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静かなる動揺



『よかったのか? ルリーザ』

『ええ、この村にいる理由はもうないわ』


誰だろうか。

二人の人物の声がする。

一人は見えないけれど、もう一人は神殿で見た像と同じ顔をしている。ルリーザという名も聞こえたので、彼女が聖女なのだろう。きれいなブロンドの髪の毛を風に揺らしながら、端正な顔は少し寂し気な笑みを浮かべていた。


『これがこの村に出来る最後の"奇跡"です』

『婚約者とやらはどうする。ずいぶんと執着しているようだけど』

『…ねえ、---。聖女とはなんなのかしら?』


---とはルリーザと話している人物のことだろう。

名前は聞き取れない。声は少し高い。ぶっきらぼうな口用から、声変わり前の少年だろうかと思った。


『私はね、この村で聖女という名以外に価値はないのよ』

『……』

『喜ばなきゃいけないことなのでしょうね。でも、私はうれしい反面すごく苦しいの。父と母の顔さえも知らないわ。物心ついた頃には聖女として教会に預けられていた。どうして私がって思ってたわ。人々を救うことに躊躇いはない。でも、普通に生きることができないことにいつも絶望していた。  こんな私を、誰が聖女だというの?』

『 これからの予定は?』

『さあ、まずはここから離れるわ。名前も変える。その先はいずれ決める』

『ならば、私たちと共に行くか?』


ルリーザは一瞬驚き、それから花のように微笑んだ。


『では、あなたが私の名を決めて』

『…歓迎しよう。我が友、リリアーナ』









うぅ…と男の苦しげな顔で意識が戻ってきた。

足もとには散らばった水晶と、その横で痛みに唸り声をかげている神父がいる。

後ろを見ると、操られていた町の者たちが次々と倒れていくのが確認できた。


(…今のは…?)


アリアは地面に突き刺さった剣を鞘に納める。

時間は一秒ほどにも経っていなかったらしい。

自分の中ではずいぶんと長く感じていたのだが。


「アリア、怪我は?」

「……」

「アリア?」

「 いえ、大丈夫です」


反応の薄いアリアに心配そうに声をかけたが、ハッとして少し笑みを浮かべ返す。

それに反して、心臓は早鐘のように脈打っていた。

何に動揺しているのか彼女もわかっていない。


「うっ… こんな、こと がっ」

「禁魔法とは恐ろしい魔法ですね。人にも戻れないのですか」

「…本来の理を逸脱した魔法だもの。反動は大きい」


神父の身体は人間のベースこそ残っているが、眼球がバスケットボールほど大きかったり、片腕だけ浅黒く血管が浮き出ていたりと、「ただの人間」とは到底思えない姿だった。だが力も何も失ったのか、ぜえぜえと息をすることしかできない。それでも口から血を吐きながら、掠れた声を上げている。


「な ぜ… なぜですか! なぜこのような…っ!」


その眼はアリアたちを見ていない。


「私はあなたの言う通りに行ってきた! それこそが神への贈り物だと…っ 祝福を受けられる唯一の方法だと…!」

「…なにを言ってるんだ?」


意味のわからないことを叫ぶ神父に、フィネガンがぼそりと呟く。

だが神父はそれすら聞こえていないようで、見えない何かへの会話を続けている。


「お答えください、バーティノン様…!」


かはっ、と神父は目を大きくさせると、そのまま呆気なく息絶えた。

異様な光景に、誰もが声を出せずにいる。

「…城へ、報告をしましょう」アリアがようやく口を開くと、ウィーリアンも頷く。


「救護班も来させよう。町の者たちが気になる」

「あの水晶に彼らの魔力か何かを吸収していたのでしょう。壊したことで死ぬことは免れたとは思いますが…」


だとしても、意識が戻るかは別の話だ。

とりあえず屋内に運び、城からの救助を待つしかない。なんせ、町を管理する兵たちも操られていた中に混ざっていたのだ。息をしていることは確認できるが、それ以上はわからなかった。

転送魔法を使えればよかったのだが、先ほどの戦いで思いのほか消費していたらしい。無理をするな、とフィネガンが城に走ることになった。つなげてあった誰かの馬は無事だったので拝借することにする。

時間が経つと次第に意識を取り戻す者たちがいた。

兵も数人起き上がれる状態になったので、事の詳細を聞く。

彼らも町民たちの異変に気が付き、教会が怪しいと踏んで調査を行ったらしい。

だが神父たちに押さえつけられ意識を失い、気が付けば今に至るという。


「バーティノンとは、いったい誰なのでしょうね」

「聞いたことのない名だな。一応は問い合わせてみよう」

「  ウィーリアン、後はお任せします」


そう言って荷物を背負い始めたアリアに「行くのかい?」と驚いた顔をする。


「ええ、ついでに周りの町にも異変がないか見て回ってきます。用が済んだら、すぐにモールドに向かいますので」

「君の保護者に何か伝えるとはある?」


ああ、彼の中でも保護者決定らしい。

禁魔法が使われたのだ。セイディアが派遣される可能性もあるだろう。その場にアリアがいなければ、不機嫌になることは目に見えている。


「自分に足りないものを補いに行く、とだけ」

「…やはり私も」

「ウィーリアン様、なりません。ここではあなたが責任者です」シルヴィンが止める。

「しかし…」


兵も万全ではない。

フィネガンは途中にある警備隊にも声をかけていくといったので、直に応援も来るだろう。だがウィーリアンは心配そうにアリアを見る。

アリアは苦笑しつつ、ウィーリアンの手を取りその甲に口づけをした。


「ご自分の立場をお忘れなきよう。ウィーリアン様?」


湯気が出そうなほど真っ赤になったウィーリアンに、にぃっと笑いかけ、シルヴィンに頷くと呆れたように同じく頷いた。

黙らせてしまうのがてっとり早い。

本来性別が逆であろうが。

歩き出したアリアの後に、すでにマントをかぶっていたダリが続く。


「いいのか、王子とやらを置いてけぼりにして」

「この町にこれ以上何か起こる気はしないからね」

「そうか」


本来であれば安全が確認されるまでそばにいるべきだろう。

だが自分の中で確信には近かった。

保護者からの小言は後で聞くことにする。

それ以上に、自分が冷静ではないことに気づいていた。だからこそ、ここにいてはならない。嫌悪感はなくなった。だがかわりに、焦燥が胸をつく。


(リリアーナ… それが彼女の名前…)


彼女を知らないはずなのに、なぜかそのことを受けとめている。

聞き慣れないはずの名前なのに、すとん と今までの違和感が解けていくのを感じた。

セイディアに昔教えられたのかもしれない。いや、もしくはカイルから。

そう言い聞かせているのに、 違う 、と頭で誰かが言うのだ。

その誰かはきっと、私以外にはいないはずなのに。









「…変だな」


場所は変わり王城。

そのつぶやきに、彼の下についている部下は「セイディア様?」と首を傾げた。

セイディアは国の地図に指を這わせている。

その先が淡く光っていることから、何らかの魔法を使っているのが伺えた。


「何か問題でもありましたか」

「…ルオーク、防衛魔法に反応はあるか?」

「いえ、とくには…」


国に張っている防衛魔法は、滞りなく展開されている。

それはその魔法を使っているセイディア自身はっきりしていた。

だがある一か所。

王都からさほど離れていない町の位置で、彼は違和感を感じた。

防衛魔法はいわば魔術師の血管のようなもの。

繊細に張られたそれは、少しの異変をも見逃さない。

異変はない。

しかし、なにかかがおかしいのだ。

正に血管がそこで詰まっているような感覚。


「セイ」


軽いノックと共にカイルが扉を開けた。


「なんだ?」

「ウィーリアン王子からの急ぎの伝達が来た。昨日の朝方、教会の神父が禁魔法を使ったと」


その言葉に眉間にしわを寄せる。

町の名を聞き、秘密裏に調査が行われている場所だと思いだす。そしてまさに、セイディアが目を止めていた地図の箇所だ。


「王子はどうやらアリアと共に行動していたようだ。何とか神父は止めたが、体が伴わず息絶えたらしい」

「…当然だ。禁魔法など、愚か者のすること」


自然と声が低くなる。ルオークが青ざめている。上司が怒ると恐ろしいのはすでに身をもって体験している。セイディアはそんな彼に「しばらく留守にする」と言ってカイルと共に部屋を出る。


「伝令…フィネガンの話だと、神父は聖女・ルリーザに裏切られたと思っている者の子孫で、何やら神のご意志で町の者や外部から来た者たちを操っていたらしい。ディルラーフの襲来もあったそうだ。これはダリが討伐したらしいが」

「禁魔法といい、難易度の高い魔獣を操るといい、その神父は魔法に長けているのか」

「いや、恐らく裏に誰かがいるだろうと。死に際に、バーティノンという名を口にしたと聞いている」


ぴた 、とセイディアの足が止められる。

そんな友人の行動にカイルは不思議そうに視線を向けた。


「…聞き覚えがあるのか?」

「…いや、なんでもない。町に行くのだろう。転移魔法を施す」


少しの間の後に、セイディアは頭を横に振って否定した。

カイルもそれ以上は追及しなかった。

救護が優先だというので、治療師を数名引き連れ転移魔法で町へと飛んだ。



「ルーフェン殿、待っていました」

「王子、怪我はありませんな」


セイディアの言葉にウィーリアンは頷く。

治療師たちがすぐにまだ意識を取り戻さない者や、体の痛みを訴える者たちの元へ急いだ。セイディアの視線がアリアを探す前に、「伝言が」とウィーリアンが口を開く。


「アリアから。"自分に足りないものを補いにいく"と」

「…オリヌスの武器屋か」


セイディアは少し驚いていた。

敏い彼女のことだ。本来であればそのまま王子の警護に付くのが当然だとわかっている。

しかし実際は、すぐにこの地を出発したという。

ウィーリアンより、事の詳細を聞き、神父の後ろにはやはり何者かがいるのだと確信した。まず、町に魔獣が出るということ。しかもそれは、防衛魔法を施しているセイディアにもはっきり気付かせない、絶妙なラインで行われていたことだ。魔法を消したわけではないのだろう。効力を弱めたということに準する。

そして次に、アリアが砕いたという水晶だ。

ガラス玉の一つ一つに洗脳魔法がかかっており、それを媒介に魔力を水晶に吸収させるもの。ガラス玉の魔法も、町の者たちにかけられた魔法も、弟子であるアリアが気付かないはずもないのに、誤魔化せるだけの技術を持ち合わせている。

そして何より、他人を媒介に禁魔法を発動させたのだ。


――かなり強い魔力を持っているということになる。自分を惑わせるほどに。


「…ルーフェン殿、アリアは大丈夫でしょうか」

「王子?」

「水晶を砕いた後、なにやら様子がおかしかったのです。その後はいつものように笑ってはいたのですが…」


ちゃんと止めていればよかった、というようにウィーリアンは眉を下げる。


「王子が気にすることではありません。あれは自分の中だけで考える癖がある。今回も、それが災いして行動したのでしょう」

「彼女に頼ってばかりいる自分を情けなく感じる。アリアがすばらしい魔術師だということはわかっているが…歳もさほど変わらない娘なのに」


セイディアは少し目を細めウィーリアンを見る。

王族としては軟弱な思考だが、アリアを思いやる気持ちは少々温かく感じる。ウィーリアンの言葉は、恐らく異性として放ったものなので少し複雑な気持ちにはなったが。

「不肖の弟子にお心遣い感謝します」とだけ答えておいた。





セイディアが町についた頃、アリアも予定よりずいぶん早くオリヌスに来ていた。

理解できない感覚に不安を感じていたが、少し経てば通常運転だ。

よくわらないので考えるのを放棄しただけなのだが。

急ぐつもりはなかったのだが、途中オリヌスに向かうという商人に出会い、荷台に乗せてもらったのだ。ダリが乗っても大丈夫なほど大きな荷台である。


「そろそろ付くぜ」


馬の鞍を持ちながら振り向いたのが商人のテッディだ。

三十代半ばくらいだろうか、うっすら無精ひげを生やした風貌なのでもしかしたらもう少し若いのかもしれない。


「助かりました、ありがとうございます」

「いやぁ、嬢ちゃんみたいなのが大男と一緒にいるからびっくりしたぞ。行先も一緒だったんだ、子供が気にすんな」


町の入り口で降り気持ち程度のお金を払おうとしたが、手をひらひらさせて断られる。

「これから稼ぐから大丈夫だ」と言いながら、荷台の上の大きな荷を軽く叩いた。


「気になってたんですけど、何なんですか? それ」

「武器の原料だよ。かなり固いから、剣や盾に使われてんだ」


ただこの地域では取れずらい鉱物なので、必然的にいい値がつくという。

これから鍛冶屋にいくというので、そこで別れた。

ギルドの身分証明書をかざして、門番から許可をとり町の中に入る。

オリヌスを歩くほとんどの者が、この地の民族衣装らしき服を身にまとっている。白地の大判の布に、ふちは濃紺のラインがひかれているものだ。観察していると、女性は左肩を、男性は右肩を出しその服を巻きつけるようにしていた。着ていない者は商人だったり、とにかくこの町の民ではない者だろう。

さて、エルガーの武器屋とはどの辺だろうか、と看板を見ながら探していく。


「ひったりくりだ! 誰が止めてくれ!」


前方からそんな声が聞こえ、ひとごみをかき分けながら男が走ってきた。片手には麻袋を持ち、周りの人間を突き飛ばしながらこちらに向かってきた。

アリアは、すいっと横に避け、片足を突き出す。ビダン! と痛い音と同時に男が地面に突っ伏した。


「うっ…このガキ…!」

「ではこの盗人が、と返します」


忍ばせていたナイフをアリアに付きだしてきた。するとダリの大きな手が伸び、男の腕を掴んだまま引き上げ自分の目線ほどまでぶら下げた。足が地面から離れた上に、大男がそうしているのだとわかって男は青ざめる。荷物を盗まれたおじさんと、警備隊が来たので誰はそのまま地面に男を離した。ぐえっとカエルがつぶれたような声を上げ、そのまま警備隊にしょっぴかれた。


「すげーな兄ちゃん! ありがとな!」

「荷物は無事でしたか?」

「おかげさんで」

「ところで、エルガーの武器屋がどこかは知りませんか?」

「ああ、その店ならむこうの――」


説明が終わる前に、アリアは素早く背中の剣を抜いた。

ギィン、と音が響く。

アリアは片手で攻撃を受け止めたまま、自分に剣を振り落してきた人物を見た。赤い髪の毛は高い位置でひとつに結わえられている。目の大きな女だった。アリアよりいくつかは上だろう。女はアリアに攻撃を止められたことに驚き目を丸くする。


「ユッカ! なにしてんだお前はまた!」

「ちっ」


突然のことに固まっていた先ほどのおじさんだが、女をユッカと呼び叱りつけた。

ユッカはまだ剣を構えたままアリアを睨んでいる。


「…お前、その剣、どこで手に入れた」

「師から譲り受けたものです」

「嘘をつけ!」


はて。

アリアは首を傾げユッカを見つめる。


「…師匠の知り合いですか?」

「…っ!」


ユッカの殺意が明らかに大きくなり、再び飛びかかってきた。

おいおい、町中で暴れるなよ。

はあ、と溜息をつきながら「"拘束"」と唱える。ユッカの身体が金縛りのように固まった。


「っ、解け!」

「いや、暴れられても困りますから」

「嬢ちゃん悪いな…昔から旅人に斬りかかる癖があるんだ」

「物騒ですね」

「あと、あんたが探してる武器屋の孫だよ」


…師匠の知り合いに普通の人間はいないのか。

それならば話が早いので、武器屋に案内すれば魔法を解くと言い、不機嫌なユッカをダリが抱え―さらにやかましくなったが―道案内させた。

現在、一軒のおもむきのある店の前にいる。看板には探していた「エルガーの武器屋」と書かれていた。






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