第二話『別れの朝と、禁書庫への階段』
市長室を出た翔一とリンネアは、急ぎ足で宿へと戻った。
ポポロに、これから起こることを伝えなければならない。
宿の部屋に戻ると、ポポロは窓辺に座って外を見ていた。小さな背中が、どこか寂しげに見える。
「ポポロ」
翔一の声に、ポポロは振り返った。
「翔一! リンネア!」
尻尾を揺らしながら駆け寄ってくる。
「ちょっと話がある」
翔一は椅子に座り、ポポロを自分の前に立たせた。
「これから、リンネアと二人で調べものをする。三日か四日、かかるかもしれない」
「……ボクも行く」
ポポロの耳が、ぴょこんと立つ。
「お前は、キース先生のところで体を調べてもらってくれ。大事なことなんだ」
「……うん」
ポポロは小さく頷いた。だが、すぐに翔一の服をつかむ。
「翔一たちは? ……危ないところに行くの?」
ポポロの目が、不安で揺れている。
「大丈夫だ。リンネアがいる。それに、俺は口だけは達者だからな」
「口だけ、なのは事実ですからね。文字も読めませんし」
リンネアが苦笑する。
「うるせえ」
翔一は軽く言い返してから、ポポロの頭をなでた。
「約束する。必ず戻ってくる」
「……うん」
ポポロは小さく頷いた。だが、その目には涙が浮かんでいる。
「ボク、ちゃんと待ってるから。だから、無事で帰ってきてね」
「ああ」
翔一は立ち上がった。
「行こうぜ、リンネア」
「ええ」
三人は生体保存局へと向かった。
ポポロは黙って翔一の手を握っている。その手が、小さく震えていた。
生体保存局に着くと、キースは入口で待っていた。
「来たか。ポポロ、こっちだ」
「キース先生」
ポポロが小さく声を出す。
「検査は三日から四日かかる。その間、泊まり込みだ」
キースはぶっきらぼうに言った。
「それと……検査に集中する必要がある。面会は控えてもらう」
「会えない……の?」
ポポロが翔一を見上げた。
「ああ。でも、四日後には迎えに来る」
翔一はポポロの頭をなでた。
「大丈夫か? 一人で」
「……うん」
ポポロは小さく頷いた。だが、その目には涙が浮かんでいる。
「ボク、頑張る。だから、翔一も頑張ってね」
「ああ」
翔一は笑顔を作った。
「約束する。四日後、必ず迎えに来る」
「……約束だよ?」
ポポロは翔一の袖をつかんだ。
「ああ、約束だ」
「さっさと行け。こいつは俺が預かる」
キースはぶっきらぼうに言った。
「心配するな。痛いことはしない」
そう言って、キースはポポロの肩をポンと叩いた。ぶっきらぼうだが、優しさがにじんでいる。
ポポロは翔一を振り返った。
「翔一……無事で帰ってきてね」
「ああ。お前も、キース先生の言うことちゃんと聞けよ」
ポポロは小さく頷き、キースについて生体保存局の中へと消えていった。
扉が閉まる。
翔一は、その扉をしばらく見つめていた。
翔一とリンネアは生体保存局を出た。
「……大丈夫ですか?」
リンネアが声をかける。
「何がだ?」
「ポポロと離れるの、初めてですよね」
「ああ」
翔一は黒い塔を見上げた。
「だが、あいつのためだ。代弁士になる方法を見つけて、あいつを守る。それだけだ」
「……ええ」
リンネアは頷いた。
「では、行きましょう。真実をつかみに」
二人は正典管理局へと向かった。
正典管理局本部。黒い塔が、昼の光を浴びてそびえ立っている。
受付には、何人もの職員が慌ただしく行き交っていた。エリアス失脚の影響で、局内は混乱しているようだ。
「あの……」
リンネアが受付の職員に声をかける。
「特別調査官……? そのような許可は……」
職員は戸惑った表情で書類を見た。
「市長と貴族院の署名入りだ」
翔一は書類を突きつけた。
「文句があるなら、貴族院に言ってくれ」
「……失礼しました」
職員は顔色を変えて頭を下げた。
「どちらへ?」
「地下禁書庫だ」
その言葉に、周囲の職員たちがざわめいた。
(地下禁書庫だって……)
(まずいぞ、あそこには……)
(エリアス様を失脚させた連中が……)
ヒソヒソとささやき合う声が聞こえる。
「翔一、みんな怯えています」
リンネアが小声で言った。
「ああ。何かあるのは間違いなさそうだな」
「私がご案内いたします」
奥から、一人の男が現れた。
中年の人間族。痩せた体に、疲れた目。几帳面そうな印象だが、どこか覇気がない。
「私の名はエドガー。正典管理局の記録官です」
エドガーは淡々と言った。
「調査には、私が同行いたします。規則ですので」
監視役か。市長が言っていたとおりだ。
「調査内容はすべて記録し、貴族院に報告する義務があります。ご了承ください」
「もちろんです」
リンネアが丁寧に答える。
「我々も正式な手続きを踏んでいますから」
「よろしく頼むぜ、エドガーさん。三十日間、よろしくな」
翔一は軽く言った。
「……参りましょう」
エドガーはため息をつき、奥へと歩き出した。
案内された階段は、古く薄暗かった。夜光石の明かりが微かに灯り、石段を照らしている。
降りるにつれて、冷たい空気が肌を刺す。
「この先に……何があるのでしょう」
リンネアが不安そうにつぶやく。
「真実が、だろうな」
「……覚悟はよろしいですか?」
エドガーが振り返った。
「どういう意味だ?」
「地下禁書庫には、『見てはいけないもの』があります。それを見て、後悔する者も多い」
「俺は、真実から目をそらさない主義でね」
「……それは、どうでしょうか」
エドガーは冷ややかに言った。
「人間は、都合の悪い真実からは逃げるものです」
「エドガー殿」
リンネアが鋭い声を出した。
「我々を試しているのですか?」
「いいえ。ただの忠告です」
エドガーはそれだけ言って、再び階段を降り始めた。
その背中は、どこか重そうに見えた。
やがて、一つの扉の前にたどり着いた。
重厚な石造りの扉。見たこともない古代文字の刻印が施されている。複雑な錠前が、幾重にも取り付けられている。
「これは……竜人の言葉ですね」
リンネアが扉を見上げた。
「竜人の?」
「ええ。『真実は封印される』と刻まれています」
リンネアは複雑な表情で扉を見つめた。
「代弁士を排除しておきながら、竜人の言葉で封印する……皮肉なものです」
「ここが、地下禁書庫です」
エドガーは腰から鍵束を取り出した。
「……開扉の許可を得た者のみ、この扉を開けることができます。私が証人として、開扉を記録します」
カチャカチャと錠前を外していく。一つ、二つ、三つ……。
最後の錠前が外れると、ゴゴゴと重い音を立てて、石の扉が開いた。
中から、古い紙とカビの匂いが流れ出す。
そして、何か「重い空気」が。
翔一は思わず息を呑んだ。
(この空気……何だ? まるで、人の感情が染み込んでいるみたいだ)
「翔一……」
リンネアが顔色を変えた。
「この空気……まるで、たくさんの人の怨念が……」
「ようこそ、真実の墓場へ」
エドガーが静かに言った。その声には、何の感情も込められていない。
翔一とリンネアは、扉の中へと踏み込んだ。
広大な空間が広がっていた。天井まで届く書架が無数に並び、夜光石の明かりが薄暗く照らしている。
入口のすぐ近くに、大きな石の台がある。その上には、分厚い索引が置かれていた。
「これは……インデックスですね」
リンネアが索引を開く。
「地上の書庫と同じように、項目名と書架番号が記載されています」
「何が書いてある?」
「えっと……」
リンネアは項目を読み上げる。
「『不適格者管理記録』『特異個体観察日誌』『異常魔素反応者追跡調査』『保護対象者経過記録』……」
「……何だそりゃ?」
翔一は眉をひそめた。
「わかりません。わざと分かりにくくしているようです」
「三十日で、これらすべてを調べるおつもりですか?」
エドガーが事務的に尋ねる。
「やるしかねえだろ」
翔一はリンネアを見た。
「代弁士と巫女に関する項目を探せ」
「わかりました」
リンネアは索引をめくる。
「『旧制度関連文書』『調停者資格審査記録』『仲介者候補者名簿』……これらが、それらしいですね」
「『調停者』?」
「代弁士の別称です」
エドガーが淡々と説明した。
「『仲介者』は巫女のことを指します」
「わざわざ別の呼び方にしてやがるのか」
翔一は舌打ちした。
「まずは、『仲介者候補者名簿』だ。ポポロの名前があるかもしれない」
「書架番号は……D-47です」
リンネアが索引を指差す。
「あちらです」
エドガーが奥の書架を指差した。
三人は薄暗い書庫の中を進む。
D-47の書架には、黒ずんだ古文書が並んでいた。
「リンネア、こいつは長い戦いになりそうだぜ」
「ええ。でも、やり遂げましょう」
「ポポロのために。そして、市長のために」
翔一は棚から一冊の古文書を取り出した。
リンネアが横に並び、ページを開く。
そこには、おびただしい数の名前が記されていた。
子供たちの名前。種族。年齢。そして、その横には――
「病死」「事故死」「行方不明」「病死」「事故死」
あまりにも不自然な死因の羅列。
「……全部、『自然死』に見せかけてやがる」
翔一の声が低く唸る。
リンネアがページをめくる。
「これは……獣人族の子供たちばかりですね。年齢は、みんな五歳から十歳の間……」
「ポポロと同じくらいの年齢か」
翔一の表情が、静かに怒りに染まった。
拳を握りしめる。
「……ふざけんな」
エドガーは暗い表情で、記録用の羊皮紙に何かを書き込んでいた。
だが、何も言わない。
翔一は古文書を睨みつけた。
何十人もの子供たち。何十もの「病死」「事故死」。
これが、正典管理局の真実か。
地下の調査は、今始まったばかりだ。
(第五章 第二話 完)




