りたかった。
受け入れたはずだったのに、心はずっと帰りたくてしょうがなかった。
「強くなって、仲間を作って、少しでも自分の名を広めた。戦争から帰ると、周りは誰一人視線を合わせてくれないまま、「ご無事で何より」っていうの。きっと私が怖くて仕方がなかったんだと思う。だって私の力は、国ひとつ滅ぼせるくらいまでになっていたから」
「……アリア」
「でも、それでも私自身を心配してくれるひとも何人かいた。だから私は、"英雄"という立場を残せたんだと思うんです。そうでなかったら、ロキディウスと同じようなことをしていたかもしれない。世界に絶望して、そうなる原因を作った人たちを、憎んでいたかもしれない」
ぎゅっと膝の上で手を握る。
「そんな自分が、怖いんです。いつでも破壊できる力があって、いつかきっと、誰も私の傍に来てくれないんじゃないかって。大切に思ってくれるひとたちも、離れていってしまうんじゃないかって 、ずっと…っ」
「そんなことはない」
カイルが首を振り否定し、アリアの頭をぎゅっと抱きしめる。
アリアは目を閉じ、カイルの肩にもたれた。
「君は私の大切な娘だ。セイディアだって、いつものあの調子だろう。君は確かに周りから見たらすごい力を所持している。けれど、みんなわかっているよ。アリアという一人の人間で、ただ少しばかり強いだけの普通の女の子だということを」
「少しばかり…?」
「いや、とんでもなくって訂正しようか?」
ふ 、とアリアは笑みをこぼす。
カイルはその様子にほっとする。いつだって溜め込むことが多い彼女が、こうして自分に胸の内を打ち明けてくれた。それが少しでも救いになればと願う。
「…師匠、大丈夫ですよね?」
「ああ、きっと」
いつの時代でも、自分の味方になってくれる人がいるということに、アリアは心から感謝した。
城を出立する前に、アリアは魔法士のシーラフォンの元を訪れていた。
以前依頼していた、禁魔法薬の解毒薬なる試薬品が出来たという。アリアはタドミールにいる補佐役たちに手紙を送り、被験者を募らせることとした。万が一体に害を及ぼす危険性をあることから、被験事には城より開発に関わった魔法士、魔術師、医療師が付き添ってくれる手はずとなっている。
「不在となりますが、よろしくお願いいたします」
「わかりました。…アリア殿、報酬の件はお忘れではないでしょうな?」
「ええ、覚えています」
シーラフォンや、その場にいた魔法士、魔術師たちがアリアを見つめる。
「命だけは落とさぬよう、ご健闘をお祈り申し上げる」
「…シーラフォン殿」
「死んでしまっては、我々の努力も無駄になりましょう」
「……そうですね」
自分の欲に忠実なシーラフォンを、周りが咎めるような視線を向けた。ここは素直に「生きて帰って下さいだろ」とでもいうかのように。
彼らしい発言に、アリアは笑って「頑張って生き伸びます」と告げた。
一度部屋に戻り、タドミールへの文を書いた後に、剣を背負って城門へと向かう。
一番前には兵団長率いる兵士たちが馬をひき、続いてエルフの戦士たちが混ざっている。そしてその後ろにウィーリアンとシルヴィン、フィネガンがいた。ウィーリアンはセガールと話をしていたが、アリアに気付くと笑みを向ける。
「アリア殿、ウィーリアンをよろしく頼んだ」
「御意に」
セガールに言われ、アリアは胸に手を当て頭を下げる。
アリアは用意された馬の背に乗り、ミラーの横に並んだ。
第一陣として、兵は百余り。違う経路からそれぞれ二百ずつ、計九百人が北へと向かう手はずだ。城も手薄にすることは出来ないので、魔術兵長のガリディオを中心に残ることとなっていた。アリアはふと、自分の前にいる男の後ろ姿を見て首を傾げた。
「ローディー殿?」
「……なんで気づくんだ、あんたは」
「まあ、兵士に見えませんからね」
格好は一般兵の姿をしている。しかし空気が明らかに違うので、違和感はぬぐえないだろう。セガール王子の護衛、ローディーは苦々しげに振り返り小声で話し続ける。
「過保護な兄のご命令だよ。弟を護れってな」
「それはまあ…」
「自分の護衛、戦場に向かわせるか? 普通」
どうやらご不満のようだ。
じろりとその場を離れてしまったセガールを、兜の下からじろりと睨んでいる。アリアは苦笑しつつ「任務遂行しないと怒られますよ」と前を向くように促した。すでに兵たちは進み始めている。舌打ちをしながらそれに倣うローディーの後ろを、アリアたちも続いた。
王と共にこちらを見送っているカイルと目が合う。
彼は何とも言えない、複雑そうな顔をしていた。
それもそうだ、自分の娘が戦場となる場所に向かうのだから、平常心ではいられないだろう。そんなカイルにアリアはそっと笑みを向け、すっと前を見据える。
迷っている暇など、今はないのだから。
「…行ってしまったな」
「ええ…」
王がカイルに声をかけると、言葉少なく答えた。
そんな彼に、同様に城に残ったシィステリオルが苦笑する。
「案ずるな、アリアの父殿。彼女は易々と死ぬような者ではない」
「シィステリオル殿…」
「風は、常に彼女を追い立てる。それが凶と出るか吉と出るかは、アリアの生まれた星に由来する。今のところ、その輝きが失うとは出ていない」
彼の言葉に、カイルは少しだけ肩の力を抜くと、再びアリアが向かった方向に視線を向けた。




