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追放された王太子と公爵令嬢が冒険者になる話  作者: 埴輪庭
第一章

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第2話 シャールとセフィラ②

 ◆


 王国暦五百二十五年。シャールとセフィラは共に十三歳を迎えていた。


 王宮庭園の片隅にある古い石造りのベンチは相変わらず二人にとって誰にも侵されることのない聖域であったが彼らの関係は以前よりも深い次元へと移りつつあった。


 王太子と公爵令嬢という、生まれながらに背負わされた公的な役割。その重圧は年を追うごとに増していったが二人で過ごす時間だけがその精神的な束縛から彼らを解き放つ唯一の機会だったのである。


 ある日の午後、二人の姿は王宮の書庫ではなく、エルデ公爵家の広大な書斎にあった。王家の書庫が国家の威信を示すためのものであるとすれば、公爵家の書斎はより純粋に学術的な探求の場としての性格を帯びていた。稀少な専門書が壁一面の書架を隙間なく埋め尽くす光景はそれ自体がある種の知的な圧力を放っていた。


 この日、シャールが公爵邸を訪れたのは極めて珍しい古代の魔導書がエルデ家にもたらされたという知らせを受けたからに他ならない。


 セフィラは重厚な革装丁の古文書を机の上に広げ、その難解な頁をひたすら読み解こうとしていた。


「この一節……古代語の文法構造が現代のものとあまりにも異なっていて、真意がつかめません」


 細い指先で羊皮紙の文字をなぞりながら、彼女は考え込む。シャールも隣から身を乗り出して、その不可解な文章を覗き込んだ。騎士譚の知識こそあれ、このような高度な専門文献を解読する力を彼は持ち合わせていない。けれども、婚約者が何に心を奪われているのかを知りたいという純粋な好奇心が彼を突き動かしていたのである。


「どうやら、魔力の本質そのものに直接働きかける技術体系についての記述のようですけれど……」


 しばらく黙って考えた後、セフィラはふと顔を上げた。その翠色の瞳に、悪戯心とも探求心ともつかない光が宿る。


「殿下。この理論を、実際に試してみてもよろしいでしょうか」


「実践、だと?」


 シャールの問いに、セフィラは頷いた。


「ええ。この書によれば、特定の呪文や触媒に頼らなくとも、純粋な精神の集中だけで物理現象に干渉できるとあります。まず、対象物を構成する最も小さな粒子を意識の中に捉えることから始める、と書いてあるのです」


 それは四大属性を魔法の根幹とする現代の魔導学体系そのものへの、根本的な挑戦とも言える考え方であった。セフィラは机の上の羽根ペンに視線を定めると、ゆっくりと深呼吸をし、精神をひとつの点に集中させていく。


 数秒の静寂。その後に現れた光景はシャールのこれまでの常識を根底から覆すものであった。


 机の上の羽根ペンがかすかに震え、まるで見えない糸に引かれるように、ゆっくりと宙へ浮かび上がったのである。詠唱もなければ魔法陣もない。ただ、セフィラの純粋な意志の力だけが奇跡とも呼ぶべき物理法則の書き換えをそこに現出させていた。


「……すごい」


 シャールの口から、ほとんど無意識に感嘆の声が漏れた。羽根ペンは不安定に揺れながらも、数センチほど浮いた状態で静止している。やがてセフィラの集中が途切れたのか、ペンは音もなく机の上へと落ちた。


「……はぁ。やはり、簡単なことではありませんわね」


 額に汗を浮かべながら、セフィラは小さくため息をつく。


「だが今起きたことは……属性魔法とは明らかに違う。まさか──無の魔力なのか?」


「断言はできません。ただ、もしこれが無の魔力だとするならば、これまで魔法を発現できない証とされてきた無の魔力の、本当の姿なのかもしれませんわ」


 その言葉には深い含みがあった。エルデ公爵家は水の魔力の血統である。とすれば、今セフィラが示した力は──。


 これはある種の試しでもあった。公爵家の者が将来の王妃となる者が無の魔力を扱うなどということはこの王国では決してあってはならないのだ。


 セフィラの喉が知らず知らずごくりと鳴った。しかしシャールが返した言葉はこうだった。


「……私も、試してみることを許してもらえるだろうか」


 シャールの申し出に、セフィラはわずかに驚きながらも、すぐに微笑んで頷いた。それは自分もまた運命を共にする者だと表明したに等しかった。


「もちろんですわ、殿下。まずはもっと軽いもので試されてはいかがでしょう。たとえば、この砂時計の砂粒などで」


 セフィラの助言に従い、シャールは机の上の小さな砂時計に意識を集中させる。精神を極限まで研ぎ澄ませたその時、砂時計の中で再び不思議な現象が始まった。


 落ちるはずの砂粒が重力に逆らい、ガラスの内壁を螺旋を描きながら駆け上がり始めたのである。セフィラが息を呑むのが分かった。シャールはさらに集中力を高め、砂粒の集まりに、もっと複雑な動きを与えようと試みる。しかしそれが彼の限界だった。大きく息をつくと同時に砂は制御を失い、さらさらと音を立てて底へと崩れ落ちていった。


「……殿下にも、この力が……」


 セフィラの声には驚きと、そしてそれ以上の喜びが満ちていた。


「この件は誰にも話してはならない」


 シャールの静かな、しかし有無を言わせない口調に、セフィラもまた深く頷いた。


「はい」


 理由を改めて説明する必要はなかった。


 およそ既存の権威というものは自らの理解を超えた事象に対して、まず警戒と排斥をもって応えるものである。四大属性の序列が絶対とされるこの世界において、彼らが見出した事実が旧来の秩序に対する異端として断罪される危険は決して小さくはなかった。


 二人は密かに視線を交わす。それは世界でただ二人だけの秘密を共有した、共犯者の目であった。


 この日を境に、二人は密かにこの未知の力の鍛錬を始めた。それは後に「念動」あるいは「純粋魔力操作」と分類されることになる、魔法史における大きな転換点の芽生えであったが当人たちにとってはただ二人だけの秘密の遊びに過ぎなかったのかもしれない。


 そうして鍛錬を重ねるうちに、二人の力の特性の違いがはっきりと表れてきた。シャールは砂粒で剣の形を作ったり、水滴で空中に文字を描いたりといった、細かな対象を精密に操ることに長けていた。


 一方セフィラは書物や椅子といった、より大きな物体を動かす強力なエネルギー制御の才能を示した。繊細な技巧のシャールと、強大な力のセフィラ。特性に違いはあれど、同じ種類の力であることに疑いの余地はなかった。


 秘密を分かち合うことは必然的に二人の心の距離をより近いものにした。それは友情や信頼という言葉だけではもう表しきれない、より深く、そしてどこか甘い色合いを帯びた感情へと変わりつつあった。


 穏やかな陽光が差し込むエルデ公爵家の書斎。


 大きなソファに並んで座り、それぞれ別の本を開く二人。けれども彼らの意識はもはや本の文字だけには向けられていなかった。頁をめくる音、隣に感じる温もり、かすかな呼吸の響き。それらが織りなす静かな空間そのものが二人にとって何ものにも代えがたいものとなっていたのである。


 ふと、シャールは読んでいた本から顔を上げた。視線の先には書物に没頭するセフィラの横顔。光を受けて輝く亜麻色の髪、知性の光を宿す翠色の瞳。その姿に、シャールの心臓が大きく脈打った。


 どれほどの時間そうしていただろうか。不意に顔を上げたセフィラと、シャールの視線がごく間近で交わる。セフィラの瞳の中にシャールは自分自身の、そしてシャールの瞳の中にセフィラもまた自分自身の、隠しきれない熱のこもった光を見た。


 もはやいかなる言葉も必要なかった。


 どちらからともなく、二人の顔がゆっくりと近づいていく。それは磁石が引き合うような、抗いがたい自然の法則に従った動きであった。シャールの指先がセフィラの頬にそっと触れる。セフィラは小さく息を呑み、静かにその瞳を閉じた。


 そして二人の唇がごく自然に重なり合ったのである。


 ◆


 ほんの数秒にも満たない触れ合い。しかしその一瞬は二人にとって永遠にも等しい意味を持っていた。


 唇が離れた後も、二人は互いを間近に見つめ合ったまま、しばらく動くことができなかった。先に沈黙を破ったのはシャールだった。


「……セフィラ」


 かすれた声で紡がれた名前。


「……シャール殿下」


 応えるセフィラの声もまた、かすかに震えていた。


 それは政略によって定められた婚約者という形式的な関係を超えた瞬間であった。

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自作の長編と短編を宣伝。長編は大体ブクマ1000~1500くらいのやつ。短編は直近二ヶ月で書いたやつをポイント降順に。

【長編】

アステールの血を引く者は魔術に優れる事甚だしく、特にハイン・セラ・アステールはアステール史上もっとも強大な魔力を誇る麒麟児であった。
"本来の歴史" では彼は傲慢で邪悪な典型的悪役貴族であったのだが、並行世界では一味違う。
いや、二味違う。
一味目は、彼が極度のマザコンだという点だ。
平行世界のハインもまた本来の歴史のハインと同様に邪悪なのだが、母への愛が魔と邪を覆い隠す。
勇者も聖女も元婚約者も、彼にとってはどうでもいいことだ。
ハインはただ母と静かに安らかに暮らしたいだけで、それを邪魔する者全てが彼の敵である。
では二味目はといえば、それは彼が本来の歴史のハインよりも遙かに強大な魔力を有し、遙かに強大な魔術を操るという点だ。
愛する母に格好いい姿を見せたいがために努力を重ねた天才──ハインに不可能はない。
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「運の尽き」

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弁護士の真司は漁師の啓二、バーテンダーの了と共に、愛する妻・莉子と暮らしている。
かつては嫉妬に狂い、互いに殺意すら抱いた男たち。
しかし奔放な妻に振り回され、同じ苦しみを共有するうちに、敵同士だったはずの三人の間には奇妙な連帯感が芽生え始める。
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