心の行く先
エルフの里は、古代の遺跡のような建造物を拠点としている。
光が常に飛んでいるのは、妖精や精霊の姿である。自然と一体となっているこの場所は、人がつくった教会や神殿よりも清い場所だ。
地上を好んで暮らす一族もいるが、多くのエルフたちが「本当に」地上にいるかはわからない。アリアにしても、トゥーラスの森から繋げたにすぎないので、この里が地上のどこかに存在しているとは言い切れないのだ。
エルフは天に住んでいる、という諸説もあるのだから。
シィステリオルが、まだ反応できずにいる者たち―フィニスとエルナーデを含め―を見て、意外そうな顔をした。
「誰も彼女の特異な魔力に気づいてなかったのか? 一介の魔術師が、簡単に入れる場所ではないよ、この里は」
「ま、真なのですか? アリアが殿、かつての人間の英雄だと…?」
「今はアリアと名乗っているのか」
フィニスの問いにシィステリオルは頷き肯定する。
「そうか。フィニスや、この場にいる者のほとんどは、あの戦いの後に加わった一族であったな」
「見慣れない顔が増えた思っていたけれど、そういうことね」
「かつての英雄は、この里を救ってくれた、好ましい人間の一人だよ。君の話を知らないエルフはいない。立ち話もなんだ。詳しいことは中で語ろうじゃないか」
アリアの手を取り歩き出す。それに続いてフィニスたちも里に足を踏み入れた。
中央の集会所に招き入れると、懐かしい顔が揃っていた。
「ハティル、イシュダル」
「百年ぶりです、魔術師殿」
「お変わり…ありましたね」
ハティルとイシュダルは双子の姉弟で、整ったその顔立ちもよく似ている。ハティルの方が線が細いのですぐにわかるが。二人はアリアの手を取り、先ほどシィステリオルがしたように額の位置まで掲げ挨拶をする。
二人はシィステリオルの昔からの友人だ。
「もう少し疑うということをしないのか、あなたたちは」
「貴女の名を騙るなどという苦難を得たいわけがないでしょう」
「最強という名と同時に、最凶をものにはしたくはないのです」
「…相変わらず失礼な双子だな」
まったく、と言いながら勧められるままに用意された席に座る。
その光景に中にいたエルフたちも驚き、「どういうことなのか、説明していただきたい」と長に迫った。シィステリオルは手で制しながら、アリアの隣に腰を下ろす。他の者たちもそれに倣った。
「彼女と会ったのは百年前。闇が世界を覆いたるあの審判の時だ。一族は危うくその渦に巻き込まれそうになり、それを救ったのが何者であるかは、皆もよく知っていることだろう」
「では彼女が、かの英雄だと?」
「馬鹿な。人の生は短いのでしょう?」
「 その通り。英雄は死にました」
ざわつく周りに、アリアは通る声で答える。
「けれど私の魂は、その英雄のものなのです」
「アリア殿、セイディアはそれを知っているのか?」
「ええ。私自身も思い出したのはつい最近で、師匠にはお前の違和感に納得がいったと、以前と変わらない態度で接して頂いてます」
「…そうか」
「もしや、最近人の世にて名をはす、風のごとき魔術師とは、君のことか?」
颯々の魔術師という名はエルフの耳にも届いている。
そしてそれが、リファルス国の王宮魔術師の弟子であるということもだ。その王宮魔術師は、フィニスの友人であるということまで知れ渡っている。そもそも、人間と友ということは珍しい話なのだ。
「君なら何でもありえそうな話だ。なにせ、闇の遣いを赤子を相手にするかのように葬ったのだからな」
「人聞きが悪いですね。躾のなっていない子供を教育したと言ってほしい」
「どちらにせよ性質が悪いです、魔術師殿」
「私の話はいいのです。 シィステリオル、一族にハーフエルフを受け入れることにしたそうですね?」
アリアが聞くと、「ああ」と頷いた。
「君と会ってから、古いしきたりに疑問を感じたのだ。祖先たちは、ずっと昔人間たちと暮らしていた。今の世の者たち全てを好きにはなれんが、それでも君のような者がいるのだと、絶望せずにおけた」
「反対派も多いと聞きましたが?」
「 人間の血が通うなど、侮辱にもほどがある」
先程、弓矢を向けていた中の一人がアリアを睨みながら口を開く。
「長、考え直して頂きたい。混血を一族に戻せば、いずれは人に里を知られましょう」
「我々が隠れて暮らすことになった原因は、人間の愚かで欲に溺れた心にあるのをお忘れか」
矢次のように非難が飛ぶ。フィニスはエルナーデを抱き寄せ、固く口を結んでいる。エルナーデも目をつむり、刺さるような言葉に耐えている。
「 私は話を、先に進めたいんだけど?」
ひやりとする声に、ハッと息を呑んで飛んでいた野次がひっこむ。
その様子に満足したのか頷き、アリアは続ける。
「シィステリオル、このような者たちが多く残っていれば、迎え入れたハーフエルフが辛い思いをすることは間違いない。考えあってのことでしょうか?」
「…やはり難しいか」
「難しいどころの問題じゃないでしょう。エルナーデさんにとって良いことではないのなら、私は全力で阻止させてもらうよ」
「…怖いな、君は」
彼女を知る者は苦笑する。
身内にやさしい彼女が怒ってしまっては、自分たちも止めらるかどうかわからない。
「一族のことに口を出す気はないさ。見かけはガキでも、中身はじじいの長だしね」
「じじい… 見かけは仕方ないよ」
「二股をかけていた片方に呪われた、だっけ? 女を甘く見るからそうなる」
溜息をつきつつ、「それで?」と目を細めた。
「一族の和解は嘘じゃないだろうけど、建前でしょう? 何を企んでる」
「企むとは語弊があるよ。イシュダルの望みを叶える一歩目と言ってくれ」
「イシュダルの?」
アリアが目を向けると、イシュダルは不貞腐れたように「こんな目立つときに言わなくてもいいでしょう…」と口を尖らせた。
だが諦めたかのように、エルナーデの前に行くと膝をついた。
「イシュダルと申します」
「は、はい」
「長があのようなことを言い始めたのは、私があなたに求婚したいと言ったからなのです」
空気がきれいに固まる。
エルナーデの隣にいたフィニスも目を丸くして微動だにしない。
アリアは静かに空を見上げた。
星はきれいに瞬いている。すう、と息を吸った。
「……求婚くらい、普通にしろ!」
「する予定でしたよ。ですが、長が事を大きくしたのです」
「というか、エルナーデさんと知り合いだったんですか?」
「彼女が人の町に行く前に、一度だけ」
「……イシュダル様、そのときエルナーデはまだ五歳でしたよ…?」
フィニスが恐る恐る聞くと、「長く生きていると年齢は関係なくなるのですよ」と笑顔で答えた。どうしよう、危ない人に見えてきた。
当のエルナーデは兄そっくりに目を丸くしていたが、頬が赤く染まっている。
それはそうだ。イシュダルはエルフの中でも特に整った顔立ちをしているのだから、そんな相手に求婚をされるなど思うまい。
「認めて頂けないのなら一族を抜けるとは言いましたが」
「イシュダル、それ脅しだから」
「一族の重臣に抜けられては困るからね。それならばハーフエルフ全体を受け入れることにした方が早いと思い立ったんだ」
つまりはエルナーデを妻として迎えるため、ハーフエルフ自体を迎え入れる動きに変えたということだろう。「裏切らないため」というのは、反対派への手っ取り早い言い訳だ。
「それに、一族の間だけで婚姻を重ねることは、あまり良くないと私は思っている。血が濃くなりすぎると、善からぬものを呼んでしまう可能性もあるからね」
「エルフの使う魔法は、人間の使う魔法と異なりますから、特殊なだけに純血だから良いというわけでもないのです」
シィステリオルに続いてハティルも頷きながら説明する。
だからといって、祖先たちの考えをないがしろにすることもできない。賛成派と反対派で一族を分けることも考えたが、それではさらに偏った意識同士がぶつかり合い、望まない争いが起こる恐れもある。なので、和解 が一番平和的な解決策なのだ。
まさか重役であるイシュダルがハーフエルフに求婚するとは思っていなかったのだろう、反対派の者たちはいまだに茫然としたままだ。
「あのさ、みなさん。受け入れどうのこうのは勝手にやってもらって結構だけど、エルナーデさん本人の意見はきかないわけ?」
その言葉でイシュダルはエルナーデに再び視線を戻す。
「やはり五百三歳では受け入れがたいだろうか…?」
「…年齢は、私も気にしてはいません。長命ではありますし。 ただ、イシュダル様とは、初めてお話します……ですから、少し時間を頂きたいのです…」
じっと見つめられ、エルナーデは真っ赤になりながら答える。
悪い反応ではなかったので、イシュダルは「もちろん」と笑みを向けた。
「それまでにあなたが平穏に暮らせる環境を作っておきましょう」
「イシュダル様…」
手をとりあって見つめ合う二人から全員目を逸らしている。
フィニスは妹が見初められて嬉しいのか悲しいのか、複雑な顔だ。
妹の恋事情を目の前で見せつけられたのだ。反応に困るだろう。
「…シィステリオルが口出さなくても、勝手になんとかなったんじゃない?」
「そのようだな…私は少し疲れたよ」
勝手にまとまったのを見て苦笑いしている。
ハティルは「立派になりましたね」と弟の堂々たる求婚に涙していた。いいから、弟止めてあげろよ。長、これでもご老体なんだぞ。
「アリア、いい機会だから私たちも結婚しようか?」
「なにがいい機会だ。寝言なら殴って起こしてあげますよ」
「前に会ったときも同じ返事だった。つまらん」
「いい年して二股抜かす男に心変わりするとでも?」
英雄としてこの地に訪れた時も、彼には求婚されていた。もちろん本気にはしていない。例え真顔で手を握られ半ば押し倒されながら言われていたとしてもだ。それを見た仲間の騎士に無言で殴られていたのは仕方がない。彼が悪い。
シィステリオルは笑みを漏らす。
「柔らかくなったな、我が友。以前ならば、警告なしに殴られていたに違いない」
「そりゃ、生まれ変わったからね」
「…今は、幸福か?」
その問いに、アリアはきょとんとして、それから困ったような顔をする。
「"今は"ってなんですか。私は、"今も昔も"幸福だよ?」
「 あの頃の君は、ターバンの下から常に鋭い眼光を放ち、笑顔という仮面をつけ全てを見せまいとしていた。背負わなくてもいい責任を負いながらね」
それは否定できなかった。
突然知らない世界に飛ばされ、戦い、周りからの期待に心が潰れてしまいそうだった。
その頃のことを思い出し、アリアは思わず自傷気味の笑みをこぼす。
「正義の英雄気取りの馬鹿な子どもだっただけの話。逃げようと思えば逃げられたさ。それでも私には……この世界を捨てることなんて、できなかった」
「それに我々は救われたのだ」
「シィステリオル、安心してほしい。私は、この世界が決して嫌いではないんだよ。あの頃は、あなたたちのような友人がいて、今も優しい人たちに囲まれている。これほどまでにない贅沢を受け取っているのに、なぜ幸せではないと言えるの?」
「… まこと、淀まぬ魂だね」
眩しいものを見るかのようにシィステリオルは目を細めてアリアを見る。
姿は違えども、彼女は自分の友人に違いなかった。
反対派の者たちはイシュダルのことで毒気が抜かれてしまったのか、それとも長自ら人間に求婚したのを目撃したからか、それ以上の暴言は吐いてこなかった。真実は、実際に英雄に対面し全員緊張しているということなのだが、アリアはそれには考えが至らなかった。
イシュダルとエルナーデは、今後フィニスを仲介役の元に会う約束を交わしていた。エルナーデの職場にも遊びに行くとまで約束している。人間の住む場所の空気に当てられ倒れやすいと言うのに、どうやら彼はかなり本気のようだ。
「イシュダル、あなたの今後に祝福を与えても?」
「それは光栄ですね」
驚いたようにこちらを見ながら、イシュダルは頷いた。
アリアは杖を出し、イシュダルの額の前まで持っていく。
「"異なるもの まじわりし時 かの者を脅威から退けよ"」
ぽう 、とイシュダルの身体が淡く光り、それは静かに消えた。
「体質防衛魔法だよ」とアリアは笑みを向ける。
「エルナーデさんの前で倒れて、カッコ悪い姿を見せることにならないように。人の住む空気に触れても、そこまで体調は悪くならないはず」
「魔術師殿… いえ、アリア。感謝します」
「エルナーデさん。彼は長とは違って女性に誠実なエルフです。あなたの未来が幸せに溢れんことを、心よりお祈りいたします」
「アリアさん…ありがとうございます」
「…前置きは余計だよ、アリア」
二人から感謝のまなざしを受け取っていると、シィステリオルから不満げな声があげられた。「事実でしょう」とハティルにばっさり斬られているが。
それからアリアは一足先にトゥーラスに戻ることを告げる。
「フィニス様、近いうちに師匠に会いに行ってあげてください。色々と騒動があったので、ストレスがたまっているはずですから」
「そうしよう。世話になった、アリア殿」
「 シィステリオルがハーフエルフを一族に取り入れようとした理由は、イシュダルのことだけでもないのです。私が昔、同じ血が流れているのならばいずれは和解できたらいいねと言ったせいでもあるのですよ」
「それが実現したら、さぞかし素敵だろうと思ったのだ」
アリアは両膝をつき、ぎゅっとシィステリオルに抱き付く。
目をつぶり、彼の肩に顔をうずめた。
「また会えてよかった」
「ああ、私もだよ」
苦笑しながらアリアの背を叩き答える。アリアはハティルとイシュダルにも同じように抱き付いて離れると、みんなに笑顔を向けた。普段とは違う、年相応の楽しげで嬉しそうな表情だ。そのまま杖を掲げると、濃い霧の中に姿を消した。
「…シィステリオル様、良かったの? "あの事"、言わなくて」
「少しばかり面白くはない」
ハティルの言葉に、シィステリオルは幼い顔立ちを拗ねたようにさせる。
「弱いところをつけば、今度こそはと思ったのだが」
「我らが長は、本当に女運がないわねぇ…」
「 関係ないのだな。幾度となくこの世に生れ落ちようとも、彼女の中を占めているのは、ただ一人なのだろう」
「わかっているのならそろそろ諦めなさいな。しつこい男は、嫌われるのよ」
この友人の小言も、百年経とうが変わらない。
シィステリオルは空に輝く星を見上げ、静かに呟いた。
「…一度散った星たちが、再び集まる。その時は 近い」
トゥーラスの森から出たアリアの歩みはゆっくりだった。
懐かしい、会うことがないと思っていた昔を知る者。
今の自分を受け入れられたことに対する嬉しさと、少しだけ切ない気持ちになっていた。どうしても、「私」を思い出してしまうからだ。
今日はなんだか、恋愛に巻き込まれるなぁと、苦笑いをこぼす。
――かつては、私にもいた。
気づかれぬよう、ひっそりと。
生が終わるまで、隠していた想いを向けていた相手が。
「…どうして」
消えてくれないのだろう。
生まれ変わった私は、あの頃の私と、同じであっても違うのに。
頭でわかっているのに、心が…魂が追い付いてくれない。
そして、こんな時いつも思う。
この先きっと、誰にも恋なんてしないと。
深い深呼吸をして、アリアは歩みを速めた。
そろそろ相棒が任務を終えて戻ってくるだろう。
少し早目の夕食をとるか、などと考えて、どうにか過去を振り切るのだった。




