表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
追放された王太子と公爵令嬢が冒険者になる話  作者: 埴輪庭
第一章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

28/48

第28話 王種③

ここから毎日午前六時に第一章終了まで更新です。25日くらいまで

 ◆


 その日の依頼は倉庫の荷物整理であった。シャールとセフィラは同じ依頼を受けた。まあ、受け持つ内容は異なるのだが。


 街の南区画にある穀物商の倉庫が依頼主で、商いの繁忙期を前に在庫の棚卸しを手伝ってほしいという内容である。報酬は銅貨四十枚。二人で分ければ一人二十枚。決して高額ではないが半日仕事としては悪くない。


 シャールは重い穀物袋を肩に担ぎながら、倉庫の奥へと運んでいく。積み上げられた袋の山を整理し、番号札を付け直し、帳簿と照合する。単純作業ではあるが体力と根気を要する仕事だ。


 セフィラは帳簿係を任されていた。商人が読み上げる数字を書き留め、実際の在庫と突き合わせていく。数字の扱いには慣れている。公爵令嬢として家門の財務を学んだ経験が役に立っていた。


「ふむ、なかなか正確だな。あんた、どこかで帳簿の付け方を習ったのかい」


 穀物商の主人が感心したように言った。


「少々心得がございますの」


 セフィラは曖昧に微笑んで答えた。


 昼を告げる鐘が鳴る頃には作業の大半は終わっていた。主人は満足げに報酬を支払い、また何かあれば頼むと言って二人を送り出す。


 ギルドへ戻る道すがら、シャールはふと気づいた。


「リッキーを見かけないな」


 その言葉にセフィラが顔を上げる。


「そういえば……ここ最近、お会いしておりませんわね」


 リッキー。あの痩せぎすの少年のことである。シャールを「兄貴」と慕い、何かと付いて回っていた駆け出しの冒険者だ。ヴァンスやトト、ミランといった仲間たちと共に安宿で共同生活を送りながら、日々の依頼をこなしていたはずであった。


 思い返してみれば、ここ四日ほど彼の姿を見ていない。ギルドの広間でもすれ違った記憶がなく、依頼の現場で顔を合わせることもなかった。


「体調でも崩したのだろうか」


 シャールの呟きに、セフィラが小さく頷く。


「心配ですわね」


 その日の午後、シャールは別の依頼を受けに行った際、ギルドの広間でヴァンスの姿を見つけた。赤毛の少年は仲間たちと共に依頼の木札を物色しているところであった。


「よう、兄貴」


 声をかけられたシャールはヴァンスの傍に歩み寄る。


「リッキーはどうした。ここ最近見かけないが」


 その問いに、ヴァンスの表情がわずかに曇った。


「ああ、あいつは……」


 言いにくそうに視線を泳がせてから、ヴァンスは声を潜めた。


「具合が悪いんすよ。熱が出ちまって、寝込んでる」


「熱か」


「へい。三日前から動けなくなって。トトが看病してるんすけど」


 シャールの眉が寄った。三日も寝込んでいるというのは穏やかではない。


「医者には診せたのか」


 その問いに、ヴァンスは苦い顔をした。


「それが……」


 言葉を濁す様子を見て、シャールは察した。


「金がないのか」


「……へい」


 ヴァンスが項垂れるように頷いた。


「医者っつっても銀貨十枚はくだらないって言われて。俺らにはとても」


 銀貨十枚。新人冒険者にとっては大金である。シャールとセフィラであっても、一週間分の依頼報酬に相当する額だ。リッキーたちのような駆け出しならば、二週間以上の稼ぎを叩かなければ捻出できまい。


「場所は分かるか。見舞いに行きたい」


「へ?」


 シャールの申し出に、ヴァンスは目を丸くした。


「いや、その、ありがてえっすけど……」


「何か問題があるか」


「問題っつうか……まあ、見てもらった方が早いか」


 ヴァンスは歯切れ悪くそう言った。その表情にはどこか言いにくそうな様子がある。何かを隠しているような、あるいは何かを言い出せずにいるような、そういった含みが感じられた。


 その日の依頼を終えた後、シャールはセフィラを伴ってリッキーたちの宿へと向かった。


 ◆


 リッキーたちが泊まっている宿は「朝霧の鐘亭」よりもさらに安価な、街の端にある古びた建物であった。看板には「鉄鉢亭」とあるがその文字すらもう半分以上剥げ落ちている。壁は黒ずみ、窓枠は歪み、全体として長年の風雨に晒されてくたびれ果てた印象を与えていた。


 四人は三階の相部屋に泊まっている。ヴァンスの案内で狭い階段を上がり、廊下の突き当たりにある部屋の扉を開けた。


 そこは六畳ほどの狭い空間であった。粗末な寝台が四つ詰め込まれ、壁際には荷物が雑然と積まれている。窓は小さく、日中であっても薄暗い。空気は淀んでおり、どこか饐えたような匂いが漂っていた。


 寝台の一つにリッキーが横たわっていた。


 その傍らに小柄な影が座っている。トトだ。彼女──いや、この時点でシャールはまだそれを知らないのだが──は手桶を抱え、布を絞りながらリッキーの額を拭っていた。


「お、シャルの兄貴」


 リッキーが弱々しく笑った。


「わざわざ来てくれたんすか」


 その顔色は青白く、額には脂汗が滲んでいる。目の下には隈が浮かび、頬はこけているように見えた。明らかに消耗している。


「具合はどうだ」


 シャールが寝台の傍に膝をつくと、リッキーは照れたように視線を逸らした。


「大したことないっすよ。ちょっと熱っぽくて、疲れが出たんすかね。寝てりゃ治ると思うんすけど」


 その声は掠れており、言葉の端々に息切れの気配がある。とても「大したことない」という状態には見えなかった。


「三日も寝込んでいるのに大したことないはないだろう」


 シャールの言葉に、リッキーは苦笑した。


「まあ、そうっすね……」


 セフィラが傍らに歩み寄り、リッキーの手を取った。


「熱がありますわね。かなり高い」


 その手は確かに熱を持っていた。額に触れてみれば、なおさらである。


「医者に診せなさい」


 セフィラの声には有無を言わせぬ響きがあった。だがリッキーは困ったような顔をするばかりで返事をしない。代わりにヴァンスが口を開いた。


「さっきも言った通り、金がねえんすよ。医者なんてとても」


「この状態で放っておくつもりですの?」


「放っておくわけじゃねえっす。トトが看病してるし、解熱の薬草も買ってきた。それで様子を見てるんすけど……」


 ヴァンスの声には焦りと無力感が滲んでいた。彼とて仲間を見捨てるつもりはないのだろう。だが手段がないのである。


 シャールはリッキーの様子を観察していた。


 彼は汗をかなりかいている。着ている襤褸のシャツは汗で身体に張り付き、見るからに不快そうだった。


「汗を拭いた方がいい。シャツを脱いで、身体を清めろ」


 シャールはそう言いながら、懐から真新しい布を取り出した。依頼の作業用に持ち歩いているものである。


「え、いや、それは」


 リッキーが慌てた様子で身じろぎした。


「大丈夫っす、そんな、自分でできるんで」


「できる状態には見えん。いいから脱げ」


 シャールは遠慮なくリッキーのシャツの裾に手をかけた。


 その瞬間、リッキーの反応が激しくなった。


「や、やめてくださいっ」


 弱っているとは思えぬ強さでシャールの手を押し返す。その顔は熱のせいだけではなく、羞恥で赤く染まっていた。


「なぜだ。汗まみれのシャツを着たままでは余計に体調を崩す」


「でも、その、俺は」


 リッキーはもごもごと口ごもる。その様子が妙であった。病人が介助を断るのは珍しくないがこのリッキーの反応には単なる遠慮以上の何かがあるように感じられた。


 シャールは視線をヴァンスに向けた。


 赤毛の少年は何やら居心地悪そうに視線を泳がせている。トトもまた、手元の桶をじっと見つめたまま顔を上げようとしない。ミランは部屋の隅で黙って壁を見ていた。


 明らかに何かを隠している。


「何を言いたがっている」


 シャールの問いに、誰も答えなかった。


「構わん。見せろ」


 シャールは有無を言わせずリッキーのシャツを引き上げた。


「あ、ちょ、兄貴っ」


 リッキーが悲鳴じみた声を上げる。だがシャールは手を止めなかった。襤褸シャツを脱がせ、真新しい布で汗ばんだ肌を拭う。


 リッキーは自分の身体を両腕で抱きすくめるようにしていた。特に胸のあたりを覆い隠すような姿勢である。


 シャールはその腕を静かにどかした。


「拭くのに邪魔だ」


「や、やめ──」


 リッキーの抵抗は弱かった。病で体力を消耗しているのだから当然である。シャールは淡々と布を滑らせ、胸元を拭おうとして、


 手が止まった。


 そこにはうっすらと隆起した二つの膨らみがあった。


 シャールは数秒ほど沈黙していた。


 それから、ゆっくりとリッキーの顔を見た。


 リッキーは──いや、彼女は目を固く閉じ、顔を真っ赤にして俯いている。その表情には羞恥と、それから何か別のもの──諦めのような、あるいは覚悟のようなものが入り混じっていた。


「……そういうことか」


 シャールの声は静かだった。


 リッキーが女であることを、彼はようやく理解した。


 ◆


 部屋の中には重たい沈黙が落ちていた。


 シャールはリッキーの身体を拭き終えると、新しい布を渡して身体を覆わせた。それから一歩下がり、腕を組んで壁に背を預ける。


「説明してくれ」


 その声には責める響きはなかった。ただ淡々と、事実を求めている。


 リッキーは布を胸に押し当てたまま、しばらく黙っていた。やがて、絞り出すような声で口を開く。


「……バレちまったっすね」


「ああ」


「すみません、兄貴。ずっと騙してて」


「騙していたという認識があったのか」


 その問いに、リッキーは小さく頷いた。


「最初は……そういうつもりじゃなかったんす。別に嘘をついてるわけでもないし、聞かれなかったから言わなかっただけで。でも、兄貴と話すようになってから、なんか、言い出せなくなっちまって」


「なぜ女であることを隠していた」


「そりゃあ……」


 リッキーは視線を落とした。


「女が冒険者なんて、面倒事しか起きないっすから」


 その言葉の意味するところは明白であった。


 冒険者という職業は圧倒的に男性が多い。女性の冒険者がいないわけではないがその多くは魔術師や神官といった後衛職であり、前線で戦う戦士や斥候はほとんどが男である。


 若い女が一人で、あるいは男たちの中に混じって冒険者をやるということは様々な危険を伴う。魔物との戦いよりもむしろ、人間からの被害の方が深刻な場合すらあった。酔った冒険者に絡まれる、依頼先で襲われる、仲間と思っていた相手に裏切られる。そうした事例は決して珍しくない。


「それで男のふりを」


「ふりっていうか……髪を短くして、胸を押さえて、声は元々低い方だったし。誰も疑わなかったっす」


 確かに、言われてみればリッキーの体格は華奢である。だがそれは栄養状態の悪い少年と言われれば十分に通用する範囲だった。痩せぎすの身体、ボロボロの革鎧、擦り切れた装備。誰もその下に隠されたものを疑おうとはしなかったのである。


「君も同じか」


 シャールの問いに、トトがびくりと肩を震わせた。


「……はい」


 トトは観念したように頷く。


「あたしもリッキーと同じです。女だって分かったら色々と面倒なんで」


 シャールは二人を見比べた。


 そういえば、とふと思い出す。トトもまた、シャールに対して一定の距離を保っていた。リッキーほど懐いてくることはなく、かといって敵意があるわけでもない。ただ、近づきすぎないように注意しているような、そんな印象を受けていた。


 それは自分の正体を隠すための処世術だったのだろう。


「セフィラのような冒険者は稀なのか」


 シャールの問いに、ヴァンスが答えた。


「そりゃあそうっすよ。セフィの姉さんみたいに、誰が見ても女だって分かる格好で冒険者やってる人なんて珍しいっすよ」


「なぜだ。彼女は自分の性別を隠していないが特に問題は起きていない」


 ヴァンスは苦笑した。


「セフィラ姉さんは見た目は華奢だけど、なんつーか……迫力があるっていうか。下手に手を出したらやべえって、誰でも分かるじゃないすか。それにシャルの兄貴もいつも一緒だし」


 確かにそうかもしれない、とシャールは思った。


 セフィラには生まれながらの気品がある。公爵令嬢として培われた威厳のようなものが無意識のうちに周囲を圧している。軽んじれば痛い目に遭うと、本能的に悟らせる何かがあるのだ。


 だがリッキーやトトにはそれがない。彼女たちはただの駆け出しの冒険者であり、力も経験も乏しい。そんな状態で女であることを公にすれば、確かに様々な厄災を招きかねなかった。


「分かった」


 シャールは短く言った。


「事情は理解した。責めるつもりはない」


「……ありがとうございます、兄貴」


 リッキーの声が掠れた。


「でも、なんか、すみません。兄貴にはちゃんと言っておくべきだったって思ってたんすけど、なんかずるずると言えないまま来ちまって」


「気にするな。言いにくいことは誰にでもある」


 シャールはそう言って、視線をトトに移した。


「リッキーの看病は任せていいか」


「はい、任せてください」


 トトが頷いた。


 シャールは立ち上がり、ヴァンスに向き直った。


「医者に診せるのに銀貨十枚と言ったな」


「へい」


「それだけあれば足りるのか」


「っすね……」


 シャールは黙って計算した。


 銀貨十枚。自分とセフィラの蓄えの中から出せない額ではない。だが気軽に出せる額でもなかった。


「分かった。今日のところは引き上げる。またな」


 シャールはそう言って、セフィラと共に部屋を後にした。


 ◆


 宿への帰り道、二人は無言で歩いていた。


 夕暮れの街は橙色に染まり、長い影が石畳の上を這っている。行き交う人々の姿もまばらで、どこか遠くで犬の鳴く声が聞こえていた。


「リッキーさんが女性だったとは」


 セフィラがぽつりと言った。


「驚きましたわ」


「ああ。私も気づかなかった」


「でも、言われてみれば、そうかもしれないと思える節はございましたわね」


「どういう意味だ」


「シャールのことをやたらと意識していらしたでしょう。兄貴、兄貴と慕っていらっしゃいましたし」


 シャールは首を傾げた。


「それは単に世話になったからではないのか」


「それだけではないように見えましたわ。なんと申しますか……目の輝きが違っておりましたもの」


 セフィラの声には微かな含みがあった。だがシャールにはその意味するところが今ひとつ分からない。


「よく分からんな」


「分からなくてよろしいのですわ」


 セフィラは小さく笑った。


 宿に戻り、部屋の扉を閉めると、シャールは深い息を吐いた。


「セフィラ」


「はい」


「リッキーのことだが」


 シャールは窓際に立ち、外を見つめながら言葉を選んだ。


「手を貸してやりたい気持ちはある」


「医者代のことですわね」


「ああ。銀貨十枚。私たちの蓄えから出そうと思えば出せる」


「ええ」


「だが」


 シャールは振り返り、セフィラの目を見た。


「この金は私一人のものではない。君のものでもある。私の一存で使っていいものか」


 セフィラは黙って聞いていた。その翠色の瞳は静かに、だが何かを見透かすようにシャールを見つめている。


「金は文字通りの命綱だ」


 シャールの声は低かった。


「少し顔を知っている相手にポンポンと使っていては切りがない。今日はリッキー、明日は誰か別の者、そうやって際限なく出費を重ねれば、いずれ自分たちの首を絞めることになる」


 それは冷徹な計算であった。


 だがシャールの胸の内にはその計算とは別の何かがあった。帝王学というものが骨の髄まで染み込んでいる彼にとって、施しというものは単純な善意の発露ではなかった。そこには常に打算が伴う。何を得て、何を失うか。誰に恩を売り、誰を敵に回すか。そうした計算なくして金を使うことは為政者として愚かなことであった。


 もっとも、今の自分はもはや王太子ではない。為政者でもない。ただの冒険者に過ぎないのだからそこまで考える必要はないのかもしれない。だがそうした思考の癖というものは簡単には抜けないのである。


「もちろん」


 シャールは言葉を継いだ。


「君が同じ状況に陥ったなら、私は持てる金をすべて使うだろう。何を犠牲にしてでも君を救う」


 その言葉は自然と口をついて出ていた。


 セフィラの頬がわずかに染まる。彼女は視線を落とし、それから小さく咳払いをした。


「……急にそのようなことを仰られても困りますわ」


「事実を述べただけだ」


「事実であっても、言い方というものがございます」


 セフィラは頬を膨らませて見せたがその声には照れが滲んでいた。


 しばしの沈黙が二人の間に横たわる。


 やがてセフィラは椅子に腰を下ろし、両手を膝の上で組んだ。その仕草には考え込むような真剣さがあった。


「シャール」


「なんだ」


「あなたの中には複数のあなたがいらっしゃいますわね」


 その言葉に、シャールは首を傾げた。


「どういう意味だ」


「王族としてのあなた。冷静に損得を計算し、施しの是非を論じるあなた。そして心優しい青年としてのあなた。困っている者を放っておけない、情に厚いあなた」


 セフィラの声は静かだった。


「その幾つかのあなたが今、せめぎ合っているように見えますわ」


 シャールは答えなかった。だが否定もしなかった。


 セフィラの言う通りなのかもしれない。自分でも気づいていなかったがそうした葛藤が確かに胸の内にあるのかもしれなかった。


「わたくしの考えを申し上げてもよろしいですか」


「聞こう」


「リッキーさんを救うのも悪くないのではないか、と思いますの」


 シャールは眉を寄せた。


「理由を聞かせてくれ」


「わたくしたちには一人でも多くの味方が必要ですわ」


 セフィラの声には静かな決意が宿っていた。


「わたくしたちはウェザリオ王国から逃亡してまいりました。このラスフェルにたどり着いたことは僥倖と申すべきでしょう。しかし──」


 彼女は言葉を切り、窓の外を見やった。夕闘の光が彼女の横顔を照らしている。


「王国がわたくしたちをこのまま放置しておくでしょうか。わたくしにはそうは思えません」


「ああ」


 シャールも頷いた。


 マーキスの性格を考えれば、諦めるとは思えない。彼は執念深い男だ。一度狙った獲物は必ず仕留めようとする。今は静観しているように見えても、いずれ必ず手を伸ばしてくる。


「いずれはラスフェルにも王国の手が伸びてくるでしょう」


 セフィラの声が低くなった。


「その時、わたくしたちには逃げる手段が必要です。隠れる場所が必要です。そして力を貸してくれる者たちが必要ですわ」


「つまり、リッキーを救うことで恩を売れと」


「恩に着せる、というと語弊がございますが」


 セフィラは小さく首を振った。


「少なくとも、いざという時に逃亡の手助けをしてくれるかもしれません。冒険者としての人脈というものはそういった場面で役に立つことがございますわ」


 シャールは腕を組んで考え込んだ。


 セフィラの言うことには一理あった。いや、理があるというより、極めて合理的な判断であると言える。感情に流されるのではなく、将来の危機に備えて今から布石を打っておく。それは貴族としての教育を受けてきた者ならば当然身につけている処世術であった。


 だが同時に、シャールの胸の内にはある種の苦さもあった。


 リッキーを助けるのは打算のためなのか。将来役に立つかもしれないから恩を売っておくのか。そうした計算が先に立つことに対する、微かな後ろめたさのようなものがある。


「根っからの貴族だな、セフィラ」


 シャールの呟きに、セフィラは苦笑した。


「お互い様ですわ」


「ああ」


 二人は顔を見合わせた。


 かつて王宮にいた頃、彼らは純粋な心で世界を見ていた。正義と悪、善と邪。そうした単純な二項対立を信じていた時期がある。だが今はどうか。あらゆる行動に打算が絡み、あらゆる判断に損得が伴う。それが大人になるということなのかもしれないし、あるいは貴族という血が成せる業なのかもしれなかった。


「明日、もう一度リッキーの様子を見に行こう」


 シャールが言った。


「医者代は出す。薬代も必要ならば出そう」


「よろしいのですか」


「君の言う通りだ。味方は多いに越したことはない。それに」


 シャールは小さく笑った。


「放っておけない性分なのは否定できん」


「ふふ、やはりあなたは優しい方ですわ」


「打算と優しさは矛盾しない」


「そうですわね。わたくしもそう思いますわ」


 セフィラが立ち上がり、シャールの傍に歩み寄った。


「リッキーさんのこと、きっと喜びますわ」


「まあ、金を出すだけだ。大したことではない」


「いいえ、大したことですわ。少なくとも、彼女にとっては」


 セフィラはそう言って、窓の外を見やった。


 夕闇が迫り、街灯に火が灯り始めている。石畳の上を歩く人々の影が長く伸び、やがて闘に呑まれていく。


「明日が楽しみですわね」


「楽しみか?」


「ええ。リッキーさんがお元気になられたら、きっと大喜びでシャールに飛びついてくるでしょうから」


「それは勘弁してほしいな」


「あら、嫌ですの?」


「嫌というか……困る」


 セフィラがくすくすと笑った。


 その笑い声を聞きながら、シャールは静かに息を吐いた。


 ◆


 翌朝、二人は鉄鉢亭を再び訪れた。


 リッキーの容態は昨日と大きく変わってはいなかった。熱は依然として高く、顔色も悪い。だが意識はしっかりしており、シャールたちの姿を見ると弱々しくも笑顔を見せた。


「兄貴、また来てくれたんすか」


「ああ。それと、これを」


 シャールは懐から銀貨を取り出し、ヴァンスに渡した。


「十枚ある。医者を呼べ。薬代も含めて、足りなければ言ってくれ」


 ヴァンスは目を丸くした。


「え、でも、こんな……」


「遠慮するな。困った時はお互い様だ」


 シャールは淡々と言った。


 ヴァンスはしばらく銀貨を見つめていたがやがて深く頭を下げた。


「……ありがとうございます。必ず返します」


「返す必要はない」


「でも」


「いいから医者を呼べ。早い方がいい」


 シャールに促され、ヴァンスは慌てて部屋を飛び出していった。医者を呼びに行ったのだろう。


 リッキーは寝台の上で目を潤ませていた。


「兄貴……」


「何も言うな。寝てろ」


「でも、なんで、俺なんかのために」


「なんかではない」


 シャールは静かに、しかし有無を言わせぬ調子で言った。


「君は私の知り合いだ。知り合いが困っていれば手を貸す。それだけのことだ」


 リッキーは何か言おうとしたが言葉にならなかった。ただ涙が頬を伝い落ちていく。


「泣くな。病人が泣くと余計に消耗する」


 シャールの言葉に、リッキーは慌てて目元を拭った。


「すみません……ありがとうございます……本当に」


 セフィラがリッキーの傍に膝をつき、その手を取った。


「早く元気になってくださいませ。また一緒にお仕事ができる日を楽しみにしておりますわ」


「……はい」


 リッキーの声は震えていた。


 トトが横から口を開いた。


「あの、シャルさん」


「なんだ」


「あたしからもお礼を言わせてください。リッキーのこと、ずっと心配で。でもお金がなくて、何もできなくて」


「君は看病を続けてくれた。それで十分だ」


 シャールはそう言って立ち上がった。


「医者が来るまでは安静にさせておけ。必要なことがあれば遠慮なく言ってくれ」


 そう言い残して、シャールとセフィラは部屋を後にした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
自作の長編と短編を宣伝。長編は大体ブクマ1000~1500くらいのやつ。短編は直近二ヶ月で書いたやつをポイント降順に。

【長編】

アステールの血を引く者は魔術に優れる事甚だしく、特にハイン・セラ・アステールはアステール史上もっとも強大な魔力を誇る麒麟児であった。
"本来の歴史" では彼は傲慢で邪悪な典型的悪役貴族であったのだが、並行世界では一味違う。
いや、二味違う。
一味目は、彼が極度のマザコンだという点だ。
平行世界のハインもまた本来の歴史のハインと同様に邪悪なのだが、母への愛が魔と邪を覆い隠す。
勇者も聖女も元婚約者も、彼にとってはどうでもいいことだ。
ハインはただ母と静かに安らかに暮らしたいだけで、それを邪魔する者全てが彼の敵である。
では二味目はといえば、それは彼が本来の歴史のハインよりも遙かに強大な魔力を有し、遙かに強大な魔術を操るという点だ。
愛する母に格好いい姿を見せたいがために努力を重ねた天才──ハインに不可能はない。
「悪役令息はママがちゅき」

幼い頃、家に居場所を感じられなかった「僕」は、母の再婚相手のサダフミおじさんに厳しく当たられながらも、村はずれのお山で出会った不思議な「お姉さん」と時間を共に過ごしていた。
背が高く、赤い瞳を持つ彼女は何も語らず「ぽぽぽ」という言葉しか発しないが、「僕」にとっては唯一の心の拠り所だった。
しかし村の神主によって「僕が魅入られ始めている」と言われ、「僕」は故郷を離れることになる。
あれから10年。
都会で暮らす高校生となった「僕」は、いまだ"お姉さん"との思い出を捨てきれずにいた。
そんなある夕暮れ、突如あたりが異常に暗く染まり、"異常領域"という怪現象に巻き込まれてしまう。
鳥の羽を持ち、半ば白骨化した赤ん坊を抱えた女の怪物に襲われ、絶体絶命の危機に陥ったとき。
──目の前に現れたのは"お姉さん"だった。
「お姉さんと僕」

ライカード王国魔導部隊所属の魔導散兵である君は迷宮の調査探索中、怪しげなポータルを起動させてしまう。
気付いた時には一切見覚えのない風景が広がっていた。
迷宮であることは間違いないが、壁の質感、床の質感、空気の味なにもかもが違う。
未知の迷宮に飛ばされてしまったということなのだろうか。
君はいぶかしみながらも探索をすすめていく。
やがて出口が見えた。
踏み固められた街道、そよぐ木々、風。
なにより道の先にある都市はライカードのものではなかった。
そこは迷宮都市アヴァロン。
君はそこで冒険者として過ごすこととなる。
祖国ライカードへの帰還を夢見ながら
「ダンジョン仕草」

宇宙開拓時代の西暦3889年、ろくでなしの青年…君はとある大勝負に敗北する。
要するに賭けで負けたのだ。
しかし君には金もなければ家もない。
哀れ君は人身売買のブローカー経由で人体実験に参加し、サイバネ手術を受けることに。
体は機械化され、神経は拡張されるも、存在の違和感ともいうべき感覚に苦しむ事になる。
「人間に戻りたい!」
君はそう願い、再度の手術を受けるべく金を稼ぐことにした。
君が目をつけたのは「惑星開拓事業団」だ。
危険な惑星調査の仕事は金になる。
命の危険もあるが、なに、機械の体がなんとかしてくれるさと君は軽く考える。
「★★ろくでなしSpace Journey★★(連載版)」

【短編】

剣士カイトは勇者アルヴィンから追放を告げられた。
そして──!!!!!!
「意識高い系勇者パーティから追放された俺の末路」

「愛している」——その言葉と共に、母の刃が私を貫いた。
過保護な母に命を奪われた絵里が転生したのは、乙女ゲームのような異世界。
伯爵家の令嬢エリスとして第二の人生を歩み始めた彼女を待っていたのは、お約束の婚約破棄だった。
「愛の温度」

ヘルナロウ王国では今、婚約破棄が流行していた。
頭の悪い婚約破棄は最悪である。
当事者たちだけではなく、周囲の者たちや国そのものにも被害を与えるのだ。
ヘルナロウ王国もまた、アホな婚約破棄のせいで被害を被っていた──国家予算の一割を吹き飛ばすほどの大被害である。
「この女は我が妹をいじめた」
「前世が聖女の令嬢に心を奪われた」
貴族の子息たちは次々と愚かな理由で婚約者を糾弾し、その度に決闘、自害、領地間の経済断絶といった惨事が続発する。
頭を抱えるのは宰相グラモン侯爵。
就任一年で彼の白髪は三倍に増えた。
国王も手をこまねくばかりだったが、王妃ヘルザベスがある提案を持ちかける。
──「令嬢たちに、正しい謀略を教えましょう」
講師は「影の女公爵」と恐れられる王妃の姉クロエを筆頭に、王国屈指の策謀家たちである。
「婚約破棄亡国論」

死者三十人超──熊が人を喰い荒らすA県で、知事・熊殺三太夫は「これは戦争だ」と宣言した。
だが都会からは「熊を殺すな」の大合唱。
現場を知らぬ理想主義者たちに知事はとある決断を迫る。
「熊が来る!」

世話焼き雑用メンバーを追放するいつもの話。
「いつもの追放もの」

太平洋戦争架空戦記。
「白い悪魔」

夕暮れの駅のホーム、今にも線路へ吸い込まれそうな女性に男は全力で体当たりを食らわせた。
男の名前は藤巻俊一。
いわゆる、「ぶつかりおじさん」である。
「感電」

極端なフェミニズムが蔓延するアルカディア王国、その王太子であるシャルルはいわゆるスパダリである。
しかしそんな彼でも、さすがに国のあり方についていけないとへこたれてしまった!
その結果──
「フェミ★婚」

大学一年生の健太は突然の家庭崩壊に直面する。
父の浮気相手は部下の男性だった。
だが帰省して開かれた家族会議は、誰も予想しない告白合戦へと変貌していく。
十年以上妻に拒まれ続けた父の苦悩。
抑えきれない性欲に心療内科へ通った過去。
一方の母もまた、幼少期から実父に性的虐待を受けてきたトラウマを抱えていた。
そして健太自身も「実は僕、バイなんだ」と打ち明ける。
壊れた家族。歪んだ愛。
誰もが秘密を隠し、誰もが傷を負っていた。
普通を望みながら普通になれなかった三人が辿り着いた答えは。
「完全破壊家族」

ドラゴン相手に示談交渉、悪党には損害賠償。
法の力で世界を論破する、リーガル・バトルファンタジー。
「悪徳弁護士、異世界へ行く」

曇らせ大好きな青年が魂転移してしまったらしい……
「曇らせる男」

勇者が魔王を倒そうとしなかったらどうなる?
「勇者に放置された魔王の末路」

「愛しい陛下。貴方はただ、その玉座で綺麗に微笑んでいてくださいな」
隣国帝国の八万の大軍が迫る国家存亡の危機。
震えながらも民のため城に残ることを選んだ美貌の国王テリオンに対し、王妃サリィナは優雅に扇子を開いた。
かつて「人形のように退屈」とテリオンに婚約破棄された彼女は、実家公爵家による苛烈な『再教育』を経て、毒を以て毒を制す冷徹な謀略家へと変貌を遂げていた。
「黒薔薇の嗜み」

冒険者パーティ『碧空の翼』の荷物持ちバジルは醜く無能な中年男だ。
そんなある日、彼は仲間に囮として森に捨てられた。
絶望の淵で彼が手にしたのは、若き美女へと変貌する奇跡の力であった。
復讐を誓ったバジルは美貌の魔術師「ジル」となり、かつて自分を見下した男たちの前に現れる。
何も知らない男たちは、かつて蔑んだ男とも知らず、彼女の愛を求めて争い、堕ちていく。
「無能な中年男、男をたぶらかす魔女となり、自分を捨てたパーティメンバーに地獄を見せる」

帝都ティランの会員制サロン「銀枝亭」に集った五人の貴族たち。
話題は庶民の間で流行する「婚約破棄譚」への痛烈な批判だった。
設定の杜撰さ、人物造形の稚拙さ、読者の被害者意識……舌鋒鋭い文芸誌編集主幹カタリナを中心に、知識人たちは存分に嘲笑を重ねていく。
だが談話の果てに浮かび上がったのは──
「阿呆鳥の連環」

呪いの動画を見てしまった。
私は一週間後に死ぬらしい。
でも大丈夫(?)。
地球が三日後に滅びるそうだから、怖くない。
「メテオリック・エクソシズム」

妻を癌で亡くして以来、男は自分が生きているのか死んでいるのかすら判然としないような日々を送っていた。
だが故人をAIで再現するサービスを知り、膨大な写真やメール、声の記録を入力して亡き妻を蘇らせる。
画面越しに再開した会話は空虚だった日常を少しずつ温かく満たしていく、が。
「電影」

ある日を境に、日本中で不可解な事故死が激増した。
一人でいると死亡率が跳ね上がる異常事態。
国民すべての運が急激に悪化したのだ。
かつて「他人と関わるな」が常識だった社会は一変し、人々は見知らぬ者同士で命を預け合うようになった。
「運の尽き」

あるところに女の子がいました。
女の子はもう死にます。
「光り、きらきら」

「私たち四人は対等なの」──女の提案で始まったのは、三人の男が一人の女を共有する異常な日々だった。
弁護士の真司は漁師の啓二、バーテンダーの了と共に、愛する妻・莉子と暮らしている。
かつては嫉妬に狂い、互いに殺意すら抱いた男たち。
しかし奔放な妻に振り回され、同じ苦しみを共有するうちに、敵同士だったはずの三人の間には奇妙な連帯感が芽生え始める。
「オープンマリッジ」
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ