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追放された王太子と公爵令嬢が冒険者になる話  作者: 埴輪庭
第一章

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第30話 王種⑤

 ◆


 ヴァンスに銀貨を渡してから数日が経った。


 あの朝、シャールは昼までに片付く軽い依頼を選んで受けていた。街の東区画にある染物屋の荷運びで、報酬は銅貨二十枚。布地の束を倉庫から店先へ運ぶだけの単純な仕事である。力仕事には慣れていた。一刻ほどで終わらせ、依頼主から礼を言われて店を出る。


 セフィラは別の依頼に出ていた。薬草屋の老女主人からの指名依頼で、調合の手伝いだという。しっかりと街の依頼をこなしていれば、そういう指名が舞い込むこともままある。指名依頼は通常より報酬が上乗せされることが多く、セフィラも行きたがってはいたものの、先方がどうしてもと言うのでは断るわけにもいかなかった。


 シャールは染物屋を出ると、足を北へ向けた。リッキーの様子を見に行くつもりだった。あれから数日、熱は下がっただろうか。銀貨を渡した甲斐があったかどうか、確かめておきたいという気持ちがあった。


 鉄鉢亭の薄暗い廊下を抜け、三階の相部屋の扉を叩く。


 返事はなかった。もう一度叩くと、ようやく中から足音が聞こえ、扉が細く開いた。トトの顔が覗く。その表情は疲労の色で翳っていた。


「シャルさん」


「リッキーの具合はどうだ」


 トトは一瞬言い淀み、それから扉を大きく開けた。中に入れということらしい。


 部屋の空気は饐えた匂いが立ち込めていた。窓は閉め切られ、日中だというのに薄暗い。寝台の一つにリッキーが横たわっている。以前見た時よりは多少マシな顔色をしていたが、それでも起き上がれる状態ではないことは一目で分かった。額には汗が滲み、呼吸は浅い。


「兄貴……」


 リッキーが掠れた声を上げた。


「わざわざ来てくれたんすか」


「様子を見に来た。熱は下がったか」


「まあ、ちょっとは……」


 言葉とは裏腹に、その声には力がない。トトが桶から絞った布でリッキーの額を拭っている。その手つきには慣れた看病人の所作があった。


「医者は何と言っている」


 シャールの問いに、トトが答えた。


「薬を処方されましたけど、あんまり効いてないみたいで。解熱の薬草を煎じて飲ませてるんですけど、一時的に熱が下がってもまた上がっちゃうんです」


「根本的な治療ができていないということか」


「そうみたいです。お医者さんも困ってました」


 シャールは部屋を見回した。ヴァンスとミランの姿がない。


「他の二人は」


「依頼に出てます。でも、あの二人も最近調子悪そうで」


 トトの声が沈んだ。


「ヴァンスなんか、昨日から咳が止まらないって言ってて。ミランも顔色が悪くて」


「トト、君自身はどうだ」


「あたしは……まあ、大丈夫です。たぶん」


 その答えには自信がなかった。トトもまた、どこか疲れた顔をしている。看病疲れだけではない何かが、その小柄な身体を蝕んでいるように見えた。


「兄貴」


 リッキーが寝台から声を上げた。


「帰ってください」


「何だと」


「もしかしたらうつる病気かもしれないっす。兄貴まで倒れたら、俺は……」


 その声には切実な響きがあった。シャールのことを案じているのは明らかだった。だが同時に、自分のせいで恩人まで巻き込んでしまうことへの恐怖も透けて見える。

 シャールは黙ってリッキーの顔を見つめていた。


 この少女は自分が苦しんでいる最中でも、他人の心配をしている。その気持ちは受け取った。だが、言われるままに立ち去るわけにもいかなかった。


「分かった。長居はしない。だが、何か必要なものがあれば言ってくれ」


「いえ、もう十分すぎるくらいもらってますから……」


 リッキーは弱々しく首を横に振った。


 シャールは部屋を出た。廊下を歩きながら、胸の奥で何かが燻っているのを感じていた。

 ◆

 ギルドに戻ったのは昼を過ぎた頃だった。


 大広間はいつも通りの賑わいを見せている。依頼を求める者、報告に訪れた者、仲間と打ち合わせをする者たち。その喧騒の中を抜けて、シャールは受付へと向かった。


 カウンターにはマリアがいた。彼女はシャールの姿を見ると、わずかに表情を曇らせた。


「シャル。珍しいわね、あなたが私に話しかけてくるなんて」


「少し聞きたいことがある」


「何かしら」


 シャールは声を落とした。


「最近、熱を出して倒れる冒険者が増えていると聞いた。ギルドとして何か把握していることはあるか」

 マリアの目がわずかに細くなった。周囲を窺うように視線を巡らせてから、彼女もまた声を潜めた。


「まあ、座って」


 カウンターの端にある椅子を指し示す。シャールがそこに腰を下ろすと、マリアは帳簿を捲る振りをしながら話し始めた。


「確かに増えてるわ。ここ半月ほどで、発症者は二十人を超えてる。冒険者とその家族がほとんど」


「症状は」


「高熱が続いて、体力が奪われていく。初期症状はただの風邪みたいなものなんだけど、次第に悪化していくの」


「治療法は」


「確立されてない」


 マリアの声が硬くなった。


「対症療法として、森の薬草を煎じた薬を投与すれば多少は症状を抑えられるんだけど……」


「だが」


「その原材料が手に入らないの。長夜草っていう薬草なんだけど、ケリガンの森の浅層と中層の境目あたりに生えてるらしくて。でも今、森に異変が起きてるでしょう。採取に行ける状況じゃないから、在庫が底をついてるのよ」

 シャールは眉を寄せた。


 森の異変と病気の流行。二つの事象が絡み合っている。偶然の一致とは思えなかった。


「治癒魔術は効かないのか」


「体力を多少戻せるだけで、根本治療にはならないらしいわ。魔術師たちも困惑してる」


「原因は分かっているのか」


「分からない」


 マリアは首を横に振った。


「だから困ってるの。原因が分からなければ対策の立てようがない。今のところ、発症者を隔離して様子を見るしかない状況よ」


 シャールは黙り込んだ。


 情報は得られた。だが、それだけでは何も解決しない。リッキーは今も寝台の上で苦しんでいる。ヴァンスやミランも体調を崩し始めている。このまま手をこまねいていれば、被害は拡大する一方だろう。


「ありがとう。参考になった」


 シャールは立ち上がった。


「ちょっと待って」


 マリアが呼び止める。


「あなた、まさか何か無茶なことを考えてるんじゃないでしょうね」


「別に」


「その顔、信用できないわよ」


 マリアは腕を組んで睨んできた。


「いい、シャル。あなたは新人なの。変な正義感を出して森に突っ込んでいくようなことは絶対にしないで。分かってる?」


「分かっている」


 シャールは短く答え、受付を離れた。

 ◆

 大広間を横切り、奥の扉へと向かう。


 資料庫への階段を下りる。ふと思いついたのだ。あの老人なら何か知っているかもしれない。ギルドが公表していない情報、あるいは長年の経験から得た知見。そういったものがあるのではないか。


 石造りの階段を下りきると、重厚な扉の前に例の老人が座っていた。白髪を後ろで束ね、眼鏡越しにこちらを見上げる。


「また来たか」


「少し聞きたいことがある」


「何だ」


「街で流行っている病について、何か知らないか」

 老人は眼鏡を押し上げ、しばらくシャールの顔を見つめていた。


「ギルドが公表している以上のことは知らんよ」


「そうか」


 シャールは踵を返そうとした。だが、背後から老人の声が追いかけてくる。


「じゃが、ひとつ気になることがある」


 振り返ると、老人は独り言のように呟いていた。


「この病じゃが、冒険者を中心に広がっておる」


「それは聞いた」


「儂が知る限り、この病が冒険者以外……つまり街の一般住民にかかったという話は聞いたことがない」


 シャールの足が止まった。


「お主も気にならんか?」

 老人の問いかけは曖昧だった。だがその言葉の意味するところは明らかである。


 冒険者と一般の住民。その違いは何か。


 同じ街に暮らし、同じ空気を吸い、同じ水を飲んでいる。なのに冒険者だけが発症する。それはつまり、冒険者だけが持っている何かが関係しているということではないか。


「……考えてみる」


 シャールは短く答え、資料庫を後にした。


 ◆


 宿に戻ったのは夕暮れ時だった。


 セフィラは既に帰っていた。窓際の椅子に腰掛け、何やら書物を読んでいたが、シャールの姿を見ると顔を上げた。


「お帰りなさい、シャール」


「ただいま」


「リッキーさんの様子は如何でしたか」


「まだ床に臥せっている。他の連中も具合が悪いらしい」


 シャールは向かいの椅子に腰を下ろし、今日聞いた話をセフィラに伝えた。マリアから得た情報、そして資料庫の老人の言葉。それらを順を追って語りながら、自分の中でも考えを整理していく。 セフィラは黙って聞いていた。


「冒険者だけが発症する……」


 シャールの話を聞き終えると、セフィラは顎に手を当てて考え込んだ。


「シャール、それはおそらく魔力ですわ」


「魔力?」


「ええ」


 セフィラは膝の上で手を組み直した。


「冒険者と一般の住民の違いは何でしょうか。職業、生活習慣、食事……様々な要素が考えられますが、最も顕著な差異は魔力の量ですわ」


 シャールは眉を寄せた。


「魔力か」


「ええ。魔力とは万人が持つ力です。ただ、その魔力はただ持っているだけでは力として顕れません。当人の資質によって、地水火風いずれかの属性に変じて魔術という形で顕れる。これがウェザリオ王国の教えでしたわね」


「ああ」


「魔力は鍛えれば強まっていくものです。戦闘を重ね、肉体を酷使し、時に魔術を行使する冒険者たちの魔力は、必然的に一般の者たちよりは高くなりますわ」


 確かにその通りだった。シャールは頷く。


「つまり、この病は魔力に反応しているということか」


「可能性は高いと思いますわ」


 セフィラの目が遠くを見るように細められた。


「ただ……」


「何だ」


「ひとつ気になることがございます」


 彼女は言葉を選ぶように一拍置いてから続けた。


「地水火風以外の魔力を無の魔力と呼び、ウェザリオ王国はそれを蔑んでまいりました。わたくしたちのような力が無の魔力である、とわたくしも思っていたのですが……」


「違うのか」


「よくよく考えれば、違う様な気がするのです」


 セフィラの声が低くなった。


「無の魔力であっても魔力は魔力、その気になれば何かしらの基礎的な魔術は使えるはずです。しかしわたくしたちは指先に弱い火を灯すだけの魔術すら使えません」


「確かに」


「しかしウェザリオ王国がこれまで迫害してきた無の魔力の保有者は、魔術自体は使える者がいたではありませんか。わたくしたちとは違う」


 シャールは黙って考え込んだ。


 セフィラの言う通りだった。彼らの力は魔術とは根本的に異質なものである。魔力を介さない、純粋な意志の力とでも呼ぶべきもの。だからこそ神誓の儀で弾かれたのだ。


「つまり、私たちには魔力がないということか」


「断言はできません。ただ、少なくとも通常の意味での魔力は持っていないのではないかと思いますわ」


 その言葉の意味するところは大きかった。


 もし病が魔力に反応しているのだとすれば、魔力を持たない者は発症しないかもしれない。だとすれば、自分たちは安全なのか。


 シャールは窓の外を見つめた。夕闇が街を包み始めている。


「原因は森の奥にある。そう考えてよさそうだな」


「ええ。森の異変と病気の流行は時期が重なっています。森の奥に、この病を引き起こしている何かがいるのでしょう」


 でも、とセフィラは続ける。


「行くべきではありませんわ」


 セフィラの声が強くなった。


「シャール、あなたが今何を考えているか分かります。ですが、行くべきではありません。わたくしたちには情報が少なすぎます。推測ばかりで、何一つ確かなことがないのですから」


 シャールは沈黙した。


 セフィラの言うことは正しかった。何もかもが推定で、何一つ根拠がない。魔力がなければ安全だという保証もない。あるいは今晩、もしくは明日、自分たちのどちらかが罹患するかもしれない。


 だが、とシャールは考えた。


 魔力のあるなしで病にかかるのではなく、魔力のあるなしで病にかかりやすい、かかりにくいということなら、罹患は時間の問題という事になる。遅いか早いかの違いでしかない。


 それが自分であるならまだしも、セフィラだったらどうだ。


 彼女がリッキーのように床に臥せり、日に日に衰弱していく姿を想像した。その光景が胸を締め付けた。耐えられそうになかった。


「シャール?」


 セフィラの声で我に返る。


「いや、何でもない。君の言う通りだ。無茶はしない」


「本当ですか?」


「ああ」


 嘘だった。だがセフィラを不安にさせるわけにはいかない。


 今夜は何も起こさない振りをする。そして彼女が眠りについたら、一人で森へ向かう。長夜草という薬草を手に入れるために。いや、それだけではない。この病の原因を突き止めるために。


 ならばどうする、とシャールは自問した。


 決まっている、とシャールは自答した。


 ◆


 夜が更けていった。


 セフィラと夕食を済ませ、他愛のない話をして過ごす。彼女の声を聞きながら、シャールは密かに心を決めていた。


 やがてセフィラがあくびを噛み殺すようにした。


「そろそろ休みましょうか」


「ああ、そうしよう」


 二人は並んで寝台に横たわった。セフィラの体温が傍らから伝わってくる。彼女の寝息がやがて規則正しく聞こえ始める。


 シャールは目を閉じたまま、その呼吸を数えていた。ひとつ、ふたつ、みっつ……静かな寝息が続いている。完全に眠りに落ちたようだった。


 深夜。


 月が中天に差しかかった頃、シャールは音もなく寝台を抜け出した。


 振り返れば、セフィラが安らかな寝顔を見せている。亜麻色の髪が枕の上に広がり、月明かりに照らされて銀色に輝いていた。


 起こさないように、シャールは足音を忍ばせて部屋を出た。


 廊下は闘に沈んでいる。壁に手を当てながら歩を進め、階段を下りる。宿の入口で革鎧を身につけ、腰に長剣を帯びた。


 扉を開けると、夜風が頬を撫でた。


 街は寝静まっている。


 通りには人影もなく、街灯の明かりだけが石畳をぼんやりと照らしている。どこかで犬が一声吠えて、また静寂が戻った。


 シャールは東の方角へ足を向けた。ケリガンの森へと続く道だ。



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かつては嫉妬に狂い、互いに殺意すら抱いた男たち。
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