表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
61/73

第一話『市長の依頼と、地下への鍵』

 黒い塔を見上げながら、翔一は腕を組んだ。正典管理局本部。この都市で最も権威ある建物であり、最も闇の深い場所。

 エリアス失脚から三日。あの傲慢なエルフを引きずり下ろしたことで、翔一たちは一躍「英雄」扱いされていた。街を歩けば商人が声をかけ、宿屋の主人が祝杯を勧める。

 だが、翔一には予感があった。これは終わりではない。むしろ、始まりに過ぎないのではないか。

 その予感は、すぐに現実となった。


 宿の朝食を終えたころ、市長からの使者が訪れた。豪奢な装飾の制服を着た若い役人が、恭しく頭を下げる。

「盟約弁護士リンネア殿、および翔一殿。市長閣下がお二人にお会いしたいとのことです」

「市長が……?」

 リンネアが驚いた顔で翔一を見る。

「ああ。行こうぜ」

 翔一は立ち上がった。


 使者に案内され、市長室へと向かう。途中、窓から黒い塔が見えた。正典管理局本部。この都市で最も権威ある建物であり、最も闇の深い場所。

 翔一は腕を組んで、その塔を睨んだ。

 市長室は、黒い塔とは対照的に明るく開放的だった。大きな窓から朝日が差し込み、執務机の上には書類が整然と並んでいる。


「よく来てくれた」

 市長は立ち上がり、二人を迎えた。白髪を後ろになで付け、顔には深いしわが刻まれた小柄な老人。だが、その目の奥には鋭い意志と、そして深い疲労がにじんでいる。

「君たちのおかげで、エリアスを失脚させることができた。感謝している」

「いえ、俺たちはポポロを守っただけです」

 翔一は軽く首を振った。

「エリアスを追い詰めたのは、市長、あんたの戦略だ」

「ふむ」

 市長は苦笑した。

「正直に言うのだな。……まあ、そのとおりだ。私は君たちを利用した。併合審理という形で、管理局の密室裁判を白日の下にさらすためにね」

 市長は窓の外を見た。

「だが、君たちがいなければ、何も始まらなかった。その点では、感謝している」

「そのとおり」

 市長は窓の外を見た。黒い塔が、朝日を浴びて不気味に輝いている。

「エリアスは氷山の一角に過ぎない。正典管理局の闇は、もっと深い」


 市長は振り返り、二人を見つめた。

「私はもう、時間がない」

「市長……?」

 リンネアが不安そうに声を上げる。

「短命種の定めさ」

 市長は自嘲気味に笑った。

「私は人間だ。今年で六十歳。寿命はせいぜい八十年だから、残りは二十年程度だろう。だが……」

 市長は軽く咳き込んだ。

「激務でね。体がもたない。医者には『市長職を続けられるのは、あと十年が限度だ。それ以上は命の保証ができない』と言われている」

「十年……」

 リンネアが息を呑む。

 彼女の表情が、複雑に歪んだ。

 エルフのリンネアには、まだ七百年以上の時間がある。だが、市長には十年しかない。

 その差を、彼女は痛感しているのだろう。


 翔一が口を開いた。

「それで、その十年で何を?」

「私は四十歳で市長になった。異例の若さだったよ。野心もあったし、この都市を変えられると信じていた」

 市長は窓の外、黒い塔を見つめた。

「だが、それから二十年。私はずっと、この椅子に座っている」

「……昇進の道は?」

 翔一が尋ねる。

「その上は、大陸評議会だ」

 市長は窓の外を見た。

「制度上は、誰でもなれる。種族の人口比で議席が配分されているからね。人間族が最も多い」

「じゃあ、市長なら……」

「推薦が必要なんだよ」

 市長は苦笑した。

「評議員になるには、貴族院の推薦と承認が必要だ。だが、私は改革派だ。それも、かなり急進的なね」

 市長は苦笑した。

「正典管理局の権限縮小、短命種の権利拡大、獣人族への差別撤廃……。私は市長就任当初から、これらを推進してきた。保守派の長命種からは『危険思想』と呼ばれている」

「人間族からも?」

 翔一が尋ねる。

「ああ。人間族の中でも、穏健派や既得権益層は私を嫌っている。『やりすぎだ』『秩序を乱す』とね」


 市長は窓の外を見た。

「改革派だけでは推薦に必要な票数が足りない。中立派も、私を『過激すぎる』と敬遠している。十五年前から、何度も推薦を試みたが、すべて否決された」

 市長は拳を握りしめた。

「このままでは、評議員への道は永遠に閉ざされている。そして……あと十年で、私の時間は尽きる」

「じゃあ……」

 翔一が言いかけるのを、市長は手で制した。

「だが、実質的には無意味だ」

 市長は苦笑した。

「人間族の評議員は、だいたい四十五歳から五十歳で就任する。遅くても六十歳手前にはなっていないと、何もできない」

 市長は説明を続けた。

「評議員としての実務は、根回しと懐柔だ。エルフやドワーフの議員を取り込むには、何十年もかけて関係を築く必要がある。六十歳で就任したのでは、七十歳、八十歳で引退するまでに、何も成し遂げられない」

「それが……問題なのか?」

「ああ。エルフの評議員は、二百年以上その席に座っている。ドワーフも百年単位だ。二十年の新参者が、何百年も居座っている者に対抗できると思うか?」


 市長は苦々しく続けた。

「議席数では人間族が最多だ。六十議席もある。団結すれば、圧倒的多数で何でも決められる」

 市長は拳を握りしめた。

「だが、我々人間族は団結できない。短命ゆえに、考えがころころ変わる。『今すぐ変えろ』『いや、慎重に』『利益を優先しろ』『正義を貫け』……意見がバラバラなんだ」

「……それを、長命種に利用されると」

 翔一が言った。

「そのとおりだ」

 市長は苦笑した。

「エルフやドワーフの議員は、それを見透かしている。議決の前、裏で人間族の議員に取引を持ちかける。『この法案に賛成すれば、次はあなたの提案を支持する』『反対すれば、あなたの領地に不利益が』とね」

「裏切り者が出る……」

「ああ。五人、十人と人間族の議員が寝返る。結果、エルフとドワーフの意見が通る。我々は数では有利なのに、いつも負けるんだ」


 市長は拳を握りしめた。

「エルフの長老たちは『まだ時間がある』『百年後に考えよう』と悠長に構えている。彼らにとっては、三百年前の代弁士事件すら『子供のころの記憶』だ。私が死んでも、奴らは何百年も生き続ける。このまま何も変えられずに終わるのか……そう考えると、夜も眠れない」


 市長は執務机から書類を取り出し、翔一たちに差し出した。

「君たちに、特別調査官の権限を与える」

「特別調査官……?」

「正典管理局の地下禁書庫、そして生体保存局の秘密研究施設を調査する権限だ」

 翔一は書類を受け取った。市長と貴族院の署名が並んでいる。

「でも、そこまでの権限を……正典管理局が黙っていないのでは」

 リンネアが不安そうに言う。

「ああ、容易ではなかった」

 市長は別の書類を広げた。

「貴族院は今、三つに割れている。保守派が四十パーセント、改革派が三十五パーセント、中立派が二十五パーセントだ」

「保守派が多数派……」

「保守派の多くは長命種だ。エルフやドワーフの貴族たちだ」

 市長は苦々しく言った。

「彼らは本来、政治には興味がなかった。大多数は今でも森や鉱山で、昔ながらの暮らしを続けている。だが、三百年前、一部のエリートが都市に残った」

「代弁士を封印した後か」

「そうだ。最初は防衛本能だったんだろう。『二度と生き方を壊されたくない』とね。代弁士が復活しないよう、政治を監視するつもりだった」

 市長は拳を握りしめた。

「だが、権力を持つと手放せなくなる。数百年居座るうちに、『種族を守る』から『自分たちの地位を守る』に変わった。今では権力の独占だ。いびつな構造を作り出している」

「……元はと言えば、代弁士たちの暴走が原因か」

 翔一がつぶやいた。

「皮肉なことにな」


 市長は窓の外を見た。

「代弁士たちは完璧な平等を求めた。その反動で、今の不平等が生まれた。歴史とは、そういうものなのかもしれない」

 リンネアは複雑な表情でうつむいた。エルフとして、耳が痛い話だろう。

「エリアス失脚を機に、私は動いた。改革派を説得し、中立派を切り崩した。『正典管理局の腐敗を暴くことが、都市の利益になる』とね」

「結果は?」

「僅差で可決した。賛成四十五パーセント、反対四十パーセント、棄権十五パーセント。ギリギリだよ」

 翔一は口笛を吹いた。

「危なかったですね」

「ああ。だから、条件がついた」

 市長は書類を指差した。

「調査期間は三十日限定。調査対象は『エリアス関連』に限定。正典管理局の職員同伴が必須。報告書は貴族院に提出義務」

「……つまり、監視付きで、三十日以内に証拠をつかめと」

「表向きはね」

 市長はニヤリと笑った。

「だが、リンネア君は『星付き弁護士』だ。証拠収集の技術は持っている。そして翔一君……」

 市長は翔一を見た。

「君は資格こそないが、口がうまい。そして、腐敗を嗅ぎ分ける鼻を持っている。エリアスを追い詰めたのは、その二つの武器だろう?」

 翔一はニヤリと笑った。

「ああ、そういうことですか。つまり、『グレーゾーンでやれ』と」

「私は何も言っていない」

 市長は真剣な目で二人を見つめた。

「ただ、真実をつかんでくれれば、後は私が貴族院を動かす。それが私の役目だ」


「調べるのは……何ですか?」

 リンネアが尋ねた。

「二つだ」

 市長は窓の外を見た。

「一つは『代弁士制度』の真実。なぜ三百年前に封印されたのか。本当に『暴君』だったのか」

「歴史では、代弁士たちが無慈悲な粛清を行ったと……」

「それは、勝者が書いた歴史だ」

 市長は静かに言った。

「真実は地下禁書庫に眠っている。私は長老会議の一員として一度だけ入ったが、そこで見たものは……」

 市長は言葉を濁した。

「君たちの目で確かめてほしい」

「二つ目は?」

 翔一が尋ねる。

「『巫女狩り』だ」

 空気が凍りついた。

「巫女狩り……?」

「過去三百年、この都市では巫女候補が組織的に処分されてきた。記録は改竄され、真実は封印されている」

 市長は翔一を見つめた。

「君たちの従業員……ポポロ君も、おそらくその標的だったはずだ」

 翔一の表情が硬くなる。

「……証拠は?」

「地下にある。『巫女候補者リスト』と『処分記録』が」

 市長は拳を握りしめた。

「正典管理局と生体保存局が、組織的に『処分』していた。少なくとも五十名以上。いや、もっといるかもしれない」

「……ふざけんな」

 翔一の声は静かだったが、怒りがにじんでいた。


「私には時間がない。あと十年だ」

 市長は二人を見つめた。

「その間に、このいびつな構造を変えたい。この都市の膿を出し切りたい」

 市長は言葉を続けた。

「正直に言おう。私にも出世欲はある。権力が欲しいという気持ちもある。だが……それでも、今の状況は間違っていると思う」

 市長は窓の外を見た。

「長命種も腐敗した。最初は正しい動機だったかもしれないが、今は権力の私物化だ。これでは、かつての代弁士たちと同じだ」

 翔一は市長を見つめた。

 この男は、自分の欲と正義の間で葛藤している。だが、それを隠さない。

 だからこそ、信用できる。


「わかりました」

 翔一は頷いた。

「調べてきます。真実をつかんで、あんたに渡す」

 そして、静かに付け加えた。

「そして……代弁士になる方法も見つけます」

 市長は微笑んだ。

「ああ、頼んだよ。君たちは……私の『最後の賭け』なんだ」

 市長は翔一を真っすぐ見つめた。

「君なら、かつての代弁士とは違う道を歩めるだろう。完璧な正義ではなく、現実的な解決を。腹黒く、したたかに、しかし誠実に。それが、この世界に必要な代弁士だ」


 翔一とリンネアは市長室を後にした。

 廊下を歩きながら、リンネアが口を開く。

「翔一……あの方は、本当に孤独なんですね」

「ああ」

 翔一は窓の外を見た。黒い塔が、朝日を浴びてそびえ立っている。

「改革派として戦い続けて、二十年。誰からも理解されず、時間だけが過ぎていく。あと十年で、すべてが終わる」

「私たちに、託されたんですね」

「そうだ。市長の『最後の賭け』だ」

 翔一は拳を握りしめた。

「だが、俺たちは違う。ポポロを守りながら、真実をつかむ。市長一人じゃできなかったことを、俺たちがやってやる」

「ええ」

 リンネアは頷いた。

「そのために、まずはポポロをキース先生に預けないと。それから……」

「ああ。地下だ」

 翔一は黒い塔を睨んだ。

「正典管理局の地下禁書庫。そこに、すべての真実が眠っている」


 二人は宿へと急いだ。

 地下への、長い旅が今始まろうとしていた。

 そして、その先に何が待っているのか――まだ誰も知らない。


(第五章 第一話 完)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ