第六話『代弁士の審問と、エドガーの葛藤』
三日目の朝。
翔一とリンネアは、宿を出る準備をしていた。
ポポロの検査は、あと一日で終わる予定だ。
翔一は、きのう禁書庫から持ち出した『最後の代弁士の日記』を、懐の深い位置にしまった。
「今日も地下へ行くぞ。代弁士の審問について、もっと詳しい記録があるはずだ」
翔一が言うと、リンネアが強く頷く。
「ええ。日記には場所と概要しか書いてありませんでしたからね。具体的な手順や、心構えが必要です」
「ポポロの検査も、明日で終わる。それまでに、できるだけ情報を集めないと」
「わかりました」
二人は、朝の光が差し込む街へと歩き出した。
生体保存局、地下禁書庫・『第一区画』。
階段を降りると、そこにはエドガーが待っていた。
いつもと変わらない、黒い服に身を包んだ事務的な態度。だが、その目の下にはわずかな隈があり、どこか疲れた様子が見て取れた。
「今日も調査ですか」
エドガーの声は平坦だ。
「ああ。『代弁士の審問』に関する詳しい記録を探してる」
「……審問、ですか」
エドガーの表情が、わずかに曇った。一瞬だけ、視線が揺れる。
リンネアがそれに気づき、尋ねた。
「エドガーさん、何かご存じですか?」
「いえ……私は記録官に過ぎません。ただ、『審問制度関連文書』という項目があったはずです」
エドガーは手元のインデックスを開き、指先で項目を追う。
「……こちらです」
案内されたのは、昨日とは違う区画――『第四列・五十二番』の書架だった。
そこには、革表紙の分厚い文書が何冊も並んでいた。
リンネアがその中の一冊を手に取り、開く。
パラパラとページをめくる音が、静かな地下室に響いた。
「これは……『代弁士審問制度大全』」
「何が書いてある?」
翔一が横からのぞき込む。
リンネアは、大陸共通語で書かれた難解な文章を、すらすらと読み上げていく。
「『代弁士候補者は、聖地エルディアの審問場へ赴く』『竜人の残留思念が、候補者の資質を審査する』『審査項目は以下のとおり』……」
「『一、法への理解』『二、公正な判断力』『三、強靭な精神力』『四、他者への共感』……」
リンネアの指が、ページの上を滑る。
「『五、正しい倫理観』『六、真実への探求心』『七、畏れなき勇気』、そして『八、自己の正義』……」
「八つの審査項目か」
「ええ。そして……」
リンネアの声が、少し硬くなった。
「『審問は三日三晩続く』『候補者はその間、飲食も睡眠も許されない』『竜人の残留思念が、候補者の心を試す』……」
翔一は顔をしかめた。
「……過酷だな」
「『合格者は、竜人から『盟約の印』を授かる』……」
そこで、リンネアの言葉が途切れた。
文字を目で追う彼女の表情が、こわばっている。
「どうした?」
「『ただし、審問への挑戦は、生涯にただ一度のみとする』……そう書かれています」
「……一度きりか。失敗は許されないってことだな」
翔一がつぶやくと、少し離れた場所で記録を取っていたエドガーのペン先が、カツンと止まった音を立てた。
だが、彼はすぐにまた、何事もなかったかのようにペンを走らせ始めた。
「翔一、ここに記述があります」
別のページを見ていたリンネアが声を上げた。
翔一は身を乗り出す。日記にも書かれていたキーワードだ。
「何だ?」
「『代弁士候補者は、竜の声が聞こえし者を伴い訪れよ』……これだけです」
「『竜の声が聞こえし者』……?」
「ええ。おそらく、これが世間で『巫女』と呼ばれている存在の正体でしょう」
リンネアは納得したように頷く。
「竜人族が定めた正式な役職ではなく、他種族がその役割を神格化して『巫女』と呼んだ……ということですね」
「なるほどな。あくまで『通訳』が必要ってことか」
「はい。ですが、該当者が極めて稀であることに変わりはありません」
「だから正典管理局は、血眼になって探してたのか」
翔一の言葉に、エドガーが背中を向けたまま、ピクリと肩を震わせた。
昼食の時間になり三人は休憩スペースへと移動した。
地下の一角にある、粗末な木のテーブルと椅子だけの空間だ。
翔一は硬いパンをかじりながら、向かいに座るエドガーを見た。彼は黙々と水筒の水を飲んでいる。
「エドガーさん、あんたは……この仕事、どう思ってる?」
翔一が不意に尋ねると、エドガーは顔を上げた。
「……どう、とは?」
「記録官として、こんな闇を見続けて。何も感じないのか?」
昨日見逃してくれた件もある。彼は完全に組織の犬というわけではないはずだ。
エドガーは、しばらく黙っていた。
やがて、水筒の蓋を閉めると、静かに口を開いた。
「……感じます。当然です」
「エドガーさん……」
リンネアが心配そうに見つめる。
エドガーは自嘲気味に笑った。
「私は……ただの小市民です。妻と、幼い娘がいます。家族を養うために、この仕事をしている。正典管理局の闇を知っていても、何もできない」
彼はテーブルの上で、拳を強く握りしめた。
「声を上げれば、職を失う。家族が路頭に迷う。だから……黙っているしかない。見て見ぬふりをするしかない」
「……そうか」
「あなた方は……違う。市長の後ろ盾がある。貴族院の許可がある。だから、戦える」
エドガーの瞳には、羨望と、諦めが入り混じった複雑な色が宿っていた。
「私には……それができない」
「エドガーさん……あんたは、間違ってない」
翔一の言葉に、エドガーは驚いたように顔を上げた。
「……え?」
「家族を守るために、黙ってる。それは、間違いじゃない。誰だって、そうする」
翔一はテーブル越しに手を伸ばし、エドガーの肩に置いた。
「でも……あんたは、俺たちに協力してくれてる。昨日だって、見逃してくれた。それだけで、十分だ」
エドガーが目を見開く。
リンネアも深く頷いた。
「ええ。エドガーさんがいなければ、私たちはここまで調べられませんでした」
「……私は、ただ記録を取っているだけです」
「それでいい。あんたは、あんたのやり方で戦ってる」
翔一の言葉に、エドガーは言葉を失ったようだった。
しばらくの沈黙の後、彼は小さく、しかししっかりと頷いた。
「……ありがとうございます」
午後の調査は、さらに陰惨なものとなった。
リンネアが見つけたのは、『審問失敗者記録』だった。
「翔一、これは……失敗した奴らの記録か」
「ええ……」
リンネアが読み上げる声が震える。
「『大陸暦千四百八十七年、候補者マルクス・ヴェルナー。審問二日目で脱落。再挑戦権を喪失』」
「『大陸暦千五百二年、候補者エレナ・ローゼンバーグ。審問三日目、極度の疲労により辞退』」
「『大陸暦千五百十五年……』」
リンネアは静かに本を閉じた。
「……ほとんどが、志半ばで敗れ去っています」
「……竜人の審問は、それほど甘くないってことか。一度きりのチャンス、逃せば終わりか」
翔一がつぶやくと、エドガーが心配そうに声をかけた。
「翔一さん……本当に、行くおつもりですか?」
「ああ」
翔一は即答した。迷いはない。
「……失敗すれば、すべてを失います」
「それに……公式記録にはありませんが、失敗した者は精神に異常をきたしたり、自ら命を絶つ者もいると聞いています」
「……そうか。脅しじゃなさそうだな」
翔一はわずかに息を呑んだが、すぐに真っすぐエドガーを見つめ返した。
「だが、それでも俺は行く」
「俺は、この世界の『法』になる。石頭のトカゲを論破して、最強の資格をもぎ取ってやる」
翔一は、悪戯っぽく、しかし力強い笑みを浮かべた。
「それに……そうでもしなきゃ、ポポロ一人守れない理不尽な世界だろ? なら、俺が変えてやるさ」
夕方、調査を終えて地上への階段を上るときだった。
エドガーが不意に立ち止まり、翔一を呼び止めた。
「翔一さん、リンネアさん……少し、よろしいですか」
「どうした?」
エドガーは周囲を確認した。
誰もいない。衛兵の姿も見えない。
「……明日、もう一つ調べてほしいものがあります」
声を潜めて、エドガーが言う。
「何ですか?」
リンネアが尋ねると、彼は記録用の羊皮紙の束から、一枚の小さな紙片を取り出した。
「『保管施設記録』です。インデックスには載っていませんが……存在するはずです」
「保管施設……ポポロの母親か?」
「……おそらく」
エドガーは、紙片を翔一に差し出した。そこには、数字が走り書きされていた。
「私の公式記録には、『該当項目なし』と書きます。ですが……」
「この書架番号を、調べてみてください」
翔一は紙片を受け取り、そこに記された数字の形状を、絵として目に焼き付けた。
「……ありがとう」
「いえ……私は、何もしていません」
エドガーは、どこか吹っ切れたような、穏やかな笑みを浮かべた。
「ただ……記録の『誤記』があっただけです」
「エドガーさん……」
リンネアが感極まったように声を詰まらせる。
「私にできるのは、これくらいです。ですが……あなた方なら、きっと何かを変えられる」
エドガーは、深く頭を下げた。
「どうか……この都市を、救ってください」
「翔一……エドガーさん、変わりましたね」
宿に戻ったリンネアが、夕食の席で言った。
「ああ。最初は、ただの監視役だと思ってた」
翔一は窓の外、夕闇に沈む街を見下ろした。
「でも……あの人も、戦ってるんだな。自分のやり方で」
「ええ。小さな抵抗かもしれませんが……それでも、勇気ある行動です」
翔一は懐から、エドガーに渡された紙片を取り出した。
「明日、この書架を調べる。ポポロの母親の手がかりが、あるかもしれない」
「そして……明日の夕方には、ポポロを迎えに行ける」
「ええ。楽しみですね」
「ああ」
翔一は強く頷いた。
(ポポロ、待ってろよ。もうすぐ会える)
だが、その手がかりがどれほど残酷な事実を突きつけることになるか、今の翔一には知る由もなかった。
(第五章 第六話 完)




