英雄の遺品
コーリンは相変わらずにこにことこちらに笑みを向けている。
それからすとん、と降りてきて歩み寄ってきた。
見た目はただの子供だ。周りの人たちは、何も気づいていない。
「へえ、ダリはおねーさんの側に付いたんだね」
「…」
「ふふっ 相変わらず怖いなぁ」
ダリの殺気も軽くいなし、コーリンはアリアを見上げた。
「また会えてうれしいよ」
「…それはどーも」
「すごいね。そいつら、いちおう腕の立つやつらだったんだよ」
倒れている二人を見てから、そのそばに落ちている杖を見つけて、目を細めた。
「本物かなぁ」と、次には後ろで声がする。
前にいたはずのコーリンは、すでにアリアの後ろで杖を手にしていた。
「テッディ、おつかいは戻ってからが完了だよ」
「…悪い。そこの頑固な旦那がなかなか売ってくれなくてな」
「へぇ――邪魔だな」
コーリンの杖が振られるのと、アリアが飛び出したのは同時だった。
ドーン! と地面を揺るがすような衝撃と音が響き、周りの者たちがようやく異変に気づく。コーリンは片眉を上げて口元を歪ませる。
「さっすがぁ。防衛魔法で他のやつらも庇うなんて優しいね」
「っ 、町中で、暴れるないでほしいね」
エルガーとユッカの前に飛び込んだアリアは、一瞬で防衛魔法を展開した。通行人に被害がいかぬように、もちろん周りにもそれを張っている。ダリが瓦礫を退けながら起き上がった。その横にはテッディがいて、ぽかんと今の状況を見る。
武器屋はほとんど吹き飛んだかのように倒壊し、地面はえぐれていた。
もちろん、コーリンの攻撃魔法によってだ。
防衛魔法はかけたままにしているので、外に被害はないだろう。問題は、その中だ。
「でも優しいのは損だよ。タイミングが少し遅かったから、ダメージも受けてるでしょ?」
アリアは眉を顰めながら笑みを浮かべる。
確かに全て防げなかった。じんじんと、右の肩が痛む。これでは剣は扱えないだろう。
「嬢ちゃん…」
「じっとしててくださいね。なんとかしますから」
エルガーの声に、アリアは持っていた杖を握り返す。
コーリンも自分の杖をまじまじと見た。
「ぼくの魔力でも壊れないなら本物くさいなあ。さんざんはずれくじ引いてたから、まだ信じられないけど」
「…英雄の遺品、とやらを探しているようですね。なぜ?」
「うーん。特に意味はないんだけど」
くいっと杖を振りながら、コーリンは首を傾げ考えるような仕草をしている。
「その英雄って呼ばれる魔術師、すごい強い奴だったんだよね。そいつが持っていた杖だったら、ぼくが持つのにふさわしい。 だって、つまんないんだもんこの世界」
そういって笑うコーリンの顔は、どこか冷え切っていた。
「つまらないなら、いらないでしょ? だから壊すんだよ」
バチィッ!
コーリンの頭の上で、ダリの剣が止められる。
「手を出すなよ、アリア!」
「…!」
体制を整えながらダリが唸るように叫ぶ。
「俺が先約だ」と続けるので、アリアは防衛魔法だけは継続し続けての攻撃魔法を止めた。
ダリはそのままコーリンに剣で斬りかかり続ける。
だがコーリンにはそれが当たることはない。
「ねえ、ダリ。ぼくたち少しの間だったけど、一緒にいたんだよね」
「それが、どうした!」
「…どうしてわかってないの? ぼくには勝てないって」
す、 とコーリンは目を細めると、ダリの前で杖を振った。その先から、風の刃が飛びダリの体に深く突き刺さる。
「ぐっ…!」
「鬼のくせに、人間に混ざって暮らして楽しいかい? 吐気がするね」
血だらけで倒れるダリを、コーリンが冷たく見下ろす。
再び杖を振りかざしたところで、向けられた攻撃魔法を防ぐ。
それが飛んできた方向にダリが苦々しい視線を向けた。
「… 余計な、ことを」
「うるさいよ。ダリ、忘れているんじゃない? 私に忠誠を誓っていることを」
「……」
「あんたの命は、いま私が預かり受けている。勝手に死ぬことは許していない」
アリアの周りに風が起こる。
それからコーリンを睨みつける。
今まで彼女が見せた中で、一番非情な表情だった。
「調子に乗るなよ」
「…おねーさんはどれくらい楽しませてくれるかな」
正直、勝てる気は全くない。
それほどまでに、コーリンという少年の力が測り知れなかったのだ。
(それでも…――)
この場を切り抜けるくらいは、しないといけない。
周りへの被害が大きすぎる。コーリンは何も考えずに、ここら一帯を滅することくらい簡単にするだろう。
杖へ魔力を注ぎ込む。
エルガーは魔力に耐えられるか心配していたが、取り越し苦労だったらしい。石は割れずにアリアの魔力をちゃんと吸収している。
杖を上に向けると、アリアを中心に風が渦を巻き起こす。その中には小さなかまいたちのような魔法も取り入れているので、バチバチ と音がする。
コーリンも笑みを浮かべ、炎の柱を作り出す。
動いたのは同時だった。
凄まじい音を立てて、互いの魔法がぶつかる。
「強いなぁ、おねーさん。 でも、耐えられるかな?」
「くっ… 」
「ほら、ぼくの魔法に押されて、自分の魔法で傷が出来てるよ」
チッ 、と頬を風の魔法が掠める。
アリアの頬や肩に小さな傷が出来ていく。
対するコーリンはまだ余裕がありそうだ。さらに魔力を上昇させ、攻撃力が増した。
「 ちょっと、しっかりしろよ!」
ユッカが後ろから震える声で叫ぶ。
「あんた、セイディアさまの弟子なんだろ!?」
「… っ」
「あ、あんなガキに、負けてんじゃないわよ!」
そういいながら、ガチャと音を立ててユッカがボーガンのようなものをコーリンに向けて打ちはなった。しかし片手で防がれてしまう。
「きみ、うるさいな」
「…!」
開いている右手がユッカに向かい、氷の刃が飛び出す。
ぎりっと歯を食いしばり、アリアは右手に杖を持ち替えて体を左にずらした。
「う、 ぁっ…!」
鮮血が飛び、ユッカに当たるはずだった氷はアリアの左腕にぐさりと突き刺さる。ユッカの声にならない悲鳴が小さく聞こえる。崩れそうになった体制を必死に押しとどめ、杖に魔力を注ぎ込む。コーリンとアリアの魔法は少し軌道をズラしたが、ゴッと重い音を立ててそのままアリアを飲みこんだ。
地面の土や瓦礫がパラパラと舞い降りてくる。
コーリンは杖を肩に乗せながら溜息をついた。
エルガーはユッカを抱き込み庇ったが、それでも近距離で起こった衝撃に何とか意識を保ちながら、アリアに視線を向ける。
「おねーさん馬鹿だよね。どうして口ばかりの人をかばうの? いまだっておねーさんに守られてるからしゃべってられるのにさぁ」
アリアは両手で杖を握りしめ、しゃがみこみ俯いた状態で動かない。
体のあちこちから血が滲み、ローブもぼろぼろになっている。
は 、は 、と早い呼吸がエルガーの耳に届き、何もできない状況に苛立ちを覚えさせた。
(孫より若い少女が、目の前で戦っているというのに…!)
アリアの魔力が弱くなったのか、周囲を囲っていた防衛魔法が解ける。
外側から見ていた町の人々は動けずに、真っ青な顔で固まっていた。
コーリンは周囲に視線を走らせ、「…つまんない」と呟く。
「もういいよね? 消してあげる」
コーリンの体から魔力が黒い渦のように溢れ出る。
だがぴたり、と止めた。視界の端で、ゆらりと揺れるアリアが見えたからだ。
アリアは俯いたまま立ち上がると、杖を再び左手に持ち、背から剣を抜いてコーリンに向ける。怪我の痛みも何も感じなかった。
「やめておきなよ。すぐに死ぬんだから、これ以上痛いのいやでしょう?」
「…… が」
「…?」
「耳障りだと言ったんだ、クソガキが」
ひやり 。
コーリンはアリアの目に背筋が凍る感覚を覚え、驚愕し目を丸くする。
アリアが一歩踏み出したのは見えた。だが、次の瞬間には自分の目の前で剣を振りかざしていた。
「…っ!!」
ズバッと音を立てコーリンの腕に傷を作る。
コーリンは距離をとり杖を向けるが、アリアは放たれた魔法をいとも簡単に空中で相殺させた。
じり、と思わず後ろに引いた自分にコーリンは驚いた。
先程まで感じなかったもの、そして今まで感じたことのないもの。
コーリンは、それが恐怖だとわかり屈辱に怒りをあらわにする。
そして気づく。
アリアの目は、自分をまるで見ていない。
虚ろに、それでも確実な殺意だけは伝わってくる。
アリアの剣がゆっくりと動く。杖先から淡い光が出て剣ごと包むと、剣は流れるようにななめに振り落された。
次の瞬間には、コーリンは痛みに声を上げた。
自分の胸から脇腹に向かって、鮮血が噴き出した。そして手の中の杖がパキパキと音を立て、粉々になる。
「う 、ぐ …っ」
「去れ」
端的に、冷たい声で発せられる声にコーリンはびくりと体を震わせる。
「…殺すんじゃないの?」
「あんたにはまだ、使い道がある」
意味が分からなかったが、これ以上ここに留まるのは無理だった。
コーリンは魔力を振り絞り、そこから移転魔法で姿を消す。
「嬢ちゃん…!」
ユッカを抱きしめたままエルガーが声をかける。
振り返ろうとして、そのまま体が傾く。
しかし、地面に倒れる前にアリアの体を支える者がいた。
黒髪と黒いローブが風に靡いている。その顔は苦々しく、眉間の皺はいつもの何倍も濃い影を作っていた。エルガーはその癖がある者を知っていたが、一応聞いてみる。
「…セイディアか?」
「……久しぶりだな、じいさん」
「アリア…!」
ウィーリアンがセイディアの腕の中にいるアリアに向かって、悲痛な声を上げながら駆け寄ってきた。アリアはぐったりとして意識がない。それでも呼吸はしているので、セイディアは内心安堵する。
用が終わればすぐに戻ると聞いていたが、何か胸騒ぎがして移転魔法で来たのだ。
だが、すべては終わった後のようだ。
ダリが傷を抑えながら近寄ってくる。彼の足取りもふらついて怪しい。両腕には、テッディと、気絶している残りの二人をちゃんと捕まえている。「誰だ」と聞けば「今回の関係者だ」と伝える。テッディはセイディアにひと睨みされ逃げるのを諦めた。
「ガキにやられた」
「……コーリンか」
「アリアが何とか追い払ったが…大丈夫なのか? 人間はすぐ死ぬだろう」
血の気のないアリアの顔を見てさすがに心配になる。
セイディアは「血だけは止めておくか」とアリアに治癒魔法を施す。腕の怪我がひどかったが、それでも傷は塞がった。
「お前もひどい怪我だ」
「俺はいい。放っておけば治る」
「治さなかったとこいつにどやされるのは俺だ。血くらいは止めさせろ」
ダリは「確かに」と笑い、セイディアの治癒魔法を受ける。
ウィーリアンは相変わらず深刻そうな顔つきでアリアを見ている。
「ルーフェン殿、アリアは…」
「外傷は少ないので、魔力の使いすぎかと。 心配ありません」
セイディアはアリアを抱いたまま立ち上がり、エルガーを振り返った。
「立ち話でもしたいところだが、俺はこいつを城に連れていかなくてはならん」
「ああ。俺も後始末がある」
「後で遣いをよこす。詳しい状況を説明してほしい」
「わかった。 嬢ちゃんは大丈夫なんだろうな?」
「…こいつは死なない」
それだけ言い残し、再び魔法で姿を消した。
エルガーは溜息をつき、「ユッカ」と自分の孫に声をかける。
ユッカは意識こそ失ってなかったが、殺されそうになった恐怖で動けずにいた。そして、セイディアが自分に目もくれなかったことにショックを受けていた。
しかも、アリアが怪我をした原因に自分が関係しているのだ。
がたがたと震えるユッカの背中を軽く叩く。
「お前は、あの嬢ちゃんのように戦えると自分で思っているのか?」
「…っ」
「嬢ちゃんはお前を庇って怪我をしたなどと、恐らくは言わんだろう」
「ど 、どうしてっ」
「それがあの子の立場だからだ」
王宮魔術師の弟子。
それは無条件に、善なるものでなくてはならない。
自分の怪我は自己責任となり、周りへの被害は国の責任となる。
アリアはまだ国に仕えているという明確な立場ではないが、師匠のセイディアの立場もあるのだ。市民を守って怪我をするということは、あくまでアリアの判断であり義務ではないが責任となる。
ユッカは、自分はそんなことできない、と小さく思う。
どうかあの女の子が無事に目を覚ますように、と嗚咽を漏らしながら祈った。
「…英雄の遺品、か」
王は深い溜息をつく。
エルガーからの状況説明を聞いて上がってきた報告書だ。
「今回のことは、あくまでコーリンの独断であると?」
「退屈しのぎのような言いぶりだった、と聞いています。捕らえた仲間にも吐かせましたが、本当に雇われただけの様子」
王の前には城の重役たちがいる。
セイディアも自分の席より報告の補足をする。
「して、その遺品とやらは?」
「まがい物だったようです。もちろん普通の杖に比べれば格の違うものでしたが、そもそもの原因は杖にはめられていた魔法石にあったと、店主のエルガーより聞きました」
エルガーは店で一番強い杖を渡した。それに嘘はない。
杖の魔法石は、純度の高いものでしかも特殊な魔法式がかけられていた。通常の何倍もの魔力を受け入れ、使うことができるというもの。限りなく禁魔法に近い手段だが、それ以上の付加はなかったので店に置いていたエルガーも罪に問われることはない。
ちなみにこれで持ち主の生命力を吸い取り力にしていた、となれば話は別になる。完全に禁魔法に分類されただろう。
ちなみに英雄の遺品などとキャッチフレーズは、どこの店でも客集めに使っている常套句だ。
実のところ、エルガーはそれに気づいていた。そしてアリアも。
アリアであれば魔力の量も多いので使えただろうが、それでも「自分には無理だ」と判断した。魔法石の器が大きいのならば、それだけ魔力を注ぎこむことになる。油断すれば、すぐに魔力が底を尽きるだろう。その心配を危惧してだった。
「強度も確かにあったはずですが、単純にそれ以上の魔力で返されてしまえば意味はありません」
「…つまり、アリアの魔力が上回った、と」
「一時的にですが。その可能性はあります」
いわゆる火事場の馬鹿力である。
セイディアはそう言い切るが、王の探るような視線を感じた。
だがそれ以外に説明のしようがないのだ。
「 セイディア。アリアを城に置きなさい」
「……」
「彼女にとっても悪いことではないだろう。オリヌスの町でお前が現れたことにより、アリアが弟子であるという認識は他の町にも広まるだろう。あそこは他国からの商人も多く出入りしている。今後、どのような輩が出てくるかも限らん」
「私にはそれを決定することは出来ません」
「セイ…」
城に来て三日目。
アリアはまだ眠ったままだった。
医師に診せても身体に異常はなく、魔力が尽きかけた反動ではないかと診断された。
王の目をまっすぐ見つめ返し、「出来ません」と再び繰り返した。
「ルーフェン殿、王のお言葉であるぞ!」
「――私が王に…国に仕えることは自分で決めたことです。師は王宮に仕えることを許していませんでした。しかし、私はそれを振り切った。 アリアは私の弟子ですよ? 師のいいつけを簡単に守るようなたまだと?」
声を荒げた上層部に、ふ 、と鼻で笑えば「セイディア」とカイルに小声で咎められる。
「とにかく私に決定権は存在しないのです。本人にお尋ねください」
「…困ったものだな、師弟そろって」
「いやなら追放すればいい。私にはその覚悟もある」
「馬鹿なことは冗談でも言うんじゃない」
王が珍しく睨んできたのでセイディアは肩を竦めた。
(覚悟は出来ている)
万が一に出もアリアに分の悪い状況になったのならば。
それを知っている王は、やはり溜息をつくしかないのだった。




