領民たちの苦悩
本日二回目の更新です。
夕食まで時間があるので、アリアはタドミールの町に下りることにした。
ドレスを脱ぎ、普段着のワンピースに着替えてローブを羽織る。ローザが「そう見ると、本当に魔術師ですのねぇ」と感心したように呟いた。剣を背負うと少し表情を硬くしたが。
「フィネガン、カーネリウス、私はギルドに行くけど、あなたたちは?」
「そりゃついていくに決まっているだろう」
お前の護衛だぞ、と呆れたように返された。
目立たないように二人も私服に着替えている。すると、こちらを見ているエバンナに気付いた。アリアは首を傾げ、「義姉さま? なにかご用ですか」と声をかける。学院で会った時のように、彼女は若干睨みつけるような目をしている。
「…どうして、戻ってきたのよ」
「それはお父さまが戻るようにと言ってきましたので」
「出ていったくせに…っ」
アリアはますます不思議に思う。
「出ていったのも、戻ってきたのも、私のせいではありませんよ。義姉さまが報告しなければ、今回の帰省はありませんでしたし」
「…っ」
「まあでも、使用人たちに会えたので、そこは感謝いたしますわ」
にこりと笑みを向け、二人を連れて歩き出す。
階段を降りていくと、今度はアルディオがこっそりこちらを見ている。「アルディオ?」と声をかけると、慌てて隠れたがまた顔を少し出した。アリアは少し笑いながら、「少し出かけて来ますね」と話しかける。
「おねえさま… いつまでいられるのですか?」
「そうですね。まだ決めてはいませんが、しばらくはいますよ」
「あの…ぼく 」
「アルディオ!」
アルディオの言葉を遮って、義母が体ごとアリアから離した。突然のことにアルディオも驚いて母親を見上げる。
「この子に近づかないで!」
「…そういうのは教育上、悪いと思いますけど、お義母さま」
アリアは呆れたように言い、アルディオにのみ優しく微笑む。
「アルディオ、私に用があるのならばうまく立ち回りなさい。義母さまはどうやら、私があなたに何かすると思っていますが、なぜかわいい義弟にそんなことしなくちゃならないのかしらね?」
「は 、はい…」
愕然とする義母を一瞥し、アリアはローブをひるがえし屋敷を出た。
容赦ないな…というフィネガンに肩を竦めて笑う。
町に入りしばらく行くと、ギルドらしき建物が見えてきた。冒険者がアリアたちをみて振り返る。受付嬢に「支部長にお会いしたいのですが」と声をかけた。
「トゥーラスより、颯々の魔術師が来たと」
「はっ 、はい!」
慌てて呼びに行き、出てきたのはメイリズ支部長にどこか面影のある男だった。
アリアを上から下までじろじろ見ると、やがて大笑いした。
「ウェルミスだ。兄から聞いていたが、本当にガキだな!」
「…さすが兄弟ですね。そっくりです」
「よく言われる。兄が信頼するのならは、力は確かだろう。"あいつを怒らせるな"と忠告されたしな。一気に五人も辞めちまったもんで、配属されるまで人手不足なんだ」
ちなみに副長も持病が悪化し退職したようだ。ウェルミスはメイリズと違い、書き物が苦手なようで副長に丸投げしていたらしい。つまり、支部長がいたとしても、仕事が全く回らない状態だという。では支部長は何をしているのか聞くと、現場に出てならず者を捕まえたり、態度の悪い冒険者を叩きのめして反省させたり、最終的な決定のみだという。どうやら体が先に動くタイプのようだ。
アリアは笑みがこわばったが、「じゃあ、私に全てお任せいただけると?」と聞く。
「こむずかしいことはよくわからん。ある程度のことは、お前さんの感覚で判断してもらいたい」
「明日からでも大丈夫ですか? 急ぎがあれば今処理しますが」
「エザフォース、あるか?」
後ろに控えていた細身の男性に話しかける。どうやら現在書類の仕分けをしている人物のようだ。「これが今日中に判断頂きたいものです」
受け取り、アリアはぺらぺらとめくる。
「――決済書に問題はありません。この二つの任務は白銀ランクへ落とし込みを。ギルド施設緑化運動の件については、担当者に理由と利点をまとめさせて再提出させるように」
「…わかりました」
「アルドラさんはもう帰ったんですか?」
「ああ、数日後にまた来る予定だ」
アリアも施設内をひとまわりし、問題点を指摘する。
まず清潔感がない。冒険者も使うので仕方がないが、だからこそきれいにしとかなくてはならないところだ。汚い場所には、汚い者が集まってくる。銅ランクの依頼に組み込んで、掃除をさせればいいと提案すれば目から鱗だったのか頷いた。なにも、職員たちだけで負担することではないのだ。
食堂も三人で回しているが追いついていないので、料理人の募集も出すことにした。
「見ればトゥーラスと同じくらいの規模の建物ですね。冒険者の登録数は、むこうより少ないですが。施設内の環境を整えることを優先的にした方がいいかと。他の町からの視察もきていることですし」
「むむ…そのようだな」
次々出てくるマイナスポイントに、ウェルミスも眉を顰め頷いた。どうもこういう細かく気を配る仕事は苦手らしい。エザフォースがアリアの言葉をメモに取っている。
ある程度片付き、最後にウェルミスが「これを頼みたいんだが」と書類を渡してきた。
「先日、冒険者と浮浪者の暴動があってな。伯爵にも署名してもらわねばならんのだが」
「わかりました。父からもらっておきます」
「伯爵令嬢が職場にいると便利だな。あの偏屈に会わなくて済む」
「支部長…」エザフォースが咎めるように言ったが、アリアは笑った。
「ご迷惑おかけしています。ところで支部長、この町で何か困ったことや変な出来事はありますか? 今回の帰省は、家出から連れ戻されたことが主ですが、国へ報告する視察も兼ねているのです」
嘘ではない。王には全て報告する手はずとなっている。
支部長は顎に手を当て、「そうだな…」と考えていた。
「昔からだが、最近は特に暴力沙汰が多い。うちの登録者も悪いやつは混ざっているが、さっぱりしたやつがほとんどなんだ。しかしどうも町の荒くれ共とは相性が悪くてな」
「それで数日前の暴動、につながるのですね」
「その通りだ。店もだいぶ潰れちまったしなぁ…俺は"ベンツェの料亭"ってところが好きだったんだが、あそこのおやっさんも心労でぶっ倒れちまったし」
税金が高いのはどこの町でもそうだが、商売人への風当たりが強いらしい。そういえば四年前も、料理屋でいちゃもんをつけていた男たちがいた。そこが拡大してきたというところだろうか。
「父には報告は?」
「何度もしてる。改善はされていないな。最初は潰れた店の連中も声をそろえて抗議してたんだが、今はもう誰も口にしない。一日一日を過ごすので精一杯なんだよ、この町の連中は」
アリアは自分も父に報告しておく、と告げギルドを出た。
「…確かに、治安はあまりよくなさそうだな」
「賑やかではあるけどなぁ」
夕刻には近づいているが、すでに酒を飲んで騒いでいる者たちが多い。
支部長の言う通り、四年前はあった店が潰れているのが目立つ。だからといって新しい店舗が多いというわけでもない。あっても数件だ。
すると酔っ払いがアリアに向かって卑下な笑みを浮かべながら近づいてきた。フィネガンがサッと間に入ると、舌打ちをして「なんだよ」と言う。
「そこのねーちゃんに用があんだよ、すっこんでろ」
「酔っ払いを近づけさせるわけにはいかない」
「てめぇ…」
突然殴りかかってきたので、フィネガンは少し驚いたがそのまま腕を掴み地面に叩きつけた。「うぐっ 」と苦しげな声を上げる。その男の仲間だったのか、ぞろぞろと柄の悪い連中も飛び込んで来る。フィネガンとカーネリウスがいとも簡単にやっつけてしまうと男たちは睨みつけてきた。
「俺たちにこういうことして、いいと思ってるのか…?」
「へぇ? 偉いやつ……には見えないけどな」
「俺は領主の御用聞きだぞ!」
カーネリウスの呆れた言葉に、男がそういうので二人は思わずアリアを振り返った。
「らしいが、どういたしますか? アリア・ヴァーリアン嬢?」
「そうですねぇ…それは父に相談してみないと、なんとも言えませんが」
「う、 あ、 …なっ」
アリアのフルネームを聞き、男たちだけではなく周りの者たちもぎょっとした顔でこちらを見てきた。アリアはひやりとする笑顔を向ける。
「領主の名を盾に、通行中の者に迷惑をかけるような行為は、私としては見逃せないと思うのですが。それとも父は、こういう事を黙認していらっしゃるのかしら?」
「…っ 、伯爵の娘は一人のはずだ!」
「四年間は、ですね。私は病気がちでしたので町にはほとんど降りていませんもの。療養のため王都のほうに出ていたのですよ。あらやだ、私の存在自体なかったことにされていたのかしら?」
わざとらしく小首を傾げ聞くと、男たちは固まっている。
確か捜索されていたはずなのだが、少し話がねじ曲がって広まっていたようだ。
アリアは周りに目を向け、町の警備兵を見つけると呼びつけた。町民と一緒に固まってどうする。
「父には私が報告をしておきます。あなたはこの者たちに厳重注意をしておきなさい」
「は、 はぁ」
「 …兵の役割も補えていないのですか、この町は」
間抜けな返事しかしない兵に溜息をつく。
「カーネリウス」
「はっ」
「兵がどのようなものか、この方たちと一緒に行って教えて差し上げなさい。城の兵が直々に教えるのですから、今後案山子のように突っ立っているなんてことあるわけないですよね?」
にこり、と微笑めば兵は汗を浮かべながら敬礼する。
城の関係者だとわかり、応援を呼んで男たちを連れていく。カーネリウスも一人身柄を押さえながら、「じゃ、行ってきます」と歩いていった。
「 アリアお嬢様なのかい…?」
人だかりから少し頬のこけた婦人が出てきて、恐る恐る声をかけてきた。
アリアは首を傾げ「ご存じなのですか?」と聞く。すると涙を浮かべて頷いた。
「前の奥様が嫁いできたときに、よくうちのパン屋に来てくれたんだよ…シェリーナ様にそっくりだ」
「そうなのですか」
「連れ去られたとかいう噂もあったんだけども、療養って…もういいのかい?」
「噂は、父の早とちりだったようです。もうすっかり元気ですよ」
「もう少し早ければ、うちのパンも食べてもらえただろうにねぇ。主人もシェリーナ様のことは尊敬してたから」
一年前に亡くなっていたらしい。店もたたみ、婦人は小さな料理店で手伝いをして暮らしているという。何人かがアリアのことを知っていたようで、口々に歓迎の言葉を向けてくれた。
「久しぶりに帰って驚きました。父はなにをしているんでしょう」
「…アリア様、娘のあなたでも不用意に口にしては危ないですよ」
「この町も、すっかりかわっちまった…」
痩せ細った者たちが多かった。アリアは痛ましげに見つめ、そっと肩を撫でてやる。
「もう少しだけ、時間をください。きっとみなさんの悪いことにはなりません」
「何ができるっていうんだよ、お嬢様に」
一人の青年がアリアを睨みつけながら言う。その恰好もどこか廃れている。「ラマ!」と男性が怒鳴りつけた。彼も潰れた店の息子らしい。
「貴族様はいいもん食って、好きなもん買って、贅沢して暮らしてるんだ! おまえにそれがわかるっていうのかよ!」
「ラマ! お嬢様になんてこというんだい!」
「おばさん、いいのですよ。彼が言っていることは、間違いではないのですから」
アリアは、すっとラマの前に立つ。五つ以上も年下の少女がまっすぐと自分を見てくるので、ラマは居心地悪そうに視線をそらした。
「ラマ、あなたの望む町の生活はどういうものですか?」
「…なんだって?」
「活気の溢れる商店街? 気持ちの良い兵士たち? 争いのない平和な生活? 住む場所も食べるものも困らずに生きていける生活を、誰でも想うことでしょう。 もちろん、私も」
ラマが戸惑った視線を向けてきたが、アリアは構わず微笑む。
「全て実現させましょう。この町の主役は領主ではなく、そこに暮らす領民なんですから」
「……」
「ですが現実問題、父はずいぶん多忙で町の皆さんの声も届かない状態のようです。ひとりひとりが動いても、些細なものだと片づけられる恐れがありますね」
意味ありげな視線を送ると、ラマはぴんときたのか目を丸くする。
「 あんた、伯爵の娘なんだろ?」
「そうですよ? ですから、町を治めるお手伝いを勝手ながらさせて頂きます」
「アリア殿」
フィネガンがそっと耳打ちしてきた。
視線を向けると、路地裏からこちらの様子を探っている男がいた。小さく頷くと、フィネガンはアリアから静かに離れひとつ手前の小路に消えていく。「ぐぇっ 」と蛙を潰したかのような声が聞こえてきたが、アリアは肩を竦めて笑う。
「様々な目はありますが、抜け道はいくらでもありますよ。目立ってきたので、この辺て解散しましょう」
「…信用していいのか?」
「それはみなさんの判断にお任せします。もし私に、なにか"相談"があるのならば、ギルドに来てください。明日よりしばらくの間、副長として働いていますので」
やがてフィネガンが何事もなかったかのように出てきて、アリアに耳打ちをする。呆れたように息をつくと、アリアは「ではみなさん、御機嫌よう」と呆然としたままの町民たちに挨拶をして、屋敷へと向かった。
「おかえりなさいませ、アリア様」
屋敷に着くとメリッサが出迎えてくれた。背中の剣を受け取ると「夕食の準備が出来ております」と続ける。フィネガンは別室に行くと言うので、そのままの足で食堂に向かった。
ヴァーリアン家の者は全員座っており、料理が運び込まれている途中だった。待たせていたわけではなさそうなので、「ただいま戻りました」と一言告げ、ローザが引いた椅子に座る。
「…ギルドに行っていたらしいな」
「ええ。明日から仕事に行きます」
「お前のような子供を副長にするなど…ギルドも腐ったか」
「では早急に新しい方を配属させてあげてくださいませ」
あくまで笑顔で告げると、皮肉と取ったのかこめかみに青筋を立てている。
「ああ、そうそう。支部長よりお父さまの署名が必要な書類を預かってきました」
「ふん」ローザから受け取ると、乱暴に名前を書いて突っ返してきた。
アリアは懐にそれを入れ、「浮浪者が多いのですね」と口を開く。
「私も今しがた、帰ってくる途中酔っ払いに絡まれました」
「絡まれやすい恰好をしているのだろう」
「…そうですか?」
黒いワンピースに黒いローブ、背中には剣だ。明らかに冒険者だとわかる恰好をしている。伯爵は「母親に似て男を引き寄せやすいのだろう」と下品なことをいう。
アリアは隠しもせずにものすごく嫌な顔をして見せた。
「年頃の娘に下世話ですね。いまに義姉さまにも疎ましく思われますよ」
「なっ…!?」
「お父さま、いくら私が心配だからといって、なにもこっそりと後を付けさせなくても大丈夫ですよ? 私の護衛が、不審者かと思い"誤って"殴ってしまいました」
路地裏で伸びているかもしれませんね。
そう続けると、わなわなとナイフとフォークを握る手を震えさせている。
それに気づかないふりをして、アリアは香ばしく焼いた鶏肉のソテーを一口含み、おいしそうに咀嚼していた。
「あの… おねえさま」
「なんですか? アルディオ」
おずおずとアルディオが話しかけてきたので、首を傾げ続きを促す。
「おねえさまは、お城にずっといたのですか?」
「いいえ。たまに遊びには行きましたが、私はトゥーラスという町で冒険者に登録しているのですよ」
「おねえさまが戦うの?」
きょとんとした義弟にアリアは笑みをこぼす。
「ええ。私は魔術師ですから、依頼を受けて時には戦うこともありますね」
「王子さまともおともだちなのですね」
「アルディオ、質問はそこまでにしなさい」
義母がぴしゃりと叱りつける。アルディオはちらりと視線を向け、「はい」と返した。ここで引いとかなければ説教が長引くと思ったのだろう。なかなか敏い子である。
そのあとは静かに食事を終え、アリアは部屋に戻る。
(ま、初日はこんなもんか)
こちらから先手を出すことはない。向こうが仕掛けてくるのを待つ方が無難だろう。
数日すれば、父も行動を起こすはずだ。
アリアは人知れず笑みを浮かべた。
――全て、終わらせよう――
久しぶりに見た自分の部屋からの庭の景色に、アリアはそっと目を閉じる。
頭の中では、これからのことが静かながらも強く思い浮かんでいた。




