(8)解毒薬
イザベラは再び学園を訪れていた。今日で三日目。そろそろ解毒薬ができている頃だ。
うららかな春の日の午後。応接室へと向かう学園の道沿いには色とりどりの花が咲き乱れている。昨日は風が強かったが、それで花が散らされることはなかったようだ。イザベラは大きく息を吸い込むと、花の甘い香りを楽しんだ。
応接室には、すでにカインとエミリアが来ていた。イザベラの姿を見ると、カインの顔が綻んだ。
「薬が完成したよ、イザベラ。」
ことり、と机の上に置かれた瓶には無色の液体が入っていた?
「さすがお兄様ですわ。あとは『春のまどろみ』にかかる人がいるかどうかですわね。」
「そのことなんだけどね。イザベラ。」
エミリアが真剣な顔をする。
「実は昨日の夜から目覚めない人が何人もいると、先生達が大騒ぎしているの。生徒には知らせないようにしているみたいだけど。」
「お姉さまはどこからその情報を?」
エミリアも生徒である。
「実は錬金術研究室に、依頼があったの。昨日の嵐で温室の一つが壊れたから、そこに張る結界用の道具を大至急作って欲しいって。私たちもそれを手伝わされたの。おかげでほぼ徹夜よ。」
そういうエミリアの顔は確かに疲れが浮かんでいる。
「で、うっかりそのまま研究室で仮眠をとっていたら、先生達が話をしていたの。漏れた花粉で眠ってしまった生徒がいるって。」
『春のまどろみ』は花粉を吸うことで発症する。温室が壊れた時に、近くに生徒がいたのだろう。
「つまり、チャンス到来という訳ですわね。行きますわよ、お兄様。エミリアお姉様はお休みになってくださいませ。」
急なイザベラの言葉に、カインは首を傾げた。
「え?どこに?」
「この学園で具合が悪くなったら行くところは一つではありませんか。」
イザベラは人差し指をピンと立ててみせる。
「医務室ですわ!」
医務室の前には先客がいた。しかもイザベラが会いたくなかった二人だ。二人は扉の前にいる職員と話をしていた。
「私の浄化魔法を試させてくださいませ!」
ぎゅっと両手を握りしめながらそう言っているのは、ピンクブロンドのセフィリアだ。どうやら病のことをどこからか聞きつけてきたらしい。
その横に立っている紺の髪色の男は、ルークスだった。
「彼女の魔法で症状が悪くなることはない。試してみてもいいんじゃないかな。」
セフィリアはともかく、ルークスが一緒にいる意味はなんなのだろう。
「ここは立ち入り禁止です。どうしても入るなら学園長の許可をもらってください。」
医務室の職員はセフィリア達を入れる気はないようだ。
「今行っても多分僕たちも入れてもらえないね。」
カインがイザベラの耳元でそっと囁く。その吐息に耳を赤くしながら、イザベラは頷いた。
「別の方法を考えないといけませんわね。戻りましょう。」
そう言って二人が帰ろうとした時だった。前の二人が後ろを振り向いた。今日はルークスの赤い眼は眼帯で覆われているが、もう一つの緑の眼が驚いたように見開かれる。
「イザベラじゃないか。そうか。僕への愛に気づいたんだね。」
イザベラに近づこうとするルークスの前に、カインが立ち塞がった。
「僕の婚約者を勝手に呼び捨てにしないでいただきたいですね。」
「え、あなた、婚約者がいましたの?」
驚くセフィリアをカインは無視して、イザベラの方をちらりと見る。
「どこでこんな悪い虫をつけてきたんだい?」
悪い虫、とはルークスのことだろう。少し機嫌が悪そうなカインの様子に慌ててイザベラは正直に話す。
「魔法店で偶然会っただけですわ。」
「駄目じゃないか。この街はまだ、消毒が済んでいないんだよ。一人で出かけないように、護衛に言っておかないとね。」
消毒、とは何をすることを指すのだろう。イザベラが考えている間に、ルークスは気を取り直したらしい。
「私には彼女の愛の力が必要なのだよ。すまないが、譲ってもらえないだろうか。」
「嫌ですね。そもそも彼女は物ではない。譲るなどという輩には到底近寄らせたくありません。」
パチバチと火花を散らす二人の様子に怯えることなくルークスの袖を引っ張ったのはセフィリアだ。
「あの、ルークス様。私が呪いを解きますわ。」
しかし、ルークスはセフィリアの手を振り払い、冷たく言い放つ。
「今の時点で君にその力があるとは思えない。」
そのセリフを聞いたセフィリアは、なぜかイザベラをキッと睨んだ。
「わかりましたわ。あなたが私の邪魔をする『悪役令嬢』ですのね!」
「……言っている意味がよくわかりませんわ。」
そもそもイザベラにはルークスの呪いを解く魔法は使えないはずだ。
騒ぎに耐えかねたのか、他の職員が医務室から顔を出し、イザベラ達の元にツカツカと歩み寄ってきた。
「ここは病人のいる場所です!全員学園長がお呼びです。学園長室へ案内します!」
どうやら通報されてしまったようだ。しまったという顔で口を噤んだルークスとセフィリアの様子にため息をついたのはカインだ。
「……仕方ないね。行こう。」
職員の後に続いて歩き始めたカインの後を、イザベラもついて行く。
(学園に出入り禁止と言われてしまったらどうしましょう。来年入学すらできないかも……)
「な、なんで私が学園長に呼び出されなければなりませんの。」
「ちょうどいい機会だから、浄化魔法を使えるように頼めばいい。」
(あんた達のせいでしょうが!)
後ろでヒソヒソと話す二人に怒鳴りつけたい気持ちをイザベラはグッと抑え込んだ。
「なるほど。君が浄化魔法で患者を治したいと。」
「ええ。ですので医務室に入れていただきたいのですわ。」
学園長室に連行された四人に、座っていいと言ってくれる人はいなかった。
学園長の冷たい視線も気にせず、堂々と言い放つセフィリアの度胸は認めてあげてもいい。きっとものすごくポジティブ人間なのだろうな、とイザベラは思った。
それにしても、この部屋は暖かくて、眠気を誘われる。
イザベラは小さくあくびを噛み殺した。
「なぜ患者がいると知っている?」
「僕は魔法寮の寮長です。夜になっても帰ってこない寮生がいると報告があれば、心配して探しますよ。その中で彼女に出会ったのです。」
ルークスの話におかしなところはなかった。それが分かったのか学園長は頷き、カインの方を見る。
「ふむ。分かった。ところでそっちの君たちはなぜ医務室に?」
「私は、植物学を専門にしている、カイン・グリーンと申します。」
カインの名前を聞いて、学園長はおや、と言う顔をした。
「君の名前は聞いているよ。植物学については、かなり専門知識があるそうだね。」
「お褒めいただき、ありがとうございます。私の姉から昨日の嵐で温室が破壊されたと聞きました。あの温室には確か、他国の植物が植えられていましたよね?」
カインは言外にこの学園の植物のことは知っていると匂わせると、制服のポケットから瓶を取り出す。
「解毒薬です。心配でしたら、先生方に中身を確認していただいて構いません。」
学園長を前に一歩も引かず、話をするカインの背中は、ひどく頼もしく見えた。が、なぜかゆらゆらとして見える。
(あら。でも私、なんだか変な……)
さっきからひどく眠気が襲ってくるのだ。ふらりとしかけて、思わずカインの腕を掴む。振り返ったカインがギョッとした顔をする。
「イザベラ?」
「ごめんなさい。なんだかひどく、ねむ……くて……。」
目を閉じると、すうっと意識が遠のいていく。
そのままイザベラは、意識を手放した。
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