密会と別れ
密会と別れ
柔らかな笑みを浮かべる少女がこちらを見ていた。
いつの間にか距離を詰めた彼女は美しい白金の髪を耳に引っ掛けるように片手で押さえ、私の耳元で何かを囁くが、その言葉が聞き取れない。
芽生える焦燥感を隠すように、柔らかな曲線を描くその頬に触れようとするが、私の手はむなしくも空を切った。
遠ざかる気配に呼び止めようと声をあげるが、不思議と言葉は声にならず、ただ遠く小さくなっていく彼女のほうへ手を伸ばすのみの私は捨てられた愛玩動物の気持ちを少し理解した気がした。
暗い部屋で目を覚ますことのなんと恐ろしい事か。
闇の中で生まれ、闇の中で育ち生きてきたこの私が、今はそれを恐ろしいと感じている。
汗ばむ掌が、激しく胸打つ鼓動が、いつの間にか頬を伝う涙がそれが悪夢だったことを教えていた。
――様
「あ……」
自覚する。私の中から大切なものの何かがぽっかりと失われている事に。
再び頬を伝った涙がポタリと床に落ち、いつまでもその音だけが鮮明に耳に残っていた。
どれほど経った頃だろうか?
小さな部屋の片隅でうずくまるように座っていた私は誰かの声を聴いた気がした。
「あの子……でしょうか?」
おそるおそるドアを少し開け大部屋の様子を窺うが、これといった人影は見当たらない。流石にこのままでは埒もあかないということで身体が通れるだけの分だけドアを開けその隙間から滑り出る。
「やはり気のせいだったのでしょうか?」
良く分からない状況に投げ込まれ、すこしばかり精神的に参っていたためにありもしないものを見てしまったり、聞こえない筈の音を聞いてしまうという事は往々にしてあるものだ。
一度目を瞑って少しばかり深呼吸を繰り返すと頭の中に先程迄立ち込めていたモヤのようなものは幾分薄くなっていた。
この異様な部屋に動くものは自分一人。ならば今のうちに確認しておくべきことがあるのではないだろうか? そう思い直し最も近くにあった棺らしきものへ歩み寄る。
棺の上面は立ち上がった私の腰よりはすこしばかり高い位置。全体は乳白色ののっぺりとした箱の印象だが両側の側面には滑らかな曲線を描く溝のようなものが走っており、天板の一部だけが楕円形に白い光を発していた。
床面側にも四隅が僅かに光っており、その光景をより一層不気味なモノへと見せている。
「中は……よく見えませんね」
楕円形ののぞき窓らしき部分はぼんやりと光を放っているものの、摺りガラスのように曇っている。
「ひゃっ!?」
何の気なしに拭ってみると表面は滑らかだったがあまりの冷たさに思わず声をあげてしまい、慌てて左手を口に充てた状態でやや身を屈め周囲を警戒する。
「どうやら大丈夫だったようですね」
自分を慰めるように口にして、フーっと息を吐き、見分を再開することにした。
並べられた棺の数はおよそ100程。どれも寸分違わず同じ大きさであり、その整然とした感じがかえって気味の悪さを増長させている。少しばかり中ほどに進んだところで私が見つけたのは、下部側の光が赤く灯った棺だった。嫌な予感を懐きつつも自然と吸い寄せられるように足は向かい――それを覗き込んでしまったことを後悔した。
咄嗟に口に充てられた手で声を出さずに済んだものの、一歩、二歩と後ずさり、ドンと後ろの棺に腰をぶつけて慌てて倒れないように手を後ろへ回した時、耳慣れない音を聞いた気がした。
目の前の赤い光が灯った棺の楕円形の部分は曇っていなかったのだ。
そして透明なそれの先に見えたものは、既に眼窩が落ち、干からびた人らしきものだった。
「やはり、これが棺ならば、ここは霊廟でしょうか?」
ふと遠い異国では一部の階級の高いものが亡くなるとその遺体を安置し、腐敗が進み切るまで放置したのち、改めて埋葬する習慣があると聞いたことを思い出し、少しばかり顔を顰める。
しかしそれにしてはあの少女の様子を考えると少々納得がいかない部分もあり、かといって面と向かって聞くのは憚られる気がした。
「――確か、お人形さんの部屋と言っていましたが」
いくらか思考を巡らせて、改めて先程の棺を覗き込むと、それが作り物ではない事だけは確かだと思えた。
既に男性か女性か分からなくなった目の前の骸に短く冥福を祈っている間に――背後で起きていた変化に気が付くのが遅れてしまう事となっていた。
ピピッ……
そんな音に慌てて振り返ると背後にあった棺、先程私がぶつかってしまった棺が変化を起こしていた。
下方に灯る光は緑となり、摺りガラスのような楕円ののぞき窓が一瞬で透明になる。
そしてその中に見えたのは――――――端正な顔立ちの女性だった。
すこしばかり白さに過ぎるが肌理細かい美しい肌。そして閉じられた瞼には長い睫毛が目立っていた。
なにより顔の横には長く伸びた尖った耳が彼女が何者なのかを主張していた。
目を背けることができないまま、更に変化が続いている。
シューーーー!!
という音がした後、彼女はゆっくりと目を開けて、少しばかり虚ろな表情へと変化したのち、急に暴れ出したのだ。
激しく棺の中で動いているが、まったくその音は聞こえない。しかしその表情はすでに狂気にでも侵されているかのようなものに変貌しており血走った眼を見開いて、中から天板を叩いているようにみえた。
唯一の救いは、彼女から私に気が付いていないようで、どうやら中からは見えていないという事だろうか。
しかし困惑していたのも束の間の話。棺の中に何かが充満すると急にその動きが緩慢になり、動きを止めて、やがて下方の灯火も白色へと変化した。
先程から数十秒の間に起きた変化はなんだったのか? 再び摺りガラスのの様になったのぞき窓から中の様子を知る事は出来ないが、今では何事もなかったのように不気味に静まり返っているのみだった。
とりあえず小部屋へ戻り、先程の状況を頭の中で整理する。
死んでいた何者か。
棺?の中で目を覚まし、再び眠りについた?エルフの事。
脳裏に誰かの顔が浮かんだ気がするが、すぐに先程のものすごい形相で暴れるエルフの顔で上書きされてしまう。
同時に募る寂寥感。死んでいた者もエルフだったのだろうか?
疑問は尽きるところを知らないが、それ以上に自分の心が安定しない。
目尻をぬぐった手の甲越しに何かが見えた気がした。
「お姉ちゃん……大丈夫?」
いつの間にか開かれたドアの前に少女が心配そうな表情を浮かべてこちらを見つめていた。
「なんでも、ありません」
言葉と裏腹に、声が震える。
「どこか痛い?」
トコトコと歩み寄る少女の小さな手が額に当てられる。
「そんな事は、ありません」
そう答える私に彼女はどうしたものかと考えるそぶりをして、何かを思い出したように背負っていた小さな背嚢からいくつか包みを取り出した。
「こっそり貰って来たの。食べて」
銀色に光る包み広げながら、椅子の上に膝立ちしてテーブルの上に置いていく。
いい香りがした。冷めてはいるが揚げ物らしき肉料理、チーズやビスケット。そして小さめの毛羽立った果物。
半ば有無をいわさないといった期待に満ちた視線に負け、まずは揚げ物を一つ頬張ると、これが嘘のように美味しかった。
そういえば何時間ぶりの食事なのだろう?
「ご馳走さまでした」
「美味しかった?」
「ええ、とても」
この辺については全く嘘はない、彼女がもってきたものはどれも驚くほど美味しかったし、果物は瑞々しく甘酸っぱかった。
「でも、お姉ちゃんまだ元気ないね。あのね、エミ明日お船を降りないといけないの……」
少しばかり申し訳なさそうにそんな事を告げる。
「私の事は気にすることはありません」
「でもね、お姉ちゃんにご飯もってこれないから――これあげる。お腹すいたらたべて」
少しばかり意を決したように少女が何かを差し出してくる。
確認させるために開いたであろう包みの中身はドライケーキのようだった。私が頷いてから手を伸ばすと再び紙を包みにして私の手の平へそれを乗せ――そこで私は真っ白に意識を塗りつぶされた。
――私のお気に入り、大事にしてね?
そんな声を最後に聞いた気がした。




