第十一話『夜明けの契約と、北への轍』
その夜。
俺たちはザガン商会の裏手に停めた馬車の中で、予行演習としての車中泊をしていた。
明日からの野営に備え、荷物の配置や寝心地を確認するためだ。
深夜。ふと目が覚めた俺は、狭い車内を抜け出して外の空気を吸いに出た。
すると、馬車の屋根に腰掛けて、街の灯りをじっと見つめる人影があった。
リンネアだ。
「…………眠れないのか?」
俺が声をかけると、彼女は驚いたように肩を震わせ、苦笑した。
「ええ、少し。…………いざ離れるとなると、感傷的になってしまいますね」
彼女の視線の先には、夜闇に浮かぶリムガーレの街並みがあった。
多くの種族が行き交い、活気に満ちた街。彼女が二十年間、法曹として戦い、生きてきた場所だ。
「この街で『星付き』になるまで、必死でした。
たくさんの依頼人を守り、たくさんの判例を積み上げて…………ここが私の世界の全てでした」
彼女は膝を抱え、小さな声で続けた。
「でも、明日からは荒野です。私の知識が通じない、無法の世界。
…………正直、怖いです。ポポロを守れるのか、あなたを無事に目的地まで導けるのか」
それは、昼間には見せなかった弱音だった。
俺はため息をつき、馬車の車輪を軽く蹴った。
「勘違いするな。お前一人で全員を守ろうとするな」
「え?」
「お前は『六法全書』だ。ポポロは『レーダー(たんちき)』だ。ガルムは『剣』だ。
そして俺は、それらを使いこなして、最適解を叩き出す『頭脳』だ」
俺はニヤリと笑って見せた。
「お前は、お前の仕事(法的アドバイス)だけ完璧にこなせばいい。
戦闘だのサバイバルだのは、専門家に任せろ。そのために高い金を払ってガルムを雇ったんだ」
リンネアはポカンとして、やがて噴き出した。
「…………ふふっ。 人を道具みたいに言いますね」
彼女の瞳から、不安の陰りが消えていた。
「分かりました。私は私の仕事を全うします。…………おやすみなさい、翔一くん」
彼女は軽やかに屋根から飛び降り、荷台の中へと戻っていった。
「…………チッ。 手のかかる道具だ」
俺が独りごちて、焚き火の番に戻ろうとしたときだ。
「…………いい口説き文句だ」
暗闇から、低い声がした。
ガルムだ。起きていたのか。
「…………盗み聞きとは趣味が悪いな」
「聞こえちまったもんは仕方ねえ。それに、これからの雇い主が、俺をどう使う気か確認したかったんでな」
ガルムは焚き火に薪をくべながら、俺の対面に座った。
揺らめく炎が、古傷のある彼の顔を照らし出す。
「…………噂は本当か?」
俺は話題を変えるように尋ねた。彼につけられた不名誉な二つ名――『主殺し』の件だ。
ガルムは炎を見つめながら、ポツリと答えた。
「半分はな。前の主人は、功を焦った無能な貴族だった。
撤退すべき局面で、全滅必至の突撃を命じた。だから俺は『契約不履行』を宣言し、部下を連れて離脱した。
…………結果、主人は敵に囲まれて死に、俺と部下たちは生き残った」
ガルムは、試すような目で俺を見た。
「契約を守って死ぬか、契約を破って生き残るか。
…………お前ならどうする? 雇い主」
俺は即答した。
「愚問だな。俺は『勝つ(生き残る)』ために契約を利用する。死んだら訴訟も起こせねえ」
「…………」
「安心しろ。俺は無茶な特攻なんて命じないし、お前に無駄死にもさせない。
俺の生存戦略に従え。そうすれば、必ず生きて報酬を受け取れる」
ガルムはしばらく俺を見つめ、やがて口の端をニヤリと吊り上げた。
「…………いい答えだ。
背中は任せろ。お前のその悪知恵、最後まで守り抜いてやるよ」
***
翌朝。
空が白み始めた頃、俺たちは出発の準備を整えていた。
ザガンが、最終チェックを終えた馬車をポンと叩く。
「車軸のグリスは十分だ。コクヨウの調子もいい。
…………行け。この大地に俺の傑作の轍を刻んできな」
すると、街の方から駆け寄ってくる二つの影があった。
ドワーフのガルドと、エルフのシルビアだ。
「おいおい、水臭いぞ! 見送りくらいさせろ!」
ガルドが息を切らしてやってきた。
彼は包みを俺に放り投げた。
「餞別だ! 『万能工兵斧』だ。俺の特製だぞ」
包みを開けると、片側が刃、反対側がハンマーになった、黒光りする無骨な手斧が入っていた。
「薪割りから杭打ち、カレッサの修理まで何でも使える。ミスリルを少し混ぜてあるから、刃こぼれもしねえ」
「私はこれを」
シルビアが差し出したのは、複雑な文様が刻まれたガラス瓶と、一本の細いガラス棒だった。
「『浄化の魔道ボトル』です。どんな泥水を入れても、一晩置けば清浄な水に変わります。それと、そのガラス棒は『毒見の杖』。食事や水に浸して、色が変われば危険信号です」
シルビアは真剣な眼差しで説明を続けた。
「赤く変色したら『致死性の毒』。そして、青く変色したら『睡眠薬や麻痺薬などの非致死性薬物』が入っています」
「……なるほど。殺しに来ているのか、身ぐるみを剥ぎに来ているのか、相手の『狙い』まで分かるってわけか」
「はい。翔一さんは敵を作りやすいですから…………どうか、気をつけて」
万能斧に、浄水ボトル、そして高機能な毒見棒。
どれも、金貨数枚はする実用品だ。
俺たちがこの街で行った「悪徳な交渉」が、こうして形となって返ってきたわけだ。
「…………ありがたく使わせてもらう」
俺は短く礼を言った。
そして、昨日受け取ったばかりの真新しい指輪――『天秤の印章指輪』をはめた指で、幌を強く叩いた。
***
「総員、配置につけ」
俺の号令で、全員が動き出す。
御者台には、手綱を握るポポロ。
荷台の幌の中には、リンネア。
俺はポポロの隣、御者台の助手席へ。
そしてガルムは――――ひらりと身を翻し、御者台の反対側のステップに腰掛けた。
「ここなら前方の敵に即応できる。後ろが怪しいときは荷台に移る。好きにやらせてもらうぞ」
手には愛用の剣が握られている。頼もしい限りだ。
北門の衛兵が、ゆっくりと門を開ける。
その向こうには、どこまでも続く緑の草原と、地平線まで伸びる一本の街道。
法も秩序も通じない、無法の世界。
「行くぞ!」
ポポロが手綱を振るう。
コクヨウがいななき、カレッサが車輪を回し始めた。
ザガンたちが手を振っているのが見える。
俺は前を見据えた。
目指すは北、八十リーグの彼方にある『大図書館都市』。
およびその先にある、伝説の『竜の聖域』。
俺たちの、本当の戦いはここからだ。
(第二章 完)
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます!
これにて第2章『悪徳の準備』完結となります。
第1章の法廷劇から一転、この第2章では「仲間集め」と「旅支度」を描いてきました。
成長著しいポポロ、覚悟を決めたリンネア。
そして、前金たったの金貨五枚で雇った、訳ありの用心棒ガルム。
この契約は「安物買いの銭失い」となるか、それとも最高の「掘り出し物」となるのか――。
ようやくパーティが揃い、翔一たちの本当の冒険が始まります。
明日からはいよいよ第3章『荒野の旅路』編がスタートします!
舞台は法が通じない無法地帯。
裁判所も警察もない場所で、翔一がいかに「契約」と「交渉」で生き抜くのか。
ロードムービーのような旅の空気感を楽しんでいただければ幸いです。
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それでは、第3章の未開の大地でお会いしましょう!




