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一人の人間




『わたし、本当は戦うのいやなんだ』


そう告げる「私」に、優しい目をした青年は黙って聞いている。

以前の夢で、「うるさい!」と「私」に怒鳴りつけられた青年だ。


『誰かが傷ついたり、死んだり、それで悲しんで。それの逆もして。人っていうのは、なんで愚かな生き物なんだろうって、ずっと思っている』

『…ああ、そうだな』

『それなのに私は、その嫌いなことをして自分の居場所を作っている。私が殺した人たちにも、きっと家族はいるはずなのに』


そしてのうのうと笑って生きてるんだよ。

「私」の言葉に青年はやはり笑みを灯したまま、そっと「私」の両手をとる。

その手には誰のかわからない血が、べとりと残っていた。

汚れる、といって引っ込める手を青年はしっかり握る。


『誰もがそうして、迷い生きているのだ。お前ひとりが、抱えていく問題ではないよ』

『けど、わたしは――』

『私はね、そういう感情を持たなくなってしまった人間の方が、とても恐ろしいのだ。けれどお前は、誰かのために怒り、自分の手が汚れることも気にせずに守ってくれるだろう。私はそれを、お前の言う愚かな人間と同一だとは思わない。そんな顔をしていると、また笑われてしまうぞ?』


「私」は困った笑みを浮かべる。泣き出しそうな顔になっているのはわかったけれど、それでもこの人には「私」と同じ苦しそうな表情をしてほしくなかった。

いつも馬鹿なことを言って笑わせ、時に苛立たせ、それでも場の空気をゆるませるこの青年に、そんな顔は似合わないのだから。


『私に出来ることはそう多くはない。しかし、友と言ってくれるお前が心を迷わせているのなら、自由に生きなさい、とは言ってやれる』

『……』

『そのことで誰もお前を責めたりはできぬのだよ』

『…自由に生きろというのなら、私は最後まで友と一緒にいる。私が今ここに立っている理由は、あんたたちが共に戦ってくれるからだよ』






眩しさで目が覚めた。

カーテンの隙間から朝日が差し込んでいる。ベッドの上で伸ばした手は、何も掴んでいなかった。アリアはむくりと起き上がり、濡れている目元を手の甲でぬぐう。

それから小さく息をついて、身支度をするため洗面所に向かった。

顔を洗って、鏡に映った自分を見る。

十三歳の自分が、いや「アリア」が映っていた。

二重瞼の長い睫も、すっと通った鼻筋も、形の良い唇も、自分のものなのに違和感を感じる。それはきっと夢の中では、私は常に「前世の姿」だからなのだろう。


今までの夢は、なんなのだろうか。


疑問はふいにアリアを不安にさせる。

断片的に、そしておぼろげ、それなのに鮮明に、味わったかのような感情を思い出させ、こんなにも動揺している。

もしかしたら、自分の知っている前世の他に、もうひとつの記憶があるのだろうか?

一番可能性の高いものなら、それがあげられるだろう。

けれど、そうだとしても……


「…私は、アリアだよ」


亡き母と、愚かな父の間に生まれた、ただの子供。

そして今は、王宮魔術師の弟子で冒険者だ。

これほど明確な立場にあるというのに、これ以上何を望むというのだ。

やがてメリッサが現れたので、アリアは再び胸の奥にしまいこんだ。





「失礼いたします、アリアです」

「入りなさい」


朝食を終え、アリアは王の間に来ていた。

部屋には側近のカイルと、もう一人厳格そうな顔立ちの男性がいた。カイルより少し年上だろうか。黒い髪をきっちりとまとめ、同じように黒いマントを身に着けている。腰にある剣から、彼は騎士なのだろう。先日のアリア命名「吊し上げ大会」でも、王の近くにいたのを覚えている。


「紹介するのは初めてだったな。彼は城の兵力を纏める兵団長だ」

「ソディス・ガルファロスと申す」

「アリアです。よろしくお願い致します」


軽く礼をすると「此度のオーシャルン国訪問なのだが」と王は続けた。


「彼の指示の元、城の警備が強化される。王子たちと共にする其方に、その流れをだいたい把握しておいてもらいたいのだ」

「心得ました」

「…セイディアはちゃんと渡したのだな」


王はちらりとアリアが胸元に着けているバッジを見て息をつく。


「捨てられるかと思うような形相だったのでな…」

「お礼が遅れて申し訳ありません。このようなものを頂き、光栄に思います」

「……もう、怒ってないか?」


アリアはきょとん、と首を傾げた。

カイルを見ると苦笑している。


「…私は別に、王に怒りなどは向けておりませんが?」

「しかし、逆鱗にはふれてしまったのだろう」

「……だってあれ、わざとですよね」


今度は王が目を瞠る。

会話を聞いていたカイルとソディスもアリアの言葉に疑問符を浮かべた。


「かなりピンポイントに人の沸点を押しましたし。そもそも、カイル様や師匠が付くと決めた王が、あのような愚直な真似をすること自体疑問です。しませんよ、普通」

「…なぜ私が、そのようなことを?」

「さあ、正しくはわかりませんが私が国に付くとまずいのでしょうね? もしくは、私への思いやり。私が能力の追いつかない権力者を嫌うのは、私の保護者より聞いているとは存じますし……重臣の方々をそれとなく誘導したのも王ではないのですか?」


公式の場で、アリアが「国に仕えない」という言質をとるために。

王はじっとアリアを見ていたが、やがて困ったように笑う。


「――半分はずれで、半分当たりといったところだろうか」


はずれは多分、自分への思いやり、の部分だろうなと思う。

王は答えは言うつもりはないらしく「とにかく、怒ってないのなら良いのだ」とその話を終わりにさせた。アリアも無理に聞こうとは思わなかったので、頷いておく。


「…賢い娘だとは思っていましたが、それ以上でしたね」

「そうであろう。なんせ、保護者二人が優秀だからな」


ソディスの言葉になぜか王が自慢げにする。

そんな王を少し冷たく一瞥し、「場所を変えよう」と言う。なんだかこの人も、師匠の仲間のような気がするのは気のせいだろうか。王の「ソディスは相変わらず冷淡だな…」という悲しげな呟きは聞かなかったふりをして、王の間から退場した。


「どちらでお話を?」

「警備の中心となる者たちを集めてある。むさ苦しいとは思うが、しばらく我慢してほしい」

「問題ありません」


どうやら兵たちが集まる場所の一室に向かっているらしい。

窓から訓練所が見えたので、部屋もその近くなのだろう。


「そういえばアリア殿は、城の兵と定期的に撃ちあっているとか」

「…そうですね。鍛錬に参加させていただいております」

「ガリディオも、君にはずいぶんと信頼を寄せている。あれは普段は温厚なのだが、戦闘の文字が出ると、途端に厳しくなるのでな。彼が認めているのならば、問題はないだろう」


そのガリディオでさえ、自分の扱いには大変に苦労しているということは隠しておこう。アリアは笑顔で「恐縮です」と答えて誤魔化した。

中の訓練所を通り、通路を奥に行くと談話室のような広い部屋に出た。

わいわいとしていた兵や訓練生たちが団長の登場にびしっと敬礼をした。

それからアリアを見てぽかんとする。中には手合せをして顔を知っている相手もいるので、その視線も多くはなかったが。


「数日後に控えたオーシャルン国訪問にあたり、警備を強化する。各責任者は奥の部屋に。最終確認を行う」

「はっ」


すると「失礼します」とシルヴィンが現れる。


「来たか。今から会議だ」

「はい」

「シルヴィンも参加するのですね」

「当日は私も傍に控えていますので」


会議室のように椅子がたくさんある部屋に入り、各々腰を下ろす。

アリアはシルヴィンの隣に座り、全員の着席を確認してソディスが会議の開始を宣言する。メンバーは二十人ほどで、ほとんどが面識のない者だ。唯一名前がわかるのはガリディオくらいだろう。

通常時、そして夜会時の兵の配置の説明をする。

アリアは目で、「夜会って私も…?」という視線を送る。シルヴィンは呆れたように溜息をついた。肯定だ。ものすごく嫌な顔をしていたのだろう。


「これが一通りの説明だが、質問はあるか」

「はい」


す、と手を上げたアリアに視線が集まる。ソディスは構わず「なんだ」と聞く。

渡された資料に目を通しながら口を開く。


「オーシャルン国の王子に与えられた部屋の周囲ですが、うちの国の兵は警備に当たらないのですか?」

「……目ざといな」


ソディスは溜息をつく。


「オーシャルン国からの要望で、王子の部屋の前は自国の者しか付けないと」

「ずいぶんとストレートですね、オーシャルン国」


暗に「信用していないので必要ありません」と言っているようなものだろう。

部屋にいる兵たちも機嫌が悪そうだ。


「警戒するのは当然のことだ。それを突っぱねるのも、何か企みがあるのではと不信感を買う。王からもそのように告げられた」

「あまり甘やかしても問題かとは思いますけどねぇ… あと、夜会の招待客がいやに多いですね」


どうやらご令嬢がいる家がこぞって殺到したらしい。

シルヴィンが「君はオーシャルン国の王子がどのような人物か知ってますか?」と聞いてくる。はて、と考えた後に首を横に振る。ざわりとしたので、まずいことだったらしい。


「…君はそれでも王宮魔術師の弟子ですか」

「師匠からあまり王に近づくなとは言われてましたので。自国の王族でさえウィーリアンに会ってから少し勉強したくらいですよ。他国の王子なんて知りません」

「それはそれで…ルーフェン殿も過保護な…」


ソディスも呆れ顔でアリアを見ている。

ガリディオが苦笑しながら説明してくれる。


「オーシャルン国の王子は、少し特殊なのですよ、アリア殿」

「特殊、ですか?」

「ちょうどウィーリアン様と同じ年の瀬になります。金髪で碧眼の整った容姿や、女性に対して紳士的なこともあり、我が国のご令嬢たちの間でも人気の高い王子なのです」

「ルーフェン殿は、君が世のご令嬢のようになることを恐れたのでしょう」


聞けば、なかなか女関係の激しい噂もあるのだが、身分が高いうえに外見がいいのでそれが素敵という女性が多いらしい。アリアは、少しむっとしたように、冷静に分析したシルヴィンを見る。


「失礼ですね。私がそのような遊び心を欲しているとでも?」

「…まあ、思ってませんが」

「その通りです。端正な顔立ちは嫌いではありませんが、あくまで観賞用ですね。周りの評価に甘んじて女性を惑わす輩に好意を持つとでもいうのでしょうか? 若いうちからそのような傾向がある男は、王族であっても感心しませんね」


恐ろしく笑うアリアに兵たちが青ざめている。


「だからといって私情を仕事に挟みません。ご安心を」

「君が王子を殴り飛ばす危惧は心配から除外しても?」


んなこと心配してたんかい!

引きつった顔で「ええ、どうぞご心配なく」と答えると、「それはよかった」と頷いた。







「――"仲間は、その者を含め五人"」


文字列をなぞりながら小さく声に出す。


「"慈悲深き聖女、正義を導く革命者、英知なる剣士、漆黒の死神、そして天より遣わされし英雄"…」


今アリアが開いている本は「英雄」についての本だ。とはいっても英雄がいたのは百年前。そこまでの古書でもない。

ちなみにここは城の中にある図書館で、天井までぎっしりと本棚が設置されており、その中にはもちろん書物がところ狭しと収められていた。

本を読むのが好きなアリアではあったが、こうして改めて英雄について書かれた本を読むのは初めてだと、自分でも驚く。

基本的な知識はもちろん知っていた。

この国で戦う者ならば、その姿を想像することだろう。

けれど、アリアは英雄に興味を持っていなかった。

「昔すごい人がいて今も憧れの人物になってるんでしょ?」くらいの認識である。

なぜ今になって本を読んでいるのかと言うと、英雄と共に旅をした聖女が関わる教会を訪れてから、どうも落ち着かないのだ。主に夢のせいで。

なので聖女を調べようとすれば、どうしても英雄の本を読まなくてはならない。

それ以外での彼女の記述は、無きに等しいのである。


「…こういうのって、美化されてることが多いんだけどねぇ」


英雄伝はだいたい口コミで広がる。

著者がみてきたかのように書いてあるが実際は口コミが多く、ある意味ではゴシップ誌に近いものなのだ。

ぱらぱら、とめくりながら英雄たちの足取りを追う。

聖女を仲間にしたのはあの教会のあった町――以前は村だったが、そこで確実だろう。そこからどこに向かったのか。答えは簡単だ。魔王を倒すために北の国に向かったのである。その本は、ご丁寧に英雄たちがどのように魔王を滅ぼしたのか事細かに書いてある。いたのかよ、その場所に。予想は過剰すぎると妄想だ。

少しうんざりしてきたので本棚に読破したものを戻していると、一冊の小さな、それでいて分厚い本を見つけた。

表紙はすり減ってしまっているが、英雄…の文字が読めたのでそれ関係だろう。


【私がその者たちと出会ったのは、今も住んでいる西の村。

 まだ歳も一桁であった私は、冒険者であるといった彼らに胸を無条件に躍らせたものだ。あのように小さくて貧しい村ではあっても、剣を持ち戦う者は勇者も同じであったのだ】


著者の自伝のように書かれたそれは、村に立ち寄った五人の若者のことについて書かれていた。十代前半と見られる集団で、大人の冒険者に比べると気さくで驕ったものもなく、自分の質問には誠実に答えてくれた、と。

著者の村は貧しくもあったが、心の優しい村人たちばかりで、質素な料理で彼らをもてなし、彼らは礼として周辺に出没する魔獣を討伐してくれたらしい。

そして著者は、「修行」という名目で半ば無理やり五人についていったそうだ。

…これは自分を主人公にした二次創作小説なのか? とアリアは一瞬疑問を感じたが、そのまま読み進める。


【我儘な子どもを彼らは迷惑に思っていただろう。目つきの厳しい剣士はあからさまに溜息をつき、その隣にいた身分の高そうな少年は大笑いして英雄に頭を叩かれていた】


【常に黒いフードをかぶる彼は、とある日に立ち寄った町の祭りの際、一人だけふらふらとどこかへ消えた。不安がる私をよそに放っておくようにと言い、その数刻後、屋台の裏でうずくまっている彼を発見した。どうやら迷子になっていたらしい。聖女が笑顔で説教をしているのを見ながら、世の中には見かけと中身が伴わない不思議な現象があるのだと知った】


【英雄と剣士が喧嘩した。しかしいつものことなので、全員特に気にしていない。恐らく数刻も経てば、二人は何事もなかったかのように会話をし始めるだろう。そして英雄がしびれを切らし頭を下げるのだ。けれど今回は珍しく、剣士が謝罪していた。何があったのだろうか】


自伝…いや、著者目線の英雄珍道中だ。

これが事実であればの話なのだが。

よくわからないが文章を目が追い、旅はどんどん最終目的地に近づいた。

北の国に入り、魔王の住処へ乗り込む一歩手前で、彼らは著者に「お前の旅はここで終わりだ」と告げる。


【必死にすがる私に、英雄は静かに首を振ってこれは決定なのだという。

涙と鼻水でひどい顔をしている私に、各々が別れの挨拶を口にする。英雄は笑み、私に「魔術師をなんと心得る?」と聞いてきた。私は答えられなかった。

そんな私に英雄は失望するでもなく、怒るでもなく、続けた。

「お前に対しての宿題だ。次に出会ったとき、答えを聞こう」と。

そのときは弟子にしてくれますか、と図々しくも聞くと、英雄はくしゃりと笑いながら「考えといてやるよ」と言って背を向け歩き出した】


【私の知る彼らは、ごく一般的に知られる英雄の姿とはかけ離れている。

この本を手にし、憤りを感じるのも、不服を買うのも承知の上。

しかし、私には伝えなければならない義務があるのだ。

偉大なる名を肩に乗せ、決して膝も付かずに歯を食いしばり戦っていた彼らのことを。苦難に強いられながらも、一人の人間として生きていた彼らの姿を】


【私がこのように悲観的な最後で締めくくろうとするのを、彼らは笑うだろう。

そして、自分たちの旅は重苦しく辛い旅だったのかと問うだろう。

彼らは常々言っていた。

「笑うことを忘れた時、人の心は本当に死ぬのだ」

どんな時も明るく、楽しむことを忘れない彼らは、今も私の中で生き生きと笑い声をあげている。共にいた私が、なぜ同じように感じないだろうか】


【だから私も笑みを浮かべよう。大声で笑おう。

いつかまた出会う時、「宿題の答え」を告げる時、彼らの前で情けない姿を見せるわけにはいかないのだから】




ぱたん、と本を閉じた。

ずいぶんと長い時間読みふけっていたようで、時計は夕暮れの時刻を指している。

アリアは一番後ろに書かれた著者の名前に目を止める。


「…ヨーダ・ユリス・ムルタ……」


――面白い――


口角が上がるのがわかった。

書かれていることの真偽はこの際どちらでもいい。

この著者に興味が出来た。

もう一度名前を復唱し、本を元の棚に戻すと、アリアは夕食をとるため図書館を後にした。












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