姉と弟
「なんでこの発案が通らないんですか!」
「こちらのもです!」
「クレームが来ています、早急に処理を!」
わお、デジャヴ。
タドミールギルド内の支部長室。
支部長の隣に設けられたディスクの上に肘をつき、アリアはわあわあ騒いでいる職員たちを半ば呆れたように見ていた。その後ろではカーネリウスが同じ顔をしている。
フィネガンは午前中、屋敷を手伝うといって残っていた。使用人たちの平均年齢は高く、若い者がいないので力仕事が大変らしい。彼もいちおうは貴族の子息なのだが、そういう労働も嫌いではないらしく快く受け入れていた。
ちなみに支部長は自分のディスクの前ではないので、こちらの様子を見ている。メイリズならば「うるさい!」と一喝していただろう。ここは似て欲しかったところだ。
アリアは息を吸いこむ。
「やかましい!」
突然目の前の少女から胸に響きそうな怒声が出たので、喚いていたものたちが言葉を引っ込めた。アリアは笑みを一切浮かべず、「一列に並ぶように」と続ける。
じろりと視線を向けられ、慌ててそれに倣う。
「まず一人目。用件は」
「え、えー 、施設の拡張提案がなぜ未採決なのですか!」
「渡された資料には先ほど目を通した。冒険者登録数、二百三名。本部へ問い合わせたが、拡張条件は登録数が三百単位で増えた時のみ。あと九十七名足りない。それが理由だが?」
「しかし実際、混雑して受付もうまく進んでいないのですよ」
「それは冒険者たちが我先にと殺到するせいだろう。朝の様子を見ていたが、あれではどのギルドでもパンクするに決まっている。そうならないための発案だろうが。安易に広げたところで、それに伴った人員がいなければ同じこと。時間帯で人員を増やすか、整理番号を作って並ばせることから始めなさい。それでも回らないと言うのならば、冒険者たちへの注意を促すことで対処することとする。以上、次!」
言っていることは正しいので、職員はがっくり肩を落として部屋を出ていく。そこから怒涛のように、息継ぎしているのかわからないほどの長さの正論をぶつけ、次々と対処していく。ようやく最後の一人がいなくなり、不機嫌なまま息をつくとカーネリウスが「…なんか飲むか?」と聞いてきたので頷く。なぜ彼まで怯えているのだろうか。
「……兄もよくお前さんのような人材を見つけたものだ」
「半分くらい受け持ってくださいよ」
睨みながら支部長を見れば、口笛を吹いて違う方向を見た。
カーネリウスが出してくれたお茶を飲む。訓練兵だった時も先輩に配膳する役割だったようで、お茶くらいは淹れられるようだ。
「お前、どんどんセイディア様に似てきたよな…」
「褒め言葉ですか?」
「あー… いやぁ…」
支部長そっくりに視線を逸らす。
こんこん、と扉がノックされる。
「副長、弟さまがいらしてますが」
「 アルディオが?」
驚きながら中に通すように言うと、苦笑いのフィネガンに背中を押されたアルディオが入ってきた。仕事中のアリアを見たい、という話になりフィネガンが伯爵に断りを入れて連れてきたらしい。
「ごめんなさい、おねえさま…おいそがしいのに」
「それは構いませんが…よくお父さまが許しましたね」
「快く許してくれたぞ? 申し遅れました、ケイリズ子爵家嫡男です、あと数日したら城に一度報告に行きますねって言ったら」
「…脅しじゃないっすか、先輩…」
爵位のある者の令息に不躾な事は言えないし、拒絶して城に変な報告をされてはと思ったのだろう。アリアは案外大胆な行動をするフィネガンに苦笑する。
「支部長、義弟のアルディオです」
「ほう、良かったな親父さんに似なくて」
どんな感想だ。同感ではあるが。
そろそろ昼食の時間なので、弟をつれて飯でもいけ と支部長に追い出される。アルディオの手をとり歩き出すと、アルディオは嬉しそうに笑みを向け、小さな手でぎゅっと握ってきた。フィネガンとカーネリウスも連れて、四人で食事処に入る。
「アルディオ様、姉上の仕事姿はあまり見ない方がいいですよ」
「? どうしてですか?」
「姉上は、怒ったらすごく怖いのです」
「カーネリウス…」
「ほらね」
じろっと見たアリアにカーネリウスはおどけて見せる。
アルディオは幼少学院…いわゆる幼稚園のような学び舎に週に三回程度通っているらしい。ただちょうど長期休暇中なので屋敷に留まっているが。
そこで同い年の子たちが、「颯々の魔術師」の話をしていて、いつか会ってみたいと思っていたという。
「なので、おねえさまがその魔術師だって知って、うれしかったのです」
「私も会えてうれしいですよ」
「…おねえさまは、どうして家からいなくなったのですか?」
使用人たちからもう一人姉がいると聞き、両親に聞いたがものすごい剣幕で怒られたので、それから聞くに聞けなかったらしい。
「そうですね…私とお父さまたちは、少し喧嘩をしているのです」
「仲直りはできないのですか?」
「…お父さまたちは、私だけではなくたくさんの人と喧嘩をしていて、謝って簡単に仲良くなれる問題ではないのですよ」
困ったように笑いながら言うと、アルディオは少し悲しそうにする。
「だからまた、出ていってしまうのですね?」
「 アルディオ、あなたはまだ幼い。これからたくさんのことを勉強して、知らなくてはなりません。いずれはわかるでしょう。私が家から出ても、あなたの姉であることには変わりませんよ? それとも、出ていったら私は姉ではなくなりますか?」
「ちがいます! おねえさまはずっとおねえさまです!」
「それならば、離れていても大丈夫。私にとっても、あなたは私の大切な弟なんですから」
ね? というように笑いかければ、少し考えた後に大きく頷いた。
…本当に、あの家族の中で育ってどうやったらこうなるのだろう。ローザや使用人たちが守っていたとしか思えないのだが…。
仕事中の姿はアリアも見せない方がいいかな、と判断し、今日は帰りなさいとフィネガンに送らせることにした。町のはずれまで見送るため、店を出て歩き出す。
「今日も夕食までには戻ります。フィネガン、アルディオをお願いしますね」
「お任せを。 俺も同じ年頃の妹がいるんだ」
ぐりぐりとアルディオの頭を撫でつける。アルディオは兄貴分が出来てうれしいのか、フィネガンを見上げて笑った。「おい、アリア」とカーネリウスが周りに視線を向けた。アリアは軽く笑う。
「気づいてますよ。さっきから、熱い視線を感じてますからね」
「おねえさま?」
「アルディオ、少し大人しくしていなさいね」
くるりとローブをひるがえし振り向くと、柄の悪い男たちがぎょっとしたように立ち止まった。突然歩くのをやめたので、通行人が迷惑そうにしている。
「なにかご用かしら?」
「用があるから付いてきてるんだろ?」
「それもそうか」
「…ギルドの副長殿が、まさかそんなガキだとはな」
冒険者のようだ。
「俺たちの処分、取り消してもらおうか」と言われ、アリアは首を傾げた。
「あれじゃないのか? 町からクレームが来てただろ」
「ああ…昼間っから酔いつぶれて、店の娘さんに乱暴をしようとした輩ですか。確か、迷惑料の支払いとランク下げで処理しましたね」
「ありゃちょっとした悪ふざけだ。取り消すってんなら、平和に終わるんだがなぁ」
腰にある剣を抜いたので、周りの者たちが小さく悲鳴を上げ距離をとっている。
アリアは片眉を上げて笑う。
「脅しで取り消してたら、町の治安も守れませんからね。却下です」
「そりゃ残念だ」
うるぁあ! と剣を振りかざしてきたので、アリアも背中の剣を抜き片手で受け止める。後ろにいた二人はカーネリウスが薙ぎ払った。
「子供だからと甘く見ているんですか?」
「くっ…」
「大人しく処罰を受けていれば、罪も重くならないのに。 頭の悪い」
ちっ と舌打ちをして、アリアは剣をはじくと軽く飛んで顔面に回し蹴りを決める。小柄な体のどこにそんな力があったのか、男は仰向けに倒れてぴくぴくしている。だが意識はあるのか、股の近くの地面に剣を刺すと、「ひっ」と怯えた声を出す。
「酔っ払いが…手間をとらせるな」
「うぁ 、っな、何なんだよ、お前は…!?」
「口の利き方に気を付けなさい。女性に乱暴を行う愚か者は、この場で去勢されても文句は言えないんですよ」
「……えぐいこと言うな、アリア殿」
フィネガンのつぶやきに「心当たりでも?」と聞けば青ざめて首を横に振る。その場にいる男たちの顔色が悪いのだが、幼い少女から「去勢」という恐ろしい言葉が出たので仕方がないだろう。股を抑えている者もいる。
「さて。あなた方の選択肢は、二つですね。処罰に従うか、去勢されるか」
「や、やめてくれ…! わかった、わかりました!」
「兄貴ぃ!」
「離してやってくれ!!」
「そうそう。初めから素直にしていればいいんですよ、まったく」
アリアは息をついて剣をしまう。
男たちは三人身を寄せ合ってアリアを見ている。いい大人が怯えすぎではないだろうか。
「私のギルド副長の任命については、タドミールギルド長とトゥーラスギルド長の決定下にある。文句があるのならば、その二人を通してからにしなさい。それから――」
笑っていない目を、野次馬に混ざっている冒険者たちにも向ける。
「粗暴で態度の悪い冒険者の行いのせいで、町の者が迷惑している上、そのクレームは私に回ってくる。ただでさえ人手不足で私が任命された。 私の手を煩わせるつもりならば、それなりの覚悟を持っていると判断しよう」
ぞくり、と背筋を冷たいものが走る。
「返事は?」と聞かれ、その場にいた冒険者全員が「はい!」と気を付けをして声をそろえる。この子供に逆らってはいけない。本能がそう判断した結果だ。
「わかったのなら解散しなさい」
「は、はいっ 姐さん…!」
「いや、副長だから」
奇妙な呼び名を叫びながら去っていく冒険者に突っ込みをいれる。
そこでアルディオを怖がらせたのではと、ちらりと視線を向けると何故かキラキラした目でアリアを見ていた。
「おねえさま、お強いのですね!」
「……」
「…さすがお前の身内だな…」
あの冒険者はギルドの荒くれ者の中心だったらしく、その日からアリアが通ると「道を空けろ!」と周りを怒鳴りつけ、きれいに整列させるようになった。呼び方が「姐さん」なのが少し引っかかるが、以前より町からのクレームが減ったと報告も受けたので良しとする。
その目撃者や噂から、アリアの存在が町に広がりつつあった。
ヴァーリアン家の隠された令嬢。
颯々の魔術師の称号を持ち、ギルドの乱暴者たちまで従え、世直しをしている、と。
いつしかそれは、かつてどん底まで落とされた者たちに希望を与え始めた。
彼女が、町を救ってくれるのではないかと。
「私の知らぬ所で、勝手なことを…!」
ヴァーリアン伯爵は、ぐしゃりと手にしていた紙を握りつぶす。
町にいる情報屋に、アリアの行動を見張らせていた。
伯爵に情報を渡した者は、びくびくとその剣幕に小さくなっている。
「だ、旦那さま…」
「雇っていた冒険者はどうした!」
「そ、それが…どうやらそのリーダーがお嬢様を支持しているらしく…彼女に危害を加える依頼は受けないと」
それがさらに伯爵の怒りを膨らませる。
昔は従順な娘だった。
大人しく、怯えきって、こちらの顔色を窺ってばかりの娘だ。
見た目がいいので将来どこかに嫁がせ、他の貴族たちを取り入れる駒にしようとも考えていたのだ。
それがどうした。
城の遣いと何やら企て、そしてしまいには呆れきった顔で家に見切りをつけたのだ。四年経ち、エバンナから学院で会ったと話が来た。
それと同時に他国で上げられた、「颯々の魔術師」の名を聞きまさかとは思っていた。
そして呼び戻したはいいが、人がまるで違ったかのように屋敷を自由に出入りし、町にまでその手を伸ばしている。
「どうにか…しなくては…!」
簡単に自分のしていることを掴めるとは思えない。
だが、確実にそうではないと言い切れないのだ。
あの娘に――アリアに、脅威を抱いている。
そのことが伯爵を冷静にさせなかった。
情報屋は恐る恐るといった様子で「旦那様…」と口を開く。
「旦那様の不安を消し去ることができるやもしれません」
「…どういうことだ」
「私の知り合いに、腕の立つ者がおりましてな」
伯爵はじろりと情報屋を睨む。「ひぃっ」と言いながらも、彼は薄ら笑いを浮かべつつ、媚びるように伯爵を見た。
「しかもその者は、どうやら"颯々の魔術師"を疎ましく思っているらしいのです」
「……」
「この町にいると聞き、近くまで来ているそうなのですが…いかがいたしますか?」
「 足はつかんのだろうな」
「ええ、それはもちろん…」
その質問が肯定だと分かり、情報屋は「では、直に…」と部屋を出ていく。
誰にも気づかれることもなく、屋敷を出るとその裏手にある森の中に入っていった。しばらく歩くと、池のほとりに黒いローブを羽織った者が立っていた。
情報屋は恭しく膝をつくと「主」と呟く。
「伯爵の許可が下りました」
「そうか」
「どのようにいたしましょう」
「今しばらく。参加者は、多い方が楽しいであろう?」
「御意に」
「 さて、もう用は済んだだろう」
男は左手の指にはまった、赤い石の指輪をもう片手でなぞる。
情報屋が「主…?」と見上げると、すぐに顔が恐怖に変わり、そして苦痛を感じたように歪んだ。そして一瞬で、さら と砂のように崩れ去ってしまう。
「颯々の魔術師…」
くっくっ、と喉の奥で笑い声が響く。
「お手並み拝見と行こうじゃないか」
ギャーギャー、と森の中にいた鳥が鳴きながら飛びたつ。
男がそれに手を向けると、鳥はそのまま絶命し地面に落ちていった。
それを見届けるまでもなく、男の姿は消えていた。




