師匠の想い弟子知らず
店を出たセイディアとフィニスは、お互いに一言も発さぬまま同じ方向を歩いていた。
一度セイディアがパン屋に立ち寄った以外は町に滞在せず、人目から逃げるようにある場所に向かう。
町のはずれ、森に沿いさらに奥に向かうと小高い丘が現れる。
唯一町が一望できる場所だ。
セイディアは木の根元に腰を下ろすと、先ほど買ったパンの包みをひとつフィニスに投げてよこした。それを見て、ふ と笑う。
「ゴッターバルクのサーモンサンドか」
「あの店はもう長いが、味は落ちていない」
フィニスも横に座り、包みをあけて頬張る。
「懐かしいな」
「依頼の後は大抵ここにきていたからな」
手合せもここでした、とセイディアは頷く。
「…セイディアよ。すまなかった」
「なんだ急に」
「私はあの時、城に仕えたお前を少しばかり疑っていたのだ」
フィニスの言葉にセイディアは視線を向ける。
遠くを見ながら、フィニスは続けた。
「決して誰にも屈せぬお前が、突然王宮魔術師になると告げた時、私はお前が敵になる可能性があるのではと案じた」
「…そうか」
「だが一方で、そんなことはないと思っていたのも事実。しかしあの戦で、私は冷静になれなかった」
フィニスのいた森は半分焼け、ほとんどが無事であったものの移住を余儀なくされた。
故郷を捨てることになった原因に、怒りを感じずにはいられなかったのだ。セイディアは眉を顰めながら頭を振る。
「アリアが言っていたように、俺にも非はあったんだ。少しでも周りに目を向けていたのなら、森の近くでの戦いなどせずに済んだ」
「そういえば最後に会ったとき、様子がおかしがったが……何かあったのか?」
戦のことだけで思いつめた表情ではなかった。
それを考えるだけの余裕もフィニスはなかったので、気にせずにいたのだが。
セイディアは木に寄りかかり、「師が亡くなった」と静かにこぼす。
「ちょうど、戦の三日前だった」
「…ターラ殿が…」
「老い耄れが無理をする。他国で命を落とした」
詳細はセイディアも知らない。師であるトリアス・ターラは城にも仕えていなかった。なぜ他国に渡ったのか、弟子である自分すら聞かされなかったことに、セイディア自身苛立ちと絶望を感じていた。
――自分はまだ頼りにならないのかと――
戻ってきたのは、彼の遺体のほんの一部。かろうじて無事であった右腕のみだ。
「言い訳にしかならないだろうが、戦で受ける被害も何も考えられなかったのだ」
ただ、目の前にある自分に課された命令のみに従う。
王宮に――王に仕えてから、初めて自分の意思を無くした仕事だった。
フィニスは息を吐き、「私たちは同じように大切なものを手放していたのだな」と呟く。
「だが、まだ得られるものはあるようだ。私には妹が、お前には弟子がいる」
「… ああ」
「あの悲劇を、妹には味わせたくない。守れきれなかった自分の非力さもだ」
フィニスの目がセイディアに向けられる。
「―北で、動きがある」
「北というと」
「トルダタ国だ」
セイディアの顔つきも真剣なものになる。
リファルス国に山をはさみ隣接する国、トルダタ。領土はリファルスに比べると狭いが、一年中内紛を繰り返しているため戦争王国とも呼ばれるほど、武器や陣営も潤沢だ。リファルス国とは冷戦状態だが、セイディアにとっては因縁のある国である。まさに、師のターラが死んだのは、トルダタなのだから。
「邪悪な気配を感じる。そしてそれは、次第に伸びてくるだろう」
「いつ頃だ」
「遠くはない」
「…俺に教えてもいいのか。エルフの情報は星からの予言。人に伝えるものではないだろう」
そんなセイディアに「お前の弟子に叱咤されたからな」と苦笑する。
「神が私に罰を下すのなら仕方がない。受け入れよう。しかしセイディアよ。時代が移り行くように、我々エルフも自身の在り方を変えなければならない時が来たのかもしれない。私の独断だがな」
「……感謝する」
「逆に教えてほしい。 あの娘は何者だ?」
セイディアと年齢差がなさそうに見えるが、フィニスは百六十年ほど生きている。彼らにしてみればまだ若造に分類されるが、それでも人間よりは長く生きている分知恵もあるし敏い。
「私に沈黙を許したのは、族長であった父のみだ」
「アリアは三年前、冷遇していた家族から逃げ出すのを手伝いそのまま弟子にした」
「…誘拐か?」
「人聞きが悪いな。俺は頼まれたほうだぞ」
不満げに告げれば、フィニスは「お前が人助けなど気持ちが悪い」と遠慮がない。
セイディアは、アリアが元伯爵令嬢であったこと、魔法と剣をあっという間に得ていったことを話す。
「そして先程のように、子供とは思えない正論をぶつけてくる」
「ただの賢い子供では済まされないほどに…か」
「最近では、鬼にさえ忠誠を誓わせるほどだ。そいつは今、トゥーラスのギルドで冒険者をしている」
「…鬼がか?」
フィニスはしばらく茫然としていたが、次には声を上げて笑い出した。
「面白い人間の娘だ。鬼を味方につけるなど、考えもしない」
「それを弟子にしている俺の身にもなれ」
「弟子に迎えたのは自分だろう」
セイディアは深く溜息をつき、フィニスはまだ笑いを止められずにいる。
数年間のわだかまりなど元々なかったかのように、かつて同様二人は肩を並べていた。
昼をかなり過ぎてから、セイディアはフィニスと別れ一人戻ってきた。
アリアはすでに店を出て、依頼の終わったダリと合流していたので三人で町を歩く。カイルからは視察はちゃんとしてきなさい、と言われたらしく面倒くさそうにしていたが。森に近づき、「ところで」とセイディアが口を開いた。
「焼けた森を瞬く間に生い茂らせたそうだな? "奇跡の少女"は」
「……何ですかその恐ろしい単語は」
「モールドにまで話は来ているぞ。知らんのか。精霊に祈りを捧げる姿は聖女のようだと…」
「知りませんよ! てかなにその奇跡とか聖女とか!」
アリアは頭を抱え、初めて聞く単語に「恥ずかしい! 黒歴史…!」と叫ぶ。
セイディアとダリが呆れた顔をしてるがお構いなしに悶えている。
「うう…あれは精霊が頑張りすぎたんですよ…私の魔力半分程度でそんなになるわけないですもん…」
「精霊と相性がいいことを忘れたのか? それにお前の魔力は異常なほどに多い。普通の人間ならそうもならないが、半分も与えたのなら死んだ木も蘇るに決まっているだろう」
もう少し加減しなさい、と怒られてしまう。
これでも加減したつもりだった、と言えばさらに怒られるので素直に返事をしておく。
「ところで、コーリンについて何か思い出したことはないか、ダリ」
「あのガキのことか…」
ダリは顔をしかめる。
知っていることは城にいる間に話した。仲間を殺され、ただ下に付いただけだと。しかしダリは「そういえば」と眉をひそめる。
「ガキは、何か探しているようだったな」
「探している…?」
「トゥーラスに来るまで、いくつも町に立ち寄った。足になりそうな人間どもをうまく誑かして、店に潜り込んでたな…俺は目立つからと外で待たされていたが」
武器屋や骨董品屋が多かったという。
それだけでは何を探しているのか予想できないが、彼にとって優位になるものなのだろう。
セイディアはしばし考えていたが、「足取りとして視野に入れておこう」と頷く。
夕食を誘ったが、セイディアは「城の仕事がある」と心底いやな顔をして辞退した。ギルドに戻る途中、アリアは数日したら杖を買いに行くことを報告した。
「家を出る時に師匠から聞かされた店にいってみようと思います」
「オリヌスか…エルガーの武器屋という店だ。戻ったら連絡をよこしなさい。お前にいくつか招待状が届いている」
「…えええ~…?」
セイディアに負けないほどいやな顔をすると、「ひとつはリリー様からお茶会の誘い、二つ目はラッドル伯爵から食事の誘いだ」と告げられる。
「…残る一つは?」
「同盟を結んでいる西の大国・オーシャルンの遣いが王子を連れてくる。主にウィーリアン様の賓客扱いだが、歳が近いという理由でお前が招集されることになった」
アリアは溜息をつく。
「私、まだ城に仕えるとは一言もいってないんですけどねぇ」
「王もそこはわかっている。しかし今回は断るには時期が悪い」
近々オーシャルンで大きな戦があるという。同盟を組んでいるので、恐らくはリファルスからも応援を出すことになるだろう。そのため、不用意に断ってしまうと国同士に歪ができる可能性があるのだ。
まあ、王宮魔術師の弟子なのだから、そのくらいは譲歩するか…とアリアは承諾した。
支部長に帰ることを告げ、魔法陣の中に入りながらセイディアは難しい顔をする。
「お前のことだから無駄だとは思うが」
「なんですか、その頭ごなし」
「あまり無茶はするなよ」
アリアはきょとんと師匠を見つめる。
カイルからはよく聞くものだったが、セイディアからは言われ慣れないものだ。違和感を感じながらも、アリアは「善処します」と笑顔を向ける。それに苦笑しつつ「そうしろ」と杖で魔法陣をつく。
強い光の後、セイディアはその場からいなくなる。
友人と仲直りして気がゆるんだのだろうか?
最近暴れすぎたこともあるし、注意しろということなのだろう。
「…アリア?」
「私、そんなに無茶してないよね?」
「……」
ダリから無言の否定を受け取った。
「セイディア、戻ったか」
城に戻りセイディアは王の元に行った。
「アリアには会ったのか?」
「ええ。しばらく会っていない友人とも、偶然再会しました」
そういいながら、王の後ろに控えるカイルを睨みつける。カイルは首をすくめ笑っていた。
「…大変興味深い話を聞き王にも伝えようかと」
「ほう?」
「北の国が不穏な動きをしている、と」
王が目を細める。
セイディアは表情を変えずに続ける。
「すぐにではありませんが、こちらも警戒した方がよろしいかと」
「信用できる情報か?」
「エルフの言葉です」
「なるほど…それは、疑うことはできんな」
顔の前で手を組み、王は深く息を吐いた。
元々トルダタとは仲は良くない。何十年にも渡り戦争をしていた国同士だ。そんな暮らしに苦渋を満たしたトルダタの民が反乱を起こし、国を鎮めるために冷戦協定を結んだのはまだ記憶に新しい。
「いずれにせよ、対策はとっておかんとなるまい。カイル」
「はい」
「トルダタの情報をまず集める。次第によっては、同盟国にも呼びかけをするつもりだ」
「御意に」
「 ところでセイディアよ。アリアにはオーシャルンの件は伝えてもらえたか?」
セイディアは頷き、それから「今度からは直接アリアに聞いて頂きたい」と答える。
「しかし結局アリアは保護者たちに相談するだろう?」
「私やカイルを通してでは、アリアも断りようがないということです。本人から"城に仕えているつもりはない"という言葉も出た」
「…さすがはお前の弟子。頭が良すぎるのも困りものだな」
お手上げだ、というように両手を上げると、「以降はそうしよう」とセイディアに返す。
「私としては、セガールかウィーリアンの側近として迎えたいところだ。リリーはウィーリアンの妃にと考えているようだがな」
「あれが妃になれば城どころか国が大革命を起こします、王」
「どちらにせよ、彼女は将来リファルス国にとって重要な人物になるはず」
手放すつもりはない、というわけか…。
セイディアは王を見据える。
「…いずれにせよ、決めるのはアリア自身。王には、賢明な判断をして頂けるようお願い申し上げる」
――そしてそれをどう捉え、受け止めるかは、お前次第だ。アリア――
王の間から自分の執務室へと移動しながら、セイディアはヴァーリアン家から連れ出した頃のアリアを思い出していた。
たかだか十歳の子供が家を出ると決めていたのにも驚いたが、城の遣いに協力を仰ぎ交換条件まで投げ込んできた。あの時の衝撃は、自分が生きていた数十年間の中でも上位に食い込む。そしてフィニスにも言った通り、アリアは予想以上の伸びを見せた。
心は許している、とは思う。彼女も、自分も。
けれどどこかで、踏み込んではいけない一線があるのも理解している。
アリアが引いているものだ。
彼女が自分やカイルを裏切ることは、恐らくない。それくらいの信頼は感じるし、自負している。
だが自分にできることは、その一線を守って、師として導くことくらいだ。
彼女が打ち明けてくるまで、探るようなことはしたくない。
「…俺らしくもないな」
この感傷にも似た感覚は、恐らく若いころの友人と再会し自分の師の話をしたせいだ。
歳のせいだとは思いたくない。
これから執務室で待ち受けているであろう、朝から溜まっている書類の山を想像し溜息をつく。
アリアを城につかせ、手伝わせるのも手かもしれない。
不謹慎ながら、そう思った。




