閑話-進みだす道-
「初めて会った孫が、まさか名のある魔術師になっていたとは驚きだったな」
ある程度落ち着いた頃、アリアはクローネス領に招かれていた。
ヒディルとラシャナは自分の向かいに座るアリアに笑みを向ける。アルディオはアリアの隣で緊張したように座っていた。
「わしらもシェリーナも、魔力など持っていないというのに」
「あら、私の曽おばあ様は治癒魔法を使えたのですよ」
「そうであったか? では、その辺が受け継がれたのだろうな」
クローネス家の屋敷は、それはもう大きく豪勢だった。さすがは元王族といったところだろうか。タドミールからさらに東に向かった場所に位置する、ラオネラという町だ。
「アルディオ、固くならなくても大丈夫ですよ」
「は、はい」
「ふふっ、ローザからあなたの話は聞いていたの」
ラシャナが笑みを漏らしながら言うと、アルディオはきょとんとする。
やはり彼の教育にはローザが関わっていたらしい。メイドとして実力のあるローザを、元伯爵も簡単に解雇することはしなかったようだ。それもそうだ。ヴァーリアン家の使用人たちは、いい人も多かったが逆に「ああ、さすがはここの使用人」という者も多くいた。それらを取りまとめていたのが、ローザなのだ。
「さよう。父親を悪く言ってすまんが、あれから生まれよく正常に育ったものだ」
「…父上は、あまり僕にかまってはくれませんでした。母上も、お茶会に出かけることが多かったので、ローザがずっとそばにいてくれたんです」
少し寂しそうに言うアルディオの頭をアリアは撫でてやる。
父は金に、母は娯楽に夢中だったようだ。
「まったくけしからんやつだ。なぜあの時、やつの言葉を信じてしまったのか自分が不甲斐なくて仕方がないわい」
「昔の事をいってもしょうがないですよ」
苦笑するアリアに、ヒディルは「そうだな」と肩を竦める。
そしてこれからカイルの姓を名乗ることを報告した。クローネスの姓を名乗って欲しかった思いもあったのか、少し寂しそうにしたがカイルのことを信頼しているので、それもいいだろうと納得したようだ。
「アリア、シェリーナの写真を見たことがあったかしら?」
「いいえ、ヴァーリアン家にはひとつもなかったので」
ラシャナは後ろの棚から、ひとつの写真たてを持って来た。
まだ若いクローネス夫妻と、真ん中には朗らかに笑う少女の姿が写っている。今のアリアより大人っぽい顔立ちをしていたが、目元と鼻筋がアリアと似ていた。
「これが、お母様なんですね…」
「ええ、学院を卒業した時のものよ」
アリアはそっと写真の母を指先でなぞる。
変な気持だった。
前世の記憶もあるので、この世界での母という概念はしっくりきていないものがあったのだが、やはりこうして自分を産んだ女性の写真を目の前にすると、ぎゅっと胸の奥を掴まれる感覚に陥る。
目を細めるアリアに、二人も嬉しそうに眺める。
「…わしらがもっと賢ければ、違う未来もあっただろうな」
「あなた…」
婚約していたカイルと結婚し、アリアが生まれ、穏やかに暮らせていたのかもしれない。ヒディルは年老いた顔をさらに老けこませ息をつく。
「それでも、母は幸せだったと思います」
アリアは写真を見つめたまま口を開いた。
「カイルさん…父様も言っていました。私の気の強さは、母親に似たのだろうって。だったらヴァーリアン家に嫁いだからって、悲観するような性格なはずありません。ローザもいたし、好きな人の子供もできて、母はきっと不幸だなんて思っていませんでした。私だって、こう見えてもすごく幸せなんですからね?」
「…お前さんがそう言ってくれるならば、救われるよ」
それからアルディオにここ数日でクローネス家であった事を聞き、食事を共にしたあとアリアはタドミールに戻ることにした。玄関先まで見送ってくれた三人にアリアは笑みを向ける。そして「アルディオ」と名を呼ぶ。
「私が、伯爵に言った領主に必要な素質を覚えていますか?」
「はい」
「あなたがおじいさまとおばあさまから色々なことを学び、自分の心を強く持てば、それに届くまでに成長するのではと思っているのです」
アルディオはじっとアリアを見つめる。
まだ幼い彼に、負担の多すぎる現状だ。
アリアは深く頭を下げる。
「義弟を、よろしくお願いいたします」
「ああ、任せなさい」
「たまには会いにいらしてね」
アリアの言葉に強く頷く。
それに対し、にっこりと笑うと待たせていた馬車に乗り込んだ。そしてその足で、次はトゥーラスに向かうのだった。
久々のトゥーラスの町は、特に何も変わったところはなかった。
町の者たちがアリアに気付き、声をかけてくれる。アリアもそれに返しながらも、ギルド施設へと向かった。
「まあ、アリアちゃん!」
「お久しぶりです」
受付のフィリンが気づき、笑顔を向けた。
支部長は相変わらず部屋にいると言うので扉をノックして中に入る。
メイリズ支部長は、アリアが入ると少し驚いたような顔をし、それからにやりと笑った。
「久しぶりだな、アリア・パードレ嬢」
「…いつも思うんですが、支部長のその情報の速さはどこから来るんですか」
まだ正式に発表されていないのに、彼の耳はその辺にあるのだろうか。
アリアは支部長の机の前まで歩み寄り、後ろで手を組む。
「とりあえず、もろもろ完了したので報告に来ました」
「む。弟からも連絡が来ていた。ずいぶんと暴れたらしいな。血濡れの魔術師と名を改めた方がいいんじゃないか」
「いやですよ。物騒な」
魔獣の血でひどかったことを言っているのだろう。
「座れ」と言われたので、ソファに腰を下ろす。
だいたい知っているらしいので、アリアも隠さずに改めて話した。ヴァーリアン伯爵を追放したこと、実の父がカイルであるということ、祖父母がクローネス公爵であること。そして、自分への罪状として、タドミールの町の復興に携わることを告げる。
「戻って早々申し訳ないんですが、ギルドの籍をタドミールに移したいのです」
「まあ、仕方がないだろうな。おまえさんの地位は、俺も縛ることはできん。なんせ、公爵家の孫で、王の側近殿の娘だ。下手なことをしたら首が飛ぶ」
「支部長やトゥーラスギルドのみなさんには、すごくお世話になりました」
思えば、魔力をはかる水晶に異変を与えたことから始まった。
支部長には、鬼を冒険者にさせたりと無茶をさせたが、逆に色々と利用されたのでお互い様として収めよう。
すると、ごんごんと扉がノックされ、ダリがラロッドと共に入ってきた。
「久しぶり」
「ああ」
ダリもラロッドも支部長同様に、アリアがしてきたことを知っているのか何とも言えない愉快そうな顔をしている。
「……まさかダリも連れて行くわけじゃあるまいな」
「……残したほうがいいですか」
「当たり前だ! お前さんがいなくるのは仕方がないが、ダリまでいなくなったらトゥーラスギルドのレベルがガタ落ちだろうが…!」
ディスクを叩いて抗議する支部長にアリアは苦笑する。
それからダリに視線を移した。
「ということなんだけど、異存は?」
「特にない。俺もここが気に入っている」
おや、とアリアはダリを見つめた。
本来であれば、人と相容れない種族だ。その彼が人に紛れ生活し、人のように働いていることに今更ながら感慨を覚える。
「わかった。王には私から許可を得ておく」
「おもしろそうなことがあったら呼べ」
強者と戦いたいところはやはり変わらないが。
「了解」と答え、アリアはふとラロッドを見る。
「ラロッドさん、私が使う事の出来なかった水晶、あります?」
「ん?」
「ちょっと確認したいことがあって」
ラロッドは頷いてあの水晶を持ってきた。
アリアがそっと手を触れると、やはり激しい音を立てて振動する。やはりか、とアリアはおかしそうに笑った。その様子に「何がしたいんだお前は…」と耳を抑え支部長が聞く。
「いえ、私からの餞別として教えます。これかなり貴重なんですよ」
「どういうこと?」
「英雄の仲間であった聖女の加護が施されてますから」
支部長とラロッドがぎょっとする。
「百何十年前からこのギルドにあったとラロッドさんは言ってましたけど、惜しいですね。その何十年かはこれより純度の低い水晶が使われていました」
あれは旅も半ばに差し掛かる前だった。
新しく仲間になった、黒き死神と呼ばれているローハルドがとある神殿より持ち出したことから始まる。彼の「欲しかったから」という単純思考により、神殿を管理していた部族に追い掛け回されるはめとなった。
その近辺は魔獣が集中しており、水晶によって地域に結界を張っていたというのだが、真実はその水晶こそがあまりに強い魔力を秘めていたため、逆に魔獣たちを引き寄せる結果となっていたのだ。
そこで聖女のリリアーナがその地域を浄化し、以前より魔獣は少なくなった。なぜ水晶を戻して去らなかったかというと、ローハルドがそれはそれはごねてひどかったからだ。魔力の高い魔法石を好むふしがあったのだが、どうやらローハルドにとっては今まで出会った中で一番の掘り出しものだったらしく「もらえないならこの辺を火の海にする!」と厄介なことを言い始めたので、交換条件を持ち出した次第である。
「魔獣が寄ってくるので聖女が加護を与えて緩和したわけですが。まあ、後半はむしろ迷子対策といいますか…」
「は?」
「五人の内三人が方向音痴でして。ほら、あのくらいの音が鳴ったら、どこにいても気づいて集合できますよね。特定の魔力に反応するようにしておいて、誰かがいなくなったら触るわけです。ここに寄贈したようですね」
支部長の顔は完全に呆れきっていた。「神殿の水晶が迷子捜索用か…」と呟いた。
ラロッドは逆に「へぇ~おもしろい機能つけたねぇ」とまじまじ水晶を眺めた。それからアリアに笑みを向ける。
「特定の魔力を、アリアくんが持っていたというわけだ」
「そういうことになりますね。わーい、奇跡!」
「……何が出てくるかわからんな、お前さんは」
それ以上の追及はされなかったのでよしとする。
ギルドの職員にも挨拶をして回り、ダリと一緒に町に出る。
顔見知りに、地元に帰る旨を伝えると残念がられたが、たまには遊びにおいでと言われたので頷いておく。
町の入り口までダリは見送ってくれた。
「じゃあね、ダリ」
「ああ」
「……正直、ここまで馴染むとは思ってなかった」
「同感だな」
手を差し出すとダリはふっと笑い、ごつごつした大きな手でアリアの手を軽く握り返した。
「お前に誓った忠誠は返さんからな」
「自由になれるよ?」
「自由になったところで何も変わらん。トゥーラスに留まるだろうし、強いやつがいればなぎ倒す」
「それもそうだ」
「困ったことがあれば呼べ」
アリアはダリに抱き付いた。二メートルもある彼の腹にしか頭は届かなかったが、「そうする」と強く抱きしめる。自分で考えていた以上にダリの事を信頼していたようだった。きっとそれは、どんな形でも変わらず続く。
タドミールに戻り、アリアは元伯爵が使っていた執務室に入る。
家具などが一掃され新しいものになったのは、カイルからの気遣いだろう。そこまでは気にしないんだけどなと思いながら、まだ慣れない椅子に腰を下ろす。
ローザが扉をノックし、お茶を持ってきてくれた。
この屋敷で元伯爵の秘書だった者や一部の使用人は、裏で彼の悪行を手伝っていたことが判明し解雇されている。事実上、タドミールの町の管理はアリア一人で行わなければならないということだ。
両脇に積み重なる書類や、他領地や貴族から送られた手紙の束を見て、アリアは頬杖をつき苦笑する。ローザも同じように、いや、少し心配したようにアリアに笑みを向けた。
「どうか、ご無理をなさらないように」
「ありがとう」
今日も長い一日が終わる。
夜に包まれるタドミールの町には、微弱ながらも優しい光が灯っていた。




