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追放された王太子と公爵令嬢が冒険者になる話  作者: 埴輪庭
第一章

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第27話 王種②

 ◆


 その晩、宿の部屋に戻ったシャールは鍛冶場で耳にした話をセフィラに伝えた。


 ケリガンの森における魔物の異常発生。調査隊が戻ってこないという不穏な噂。冒険者たちが狩り場を変えざるを得なくなっている現状。それらを順を追って語りながら、シャールは窓際に腰掛けたセフィラの表情を観察していた。


 彼女は最初こそ静かに聞いていたのだが話が進むにつれてその態度に変化が現れ始めた。膝の上で組んでいた両手がほどけ、指先が落ち着きなく動いている。視線も定まらず、時折窓の外を見やってはまたシャールの方を向く。唇がかすかに開きかけ、何かを言おうとしてやめる。そのような仕草が幾度か繰り返された。


 そわそわ、という表現が最も適切だろう。


 シャールは話し終えてから、しばらく沈黙を置いた。窓の外では夜風が木々を揺らし、どこか遠くで酔客の笑い声が響いている。ランプの炎が揺れ、壁に映る二人の影がゆらゆらと踊っていた。


「行ってみたいのか」


 シャールの問いに、セフィラはびくりと肩を震わせた。


「いいえ、そんな、そのようなことは」


 否定の言葉は口をついて出たものの、その声には説得力が欠けている。翠色の瞳はなおも落ち着かぬ様子で室内を彷徨い、頬にはかすかな紅潮が見て取れた。


「本当に?」


「本当ですわ。危険だということは十分に理解しております。調査隊が戻らないというお話でしたし、魔物が異常に増えているとも。わたくしのような者が首を突っ込むべき事柄ではございません」


 言葉は理性的であった。だがその口調は自分に言い聞かせているかのような響きを帯びている。


 シャールには分かっていた。


 セフィラという女は知的好奇心の塊である。未知の現象、解明されていない謎、そうしたものを前にすると、彼女の中の何かが疼いて止まらなくなる。資料庫で小鬼の起源について説明を受けた時のあの目の輝き。森で見慣れぬ植物を発見した時のあの興奮。彼女にとって世界とは探求すべき対象であり、答えのない問いは解かねばならぬ宿題のようなものであった。


 魔物が異常発生している。その原因は不明。調査隊すら消息を絶った。


 そのような話を聞かされて、彼女の知的好奇心が刺激されぬはずがない。


「だがあえて危険を冒す必要はあるまい」


 シャールは穏やかに、しかし有無を言わせぬ調子で言った。


「私たちは所詮、この街に来てまだ日の浅い新人に過ぎない。森の異変を解き明かすのはもっと経験を積んだ者たちの仕事だ」


「ええ、そうですわね」


 セフィラの声には残念さが滲んでいたが同時に安堵のようなものも含まれている。


「わたくしたちがいま無茶をして、それで命を落としては元も子もございませんものね」


「その通りだ」


「ギルドも何か手を打つでしょうし、原因が判明すれば告知があるはずです。それを待てばよいのですわ」


「ああ」


 二人は顔を見合わせ、小さく頷き合った。


 理性が勝ったのである。少なくともこの夜は。


 ◆


 翌朝、二人がギルドの大広間に足を踏み入れた時、いつもとは異なる空気がそこに漂っていた。


 広間の中央、掲示板の前に人だかりができている。何やら羊皮紙が張り出されており、冒険者たちがそれを取り囲んで騒がしくしていた。


「何かあったようだな」


 シャールが呟くと、セフィラは爪先立ちになって人垣の向こうを窺おうとした。だが彼女の背丈では屈強な冒険者たちの頭越しに掲示物を読み取ることは難しい。


 二人は人混みをかき分けるようにして掲示板の前へと進んでいった。


 張り出された羊皮紙にはギルドの紋章が押されている。公式の告知であることを示すものだ。その下に記された文面は簡潔であった。


『ケリガンの森における狩猟活動について、当面の間、最大限の注意を払うことを勧告する。同森林内では魔物の異常な増加が確認されており、従来の危険度評価は適用されない可能性がある。浅層においても中層相当の警戒が必要と思われる。冒険者各位においては自身の技量と装備を十分に勘案の上、慎重な判断を求む』


「勧告、か」


 シャールは口の中で呟いた。


 禁止ではない。立入禁止令が出されたわけでもなければ、依頼の凍結が宣言されたわけでもない。ただ「注意を払え」「慎重に判断しろ」と言っているだけである。


 シャールは視線を横に移した。


 掲示板の別の区画には相変わらず様々な依頼の木札が並んでいる。その中に、見覚えのある文言を見つけた。


『ケリガンの森中層 灰狼の牙十本 報酬銀貨八枚』


『ケリガンの森深層 岩猿の心臓三つ 報酬金貨一枚』


 依頼が出ている。それも森の奥深く、調査隊が消息を絶ったとされる領域の素材を求める依頼が。しかも報酬は通常の何倍にも跳ね上がっている。


 セフィラもそれに気づいたらしく、かすかに眉を寄せた。


「なんだか妙ですわね」


 彼女は声を潜めて言った。


「注意を促しておきながら、同時に危険な場所の依頼を出している。矛盾しているようにも見えますわ」


「そうだな」


 シャールは腕を組んで考え込んだ。


 なるほど、とやがて彼は小さく頷いた。ギルドの思惑が見えてきたのである。


 冒険者ギルドという組織は冒険者たちの互助会であると同時に、彼らを管理する機関でもある。だが「管理」という言葉の中身は一般に想像されるものとはいささか異なっていた。


 ギルドは冒険者の行動を強制的に制限する権限を持たない。この街においてそれは自治の根幹に関わる問題である。ラスフェルは自由の街だ。いかなる権力も個人の行動を縛ることは許されない。それが建都以来二百年にわたって守られてきた原則であった。


 だからギルドは「禁止」ではなく「勧告」という形を取る。行くなとは言わない。だが行くならば自己責任だと言い含める。危険だということは告知した。それでも行くと言うならば止めはしない。だが何が起きても知らない。


 その上で、危険地帯の依頼には高額の報酬を設定する。


 一見すると矛盾しているように見えるこの方針には実は合理的な意図が込められていた。


 高額の報酬は腕に覚えのある冒険者にとっては確かに魅力的である。だが同時に、それは危険の指標でもあった。報酬が高いということはそれだけリスクが大きいということに他ならない。分別のある者であれば、銀貨八枚の依頼と銅貨三十枚の依頼とではどちらが危険かを瞬時に判断できる。


 つまりこれは一種の選別装置なのだ。


 高額報酬に目が眩んで無謀にも森に突入する者がいたとして、それは彼ら自身の判断である。ギルドは危険を告知した。依頼には正当な報酬を設定した。それでも行くと決めたのは本人だ。何が起きようとも、ギルドに責任はない。


 逆に言えば、この状況で森に入る者は二種類に限られる。一つは己の実力を過信した愚か者。もう一つは高額報酬に見合うだけの実力を持ち、かつリスクを承知で挑む覚悟のある者。


 前者は淘汰される。後者は成功する。あるいは失敗しても、それは彼ら自身が選んだ道である。


 ギルドとしてはどちらに転んでも損はない。愚か者が消えれば管理の手間が省ける。実力者が素材を持ち帰れば依頼は完遂される。そしていずれの場合も、ギルドは責任を問われることがない。


 冷酷といえば冷酷である。だが同時に、これほど合理的な仕組みもない。


「なるほど」


 シャールは低く呟いた。


「賢いやり方だ」


「どういうことです?」


 セフィラの問いに、シャールは小声で説明した。勧告の意味、依頼の意図、そこに込められたギルドの思惑。それらを聞き終えた時、セフィラもまた小さく頷いていた。


「つまり、自己責任ということですわね」


「そうだ。行くも行かぬも自分次第。だが行くならば覚悟しろ、と」


「厳しいですわね」


「だがこれがこの街のやり方なのだろう。誰かに守ってもらえると思うな。自分の命は自分で守れ。それがラスフェルという場所の本質だ」


 セフィラは掲示板を見つめたまま、しばし黙り込んでいた。


 やがて彼女は静かに口を開いた。


「わたくしたちはこの街のことをまだ何も知らなかったのかもしれませんわね」


「ああ。私もそう思う」


 二人は掲示板の前から離れ、いつもの受付へと足を向けた。


 今日も雑用の依頼を受けるのだ。荷運びか、清掃か、あるいは採取か。地味で報酬の少ない、だが確実に身になる仕事を。


 森のことは気になる。だがそれは今の自分たちには手の届かない領域の話である。


 そう考えたシャールとセフィラ。


 そうして数日が過ぎていった。

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しかし奔放な妻に振り回され、同じ苦しみを共有するうちに、敵同士だったはずの三人の間には奇妙な連帯感が芽生え始める。
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