セイディア・ルーフェンの弟子
『ねえねえ---ちゃん、次の日曜日空いてる?』
『暇だよ』
『じゃあ女子会しようぜ、女子会!』
ふと聞こえてきた会話に懐かしい気持ちになる。
『あ、もしもし母さん? 次の休みに家帰るから』
『雨ひどいらしいから気を付けて来なさいよ』
一人暮らしをしていて、しばらく実家に帰ってなかった。
仕事が忙しいというのもあったし、少し距離があったから。
けれど、姉が子供を連れて帰省していると聞いたので、たまにはと有給をとって帰ることにしたのだ。上司に紙を提出すると「うん、君はたまにはちゃんと休んだ方がいいよ」とほっとした顔をされる。ならば通常でも連休をください、と笑顔を向けると上司は視線を逸らした。内心、チッと舌打ちをする。
――ああ、そうか――
まぶしい光が正面からふたつ。
キキーッ と嫌な音が耳をつんざいた。
――これ、「私」だ――
『上から落ちてくるとは、君は人間ですか?』
ハッ、と目を開けた。
どくん、どくん、と心臓が早い。
アリアは目だけを周りに走らせる。上品な内装の部屋だった。体を起こすと天蓋付のベッドで寝ていたと理解する。頭が少しズキズキした。
少しふらついたが窓に近づき外を見た。
「…城の中…?」
王城の象徴であるマリーゴールドが色鮮やかに庭を彩っていた。
その庭も広大で、公園ではないかと見間違えるほどだ。自分のいる場所はそこ以外に考えられなかった。あの時、最後の光景に、セイディアの不機嫌そうな顔が見えたからである。
「……う~…、説教かなぁ」
分かり切っていることではあるが、憂鬱になってしまう。
それから息を吐いた。
そっか。私、前世は事故死だったんだ。
最後は何か大切なシーンだった気もするけれど、もう記憶に残っていなかった。
突然開いた扉に振り返る。
セイディアがきょとん、とした顔でアリアを見ていた。
それからいつものように眉間にしわが寄る。
「…し、師匠…」
「この、お転婆娘が…!」
ずかずか歩いてきだので、げんこつされる!と目をつむると、それに反してぎゅうっと抱きしめられた。状況を把握できずにいると「一週間も惰眠をむさぼるとはいい度胸だ」としっかり怒ってますという声で呟かれる。
「私、そんなに寝てたんですか?」
「魔力の使いすぎだ。下手したら死んでいたぞ」
セイディアが顔をのぞき込んで顔色を確認したり、身体機能に異常がないか確認する。
大丈夫だとわかったようで、眉はひそめたまま見下ろしてきた。
「痛むところはないか? いちおう傷は塞いだんだが」
「ほんとだ、ありがとうございます。 どこも痛くないです。ご心配おかけしました」
コーリンに攻撃された腕もきれいに治っている。
「あの…ダリは? それにエルガーさんたちは」
「ダリはもうギルドに呼び出されて戻ったぞ。お前の意識が戻ったら連絡をくれ、と言い残してな。お前の偏屈な注文者の依頼を受けに行くと」
「あー…」
薬屋の店主の顔が浮かび苦笑する。
それからベッドに座らされ、エルガーや町の人々の無事だと聞いてほっとする。
「コーリンを逃がしたらしいな?」
「……そう、みたいですね」
その言葉にアリアは少しぎこちない笑みを浮かべる。
「…私、その時のこと何となくとしか覚えてなくて」
「エルガーのじいさんは会話してたと言っていたが」
「対峙していたのは覚えてます。あ、でもコーリンを逃がしたのは、ちょっとした思惑があって…」
「思惑?」
「いずれ辿れば、ボスに会うんじゃないかと」
コーリンが単独行動なのは確実だ。しかし、その後ろに誰かいないとは限らない。
逃がしてもなお、一人で向かって来るのならそれまで。
しかし、彼よりもっと厄介な人物がいるとすれば。
芋づる式にずるずると引きずれるんじゃないかと。
その言葉はさすがに飲みこむ。セイディアの笑みが恐ろしい。
「なるほど? 死にかけるまで戦っておいて、さらに強敵を引きずり込むと」
「い、いえ、それはただの理想ですし。 いたたたたた! 師匠、頭つぶれる…!」
ぎりぎりと片手で頭を掴まれ涙目で叫ぶと、「アリア!?」とウィーリアンが入ってきた。
「目が覚めたんだね、良かった!」
「ご心配おかけし 、いやだから師匠! 手! 私一応病み上がり…!」
ふん、と顔をそむける。
アリアは頭を押さえながら「畜生鬼畜師匠…」と悪態を垂れる。
それから以前付いていた侍女のメリッサが入ってきて、無事を喜びそのまま着替えなどを手伝ってくれることになった。意識がない時も世話をしてくれていたらしい。
ベッドの脇には、アリアが使っていた杖があった。
餞別だ、とエルガーがくれたそうだ。
体が大丈夫なら後で王のところへ、とセイディアが機嫌悪そうに告げて出ていくのを見て苦笑する。ウィーリアンは「無理なら父上には言っておくよ?」と心配を隠さずセイディアと共に出ていったが。
私は隠れて小さく溜息をついた。
(なんか厄介なことになりそう)
その予想は当たるわけだが。
ドレスを拒否したアリアにメリッサは不満げだったが、目が覚めたばかりということもあり窮屈な格好は嫌だと告げると納得した。アリアは普段より着用している黒いワンピースにローブを羽織り、王の間へと向かった。
王だけだと思ったが、扉を開けるとびっしりと人が左右に別れ立っている。恐らく城の重臣たちだろう。
吊し上げか、この野郎。
心の中で凶暴なことを考えていたが、顔にはおくびにも出さずにローブを少し広げ頭を下げる。
「遅くなり申し訳ありません」
「良い。体は大丈夫か?」
「おかげさまですっかり回復致しました」
「さあ、顔を上げなさい」
許しを得たのでアリアは顔を上げた。
王に近い位置にはカイルとセイディアもいた。
全部で十人余りだろうか。王の横にはセガールとウィーリアンもいる。
ウィーリアンはさすがに緊張しているようで、顔がこわばっている。
「セイディアより報告は聞いておる。教会で操られたものたちも全員意識を取り戻したらしい。もちろんオリヌスでも使者ゼロだ。大儀であった」
「光栄にございます」
「…相談なんだが、アリアよ。其方の師は城に仕える身。私は其方が国に仕えてくれれば心強いと思っているのだが、其方はどう思う?」
「王、私を評価していただけるのはとてもありがたいことです。しかし、私はまだ子供です。そのように早い決断されてしまっては、今後何か起きた時に後悔するのではないかと思いますが」
つらつらと、子供が言いそうもないことを笑顔で言うアリアに、重臣たちは引きつった顔をする。王は何とか気を取り返し「其方がただの子供ではないことはちゃんとわかっている」と続けた。
「わかったうえでの提案だ。弟子である其方には、そういう道があるということを知っていてほしい。 もちろん、それなりの地位も与えよう」
ぴくり、とアリアの眉が動く。
だがそれが不穏な動きなのだとわかったのは、セイディアとカイルのみ。
王はその反応をいい兆しと思ったのか、続けようとして口を閉ざす。
「…王はどうやら、私の"魔術師としての目的"をご存知のようですね?」
笑顔なのは間違いない。
間違いないのだが、背筋がぞっとする笑顔だ。
アリアの目的。それは確固たる地位を手にして、実家を潰すことである。
報告は義務なので仕方がないが。ちらりと二人を見ると、ものすごい勢いで視線を逸らされた。実に正直者である。
「…必要だとは、思うが?」王は勇気を出してそう切り出す。
「必要でしょうね。平民の私にとって、魔術師であっても身分は乗り越えられません。国に仕えるという最上級の地位があれば、目的は達成するでしょう」
「ならば…」
「ですが私は独り立ちをしてまだ日も短く、先日称号を頂いたばかりです。今回の件も、死者は出さずに終われましたが、逃がした上に自身も重傷でした。それでも王は私を国に欲していられるのですか?」
「その価値があると、私は思っている」
「そうですか……」
アリアは目を細め、楽しそうに笑う。
「ならば私も提案致します。城の兵を全員、プッ倒してもいいでしょうか?」
空気が固まるとはこういうことだ。
その場にいた者、全員の口が開いて塞がらない状態である。カイルが何とか「アリア、それはどういうことだい?」と恐る恐る聞いた。
「だってカイルさん。王は私に"経験も年齢も失態も何も関係ない。とりあえず国に付け"。こうおっしゃってるんですよね? それでは私の決意と自尊心が傷つきます。コネだ何だのと揶揄する者も出るでしょう。 はっきり言って、不快ですね」
それならばその前に叩きのめすのが手っ取り早い。
もはや笑みもなく、師匠そっくりの不機嫌な顔でアリアは吐き捨てるように告げる。
「っ、君、無礼であるぞ! 誰を相手にものをいっている!」
「あら、お言葉ですが王はそのような人物を欲しているのですよ? 私の性格のことを否定されても困りますね。師に似たのだと諦めてください」
重臣の一人に怒鳴られたが、アリアは物怖じもせず言い返す。
「…ならばウィーリアンの下に付かないか? 息子も君の能力は信頼しているし、傍仕えであるシルヴィンも同様だ。君が仕えてくれるのなら彼の負担も減るだろう」
「シルヴィンが優秀であることは存じております。私一人がいたところで、世話をする者が一人増えたと逆に胃を壊すでしょう。ウィーリアン様におきましては、」
ふと目が合うと、ウィーリアンはどうしたらいいかわからずに、口を一文字にしているしかない。アリアは少し苦笑する。
「私はウィーリアン様をご友人だと思っております。王族だから助けているなどと勘違いして利用されるのも、私としては嬉しくありませんね」
「アリア…」
「――はっきり言っておきます」
アリアはウィーリアンに視線を合わせたまま続ける。
いや、その場にいる全員に告げるかのように。
「私は国だろうが王族だろうが貴族だろうが、忠誠なんて誓わない。けれど、ウィーリアン。あなたが私の主ではなく友であるのなら、私は剣も杖も振るって戦いましょう」
ウィーリアンの目が、少し見開かれ、何かの感情の色をにじませた。
それが何を意味しているかはアリアもわからない。
王に視線を移す。
「これが私の答えです」
「…投げ捨てるのかね? 一番近道だろうに」
「今のことで国が私を見放すのならば仕方のないことです。 それならば、国さえも文句が言えない立場になればいいだけの話」
…なりそうで怖い。
全員の心の中がシンクロする。
まだ成人もしていない少女だ。これが大人になりもっと知恵や力を付けた時、どうなるか。想像するだけで身震いしてくる。
「…父上の負けですね」
「セガール」
ずっと沈黙していたセガールが口を開く。
「子供だと言って舐めてかかるからこういうことになるのです。彼女はルーフェン殿の弟子ですよ? 父上の画策など、見破られるに決まってるじゃないですか」
「…なかなか言うな、お前は」
「これでも少し怒っているのです。父上や上層部の皆さんが急いで走りすぎたせいで、国の不信感を与えたのですからね。 恐らく、彼女はもう国に仕えることは一切ないでしょう」
基本ぽわわんとした王一族なのだと思っていたので、セガールの鋭い指摘にアリアは少し驚いたが、苦笑して肯定だと告げる。
「父上が引退した後は私が跡を引き継がねばならないのです。もっと時期を見て計画すればいいものを、優秀な人材を一人逃がしてしまったじゃないですか」
「…セガール様がまだ殿下でよかったです。色々と恐ろしいです」
「私としては残念だ」
セガールの笑顔もなかなか裏がある。先日の夜会では気づかなかったが、今気づけて良かったとアリアは心から思う。外堀から攻められ、着々と逃げ場を奪われるに違いない。
「師匠、許可もなく私の意見を宣言しましたが、よかったですよね?」
「…ああ、お前の自由だ」
そういえばと確認をとると、セイディアは下を向いて……笑いを堪えていた。
カイルが「セイ…」と呆れた目で見ている。
「万が一にでも城に仕えるとなったら、こき使おうと思っていたのだがな」
「お手伝いくらいはしますよ? セイディア・ルーフェンの弟子として」
私は「王宮魔術師」のセイディア・ルーフェンの弟子ではない。
あくまで「セイディア・ルーフェン」という王宮魔術師の弟子なのだから。




