第九話『偽りの監査官と、母の匂い』
生体保存局へ向かう馬車の中。
車輪が石畳を叩くリズミカルな音だけが、沈黙を埋めていた。
俺は対面に座るポポロを見据え、静かに口を開いた。
「ポポロ、お前の両親の名前を教えてくれ」
突然の問いに、ポポロはきょとんとした表情を浮かべたが、すぐに素直に答えた。
「お母さんはルナ……ルナリア。お父さんは……ソラン。……どうして?」
俺は隣に座るリンネアと視線を交わした。
昨夜、地下禁書庫で見つけた記録。『検体番号百八 ルナリア』。そして、『父ソラン、自死』の文字。
やはり、間違いない。
「実は、地下禁書庫で母親と思われる記録を発見したんだ」
「ほんと!?」
ポポロが身を乗り出す。その瞳が希望に輝く。
「……父さんは?」
その問いに、俺は喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。
父親は、もういない。過酷な尋問の末に、自ら命を絶った。
だが、これから敵地に乗り込み、母親を救出しようというこの土壇場で、その事実を告げるべきではない。
「……父親の記録は見つからなかった。すまない」
俺は視線をそらさずに嘘をついた。
ポポロの表情がわずかに曇る。だが、俺は間髪入れずに続けた。
「だが、母親の居場所は分かった。……この地下施設のどこかだ」
「地下……?」
「ああ。だが、一つ言っておく。元気かどうかは分からない。半年近くも実験台にされていたんだ。……ひどい姿かもしれない」
俺はあえて厳しい現実を突きつけた。
「それでも一緒に探しに行くか? 怖ければ、宿で待っていてもいいんだぞ」
ポポロはうつむき、小さな手を握り締めた。
だが、その震えは一瞬で止まった。
顔を上げたポポロの瞳には、かつての幼い子供の怯えはなかった。
「行く。……ボク、もう子供じゃないもん。母さんに会いたい」
その言葉と眼差しに、俺は確信した。こいつはもう、守られるだけの存在じゃない。
「よし。なら、しっかりついて来い」
俺はポポロの頭を、乱暴に、しかし愛しさを込めてなでた。
***
生体保存局の裏手、搬入口付近の死角。
そこで俺たちは、最後の「仕込み」を行っていた。
屈強な大男、ガルムが、白衣姿の男の手首を荒縄で縛り上げている。
「……きつくないか?」
「構わん。リアルなほうがいい」
後ろ手に縛られたキースは、死んだような目で淡々と答えた。その腰には、逃走防止用の縄もしっかりと巻き付けられている。
俺は懐から一枚の羊皮紙を取り出し、最終確認を行った。
第一話で市長から託された「特別調査委任状」。
本来は地下禁書庫への調査許可証だが、老獪な市長は意図的にその文面を曖昧にしていた。解釈次第では、都市内のあらゆる施設への立入権限と監査権限があるようにも読める代物だ。
おそらく、最初から正典管理局の闇を暴くために、俺たちにこの「ジョーカー」を持たせたのだろう。
「いいか、今回の筋書きはこうだ」
俺は全員を見回した。
「ドクター・キースは『魔素抑制剤』の横流し主犯。俺たちはその『隠し場所』への案内と、在庫確認(棚卸し)に来た。……そしてポポロ、お前の母さんはその『隠し場所』にいるはずだ」
「私が『地下の実験室に隠した』と自白したことになるわけだな」
キースが自嘲気味に笑う。
「そういうことだ。……ポポロ、準備はいいか?」
俺の視線の先には、体にフィットしたタイトなスーツを着込み、書類鞄を抱えた銀髪の少女がいた。
ポポロだ。成長した姿は、俺たちに同行する「盟約弁護士事務所の助手」として完璧な説得力を持っていた。
「うん。……ボク、震えてないよね?」
「ああ、堂々としたもんだ。リンネア、頼むぞ」
「ええ。法的なツッコミは全て私が弾き返します。……行きましょう」
俺は傲然と襟を正し、先陣を切って歩き出した。
「行くぞ。堂々と胸を張れ。俺たちが『正義』だ」
***
生体保存局、一階ロビー。
地下区画へのエレベーターホール前には、二人の警備兵が立っていた。
俺たちが近づくと、彼らは即座に反応し、腰の剣に手をかけた。
「な、何だ貴様らは! ここは関係者以外……!」
俺は歩調を緩めず、懐から委任状を取り出して警備兵の目の前に突きつけた。
「大図書館都市直轄、特別監査官のタナカだ!」
相手が文面を読む隙を与えず、俺はまくし立てた。
「この男――元上級保存官キースが、局の薬品を横領し『地下の特定区画』に隠匿していると自白した!」
ガルムが縄をグイと引き、縛られたキースを警備兵の前に突き出す。
かつての上官の無様な姿に、警備兵たちは動揺を隠せない。
「ド、ドクター・キース!? これは一体……」
「これより現場検証を行う。ゲートを開けろ」
「き、聞いていません! 局長の許可がなければ……」
食い下がる警備兵に、今度はリンネアが冷ややかに告げた。
「今回の調査は市長直轄の公務です。局長の許可は不要です。これ以上の遅延行為は『公務執行妨害』、および証拠隠滅の『共犯』とみなされますよ?」
盟約弁護士のバッジが、照明を受けて冷たく輝く。
さらに、ガルムが低い声で威圧した。
「早くしろ。こいつが吐いた場所を確認するだけだ」
圧倒的な権威と武力、そして「共犯」という言葉の圧力。
警備兵たちは顔を見合わせ、蒼白になって道を空けた。
「と、通してください……!」
螺旋階段を地下へと降りていく。
重厚な扉を開くと、そこには冷たく無機質な通路が広がっていた。
漂う薬品臭。すれ違う研究員たちは、後ろ手に縛られたキースを見てぎょっとするが、俺の一喝が彼らを凍り付かせた。
「市長直轄の監査だ! 業務はすべて停止しろ! そのまま動くな!」
蜘蛛の子を散らすように逃げようとした者たちも、その場に縫い止められたように立ち尽くす。
俺は冷徹な視線を周囲に配りながら、さらに奥へと進んだ。
キースが小声でつぶやいた。
「……私の評判はこれで地に落ちたな」
「安心しろ。真実が明らかになれば、お前は『組織の闇を暴くために泥をかぶった英雄』だ」
俺はニヤリと笑った。
そのとき、ポポロが俺の袖を引いた。
「……この奥から、すごく懐かしい匂いがする。間違いない、母さんだ」
ポポロの声が震えている。書類を持つ指先が白い。
俺はさりげなくその背中に手を添え、小さく頷いた。
地下第三区画・研究エリア。
無機質な廊下の両側には部屋が並び、「百一」「百二」と番号が振られている。
俺は立ち止まり、近くの研究員に指示を飛ばした。
「これより全室の現場検証を行う。横流しされた薬品が、不正な実験に使われている疑いがあるからな。……そこから順に開けろ」
俺はあえて、目的の部屋ではない手前の部屋を指差した。
研究員が震える手で扉を開ける。
「……なんだこれは? 在庫リストにない『被検体』に投与されているじゃないか」
部屋に入ると、ベッドに寝かされた獣人族の横に、見おぼえのある薬品瓶が置かれていた。
後ろ手に縛られたキースが、それを顎でしゃくった。
「あれです、監査官。私が横流しした魔素抑制剤です」
「押収する」
俺はガルムに目配せし、薬品を確保させた。
そして、研究員たちを睨みつけた。
「おい。この薬を獣人族の女性に使用して、一体何をしていたんだ?」
研究員たちは視線を泳がせ、口を閉ざす。人体実験まがいの行為をしていたなどと、口が裂けても言えないのだろう。
俺はキースに向き直った。
「ドクター。お前はこのことを知っていたのか?」
「いいえ。私は横流しをしただけで、何に使うかまでは……。ですが」
キースはベッドの上の女性を見つめ、冷静に分析した。
「この状態を見ると、定期的に高用量で投与されていたと思われます」
「そうすると、どうなる?」
「……子供が産めない体になるでしょう」
「どういうことだ?」
俺の問いに、キースは淡々と、しかし医学者としての知識を披露した。
「獣人族の体内には、ある程度の魔素が流れています。高濃度の魔素が溜まっている場所に動物が何万年も暮らしていたおかげで獣人族に進化した……という説がありますが、その根拠の一つです。そして、獣人族の妊娠や出産にも魔素が深く関わっていることが分かっています」
キースの言葉に、リンネアやポポロも真剣に耳を傾ける。
「逆に、魔素欠乏症の獣人族は子供が生まれないことも分かっています。男性、女性、どちらかが欠乏症でも不妊になる。……それだけでなく、筋力の衰えや食欲不振、記憶障害なども報告されています」
キースは、ベッドに力なく横たわる女性に視線を向けた。
「見てください。痩せこけて、目はうつろだ。……まさに、魔素欠乏症の典型的な症状です」
打ち合わせをしたわけではない。だが、俺たちの阿吽の呼吸が、この地下で行われていた「種族浄化」という名の非道な実験の実態を、白日の下にさらしていく。
研究員たちの顔色は、もはや死人のように蒼白だった。
俺は研究員から視線を外し、部屋を出た。
無機質な通路のさらに奥、ひときわ厳重な扉を見据える。
『百八』と記されたプレートが掛かっている。
ポポロが震える指で、その扉を指差した。
「……ここ。母さんの匂いがする」
俺は大きく頷き、その扉に手をかけた。
扉を開ける。
そこは、魔素遮断壁で覆われた大部屋だった。
薄暗い室内に、ベッドが十台並んでいる。
手前の四台には、様々な獣人族が寝かされていた。人間と変わらない見た目の者、体毛がびっしり生えている者……全員がひどく衰弱し、ただ「寝かされている」だけの状態だ。
「……ひどい」
リンネアが息を呑む。
俺たちは手前の四人のベッドを確認したが、名札の名前は違っていた。
「この四人ではありません」
リンネアが首を振る。
俺は部屋の奥を見渡した。
隔離されるように配置された一番奥のベッドに、一人の獣人が横たわっているのが見えた。
俺たちは駆け寄った。
ベッドの脇に設置された魔素測定器の液面が、不規則に上下している。
名札には『検体番号百八 ルナリア』。
そこに寝かされていたのは、骨と皮のように痩せこけた女性だった。
銀色の髪は艶を失い、肌は土気色をしている。治療を受けている様子はなく、ただ実験材料として「生かされている」だけだ。
「母さーん!」
ポポロが叫び、駆け寄ろうとする。
「待て! うかつに触るな!」
俺は慌ててその肩をつかんで止めた。今の彼女は、硝子細工のように脆い。
キースがすぐに拘束されたままの姿勢で近づき、顔色を確認する。
その表情が、瞬時に医師のものへと変わった。
「……これは酷い。魔素欠乏症の末期症状だ。今すぐ処置しないと、心臓が止まるぞ!」
「き、貴様ら、勝手な真似を……!」
追ってきた警備兵と研究員たちが、部屋を取り囲んだ。その数、十数人。
完全に包囲された。
だが、俺は不敵に笑い、懐から本物の「証拠記録」と「キースのカルテ」を掲げた。
「騙してなどいない」
俺は声を張り上げた。
「これより、この部屋は『重要証拠保全エリア』として、監査官タナカの管理下に置く!」
俺の宣言に、警備兵たちがどよめく。
「中の被害者は重要参考人だ! 死なせたら、お前ら全員、業務上横領どころか『殺害罪』で告発するぞ!」
殺害罪。その言葉の重みに、彼らの足が止まる。
俺は振り返り、キースに命じた。
「ドクター・キース、拘束を解く。直ちに患者の治療に当たれ!」
ガルムが剣で縄を切断する。
自由になったキースは、白衣を翻して医療器具へと走った。
ガルムが入口に仁王立ちし、剣の柄に手をかけて睨みをきかせる。
ポポロはベッドの傍らで、震える手で母親の手を握りしめた。
俺とリンネアは、取り囲む敵対勢力を前に並び立った。
「さあ、ここからは俺たちのテリトリーだ。文句があるなら局長を呼んでこい!」
俺たちの「籠城戦」が始まった。
(第五章 第九話 完)




