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追放された王太子と公爵令嬢が冒険者になる話  作者: 埴輪庭
第一章

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第16話 後日談

 ◆


 あれから一か月が過ぎた。


 森での一件を経て、リッキーたちの態度には目に見える変化が生じていた。ヴァンスは以前のような功名心を口にしなくなり、トトとミランもまた地に足のついた依頼を黙々とこなすようになっている。


 そして今日、シャールはギルドの掲示板で見つけた解体の依頼を受けていた。


 街の東区画にある使われなくなった石造りの倉庫を取り壊すという仕事である。報酬は銀貨一枚。雑用としては破格の額だが、それだけ重労働であることを意味していた。


「ども、シャルの兄貴。今日もよろしくっす」


 現場に着くと、リッキーが既に待っていた。


 その隣にはヴァンスの姿もある。肩の傷はまだ完治には至っていないらしく、右腕の動きがどこかぎこちない。


「君たちも受けていたのか」


「はい。まあ、俺たちじゃ大金づちは振れないっすけど……瓦礫の片付けくらいならできるんで」


 リッキーがばつが悪そうに頭を掻く。


 ヴァンスは黙ったまま軽く会釈した。あの夜以来、彼はシャールに対して妙によそよそしい態度を取るようになっている。気まずさと敬意が入り混じった、扱いに困る距離感であった。


「よう、シャルにリッキーじゃねえか。今日もご苦労さんだ」


 声をかけてきたのは現場監督のゴルドーである。日に焼けた肌と太い腕を持つ中年の男で、解体現場を取り仕切る職人の親方だ。シャールとリッキーはこれまで何度もこの男の下で働いてきたため、すでに顔見知りの間柄となっていた。


「今日の現場はあそこだ。見ての通りのボロ倉庫だが、石組みがやけに頑丈でな。手こずるかもしれん」


 ゴルドーが顎でしゃくった先には、苔むした石壁がそびえている。確かに年季は入っているが、その分だけ石と石の噛み合わせが固くなっているのだろう。


「承知した」


 シャールは短く答え、傍らに立てかけてあった大金づちを手に取る。


 柄の長さは彼の背丈ほどもあり、頭部は鉄の塊そのものだ。常人が振り回すには重すぎる代物である。


 だがシャールはそれを軽々と肩に担ぎ、倉庫の壁へと歩み寄っていった。


 ◆


 最初の一撃が壁面を捉えた時、現場に居合わせた者たちは一様に息を呑んだ。


 轟音。


 石塊が砕け散り、粉塵が舞い上がる。


 シャールは間髪入れずに二撃目を放つ。三撃目。四撃目。休む間もなく振り下ろされる金づちが石壁を容赦なく破壊していく。


「……相変わらずだな、あいつは」


 ゴルドーが腕を組んで呟いた。


 傍らでは他の作業員たちが呆然と立ち尽くしている。彼らもまた解体のプロであるはずだがシャールの仕事ぶりを前にしては、自分たちの出番など存在しないかのようだった。


 リッキーとヴァンスは現場の隅で瓦礫の片付けに追われている。シャールが砕いた石塊を運び出し、荷車に積み込む作業だ。地味ではあるがこれもまた欠かせない仕事である。


「すげえな、兄貴は」


 リッキーが汗を拭いながら言った。


「あの金づち、俺が持ち上げようとしたら腰が抜けそうになったっすよ」


「俺も試したが、柄を握るのがやっとだった」


 ヴァンスが苦笑する。


 以前の彼ならば悔しそうな表情を浮かべたかもしれない。だが今は素直に認めている。己と相手の力量の差を。


「あれで冒険者になってまだひと月ちょっとなんだろ? 信じられねえよ」


「……ああ」


 リッキーは視線をシャールに向けたまま、小さく頷いた。


 壁を砕き続けるその後ろ姿には、一切の無駄がない。構え、腰を回し、横殴りに叩きつける。その動作が淀みなく繰り返されていく。


 力だけではない。


 体の使い方そのものが洗練されている。どこかで本格的な訓練を受けた者特有の、型に嵌まった美しさがそこにはあった。


 ◆


 昼が近づく頃には、倉庫の壁は半分以上が瓦礫と化していた。


「休憩にするぞ」


 ゴルドーの声が現場に響き渡る。


 作業員たちは思い思いの場所に腰を下ろし、水を飲んだり握り飯を頬張ったりし始めた。シャールも金づちを地面に立てかけ、額の汗を拭う。


「兄貴、これ」


 リッキーが水袋を差し出した。


「ありがとう」


 シャールはそれを受け取り、喉を潤す。冷たい井戸水が乾いた喉に染み渡っていった。


「しかし暑いな」


 そう呟きながら、シャールは着ていたシャツに手をかける。


 汗で布地がべったりと肌に張り付いている。このまま着続けていれば、仕事が終わる頃には雑巾を絞ったような有様になるだろう。


 周囲を見渡せば、他の作業員たちも同様だった。何人かはすでに上半身裸になり、日陰で涼を取っている。解体作業においては珍しくもない光景である。


 シャールは躊躇うことなくシャツを脱いだ。


 ◆


 その瞬間、リッキーの目が大きく見開かれた。


 シャールの上半身が露わになる。


 細い。


 それが最初の印象だった。骨格は決して大柄ではなく、むしろ華奢と言っていいほどの線である。あの怪力がこの体から生まれているとは俄かには信じ難い。


 だが、よく見ればその印象は覆される。


 贅肉というものが一切ない。薄い皮膚の下で筋肉の一本一本が明確な輪郭を描き、動くたびにそれらが生き物のように蠢いている。


 鍛え抜かれた肉体。


 無駄を削ぎ落とし、必要なものだけを極限まで研ぎ澄ませた刃のような体躯。見た目の線の細さとは裏腹に、そこには圧倒的な密度が宿っていた。


「……すげえ」


 ヴァンスが思わず漏らした。


 彼もまた、シャールの肉体に目を奪われていた。自分とは作りが違う。根本的に鋳型が異なる。それを否応なく理解させられる光景だった。


 腹筋は板のように割れ、背中には逞しい筋が走っている。肩から腕にかけての筋肉は弓の弦のように引き締まり、わずかな動きにも即座に反応できる柔軟さを備えていた。


「兄貴、その体……どうやって作ったんすか」


 リッキーの声は掠れていた。


「鍛えた。それだけだ」


 シャールは素っ気なく答える。


 だがその「それだけ」がどれほどの年月と苦行の積み重ねを意味するか。見る者が見れば一目瞭然であった。


 ◆


 リッキーは視線を逸らすことができなかった。


 汗に濡れた肌が陽光を受けて鈍く光っている。その輪郭を目で追うたび、胸の奥で何かが疼いた。


 自分でも説明のつかない感覚である。


 頬が熱い。


 心臓の鼓動が速くなっている。


 これは何だろう。憧れだろうか。尊敬だろうか。それとも──


 リッキーは慌てて首を振り、その思考を打ち消した。


 視線を足元に落とし、深呼吸をする。だが一度意識してしまうと、もう元には戻れない。視界の端にシャールの姿が映るたび、心臓が跳ねるのだ。


「どうした、リッキー。顔が赤いぞ」


 シャールの声が降ってきた。


「ひゃっ……いや、何でもないっす。暑さのせいっすよ、たぶん」


 リッキーは早口でまくし立てる。


 シャールは首を傾げたが、それ以上は追及しなかった。代わりに、リッキーとヴァンスの服装に目を向ける。


「君たちも大分汗をかいているな」


 確かにその通りだった。


 二人とも服が汗で濡れ、肌に張り付いている。特にヴァンスは肩の傷を庇いながら作業していたため、余計に発汗が激しいようだった。


「シャツは脱がないのか?」


 シャールの何気ない問いに、ヴァンスの体がぴくり、リッキーはびくりと強張った。


 ヴァンスは咄嗟にリッキーの方を見る。


「い、いやあ……俺は、その……」


 リッキーが言葉を濁し、どこか落ち着かない様子で目を泳がせている。シャツの襟元を無意識に直す仕草。それは自分の体を隠そうとする防衛本能のようにも見えた。


「まあ嫌なら着たままで良いと思うが」


 シャールは特に追及することなく、水袋に口をつけた。


「ただ、依頼が終わったら上着はきちんと洗った方が良い。この季節だとすぐに匂ってくるからな」


「あ、はい。そうっすね」


 リッキーがほっとしたように答える。


 ヴァンスも小さく頷き、安堵の息を漏らした。二人の間で視線が交わされる。それは言葉にならない了解のようなものだった。


 シャールはその微妙な空気の変化に気づいていたかもしれないし、気づいていなかったかもしれない。いずれにせよ、彼はそれ以上何も言わなかった。


 ◆


 休憩が終わり、作業が再開される。


 シャールは上半身裸のまま、再び金づちを手に取った。午前中と同じように、彼の一撃が壁を砕いていく。


 リッキーは瓦礫を運びながら、時折その背中を盗み見ていた。


 動くたびに筋肉が波打つ。汗が背筋を伝い、腰のあたりで光を弾く。


 その度に、リッキーの心臓が跳ねた。


 何故だろう。


 自分でも分からない。ただ、目が離せないのだ。視線が勝手にシャールを追ってしまう。


「おい、ぼさっとすんな」


 ゴルドーの声が飛んできて、リッキーは我に返った。


「す、すみません!」


 慌てて瓦礫を抱え直し、荷車へと向かう。その背中を、ヴァンスが複雑な表情で見送っていた。


 ◆


 日が西に傾き始めた頃、倉庫の解体作業は完了した。


 かつて石壁がそびえていた場所には、今や整地された更地が広がっている。瓦礫は全て運び出され、荷車に積まれて処分場へと向かっていった。


「よくやった。予定より早く終わったぞ」


 ゴルドーが満足げに頷く。


「報酬はギルドで受け取ってくれ。いい仕事だった」


「ありがとう」


 シャールは汚れたシャツを羽織りながら答えた。


 リッキーとヴァンスもまた、疲労の色を浮かべながらも達成感に満ちた表情をしている。


「兄貴、今日もお疲れさまでした!」


 リッキーが頭を下げた。


「ああ、君たちも。また依頼があればよろしく頼むよ」


「はい! ぜひ!」


 リッキーの声が弾んだ。


 その笑顔はどこか眩しく、シャールは思わず目を細める。


 ヴァンスもまた、ぎこちないながらも笑みを浮かべて言った。


「……俺も、また一緒に働かせてもらえると嬉しい」


「こちらこそ」


 シャールは短く答え、ギルドへと足を向けた。


 その後ろ姿を見送りながら、リッキーはまだ頬の熱が引かないことに気づいていた。


 ◆


 夕暮れの街を歩きながら、シャールは今日の出来事を振り返っていた。


 リッキーの様子がどこかおかしかった。顔を赤らめ、視線を泳がせ、妙に落ち着きがない。


 暑さのせいだと本人は言っていたがそれだけではないような気もする。


 だが深く考えることはしなかった。


 人にはそれぞれ事情がある。詮索は無粋というものだ。


 宿に戻ると、セフィラが既に帰っていた。今日、彼女は薬草の採取の依頼を受けていたのだが、手早く終わらせて一足先に帰っていたのだ。彼女にもここ暫くで顔見知りが出来、今日の依頼はその顔見知りと一緒にこなしていた。


「お帰りなさい、シャール」


「ただいま、セフィラ」


「大分汚れましたわね。井戸で水を浴びてらっしゃいますか?」


「そうする」


 シャールは荷物を置き、宿の裏手にある井戸へと向かった。


 冷たい水が火照った体を冷やしていく。解体作業で蓄積した疲労が少しずつ洗い流されていくようだった。


 体を拭きながら部屋に戻ると、寝台に腰かけてぼんやり外を眺めていたセフィラがこちらを向いた。


「今日はリッキーたちと一緒だったのですね」


「ああ。解体の依頼を受けていた」


「あの子たち、変わりましたわね」


 セフィラが鍋を掻き混ぜながら言う。


「森での一件以来、地に足がついた感じがします」


「そうだな」


 シャールは窓の外を見つめた。


 夕焼けに染まる街並み。行き交う人々の影。どこか遠くで犬が吠えている。


「シャールも良い()()になりましたわね」


「……からかっているのか」


「まさか。本心ですわ」


 シャールは小さく息を吐いた。


 ──兄貴、か。


 その呼称にはまだ慣れない。だが悪い気はしなかった。


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かつて「他人と関わるな」が常識だった社会は一変し、人々は見知らぬ者同士で命を預け合うようになった。
「運の尽き」

あるところに女の子がいました。
女の子はもう死にます。
「光り、きらきら」

「私たち四人は対等なの」──女の提案で始まったのは、三人の男が一人の女を共有する異常な日々だった。
弁護士の真司は漁師の啓二、バーテンダーの了と共に、愛する妻・莉子と暮らしている。
かつては嫉妬に狂い、互いに殺意すら抱いた男たち。
しかし奔放な妻に振り回され、同じ苦しみを共有するうちに、敵同士だったはずの三人の間には奇妙な連帯感が芽生え始める。
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