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追放された王太子と公爵令嬢が冒険者になる話  作者: 埴輪庭
第二章

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第38話 昏い炎②

 ◆


 あの評議から幾日が過ぎただろうか。


 ウェザリオ国王オルドヴァイン三世の身体は砂の城が波に洗われるように、日毎に崩れつつあった。


 病に侵されたのだ。


 そしてそれ以降、悪化の一途を辿っている。あの日、病を押して大広間に臨席した時にはまだ己の足で立つことができた。重臣たちの前で威厳を保ち、息子マーキスの傍らで王としての姿を示すことができた。だが今や寝台から身を起こすことすら難儀する有様である。


 そもそもこの病には不可解な点があった。


 オルドヴァインは強い火の魔力を宿す者であり、火とはすなわち生命力の象徴に他ならぬ。炉に薪をくべればくべるほど炎は高く燃え上がるように、火の魔力を持つ者は己の生命を激しく燃やし続けることで並大抵の病魔など寄せつけもしないのが道理であった。


 ウェザリオ王家は代々その強大な火の魔力を以て王権の正統性を示してきた血筋である。初代国王が竜の心臓を喰らったという伝説があり、それが真実であるか否かはさておき、王家の者が常人を遥かに凌ぐ生命力を誇ってきたことだけは歴史が証明していた。先々代の王などは戦場で十七箇所の傷を受けながらも三日三晩戦い続け、そのまま勝利を収めたという逸話が残されている。


 オルドヴァイン自身もまた例外ではなかった。


 若かりし頃、国境の反乱を鎮圧する折に矢傷を負い、傷口から毒が全身に回ったことがある。並の人間であれば三日と保たぬ猛毒であったにもかかわらず、彼は高熱を発して七日七晩苦しんだ後、何事もなかったかのように床から起き上がった。侍医たちは口を揃えて奇跡だと騒いだものだがオルドヴァインにしてみればそれは当然のことに過ぎなかった。火は燃える。燃え続ける限り火は死なない。それだけの話である。


 しかし今、その火が消えようとしていた。


 病は神誓の儀の少し前から静かに忍び寄っていた。朝議の最中に突然眩暈を覚えたのが最初の兆候である。当時は疲労が溜まったのだろうと片付けたものの、その後も原因不明の倦怠感が抜けることはなかった。食が細くなり、夜は浅い眠りばかりが続き、鏡に映る己の顔は日を追うごとに精彩を欠いていく。そしてシャールの廃嫡、逃亡、追撃隊の全滅という一連の騒動を経て、病状は急速に悪化したのである。


 侍医たちは困惑の表情を隠せなかった。


 あらゆる診察を試み、あらゆる薬を処方したがいずれも効果は芳しくない。病の原因がそもそも分からぬのである。熱があるわけでもなく、臓腑に腫れがあるわけでもない。ただ生命力そのものがまるで砂時計の砂が零れ落ちるかのように緩やかに、しかし確実に減じていくばかりであった。


 ◆


 寝室の扉を叩く音がした。


「父上、ご機嫌いかがでございますか」


 声と共に入ってきたのは第二王子、いや、王太子マーキスである。


 金髪に碧眼、端正な面立ち。シャールとは異なり、社交の場で如才なく振る舞うことを心得た青年であった。王族らしい堂々たる物腰は生来のものというより、意識して身につけたものであろうことが所作の端々から窺える。その手には銀の盆が載せられており、湯気を立てる茶器が置かれていた。


 シャールが廃嫡された今、マーキスは王太子の地位にある。


 次代の王となるべき者が病んだ父王の見舞いに訪れるのは当然の振る舞いであり、誰も咎めることはできぬ。だがオルドヴァインの目はこの孝行息子の瞳の奥に燃える別の光を見逃してはいなかった。


「これは何だ」


「薬湯でございます。東方より取り寄せた霊芝という茸を煎じたもので、気力を養う効果があるとか」


 マーキスは恭しく盆を寝台脇の卓に置いた。茶器から立ち昇る香りには確かに薬草の匂いが混じっている。オルドヴァインはそれを一瞥したが手を伸ばそうとはしなかった。


「お前が自ら運んでくるとはな」


「父上のご容態が心配でなりませんもので」


 マーキスの声には憂いが滲んでいる。だがオルドヴァインの目はその声の奥に潜む別の色を捉えていた。


 野心。


 それは炎と呼ぶには冷たく、氷と呼ぶには熱い、何とも形容しがたい光であった。息子の碧い瞳の奥で密やかに燃えているそれをオルドヴァインは最初から知っている。マーキスが物心つく前から、彼はその芽を見ていたのである。


 第二王子という立場は微妙なものであった。


 王位継承権は持っているが兄が健在である限りその座が回ってくることはない。常に一歩後ろに控え、兄の影に甘んじることを強いられる。それでいながら王族としての責務は等しく課せられ、周囲からは常に比較の眼差しを向けられる。その立場が人の心に何を育むか、オルドヴァインには痛いほど分かっていた。


 マーキスの野心はある意味では当然の帰結であった。


 だからといってそれを咎めるつもりはオルドヴァインにはない。王たる者にはある種の飢えが必要だ。玉座に就いた者が満足して足を止めてしまえば、国もまた停滞する。野心は磨けば覇気となり、国を前へと進める推進力となる。問題はその野心が何処へ向かうかであった。


「ラスフェルの件はどうなっている」


 オルドヴァインは掠れた声で問うた。


 あの評議で決まったことがある。シャールとセフィラの逃亡先として最も有力視される自治都市ラスフェル。手出しのできぬその街に対し、王国がいかなる方針を取るか。


「諜報部が密偵を送り込んでおります。まだ確たる足取りは掴めておりませんがいずれ尻尾を出すでしょう」


 マーキスの声は平静であった。だがその平静さの裏に押し殺した何かが蠢いているのをオルドヴァインは感じ取っていた。


「お前は兄を殺したいのか」


 不意に発せられた問いに、マーキスの表情が一瞬強張った。だがすぐに取り繕った微笑が唇に浮かぶ。


「殺すなどと。私は王国の安寧を願うばかりでございます」


「嘘をつくな」


 マーキスの微笑が消えた。


 沈黙が落ちる。窓の外から鳥の声が聞こえてきたが、それすらも遠い世界の出来事のように思えた。


「兄上が生きていること自体はもはや受け入れております」


 やがてマーキスは口を開いた。その声には先ほどまでの取り繕いが消え、むき出しの感情が滲んでいる。


「廃嫡された時点で兄上は王位継承権を失いました。政治的には既に死んだも同然でございます」


「ならば何故、あれほど激昂した」


 オルドヴァインの問いは鋭かった。


 あの日、追撃隊全滅の報を受けたマーキスが執務室で机を燃やしたことは既に王の耳に入っている。火の魔力が暴走するほどの激情。それは単なる追撃失敗への怒りだけでは説明がつかぬものであった。


 マーキスの唇が歪んだ。


「兄上が……セフィラと共にあることが許せないのです」


 その言葉が落ちた瞬間、寝室の空気が凍りついた。


 セフィラ・イラ・エルデ。


 かつてシャールの婚約者であり、今はシャールと共に国を出た女。その名を口にするマーキスの声には抑えきれぬ暗い熱が籠もっていた。


「あの女は私を見ようともしなかった」


 マーキスは続けた。


「幼い頃から、いつも兄上の傍らにいた。私がどれほど手を尽くしても、あの翠色の瞳は決して私を映そうとはしなかった」


 オルドヴァインは黙って聞いている。


「神誓の儀で兄上が無の魔力の持ち主だと判明した時、私は思いました。これでようやく、と。兄上の失墜は私の台頭を意味し、セフィラとの婚約もまた私のものになるはずだった」


 その声が低く震えた。


「だがあの女は兄上を選んだ。無の魔力の劣等者を王太子の地位を捨てた敗残者をそれでも選んだのです。私ではなく」


 奪われた。


 その言葉こそ口にはしなかったがマーキスの全身からそれが滲み出ていた。シャールが生きていることは許せる。だがセフィラと共にあることは許せない。あの女がかつて自分に見向きもしなかった女が今も兄の傍にいるという事実が許せないのだ。


「マーキス」


 オルドヴァインは重い息を吐いた。


「お前の気持ちは分からぬでもない。だが早まるな」


「早まる、とは」


「シャールを殺すな、と言っている。少なくとも、私が生きている間は」


 マーキスは父王の顔を見つめた。


 病に冒された老いた顔。だがその瞳には衰えぬ知性の光がある。この男は見抜いている。自分が何を考え、何を望んでいるかを。


「理由をお聞かせ願えますか」


「理由は二つある」


 オルドヴァインは枕の上で首を動かし、天井を見上げた。


「一つはシャールを殺せばエルデ公爵家との関係が決定的に悪化する。セフィラは公爵家の令嬢だ。確かにセフィラは無の魔力を宿している無能者だ。しかしそれでも公爵家に連なる者である事実に変わりはない。彼女の命を奪えば公爵家は黙っていまい」


「公爵家など、王家の前には」


「甘く見るな」


 オルドヴァインの声が厳しくなった。


「エルデ公爵家は代々宰相職を担い、王国の行政機構の中枢を握っている。宰相代理を立てているとはいえ、公爵家の協力なくしては国政は回らぬ。もし公爵家が離反すれば、王国は内から崩れる」


 マーキスは沈黙した。


 それは事実であった。エルデ公爵家の影響力は王家に次ぐものがあり、安易に敵に回せる相手ではない。


「二つ目の理由は」


 オルドヴァインが続けた。


「シャールの力だ」


「力、ですか」


「オズワルドの一隊を全滅させた。あの、無能と蔑まれていた兄が。お前自身、そう言っていただろう」


 その報告は今もマーキスの脳裏に焼き付いている。国境付近で発見された騎士たちの遺体はいずれも一撃の下に絶命していたという。剣で斬られたというよりは何か目に見えぬ力で引き裂かれたような傷跡だったとも。


「協力者がいるのでしょう」


 マーキスは即座に答えた。


「逃亡の途上で雇い入れた傭兵かなにかかと。いずれにせよ、兄上自身の力ではありますまい」


「そうかもしれぬ。だが断定はできん」


 オルドヴァインの目が鋭くなった。


「不用意に手を出せば返り討ちに遭う恐れがある。それだけは避けねばならぬ」


 マーキスの拳が微かに震えた。


 理解はできる。理解はできるが納得はできぬ。


「ではどうすれば」


「待て」


 オルドヴァインは言った。


「今は待つのだ。あの評議で決まった方針通り、密偵を送り込み、情報を集めよ。やがて口実が見つかる。その時に改めて動けばよい」


 待て。


 父王はあの評議の時もそう言った。時は必ずお前の味方をする、と。だがマーキスにはそれが永遠のように長く感じられる。セフィラが兄と共にいる一日一日が己の胸を焦がし続けているのだ。


「お言葉ですが父上」


 マーキスは声を絞り出すように言った。


「待つだけでは何も変わりません」


「何が言いたい」


「ラスフェルに手を出すことはできぬとしても、あの街を居心地の悪い場所にすることはできます」


 オルドヴァインの眉が動いた。


「どういう意味だ」


「密偵を送り込むだけではなく、様々な手を打つのです。例えば、シャールとセフィラの素性を街の者に知らしめる。ウェザリオ王国の逃亡者を匿えばどうなるか、暗に示す。そうすればあの街の者どもも、二人を厄介者と見做すようになるでしょう」


 マーキスの目に暗い光が宿っていた。


「居場所を失い、追い立てられ、次の街へ逃げる。そこでもまた同じことが起きる。そうして追い詰めていけば、いずれは仕留める機会が訪れます」


 オルドヴァインは長い沈黙の後、重い息を吐いた。


「ラスフェルはそう単純な街ではないぞ。自由を謳い、いかなる権力の干渉も拒む。王国の圧力に屈して逃亡者を追い出すような真似をすれば、街の矜持に傷がつく」


「矜持など、所詮は建前に過ぎません。利害が一致すれば、いくらでも曲げられる」


「お前は冒険者というものを甘く見ている」


 オルドヴァインの声に諫めの色が滲んだ。


「あの街に集う者たちは国家の論理とは別の原理で動いている。金や脅しだけでは動かせぬ者も少なくない」


 マーキスは黙って父王の言葉を聞いていた。


 反論はある。だがこれ以上押し問答を続けても詮無いことだ。父王が健在である限り、露骨な行動は控えねばならぬ。それは分かっている。


「畏まりました」


 マーキスは恭しく頭を下げた。


「父上のお言葉、肝に銘じます」


 その言葉が本心からのものでないことは互いに分かっていた。だがそれでも形式は守らねばならぬ。王と王太子という立場がそれを要求していた。


「薬湯が冷めます。どうかお召し上がりを」


 マーキスは盆の上の茶器を示した。


「ああ……」


「それでは私は公務がありますのでこれで──」


 ◆


 マーキスが去った後、オルドヴァインは天井を見つめたまま動かなかった。


 窓から差し込む午後の陽光が寝室を染めている。かつては精悍そのものであったその顔も、今は頬が幾分か痩けて皺が深くなっていた。五十を幾つか過ぎたばかりであるからまだ老いるには早い。だが病というものは齢など斟酌しないものである。


 忸怩たる思いが胸を満たしていた。


 シャールを廃嫡したのは己の判断である。無の魔力という枷を負った者を王位に就かせるわけにはいかなかった。それは国への裏切りであり、先祖への背信となる。だからといって殺すつもりはなかった。然るべき形で処遇し、マーキスとの関係を修復させる道を探るつもりであった。


 だがシャールは逃げた。


 それもセフィラを連れて。婚約破棄を命じた時、シャールは黙って受け入れると思っていた。あれは聡い男だ。王家の体面を守るためには自分が犠牲になるしかないということくらい分かっていたはずだ。


 だが、とオルドヴァインは強く目を瞑る。


 そしてマーキスの激情も問題だ。


 あの目を見れば分かる。息子は兄を殺したがっている。いや、正確には違う。兄を殺すことよりも、セフィラを取り戻すことの方が本命なのだろう。あの暗い執着は、もはや愛というよりは病に近い。


 シャールが大人しくセフィラとの婚約破棄を受け入れていれば、マーキスもここまで暴走することはなかったかもしれぬ。確執はあるだろうが、時と共に鎮まり、やがては別の形で折り合いをつけることもできたはずだ。


 だがセフィラがシャールを選んだ。


 その事実がマーキスの怒りに油を注いだ。今やあの炎は制御不能の域に達しつつある。止めようとすれば、父王である自分に対してさえ反発するかもしれぬ。


 ずれてしまった歯車を元に戻そうとしていた矢先に、この病である。


 もはや時間がない。このまま衰えていけば、数月のうちに床に伏したまま二度と起き上がれなくなるだろう。そうなればマーキスを抑える者はいなくなる。


 なぜ今なのか。


 なぜこの時期に。


 その問いへの答えは出ない。だがオルドヴァインには一つだけ確信していることがあった。この病は尋常のものではない。火の魔力を持つ者が、これほどまでに抗えぬ病など聞いたことがなかった。そこには何か、自然の摂理を超えた力が働いているように思える。


 毒か。


 呪いか。


 あるいはもっと別の、己の知らぬ何かか。


 瞼の裏に浮かぶのは幼い頃のシャールの姿であった。


 寡黙で、不器用で、だが誰よりも真っ直ぐな目をしていたあの子供。王太子としての重圧に耐えながら、ひたむきに己を鍛え続けていたあの少年。いつの間にか大人になり、愛する女と共に国を出て行った息子。


 シャールよ。お前は今どこにいて、何を想っているのだ──とオルドヴァインは心の中で呼びかけた。

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