神父の禁忌
町には信者が多いようだ、とアリアは窓から見える教会の入り口を眺めながら思った。
八時の鐘が鳴ると、当たり前のように町の人々が礼拝に訪れる。
その顔は穏やかではあるが、少し違和感を感じる。穏やかすぎるのだ。
(まあ、私が無宗教だってのもあるかもだけどね)
前世では、神様はいるんだろうけれど特定の宗教を信じているわけではなかった。
というより日本や海外の神話などを聞くたびに「神様いすぎ!」と思ったものである。
だからといって否定的なわけでもない。
そのとき、自分に必要な助けが差しのべられたとき、それこそが自分にとって神のような存在なのだろう、とどこか一歩引いているだけだ。
寝室の扉を開け談話室に行くと、アリアに気づいたウィーリアンが挨拶してくる。
「おはよう、アリア」
「おはようございます」
「ダリがいないんだけど、どっかいっちまったのか?」
フィネガンに問われ、思わず「朝食を狩りに…」と答えかけて「朝の鍛錬ではないでしょうか?」と笑顔で誤魔化した。ダリの食糧を旅費で賄うのならば、すぐに尽きてしまうので自由にさせている。彼も、人間の暮らしには慣れてきたのでいかにも「狩って食いました」という姿では現れなくなった。最初の頃は全身血みどろだったので大きな進歩である。
「すぐに戻ってきますよ」
「もう戻っている」
ふいに窓から声がしたので視線を向けると、ダリがいつものように黒いローブをかぶって屋根に座っていた。ふと、その裾が破けていたり焦げているのに気づき、眉をよせる。それに気づき、見える口元が歪められた。
「楽しい祭りがあったみたいでな」
「…へえ?」
「戦利品だ」
ぽいっと投げ渡されたのは、黒い羽。
縦に鮮やかな赤と黄の色が混ざっている。
アリアは目を細め、それを目の前にかざす。
「ラーフ…いや、ディルラーフの羽かな?」
「ああ」
「ディルラーフだって!?」
ウィーリアンが驚くのも無理はない。
ラーフの進化形態ともいわれるディルラーフは、魔獣の中でも凶暴性に溢れており群れで行動する鳥型獣だ。
群れで、とはいっても滅多にお目にかかれないレアな種類。
魔力も強いので、羽に炎を灯して戦う。
そして、やつらが現れる地は一晩にして火の海になるとも言われているのだ。
「おまえのかけた防衛呪文で何羽か丸焦げになってたがな」
「そんなのかけてたんですか?」
「師に、いかなる時も油断するなと言われてたもので」
「焦げすぎだ。美味くなかった」
「食うなよ…」
フィネガンの呆れた声にダリは肩を竦める。
それどころではない。
ディルラーフが現れたのに、町は無事だ。
そのことが意味するところは…。
「誰かが操っている、それも意図的に ってとこかな」
「まさか…」
「私たちを狙っているかはわかりませんけどね。たまたまダリが屋根にいたせいかもしれませんし」
「けれどおかしいですね。ここは王都からまださほど離れていないはずですよ」
眉を顰めるシルヴィン。
国に防衛呪文をかけるのはセイディアたち王宮魔術師の仕事だ。中にいる魔獣は仕方ないにせよ、町にもある程度魔獣が寄ってこない魔法をかけているはず。
にも拘らず魔獣が出るということは、効力を弱める何かがあるということ。
セイディアたちが気づいてないはずもないが、それをつつくには理由がなければならないのだろう。
「まあ、難しいことを考えていても仕方ありません。朝食でも食べに行きましょうか」
「マイペースだな、アリア殿」
「腹が減ってはなんとやらですから。ああ、それと荷物は持っていきましょうね」
その言葉にそれぞれ何か気づいたのか、小さく頷き荷物を手にして部屋を出る。
途中、扉の隙間から祭壇が見えた。
神父であろう男が祈りを捧げている。
「…?」
ちくり、と頭に小さな痛みが走る。
その違和感は他の者たちにもあったのか、こめかみを抑える。
「…なんだ?」
「っ 」
痛みが段々と激しくなってくる。
アリアも片手で押さえながら、じっと目を凝らした。
祭壇の周りには礼拝者と、昨日出会った子供たちがいる。
その手には籠を持っていて、あのガラス玉が入っていた。ぞわり、と背中を悪寒が走る。
「…っ、昨日のガラス玉か…!」
アリアはポケットからそれを取り出し、床に叩きつける。
キィ ン、と高い音を立てて砕け散った。その中から黒い靄が出てきた。すると、スッと体が軽くなり、頭痛も引いた。
それを見てウィーリアンたちも同じようにする。
「今のはいったい…」
「…どうやら、良くないアイテムだったみたいですね」
祈りの声がやんでいた。
神父がこちらに笑顔を向けている。
アリアは、目の瞳孔が開くのを自分でも感じた。
言いようのない、嫌悪感。
「なんと、神の実りをそのような無下に」
「…神の、実り?」
ゆら、と礼拝している者たちがこちらを見ている。その顔には表情もなく目には光もない。ふいに、扉に向かって走ってくる教会の関係者らしき者たちがいた。その手には剣を持っている。「アリア!」と後ろに庇おうとするウィーリアンをそのままにさせ、あと数歩のところで、 アリアは容赦なく重い扉を閉めてやった。
裏から、ゴン ゴッ と鈍い音が何回か聞こえる。
もう一度開けると床に仰向けで寝転がっていた。
「……アリア殿…」
「こんなところで寝るなんて、職務怠慢ですか?」
「…容赦ありませんね」
ものすごい視線を後ろから感じるが私は知らない。
突っ込んできて怖かったんだもん! とでも言ってやろうか。
アリアはそのまま祭壇の部屋に足を踏み入れる。
「聖職者たる者が、武器を手に襲い掛かってくるとはいささか物騒ですね? 神父様」
「おやおや、ずいぶんと慈悲のない」
「痛いのが一度で済んだんです。優しいでしょう」
神父の細い目から、鋭いものを感じる。
殺気にも似た、だが歓喜のような。
「洗脳魔法でしょうか? そのガラス玉、昨日は気づきませんでしたが小細工しているみたいですね」
「何のことかな、お嬢さん。彼らは神に選ばれた者たちですよ」
「選ばれたねぇ…」
恐らくは持ち続けることにより、内部に呪いに似た魔力が注ぎこまれるものだろう。それに気付かなければ、いま自分たちが目の前にしている彼らのようになってしまうはずだ。まるで神父を護るかのように立っている。
「そう、神は信じる者を裏切らない。その実りを手にすることで、彼らは楽園に誘われるのです。何の脅威も感じない、真の平和の中に身を置くことになる」
「感情と意志を手放すことが楽園ですか。ずいぶんと腐った平和主義ですこと」
アリアの言葉に神父は「小賢しい…」と忌々しげにつぶやく。だがその顔は笑顔なのだ。
「魔法だと? まさか! これは神の力。神のご意志に従うことが、我々の務め」
神父の片手には黒い水晶があった。
――それか――
目にした途端に嫌悪感は強くなった。
胃から何かがこみ上げるように。
だがそれを感じているのはアリアだけらしい。同じように隣に立っているウィーリアンたちは疑問の顔はしているものの、何も変化はないようだ。
「どういうことだ? その者たちになにをした」
「…なるほど、招かれざる客はあなたでしたか。ウィーリアン王子」
やはり顔を知っているようだった。
「それならば好都合というものです。あなたには、神に従ってもらいましょう」
「なに?」
シルヴィンとフィネガンが剣を手にウィーリアンを庇う。
それを見て、神父はおかしげに笑う。
「斬り捨てるのですか。できますかな? 彼らはただの市民ですよ」
「っ…!」
「見せしめにはなるでしょうな。 数年前の冒険者たちのように。我々の動きを不審に思ったのでしょう。国に通達する前に手は打ちましたが」
「あれもあなたが絡んでいたと」
「国は一度滅びなければならないのですよ。世界は真の救世主を欲している」
神父はうっとりとした視線を水晶に向け、ゆっくりと撫でた。
「聖女の神話を詳しく存じているかな? 聖女・ルリーザの真実を」
そう言って神父は続ける。
「ルリーザはこの町で生まれ、幼き頃より強い力を秘めていた。人々を癒し、救い、愛で包む。まさに神に近い存在だった。 しかし、彼女はこの町を捨てたのだ。英雄などと、馬鹿げた正義心を持つ冒険者にそそのかされてな」
その顔にはもはや笑みはない。
憎しみだけが現れていた。
「過去、今のように防衛呪文を国に張るなどできなかった。できてもそれは基点となる街のみ。不幸なことに、この町は今のように発展すらしていないただの村だった。聖女がいなくなればどうなる? 彼女が今まで押さえつけていた魔獣たちは遮るものを失い暴れた。そう、 聖女が裏切ったばかりに!」
「…なぜあなたがそれほどまでに憎むの?」
「 私の先祖は、彼女と夫婦の契りを結ぶはずだった。先祖は子孫に言い伝えてきたのだ。怒りを、憎しみを忘れぬよう、ルリーザを祀るなどという屈辱を味わいながらな。聖女など、所詮はただの女。国を守るなどときれいごとを抜かす者たちは、ちっぽけな存在に目もくれぬ愚直な者だと」
黒い靄が一段と強まった。
神父の目が大きく見開き、向いてはいけない方向に飛び出しそうになっている。
すると礼拝者や、籠を持つ子供たちが一斉に苦しみだし、バタバタと倒れ始めた。その体からは白い靄が出てきて、水晶に吸い込まれていく。
「ならばどうするべきか? 神は私に告げられた。我々が救うのだと。そして、神の力を集めよと仰られた。 我々の命こそが、世界を救うのだと…!」
黒い靄は神父を包む。
アリアは眉間にしわを寄せ呟いた。
「…禁魔法…」
「…あれが?」
禁じられた魔法のひとつ。
他者の生命を吸い取り、力とするものだ。
だがそれには大きなリスクがある。
自分の体を差し出し、なおかつ、「人」ではなくなること。
今の神父は、人間ではない。魔獣や、魔族に近い体を持つことになる。
制御できないほどのエネルギーを体に宿すことにの副作用だ。
意識さえ、はっきりしているのかもわからない。
あまりの様に、表情をあまり出さないシルヴィンまで不快そうな顔をしている。
「うぐあああぁぁぁぁああああ!!!」
「"防衛"!」
突然黒い魔力が向けられ、アリアは咄嗟に防衛魔法を施すが距離が近すぎそのまま後ろに飛ばされる。壁に激突しなかったのは、ダリが全員を後ろから支えそのまま飛んだからだ。外に放り出され、体制を整える。
「お、おい! ダリ、大丈夫か!?」
「問題ない。体は丈夫だ」
「ウィーリアン、後ろへ」
「しかし!」
「…自分の立場を考えろ。何かあったらめんどくさい」
素の口調のアリアに、ぽかんとなっているが後にして欲しい。
するとダリが「俺に行かせろ」と前に出てきた。その顔は楽しげである。
「お前が手加減しろとうるさいからストレスがたまっている」
「…まあ、あれはもう人には戻れないしね。言質はとった か」
「そういうことだ」
ばさり、とマントを脱ぎ捨て、そのまま神父に背中の剣で斬りかかる。
だが黒い靄がそれを阻む。
ドギャン! とありえない音を出して攻撃を受け止めたが、ダリの威力でもダメージは与えられていないようだ。
「あんたら、ぼーとしてないで人間は人間同士戦ってなさい」
「すでに町ぐるみということですか」
ぞろぞろと現れたのは生気のない町の人間たちだ。
昨日の食事処の店員もいる。あの時は操られている気配はしなかったのだが。
良く見ると町民だけではない。冒険者らしき出で立ちをした者たちも混ざっていた。
「ずいぶんと馬鹿なことをしてくれる…」
「どうする、アリア殿」
「どうするって、正当防衛。殺すなよ」
「……それが素か?」
「城の剣士を目指してるんだし、一撃で神経麻痺させるくらいお手のものでしょうね?」
質問には答えずにこりとすれば、ひくりと引きつった笑みを返された。
恐らく気絶させるだけでは終わらないだろう。まさに操り人形のように、彼らは意志とは関係なく動かされているのだから。
体が動けない状態…つまり神経に影響する攻撃をしなくてはならないということだ。
後で治癒魔法かけるので我慢してもらおう。
ダリが、ザッと後退する。
「ちっ 埒があかんぞ、あいつは」
「魔力で表面を保護している状態だからね。物理攻撃は無理か。 ていうかさ、恥ずかしくないのかな?」
「あ?」
「だって、子孫に愚痴ってたわけでしょ。聖女に振られたって」
ぴく、と神父が反応した気がした。
町の人達と対峙しながら、「は?」というように彼らからも視線を頂く。
ちゃんと一撃で動けないようにしているので腕は確かだ。
「粘着系? そりゃいくら慈愛に満ち溢れた聖女でもいやになるわ。それを裏切りだのなんだのと影で言われて、聖女サマもお可哀想に」
ふう、とわざとらしく溜息をつくと、怒り狂ったように魔力の渦を向けてきた。
「"光の名の元に 悪しき力を遮る盾となれ!"」
剣に白い光がまとわれる。そのまま渦を切り裂けば全てとはいかないが攻撃をはじいた。
「神を信じる者が、ダークサイドに堕ちちゃってざまぁないね。純粋な信仰心は素敵なことだけど、そこにエゴが割り込めば立派な独裁者だよ。つまりあんたは、『神に選ばれ損ねた殺戮者』ってことだ」
そう言いながら攻撃を殺しつつ前進する。
ふつふつと湧き上がる感情。
そうか、これは、苛立ちだ。
何に対してかはわからない。
それなのに、「私」はそれに至ったことで笑みを浮かべる。
怒りの矛先を向ける理由が出来たからだ。
「聖女が手を下すまでもない。あんたは私がぶっ潰す」
間合いに飛び込み、黒い力をぶった切る。
一瞬でも生身の部分が見えれば問題ない。
アリアは左手に魔力を溜め、神父の顔面に裏拳をかました。
彼を護っているのはこの黒い魔力だ。
それがないのなら、ダメージはあるだろう。
考えていた通り、神父の身体は横に吹っ飛んだ。
そのまま反撃も許さずに、あの水晶に剣を突き立てる。
割れると同時に、周りが真っ白になった。




