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追放された王太子と公爵令嬢が冒険者になる話  作者: 埴輪庭
第一章

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第29話 王種④

 ◆


 シャールがリッキーを見舞う少し前の事である。銀狐亭の奥まった席にいつもの三人が揃っていた。


 壁際のランプが揺らめき、その明滅がベルトランの無骨な顔に陰影を刻んでいる。向かいに座るマリアは二杯目の麦酒を手にしながら、どこか落ち着かない様子で店内を見回していた。カティアは眼鏡の奥の目を伏せ、疲労の色を隠そうともしていない。


「一週間だ」


 ベルトランの声が沈黙を破った。


「調査隊が森に入ってから、今日で丸一週間になる」


 マリアの手が止まった。ジョッキを机に置き、唇を引き結ぶ。カティアもまた顔を上げてベルトランの方を見た。


「戻ってこないのね」


「ああ」


 ベルトランは腕を組み、背もたれに体を預けた。その姿勢には諦観にも似た何かが漂っている。


「ムーキー、フリードマン、JJ、サヨリ。いずれも腕利きだ。そいつらが揃って音信不通ってことはまあ、そういうことだろうな」


「そういうこと、って」


 マリアの声が掠れた。


「つまり、全滅したってこと?」


「断定はできない。だが可能性は高い」


 ベルトランの答えは淡々としていた。まるで天気の話でもするかのような口調である。だがその淡白さの裏には長年この仕事に携わってきた者だけが持ちうる、ある種の諦念が透けて見えた。


 冒険者とは死ぬ職業である。


 その事実を骨の髄まで知り尽くしている者だけがこうした声色で同僚の死を語ることができる。悲嘆に暮れる暇などない。嘆いたところで死んだ者は戻らないし、残された者の仕事が減るわけでもない。だから感情を切り離し、事実だけを見つめる。それが彼らの処世術であり、同時に自己防衛の手段でもあった。


「第二次調査隊を出すかどうか、上で揉めてる」


 ベルトランが続けた。


「だが俺は反対だ」


「反対?」


 カティアが眉を寄せる。


「原因が分からないまま二次隊を送り込んでも同じことの繰り返しになる。むしろ被害を拡大させるだけだ」


「でも何もしないわけにはいかないでしょう」


 マリアが反論した。


「ケリガンの森はこの街にとって重要な狩り場よ。新人冒険者の訓練場でもあるし、周辺の村落にとっては生活圏の一部でもある。放置しておけば被害が街にまで及ぶかもしれない」


「分かってる」


 ベルトランは頷いた。


「だからこそ、やり方を変える必要がある」


 彼は懐から折り畳んだ羊皮紙を取り出し、机の上に広げた。そこにはギルドの紋章と共に、いくつかの条項が記されている。


「勧告を出す。ケリガンの森における狩猟活動について、最大限の注意を払うことを求める内容だ。同時に、森の奥地に関する依頼の報酬を大幅に引き上げる」


「勧告と報酬引き上げ……」


 マリアは羊皮紙を覗き込みながら呟いた。


「つまり、禁止はしないってこと?」


「ああ。禁止する権限はギルドにはない。ラスフェルは自由の街だ。冒険者の行動を強制的に制限することはこの街の根幹に関わる」


 ベルトランの声には苦いものが混じっていた。自由という理念がどれほど美しく響こうとも、それが時として人の命を奪う方便になりうることを、彼は知り尽くしていたのである。


「だから勧告という形を取る。行くなとは言わない。だが行くなら覚悟しろ、と。危険を告知した上で、それでも行くと決めた者の判断は尊重する」


「尊重する、ね」


 マリアの声に皮肉が滲んだ。


「要するに、自己責任ってことでしょう」


「そうだ」


 ベルトランは臆することなく認めた。


「で、報酬の引き上げは何のため」


 カティアが問う。彼女の瞳には真偽を見抜く力が宿っている。だがこの場ではその能力を使うまでもなかった。ベルトランの言葉に嘘は混じっていない。ただ、すべてを語っているわけでもないということは長年の付き合いで分かっていた。


「二つの目的がある」


 ベルトランは指を立てた。


「一つは腕に覚えのある冒険者を誘引すること。報酬が高ければ、それだけ実力者が食いつく可能性が高まる。彼らが何か情報を持ち帰ってくれれば、原因究明の手がかりになる」


「もう一つは」


「選別だ」


 その一語に、マリアの表情が凍りついた。


「選別……?」


「高額報酬に目が眩んで無謀に突っ込む奴がいたとしたら、それは本人の判断だ。ギルドは危険を告知した。依頼には正当な報酬を設定した。それでも行くと決めたのは本人だ。何が起きようとも、ギルドに責任はない」


「ちょっと待って」


 マリアが身を乗り出した。その目には明らかな動揺が浮かんでいる。


「それって、わざと危険な依頼を残しておいて、分別のない連中を淘汰しようってこと?」


「端的に言えば、そうだな」


 ベルトランの答えは素っ気なかった。


「愚か者が消えればギルドの管理負担が減る。実力者が素材を持ち帰れば依頼は完遂される。どちらに転んでもギルドは損をしない」


 沈黙が落ちた。


 マリアは言葉を失っていた。理屈としては分かる。冷徹な計算としては正しいのかもしれない。だがそれを平然と口にできるベルトランの神経が彼女には理解できなかった。


「……ひどいわね」


 ようやく絞り出した声は震えていた。


「人の命を、そんなふうに」


「そうか?」


 ベルトランは肩をすくめた。


「俺に言わせれば、これ以上に公平な仕組みはないと思うがな。誰にも強制はしていない。行くも行かぬも本人の自由だ。情報は公開されている。判断材料は与えられている。その上で無茶をする奴がいたとして、それは本人の責任だろう」


「でも新人の中には判断力が未熟な者もいるわ。経験が浅くて、自分の実力を客観的に測れない者が」


「だから勧告を出す。浅層でも中層相当の警戒が必要だと明記する。それでも理解できない奴は遅かれ早かれどこかで死ぬ。森でなくても、別の場所で」


 ベルトランの目が細くなった。


「厳しいようだがそれが現実だ。俺たちはすべての冒険者を救う義務なんて負っていない。そんな能力もない。できるのは情報を提供することだけだ。あとは本人が決める」


 マリアは唇を噛んだ。


 反論したい。何か言い返したい。だが言葉が見つからなかった。ベルトランの論理には隙がない。冷酷ではあるが同時に合理的でもある。感情で否定しようとしても、論理で押し返されてしまう。


「カティアはどう思う」


 マリアは救いを求めるようにカティアの方を向いた。


 だがカティアは黙っていた。しばらく考え込んでいる様子だったがやがて小さく息を吐いた。


「……ベルトランの言うことにも一理あると思うわ」


「え?」


「わたしたちは万能じゃない。すべての冒険者の面倒を見ることなんてできないの。登録審査で篩にかけて、情報を提供して、あとは本人の判断に委ねる。それがギルドの役割」


 カティアの声には疲労が滲んでいた。毎日のように押し寄せる新人冒険者たちの素性を見極める作業は想像以上に神経を擦り減らすものらしい。


「もちろん、できる限りのサポートはする。でも最終的な責任は本人にある。それを否定してしまったら、冒険者という職業そのものが成り立たなくなる」


 マリアは黙り込んだ。


 二人の論理に反論できる材料を持ち合わせていなかった。頭では理解できる。だが心が納得しない。そのずれが彼女の胸の中でぐるぐると渦を巻いていた。


「……それで、上級の冒険者への指名依頼は」


 しばらくしてマリアが尋ねた。話題を変えたかったのかもしれない。


「出さない」


 ベルトランは首を横に振った。


「少なくとも今は。有能な冒険者は貴重な資源だ。原因不明の事態に突っ込ませて失うわけにはいかない。まずは自発的に森に向かう者からの情報を待つ」


「自発的に、ね」


「そうだ。高額報酬に釣られて森に入る奴は必ずいる。その中で生き残った者がいれば、何かしら情報を持ち帰ってくるはずだ。それを分析してから次の手を考える」


「死体の山を築きながら情報収集をするってわけ」


 マリアの声には棘があった。


「言い方が悪いな。俺たちは誰も殺していない。行くと決めたのは本人だ」


「でも行かせるように仕向けてるじゃない。報酬を釣り上げて」


「報酬は労働の対価だ。危険度に見合った額を設定しているだけで、誰かを騙しているわけじゃない」


 二人の間に険悪な空気が流れた。カティアが慌てて割って入る。


「まあまあ、二人とも。今夜は別の話もあるでしょ」


「別の話?」


 ベルトランが眉を上げる。


「街で流行ってる病気のこと。聞いてない?」


 その言葉に、マリアの表情が変わった。険しさが引っ込み、代わりに懸念の色が浮かぶ。


「ああ、それね。わたしも噂は聞いてる」


「俺は知らんな。どういう病気だ」


 ベルトランが尋ねる。


「原因不明の熱病よ」


 マリアが答えた。


「ここ半月ほどで、街のあちこちで発症者が出てるの。高熱が続いて、体力が奪われていく。治療法も確立されていなくて、医者も困ってるみたい」


「半月か。調査隊が森に入ったのもその頃だな」


「偶然かしら」


 カティアが呟いた。


「森の異変と、街の病気。時期が重なってるのは気になるわね」


「関連があると思うか」


「分からない。でも無視できる偶然じゃない気がする」


 三人は顔を見合わせた。


 森の魔物の異常発生。調査隊の消息不明。街に広がる原因不明の熱病。これらが何らかの形で繋がっているのか、それとも単なる偶然の一致なのか。今の段階では判断のしようがなかった。


「発症者の共通点は」


 ベルトランが問う。


「調べてみたけど、はっきりしないの」


 マリアが首を振った。


「年齢も職業もばらばら。住んでる場所にも特に共通点は見当たらない。ただ……」


「ただ?」


「冒険者に発症者が多いような気がするの。確認が取れてるだけで五人。全員が最近までケリガンの森で活動してた」


 沈黙が落ちた。


「森で何かに感染したってことか」


「可能性はあるわね。でも断定はできない。森に入ってない住民にも発症者は出てるから」


「二次感染か」


「それも分からない。感染経路が特定できてないの」


 ベルトランは顎に手を当て、考え込んだ。


 厄介なことになっている。森の異変だけでも手一杯だというのに、街で疫病まで広がり始めたとなれば話が違ってくる。冒険者の問題だけでなく、街全体の安全に関わる事態だ。


「ギルドとしてできることはあるか」


「今のところは情報収集くらいね。発症者の聞き取り調査をして、共通点を探ること。あとは医者との連携を密にして、何か分かったらすぐに共有できる体制を作ること」


「街の自治会には報告したのか」


「まだよ。確定的なことが分からないうちに騒ぎ立てるのも問題だと思って」


「だが隠し通せる話でもないだろう」


「そうね……」


 マリアはジョッキの縁を指でなぞった。その指先には微かな震えがある。


「でもね、ベルトラン。こういう時って、下手に騒ぐと余計に混乱を招くこともあるでしょ。正確な情報がないまま危機感だけ煽れば、デマが広がって街中がパニックになりかねない」


「だが情報を出さなければ、対策の取りようがない」


「だから難しいのよ」


 二人は再び険しい目を交わしたが今度は敵意ではなく、共通の問題に直面した者同士の緊張であった。


「とりあえず、今夜のところは様子見だな」


 ベルトランが切り出した。


「情報が出揃ったら改めて対応を考える。森の件も、病気の件も」


「賛成」


 カティアが頷いた。


「わたしも今日はもう頭が回らない。帰って寝たいわ」


 三人は席を立った。


 店を出ると、夜風が頬を撫でた。街灯の明かりが石畳をぼんやりと照らし、酔客の笑い声がどこか遠くで響いている。いつもと変わらぬラスフェルの夜である。だがその平穏の下には確実に何かが蠢いていた。


 マリアは空を見上げた。


 雲が月を隠し、星の光もまばらである。何かの予兆のような暗さだった。


「また明日ね」


 そう言って別れたがその声には普段の明るさが欠けていた。


 三人はそれぞれの帰路についた。


 ◆


 それから数日が経った。


 ギルドの大広間には相変わらず冒険者たちが集い、依頼を求めて掲示板を物色している。だがその空気には以前にはなかった重さが漂っていた。


 壁に貼り出された勧告文。ケリガンの森に関する警告の文言が目に入るたびに、冒険者たちは顔を曇らせた。調査隊が戻らないという噂は既に街中に広まっており、森の異変を知らぬ者はほとんどいなくなっている。


「なあ、あれ見たか」


「ああ。報酬がとんでもないことになってるな」


「でも死んだら意味ねえだろ」


「そりゃそうだけどよ……」


 そんな会話が至る所で交わされていた。


 掲示板の一角には確かに破格の報酬を謳う依頼が並んでいる。灰狼の牙十本で銀貨八枚。岩猿の心臓三つで金貨一枚。通常の相場からすれば二倍から三倍の金額である。


 だが手を伸ばす者は少なかった。金よりも命が惜しいという判断は至極まっとうなものだろう。


 もっとも、中には例外もいた。


「よし、これにするか」


 がっしりとした体格の男が森の奥地に関する依頼の木札を手に取った。日焼けした肌に、使い込まれた革鎧。一目で百戦錬磨の冒険者と分かる風格がある。


「おい、正気かよ。調査隊が全滅したって話だぜ」


 仲間らしき男が制止の声を上げたが最初の男は意に介さなかった。


「だから報酬が高いんだろ。俺はこういう時こそ稼ぎ時だと思うけどな」


「死んだら元も子もねえだろ」


「死ぬつもりはねえよ。俺を誰だと思ってる」


 男は自信満々に胸を張った。その態度には過信とも言える傲慢さがあったが同時に長年の経験に裏打ちされた自負もあるようだった。


「危ねえと思ったら逃げる。それだけのことだ。俺は生き残りが得意なんでな」


 男は受付に向かい、依頼の手続きを済ませた。仲間たちは渋々といった様子で後に続く。彼らもまた、報酬の魅力には抗えなかったのだろう。


 その様子を、カウンターの奥からベルトランが眺めていた。


 表情には何の感情も浮かんでいない。ただ事実を観察している、とでも言うような冷ややかな目つきである。


「あれで何組目だ」


 隣に立つマリアが尋ねた。


「四組目だな。今日だけで」


「多いわね」


「報酬が効いてるんだろう。金の力ってのは大したもんだ」


 ベルトランの声には皮肉が滲んでいた。だがそれは他者に向けたものではなく、むしろ自分自身に向けた自嘲のようでもあった。


「で、戻ってきたのは」


「一組だけ。それも浅層で引き返してきた連中だ。中層より奥に入った者はまだ誰も戻ってきてない」


「……そう」


 マリアは唇を引き結んだ。


 森に入った者たちが戻ってくるのは早くても三日後からだろう。だが戻ってこない可能性の方が高いかもしれない。そう思うと、胃の奥がきりきりと痛んだ。


「病人が増えてる」


 マリアがぽつりと言った。


「昨日、南区画で新たに三人の発症者が出た。いずれも冒険者の家族よ」


「家族か。二次感染が疑われるな」


「そうね。森から帰ってきた冒険者が家族に移したのかもしれない。でも確証はない」


「症状は」


「同じよ。高熱が続いて、体力が奪われていく。汗をかいて、顔色が悪くなって。でも原因が分からないから、治療のしようがないの」


 ベルトランは腕を組んで考え込んだ。


 森の異変と病気の流行。この二つが繋がっているという仮説は日を追うごとに信憑性を増していた。だが仮説は仮説に過ぎない。証明するための材料が決定的に不足している。


「隔離はできてるのか」


「一応、発症者は別々の場所に収容してる。でも既に接触した人間が大勢いるから、完全な封じ込めは難しい」


「医者は何と言ってる」


「お手上げよ。見たことのない病だって。魔術による治療も効果が薄いみたい。解熱の術をかけても、すぐにまた熱が上がってしまう」


「厄介だな」


「本当にね」


 二人は黙り込んだ。


 大広間では相変わらず冒険者たちが行き交い、依頼を受けたり報告を済ませたりしている。日常の風景である。だがその日常がいつまで続くか分からなかった。


「ところで」


 ベルトランが不意に口を開いた。


「例の新人二人組、どうしてる」


「シャルとセフィ?」


「ああ。最近見かけないな」


「普通に依頼をこなしてるわよ。今日は穀物商の倉庫整理だったかしら。森には近づいてないみたい」


「賢明な判断だ」


 ベルトランは頷いた。


「あの二人は伸びるぞ。変に功を焦らずに、地道に経験を積んでいる。そういう奴が長生きする」


「分かってるわよ。わたしも目をかけてるもの」


 マリアの声には微かな誇りが滲んでいた。新人冒険者の成長を見守るのは彼女の仕事の数少ない喜びのひとつだった。


「そういえば、あの二人と一緒によく依頼を受けてた連中がいただろう。リッキーとかいう」


「ええ。それがね」


 マリアの表情が曇った。


「リッキー、寝込んでるのよ。熱を出して」


「熱? まさか」


「症状は似てるわ。流行ってる病気と。でもリッキーは最近森に入ってないはずなの」


「接触感染か、それとも空気感染か……」


「分からない。調べてみないと」


 ベルトランは眉をひそめた。


 リッキーという冒険者のことは知っている。痩せぎすの少年で、シャルとセフィラを慕っていたはずだ。あの少年が病に倒れたとなれば、シャルたちにも影響が出るかもしれない。


「他にも発症者は出てるのか。冒険者の中で」


「まだ目立った数は……。でもこれからもっと増えるかもしれない」


「対策は」


「考え中。でも原因が分からない以上、できることは限られてるわね」


 マリアは深い溜息をついた。


 その横顔には疲労の色が濃く滲んでいた。彼女もまた、この数日の間に相当な心労を重ねているのだろう。


「とにかく、今は情報収集を続けるしかないな……」


 ベルトランが言った。


「森に入った連中が何か持ち帰ってくれれば、手がかりになるかもしれない。それまでは待つしかないな」


「待つだけ?」


「ああ。待つことも仕事のうちだ」


 その言葉はどこか虚しく響いた。他ならぬベルトランが自身の言葉に疑念を抱いているのだから当然と言えば当然なのだが。


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弁護士の真司は漁師の啓二、バーテンダーの了と共に、愛する妻・莉子と暮らしている。
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