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招かざるもの




馬車の窓からは、モールドとは違う景色が見える。

白いスズランのように花弁の垂れた花がところどころに咲いていた。この辺りでは油の原料になるらしく、大切な原材料らしい、とセイディアに聞かれる。

そのセイディアは欠伸を噛みしめ、眠そうに目を閉じている。

アリアはセイディアと共に、北の町・ノーリアーナに向かっていた。

ラッドル伯爵との約束を果たすためである。

移転魔法を使えば早かったのだろうが、残念ながらむこうに転移のための魔法陣を作っていなかったらしく、こうしてゆっくりと向かうことになったのだ。

とはいっても、半日もかからずに着く町なので、ちょっとしたドライブである。

ちなみに今日だけ外に出ることを許されただけであり、まだ外出禁止令は継続中だ。


「師匠、あとどのくらいでしょう」

「ん? ああ、半刻くらいで着くんじゃないか」


ふと外の景色を見て、そう告げる。

町に近づくほど、花畑は多くなっていくそうだ。

久々に城の外に出たので、アリアは内心テンションマックスだった。

やはり城暮らしはつくづく合わない、と再確認する。

セイディアの言う通り、次第に花畑が多くなり民家が見え始めた。セイディアもようやく目を開け、寝る体制をやめる。

にぎやかな商店の間を通り抜け、小高い丘を登ると大きな屋敷が見えた。馬車がその前で止まり、二人が降りていると屋敷からラッドル伯爵がにこやかに出迎えてくれる。


「よく来たね」

「お久しぶりです、ラッドル伯爵」


伯爵は順番に握手を交わし、「さあ、中へ」とアリアの背中を押し促した。

玄関にはターニア夫人もいてアリアに「いらっしゃい」とハグをする。


「お招きいただきありがとうございます。すぐに来られなくて申し訳ありません」

「セイディア様のお手伝いをしているのでしょう? 忙しくて当然だわ」


ええ、主に見張りですけどね。


「ディノンはちょうど仕事で家を空けているの。昼過ぎに一度戻ってくるとは言ってたんだけど」

「最近領地の周りで魔獣の出没が増えてな」


ソファを勧められ、使用人が出してくれた紅茶をすすりながら伯爵が溜息をつく。

全くいないわけではない魔獣なの、でそこまで深刻ではないのだが、大量に発生されても困るという話だ。


「ギルドに依頼はしてあるのか?」

「ああ、今日がその初日だ。ディノンが案内役で付いていっている」

「タイミングが少し悪かったですね、すみません」

「構わんよ。あれも家の手伝いばかりでは体が鈍るだろう」


私もこの年だし、代わりに動いてもらっておる、と伯爵は笑った。

それから夫人の用意してくれたクッキーを頂きながら談話していると、ディノンが帰宅した。少し土だらけになった姿で、セイディアとアリアに気づくと「お久しぶりです」と苦笑気味に頭を下げた。


「こんにちは、ディノン様――大丈夫ですか?」

「ええ、このような姿を見せてすみません」

「何か問題か?」


夫人がディノンに駆け寄り怪我がないのでほっとした。

伯爵の問いに「厄介なことに」と溜息をついた。


「冒険者と共に魔獣が出没する区域を見て回ったのですが…オルンガが十体以上死体で発見されました」

「なんと…」


オルンガはトカゲに似た魔獣で、そこまで大きな体ではないし凶暴性も少ない。

ノーリアーナの領地では割と目撃される種類なのだが、十体以上も死体で見つかることは異常だ。ディノンの話だと、食い散らかされたような跡だった、という。


「ただの獣は魔獣に勝てませんし、他にいるのかもしれないと探索しました。途中で現存の魔獣に見つかりひと悶着ありこの格好です。森の奥に逃がしましたが、どの魔獣かは特定できなかったので、冒険者には一度帰ってもらいました」

「そうか……うむ…」


伯爵が難しい顔をする。


「ギルドに魔獣の照会をさせよう。お前は着替えて来なさい」

「わかりました」


頭を下げディノンは階段を上がっていく。

セイディアが「見てくるか?」と聞くが「いや」と頭を横に振った。


「おまえさんたちは客人だ。そんなことはさせられんよ」

「あんたに遠慮されると背中がかゆくなるな」


セイディアが苦笑すると、伯爵も「小童め」と眉を潜めて笑う。

ギルドに連絡をとってくる、と言って伯爵が自分の部屋に向かう。それと入れ替わりに、ディノンがすっかり着替えた格好で再び現れた。


「先ほどは失礼しました」

「オルンガはどの辺にいたんだ?」

「ここから少し離れた川の近くです。水を好むので今までも目撃はされていたのですが」


アリアはセイディアを見る。セイディアはいやそうに片頬をひきつらせ、「なんだ…」と聞く。


「師匠、私も事務仕事ばかりしていたので体が鈍りそうです」

「…馬鹿言え。昨日、訓練所で城の兵を三十人ほどのしていたのはどこのどいつだ」

「軽い準備運動じゃないですか。やだなぁ、もう」

「お前が言うと冗談に聞こえない」


セイディアは頭を抱えて溜息をついた。

城の兵を三十人…の辺りで夫人とディノンが顔を見合わせたが、アリアは見ないふりをした。だってガリディオさんが鍛えてやってくださいっていうから。


「いいかアリア。お前は執行猶予中なんだぞ」

「保護者がいる範囲内なら、問題ないですよね。  私になにかあって怒られるのは、師匠ですもん。あとでこの周り、散歩してこようかなぁ~」


あくまでにこにこと言うと、セイディアが「こいつ…っ」と青筋を立てた。


「伯爵はギルドに頼むと言っているだろう!」

「わかってますよ。でも偶然遭遇した場合は不可抗力ですよね」

「……」

「もう一回伯爵とお話されたらいかがですか? ターニア夫人、お庭を拝見してもよろしいですか?」

「え、 ええ」

「ディノン様、案内してくださいます?」

「あ、ああ、わかったよ」


ちらりとセイディアを見て、ディノンはアリアに手を差し出す。それを受けてアリアは一緒に庭に出た。二人が庭に出ると、伯爵が部屋の前で笑いを堪えていた。


「ルーフェン殿、師という立場は大変だな」

「…年々、口で適わなくなる」


はあ…と深い溜息をついて、伯爵に苦笑いする。

「さて、もう一度話してみるか」「そうだなそうしよう」

そんな二人の様子を見てターニア夫人は小さく笑い、使用人に紅茶のおかわりを指示した。





「君は変わった人ですね…」

「そうですか?」


庭には夫人が好きだと言う様々な花がきれいに植えられていた。

前世で知っている花もいくつかあり、アリアは機嫌よくそれを眺める。


「早期解決にこしたことはありませんからね」

「あとで怒られないかい?」

「説教は慣れてます。主に二倍で」


私の保護者、二人いるんです。

そう言えば「大変だ」と肩を竦めた。


「君のご家族は王都にいるのですか?」

「 いえ、モールドにはいません。少し離れた地にいます」

「…僕が養子だというのは、以前言いましたね」


言葉を濁したアリアに、ディノンは静かに続ける。


「本当の両親は、ワンマンな領主でした。もちろん領民を護ろうという気持ちはあったはず。けれど、そのやり方は常に一方的で、身内の僕から見てもひどいやり方だった。他の者の助言も聞かず、自分の正しいと思うことばかりを続けたんです。 その結果、クーデターが起こって、家は潰れました。僕だけでもと二年ほど前に、その時親しかったラロッド家の元に養子に出されたのです」

「…そうだったんですね」

「昔暮らしていた領地はここより西にあるんだ」


アリアはディノンを見上げる。


「隣接した領地の話なら、少しは耳に入ってくるのは君もわかるだろう?」

「…ええ」

「その領地のひとつでは、一人の伯爵令嬢が行方不明になったと捜索が行われていたらしい。結局、今になっても見つかってはいないらしいけれど。  君の名が、どこかで聞いたことがあるとずっと思っていたのです」


困ったような笑みを向けられ、アリアも同じように笑う。


「その子とディノン様の家族が決定的に違うのは、子供を想っていたかどうかですよ。その子はきっと、他に知られてはまずいことも知っていたのでしょう。そうでなければ、好色な年寄りと婚約させられるなんてことありませんでしたし、きっと家を出るのも少し後になっていた」

「アリア殿…」

「見つからない、ということは今の生活に満足しているからです。戻る気があるのなら、とっくに戻っています。  それにディノン様のおっしゃる領地の主は、いずれ潰される予定ですからね。私の手によって」


そうか…とディノンは頷く。


「ルーフェン殿が手こずるわけがわかった。それに過保護になるのも」

「保護対象にしては少々暴れますからね、私」

「確かに」


戻ろうか、と再び手をとられる。一歩進もうとした時にディノンが立ち止まり、アリアの右手の甲に唇を落とした。ぱちぱち、と瞬きをするアリアに「親愛の意です」とディノンは悪戯っぽく答える。それを見ていたらしいセイディアの「早く戻ってこい!」の怒声に、二人して噴き出して屋敷の中へと戻った。

話し合った結果、夕食の前に見回りだけしに行く、とセイディアは不機嫌そうに言う。


「いいか、あくまで見回りだからな」

「わかってますよ」

「チッ…拘束魔具持ってくるべきだったか」

「ちょ、師匠。弟子の扱い粗暴…!」


しっかり聞こえた呟きにアリアは思わず抗議する。

暴れる前に縄を付けとくような考えはやめほしいものだ。せめて人間扱いしてほしい。

「見回りなら付いていこう」と伯爵も混ざり、三人で目的地を目指す。


「ノーリアーナも変わらないな。以前来た時もこのくらいの時期だったか?」

「ああ、ちょうどノースが咲いていたな」

「ノースって、その白い花ですか?」


アリアの質問に伯爵は頷く。


「美しかろう。しかしこの花は、絶滅の危機だったのだよ」


セイディアがまだ十代の頃。

冒険者としてこの地に訪れた時、ある問題が浮上していた。

当時の領主であったモリア・ラッドルが領地の金を使い込み、ギャンブルや女に明け暮れていると噂が広まっていたのだ。

領地の唯一の収入源とも言えるノースの花の管理も怠り、ひどい状況だった。

実際セイディアも、飲み屋で派手な女を囲っている領主を見ていた。


「関わる気はなかったんだがな。俺の依頼者がその弟である現伯爵殿だったんだ。依頼内容はただの魔獣討伐」

「生意気なガキが来たと思っていたのだが、たった数時間で依頼を完了してしまって

な。夕食に誘い、意気投合してしまったのだよ」


そこで兄の話になったらしい。

このままでは領地が腐ると判断した伯爵は、どうにか兄を領主の地位から蹴落とそうとしてらしいのだが、賢い兄はどうにもしっぽを見せない。それどころか妻であるターニアを気に入り、妾として囲おうとしているのを知ってしまった。

このままでは何もできずに妻を奪われる。

それならば実家に帰すべきだろう…と判断しかけたところでセイディアと知り合ったのだ。そんな話を聞いて、セイディアが悪い笑みを隠せるはずもない。


「なるほど。ここで師匠の悪知恵が働いたのですね」

「誰が悪知恵だ」

「はっはっはっ。その通りじゃないか、ルーフェン殿。実に見事な悪知恵だったぞ」


まずセイディアは冒険者として兄の周辺をうろつくようになった。

そして酒を飲む内に親しくなり、色々なことを教えてもらったらしい。例えば贔屓にしている裏取引の店舗だったり、手持ちの金が倍に増えるツテのことなど。口が悪いが後腐れのないセイディアをすっかり信用した兄は、彼にひとつの依頼をした。

――邪魔な弟を消す手伝いをしてれ――と。

もちろんそんなことになるはずもなく、逆に悪事を暴露させられ領主の資格を失ったそうだ。現在の所在は不明になっている。


「師匠のことですから、それはそれは見事な晴れ舞台を用意したんでしょうね」

「そんなこともない。当時即位したばかりの王を友人として呼んだくらいだ」

「…なにしてんすか」


王族まきこむなよ。ていうか、王様簡単に誘われるれなよ。

アリアのつっこみを無視して「ここか?」とセイディアが歩みを緩めた。

川のせせらぎが聞こえる。

それは森の奥に続いているのだが、入り口より少し入ったところで土に黒いしみが残っている。オルンガの血だろう。生臭い匂いに少し顔をしかめた。


「こんな森の終りで…」

「追いかけられ、逃げてきたのかもしれんな」

「…師匠」


アリアはあるものを見つけ、セイディアに声をかけた。

後ろからそれを覗き、眉をひそめる。

木々が腐敗していた。獣が爪を立てたような跡なのだが、そこから黒く幹が腐り、ぼろぼろと剥がれている箇所もある。


「腐死系の魔獣か…厄介だな」


腐死魔獣。

不死と混合するものもいるが、実際はちゃんと死ぬので違う。世界中の魔獣のおよそ一割にも満たないほどしか存在しておらず、影の魔力を多く纏うそれらは、その名から予想される通り攻撃したものを腐らせ死に至らせる。

そのため討伐にはかなりの苦戦を強いられるのだ。そもそも、遭遇する確率の方が少ないのだが。


「なんと…ギルドに連絡をして死体を速攻に処分してもらわねばならんな。噛まれたらアンデッド化するのだろう?」

「ああ、一度城にも報告を――アリア?」

「…師匠、腐死魔獣って、あれですよね」

「あれ?」

「あまりに強い影の魔力を纏っているせいで、自身の体も腐りかけているし、理性がなく獲物を見つけたら襲い掛かってくる上に割と死なないっていう…あれですよね?」

「……そうだな」


セイディアと伯爵が不思議そうな顔でアリアを見ている。

しかしアリアはそれどころではない。

がくぅ、と膝と両手をつく。


「…アリア、まさかとは思うが」

「私はどれほど凶暴で強い魔獣であろうと叩き斬る勇気はありますが、腐りかけてもなお襲い掛かってくる感染系ゾンビなんざと対峙する度胸はまったくもってないんですよ…!」


涙目で叫ぶと、ぽかーんという顔で見られる。

よりにもよってゾンビだと…!?


「お前…苦手なのか?」

「あれをどう好きになれと! ぐちゃぐちゃしている上に噛まれたらおしまい!? アホですか!」

「俺に言われても困る」

「ストレスがたまったり業務に追われると決まってゾンビに追われる夢を見るほど、奴らは恐怖の対象なんです!」


前世で何度見たことか。

仕事で不眠症に陥っているのにさらに夢でも追い込まれるという精神的打撃は、転生してもなお魂に刻み込まれているらしい。

恐怖で怯える姿など初めてみたセイディアは、しばし考えていたがすぐに、ニヤと笑う。


「そう慌てるな、アリア。影の魔力ならば光の魔力で相殺できるだろう?」

「光の魔力で何重にも結界はっていいですか? 私、多分半径十メートル以内に接近した時点で蕁麻疹出ます。ていうか、後方支援でいいですか? むしろ遠くにいていいですか?」


戦えと言われれば逃げることはしない。

しかしながらできればそうはしたくない、というのが本音だ。

早口でまくしたてるアリアに伯爵が「ルーフェン殿…」と声をかける。


「弟子ではあろうが、また年若い娘だぞ? あまり追い詰めるでない」

「俺のモットーは"実践あるのみ"だ」

「師匠の人でなしーーー!」

「あまり騒ぐと出てくるぞ。一度屋敷に戻ろう。ギルドと城には俺が伝えてくる」


むぐっと口をつぐんだアリアの背中を押しながら、セイディアがそういうので森から引き返すこととなった。



事態は思いのほか大事となる。

城からも応援が来るというので、伯爵家に留まることになった。

元々夕食の約束だったので、二人に泊まるよう伯爵は言い渡す。

顔色の優れないアリアに「大丈夫ですか?」とディノンが声をかけた。アリアは弱弱しく笑い「何とか…」と答える。

アリアが苦手とする魔獣が相手だとは、伯爵からそれとなく聞いたらしい。


「お前にも苦手なものはあるんだな」

「…ありますよ」

「自分の初めての討伐を忘れたのか? 群れで行動していたゴブリンをいとも簡単にものの数十秒で片づけただろう」

「よし、行け と猫掴みされて群れに投げ出された私としては、死に物狂いの結果ですけどね」


じとり、と恨めしげな顔をするが、セイディアはワインを飲んで涼しい様子だ。


「ずいぶんと過激な修行だな…」

「最初が肝心だ」

「師匠は過激を通り越してバイオレンスなんです」


料理はおいしいのにあまり食が進まない。

その後ターニア夫人が気を紛らわせようとアリアを部屋に呼び、きせがえごっこが始まった。従姉の孫がたまに遊びに来るので、そのおさがりらしい。

少し明るい気分にはなったが、風呂に入ってベッドに入る頃に再び不安が襲って来る。


「…"我が契約をせし精霊よ 主に安らぎを与えたまえ"」


横になって、左腕にあるブレスレットにそうつぶやくと淡い光が灯り、精霊たちのやさしい魔力を感じた。くすくす、とたまに笑い声が聞こえる。恐らく困った主だ、というように笑われているのだろう。ふわり、と風が頭を撫でる感触がした。

アリアは目をつむりながら苦笑し、精霊たち加護のもと眠りにつくのだった。






『…いつまで笑ってる』

『珍しいものを見た』


いつだか見た夢の人物だ。

「私」の隣で肩を震わせていた。

相変わらず顔はわからないが、銀髪で長身であることは確認できた。腰には剣を携えているので、多分剣士なのだろう。


『君にも恐怖心はあったんだな』

『あんたは私を何だと思ってんだ』

『……人間?』

『そらどーも!』


青年は「立てるか?」と「私」に手を差し出す。どうやらへたり込んでいたようだった。手が震えていることから、何か恐ろしい目に合ったのだろう。

「私」は一瞬ためらったが、青年の手を握って立ち上がった。


『恐怖の打ち破り方を知ってるか?』

『…根性?』

『近い。君の場合は――』


ドーン! と屋敷が揺れた。

アリアはガバッと起き上がり、ベッドサイドに置いてあった剣を手にする。

途端に屋敷中が騒がしくなり、「アリア」とセイディアが部屋に入ってきた。


「何事ですか」

「元凶のおでましだ」


アリアは、ひくりと頬をひきつらせ、そっと窓の外をのぞいた。

ぼと、ぼと、 と地面に腐った肉を落としながら、その魔獣は存在していた。









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