第八話『月光紙の衝撃と、再会の驚愕』
地下禁書庫での衝撃的な発見から一夜が明けた。
俺とリンネアは、重い足取りで宿屋を出た。早朝の空気は冷たく、肺の奥まで沁み渡るようだ。
昨夜手に入れた情報は、あまりにも重い。ポポロの母親、ルナリアが「検体」として実験材料にされているという事実。そして、正典管理局が行っている「種族浄化」という狂気の沙汰。
怒りで眠れなかった頭を、冷気が無理やり覚醒させる。
だが、宿の前に停まっていた見覚えのある影を見て、俺の思考は一時停止した。
荷馬車だ。
それも、ただの荷馬車ではない。荷台には山のような麻袋が積まれ、車軸が悲鳴を上げそうなほどの重量感を醸し出している。
その横に、腕を組んで仁王立ちしている男がいた。
灰色の短髪に、岩のような巨躯を持つ四十がらみの男、ガルムだ。
狼族の血を引いているが、その外見は人間とほとんど変わらない。ただ、その鋭い眼光と醸し出す威圧感だけが、彼の中に眠る野性を物語っている。
「……よう」
俺たちが近づくと、ガルムは短くそれだけ言った。
感動の再会、という雰囲気は微塵もない。まるで近所のコンビニにでも行って帰ってきたかのような気軽さだ。
……ま、この世界にそんな便利な店はないがな。
だが、その瞳には誠実な光が宿っている。
「よう、じゃないだろ。……随分と早かったな」
俺はニヤリと笑い、荷台を顎でしゃくった。
「それが例の『ブツ』か?」
「ああ。注文通り、月光綿のくずと端切れだ。村の連中が総出でかき集めてくれた」
「へえ、壮観だな。これなら工場長も泣いて喜ぶぜ」
俺は麻袋の一つに触れた。
製紙工場への原料供給。それが、俺たちがこの都市に入り込むために切ったカードであり、別れ際にガルムに頼んだ「別任務」だった。
だが、ガルムは言葉を続けた。
「それと……こっちは俺の独断だ」
ガルムは荷台の奥から、分厚い毛皮の包みを取り出した。
「季節が変わる。北へ行くなら必要になるだろうと思ってな。防寒具と、旅の道具だ」
俺はあっけにとられた。
こいつは、俺たちが次にどこへ向かうかも知らないはずだ。それでも、旅が長引くことを見越して、必要な物資を調達して戻ってきたのだ。
恩着せがましいことは一切言わない。ただ、護衛隊長として、雇い主の生存確率を少しでも上げるための行動をとった。それだけのことだと言わんばかりの態度だった。
「……優秀すぎる部下を持つと、上司は苦労するな」
俺は苦笑しながら、その肩を叩いた。
「おかえり、ガルム。タイミングが良すぎるぜ」
「ふん。仕事だ」
ガルムは鼻を鳴らしたが、その口元がわずかに緩んだのを俺は見逃さなかった。
***
俺たちはその足で、工房街にある製紙工場へと向かった。
朝一番の工場は、独特の熱気と湿気に包まれていた。煮込まれた植物の匂いと、水車の回る音が響いている。
俺たちが顔を出すと、工場長の頑固親父――グーテンベルクが、インクで汚れた作業着のまま飛んできた。
「おい! 遅かったじゃねえか! 首を長くして待ってたんだぞ!」
彼は挨拶もそこそこに、ガルムが担いでいる麻袋に飛びついた。
「こいつか!? 約束のブツは!」
工場長は荒々しく袋を開け、中身をわしづかみにする。
「……!」
その目が、驚愕に見開かれた。
「月光綿のくず……いや、繊維状にほぐれてやがる。これなら……」
「どうだ? 紙の原料になるか?」
俺が尋ねると、工場長は顔を上げてニヤリと笑った。職人の顔だ。
「なるなんてもんじゃねえ。極上の繊維だ。しかも、ここまで細かくなってりゃ、叩解の手間が大幅に省ける。本来なら一週間はかかる工程が、これなら半分以下で済むぞ」
叩解とは、原料を叩いて繊維をほぐす工程のことらしい。紙作りにおいて最も重労働で時間のかかる作業の一つだ。村人たちが糸を紡ぐさいに出た「くず」は、すでにその工程を半分終えているようなものだったのだ。
「原料の価格は、この間の契約書どおりだ。……それと、出来上がった『月光紙』は、俺たちが卸元として管理する。周辺の紙屋への販売ルートはこっちで作るから、アンタは製造に専念してくれ」
「分かってらぁ。アンタが言ってた『薄くて丈夫で、透き通るような紙』……数日で見本を見せてやる」
工場長の言葉に、俺は確かな手ごたえを感じた。
これで、武器の一つである「紙」の目処は立った。
だが、俺たちにはまだ、やらなければならないことがある。
***
生体保存局。
この街の医療と研究の中枢であり、そして闇を抱えた場所。
俺たちはガルムを連れ、ポポロを迎えに来ていた。四日間の検査入院を終え、今日が退院の日だ。
受付のメリルが、愛想よく俺たちを迎えてくれた。
「お待ちしておりました、タナカ様。ポポロちゃん、ロビーでお待ちですよ」
彼女の視線の先、ロビーのソファには、一人の少女がちょこんと座っていた。
背中まで流れる髪は、月光を吸い込んだような銀色。すらりと伸びた手足に、落ち着いた色合いのワンピースをまとっている。
人間で言えば十四、五歳といったところか。どこか儚げな美少女だが、俺の記憶にある「ポポロ」とは似ても似つかない。
俺は首を傾げ、再びメリルに向き直った。
「おい、どこだ? ポポロがいないぞ」
俺はロビーを見回した。ソファには先ほどの少女が座っているだけで、あの小さな狐耳の子供の姿はどこにもない。
「え……? いえ、あそこに……」
メリルが困惑したようにソファを指差す。
「あそこって、あの子は全然別人の……」
俺が言いかけた、そのときだった。
ソファの少女が立ち上がり、こちらを振り返った。
豊かになった銀髪の間から、ピクリと狐耳がのぞく。そして、懐かしい黄金色の瞳が俺を捉えた。
「ショーイチ!」
鈴を転がすような声。
少女は満面の笑みを浮かべ、弾丸のように駆け寄ってきた。
「うおっ!?」
受け止めた衝撃は、記憶にあるよりもずっと重く、そして柔らかかった。
近くで顔を見ると、確かにポポロのようだが……その姿は四日前とはまるで違っていた。
身長は俺の胸のあたりまで伸びている。子供特有の寸胴な体型は消え失せ、女性らしい曲線を描き始めていた。顔つきも幼さが抜け、あどけなさの中にハッとするような美貌の片鱗を見せている。
人間で言えば、十歳くらいの子供がいきなり十四、五歳の少女になったような変化だ。
「ポ、ポポロ……なのか?」
「うん! すごいでしょ? お医者様がね、たくさん美味しいご飯くれたの!」
ポポロは無邪気に笑いながら、俺の腕に頬を擦り寄せる。
鼻孔をくすぐる甘い香り。密着した体温。
俺は思わず赤面し、視線のやり場に困った。
「あらあら、翔一さん。顔が赤いですよ?」
リンネアが横からニヤニヤとのぞき込んでくる。
「う、うるさい。急にこんな……驚くだろ、普通」
「獣人族の成長期は劇的だとは聞いていましたが、これほどとはね。魔素の影響もあるのかもしれません」
リンネアは興味深そうにポポロを観察している。
一方、ガルムは眉一つ動かさず、淡々とつぶやいた。
「……成長期か。早いな」
それだけかよ。
ポポロ自身は自分の変化にあまり自覚がないらしく、ただ久しぶりに俺たちに会えた喜びでいっぱいのようだ。
だが、この急激な成長が意味するものを考えると、俺の胸は痛んだ。
通常、獣人の寿命は人間と変わらない。だが、ポポロのような「先祖返り」の時計は、俺たちよりもずっと早く進んでいるのかもしれない。
***
再会の喜びも束の間、俺たちはキース医師の診察室を訪ねた。
俺たちが部屋に入ると、キースは俺たちの真剣な表情を見て何かを察したのか、無言で席を立ち、扉の鍵をかけた。
「……退院の手続きなら済んでいるはずだが、何か?」
「ドクター。あんたに聞きたいことがある」
俺は懐から、昨夜リンネアが書き写したメモを取り出し、デスクの上に叩きつけた。
『検体番号百八 ルナリア』。そして、その保管場所を示す不穏な文字列。
それを見た瞬間、キースの表情が凍り付いた。
「これは……」
「この名前を知ってるか?」
俺の問いに、キースは目を見開き、そしてゆっくりと首を横に振った。
「……いや。名前には覚えがない。だが……」
キースの指が、メモに記された日付とコードをなぞる。
「この『保管』というコード。そして、この日付……。局の裏口から、極秘裏に『大型の荷物』が搬入された日と一致する」
「大型の荷物?」
「ああ。搬入先はずっと不明だったが……このメモにある『地下第三区画』。そんな場所が存在することすら、上級保存官である俺にも知らされていなかった。局長クラスの極秘事項ということか。そこで『何か』が研究されているという噂はあったが……」
キースは苦渋の表情で、ポポロのほうを見た。
ポポロはきょとんとして、俺とキースを見比べている。
「まさか、そこに生きた獣人が……それも、子供の母親が実験体として囚われていたとはな」
医者としての良心が、彼をさいなんでいるようだった。
「俺は……医者として、恥ずべきことを見過ごしていたのかもしれん。人命を救うための施設で、こんな非人道的なことが行われていたなんて」
キースは拳を握り締め、デスクを叩いた。
そして、決意を秘めた瞳で俺を見た。
「タナカさん。俺に協力させてくれ」
「協力?」
「ああ。その『保管場所』が具体的にどこにあるかは知らん。だが、俺が同行すれば、セキュリティチェックを通過して、内部に入ることができるかもしれん」
内部協力者。
これほど心強い存在はない。だが、それはキースにとって破滅的なリスクを伴う行為だ。
「バレたら、あんたの立場がなくなるぞ。最悪、罪に問われる」
「構わん。これを見過ごしては、俺は医者である資格がない」
キースの言葉に、迷いはなかった。
俺はニヤリと笑い、手を差し出した。
「交渉成立だ、ドクター。あんたを共犯者として歓迎する」
キースはその手を力強く握り返した。
役者は揃った。
俺、リンネア、ガルム、ポポロ。そして、内部協力者のキース。
次なる目的は、地下深くに囚われたポポロの母、ルナリアの救出。
俺はポポロのほうを向いた。
背が伸びたせいで、以前のように頭をなでるには少し手を高く上げる必要がある。
さらさらとした銀髪の手触りを感じながら、俺は告げた。
「ポポロ。母さんを、迎えに行くぞ」
ポポロの瞳が、大きく見開かれた。
そして、花が咲くような笑顔で頷いた。
「うん!」
反撃の準備は整った。
待っていろ、正典管理局。
俺たちの流儀で、法と正義を叩きつけてやる。
(第五章 第八話 完)




