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魔女の結婚 02 (完)

 セルジュの腕の中で気を失ったレイアは、意識を取り戻した後も高熱を出してしばらくベッドから動けなかった。熱が下がった後も、何かあってはいけないからと、しばらく大聖堂で静養した。

 前回レイアが倒れた時と同じように、すぐにフランクール家に戻ってくると思っていたのだが、『今回は、あなたが通ってきてください』とグレースはにっこりほほえんでセルジュに言った。グレースは毎日、レイアのために闇を抑える加護を与えていた。セルジュは言われたとおりに、毎日顔を出した。


 レイアがフランクール家に戻ってきたのは、ひと月近く経った頃だった。

 柔らかく吹く風が、ほのかに緑の香りを運んでいた。これから次々と植物が芽吹き、春の訪れに人々は心を浮き立たせるのだろう。


 一連の出来事は、クィンやテオフィルを含む一部の人間しか知るところではない。何も知らないほとんどの人間にとっては、これまでと何も変わらない日常がそこにあった。


「これからの私の仕事は、新しい魔女を探すこと。でもそれ以外は、何もできないから、暇になる」


 久しぶりにセルジュの元に戻ってきて、レイアはカウチソファに座って溜息をついていた。


「刺繍の練習でもしたらどうだ」

「……苦行を課すね」

「次は君のイニシャルの入ったものを作ってくれ」

「……それって、一般的にはプロポーズだけど」


 セルジュの言葉に、レイアは驚いたように聞き返してきた。恋人にイニシャルを入れたハンカチを頼むのは、昔からある求婚の方法だ。何を今更とセルジュは平然と返す。


「君は既に俺の妻だ」


 するとレイアは何かを思い出したように、神妙な顔つきになった。セルジュは黙って隣に座る。


「言わなくちゃいけないことがあって……。言おう言おうとずっと思ってたんだけど、二人で話す機会が中々なかったから。ごめん」


 確かにレイアが大聖堂に戻って以来、二人きりになれることはなかった。レイアに対して泣いたり怒ったり忙しかったテオフィルが、片時もレイアの側を離れようとしなかったし、すぐに冷静さを取り戻したように見えたクィンも、レイアの側から離れないのは同じだった。二人の気持ちは分かるので、セルジュは何も言わなかった。少し待てばいずれフランクール家に戻って来ると思えば、いくらでも我慢できた。


「……謝るのは、内容を言ってからにしろ」


 何を抱え込んでいるのかと心配して見れば、レイアの瞳にはやるせない悲しみがうつっていた。

 少し沈黙して、意を決したようにレイアは言った。


「私では子供を望めない」

「…………」

「私の中には闇がいるから。子供を育てる体になっていない。妊娠できないんだ」


 セルジュの顔色をうかがうように、レイアは申し訳なさそうな表情を浮かべた。


「あなたは公爵家の嫡男で、子供ができない女が妻では困ると思う。だから――」

「だから、何だ。離婚するとでも?」

「……セルジュが困ると思うから」


 セルジュは不機嫌な顔をして息をついた。確かにフランクール家にとっては、重要なことではあるのだろう。だがセルジュ個人にとっては、レイアを失うことに比べたら、そんなことはどうでも良いことだ。そのことで誰かがレイアを攻撃するというのなら、迎え撃つだけのことだ。


「君は、俺が闇の中に踏み込んでまで、君に言ったことを忘れたのか」

「忘れてはないけど……」


 歯切れの悪い返事をするレイアに、セルジュはやれやれと溜息をつきながら、彼女の左手を取った。彼女に渡すつもりだったものを胸元のポケットから取り出す。


「跡継ぎのことを心配しているのなら、一族から養子をとっても、そもそも当主の座を俺が継がなくても、どちらでもいい」


 言いながら、手にしたものをレイアの指にはめる。白銀に輝くそれは、ダイヤモンドが隙間無く敷き詰められた美しい指輪だった。


「結婚してもうすぐ一年だ。離婚ではなく、改めてもう一度、君との生活をはじめたい」


 レイアは自分の左薬指に目を奪われていた。永遠の輝きといわれる光が、レイアの瞳に映り込む。


「……綺麗だね。嬉しい」


 レイアは少女の様に頬を赤らめていた。思いがけず可憐な様子を見せられてセルジュは、彼女にふれようと、その頬へ手を伸ばしかけた。


「昔も貰ったんだよね、セルジュに」


 セルジュは思わず手を止める。隠さずに思い切り不機嫌な顔をした。


「……前にも言ったが、俺にはその記憶はない。それは俺じゃない。俺の前で別の男の話をするな」


 それにきょとんとしていたレイアは、ややして不満げに応戦してきた。


「別の男じゃないよ。セルジュだし」

「違う。その男のことはもう、考えるな」

「じゃあセルジュは? ロザリーを愛していたよね。それこそ、ショックで興味のない私と結婚するくらい」

「……新手の嫌がらせなのか?」


 むっとした表情をしながらセルジュは、今度こそレイアに手を伸ばす。難なくレイアをカウチソファに押し倒し、鼻先がふれる距離で見つめ合った。


「ロザリーを愛していたことは否定しない。だが君と生きるために、死の覚悟さえした。今は君のことだけを考えてる。それが分からないのなら、教えてやる」

「セルジュ……」


 言葉を詰まらせたレイアの唇に、セルジュはゆっくりと自分の唇を重ねた。柔らかなその感触に、体の芯が甘く痺れた。

 いつかと同じように、すぐに唇を離してから、レイアの瞳をのぞきこむ。


「……今度は、泣かないのか」


 そう言うと、レイアも思い出したのか、泣き出しそうな顔で小さくほほえんだ。


「あの時は、嬉しかったのと同じくらい、セルジュと別れなくちゃいけないことがつらかったから。……でも今も、いつかセルジュを傷つけてしまわないかって、怖くてたまらない」


 かつてレイアが、どれほどつらい思いをしたのか、正確には分かってやることなどできないのだろう。セルジュにできることはただ、彼女の心が少しでも軽くなるように、寄り添い続けることだけだ。

 セルジュはレイアの頬を撫で、その黒髪に指を入れた。


「何とかなる。君は一人じゃない。ずっと側にいる」

「うん……」

「君のように記憶はないが、今だから思うことがある」

「……何?」


 遠い過去や未来は、セルジュには分からない。それでも抗えない力があるのだとすれば、それが運命というものなのだろう。理屈ではなく、心が感じた。


「互いに別の人生を歩んでいたとしても、最後にはきっと君を好きになっていた」


 その言葉にレイアは息を呑んで、それから両手で顔を覆った。隠し切れずに、涙が目尻から流れ落ちていく。

 セルジュはレイアの両手にそっと手を伸ばし、片方ずつ下ろして彼女の表情を確かめる。

 柔らかい笑顔の下に、こんな感情を隠していた。こみ上げるものを必死で堪えるように静かに涙を流すレイアを、胸がしめつけられるくらい愛おしく思った。


「もう泣くな」


 セルジュはレイアの涙に唇を寄せた。あたたかい涙の味を、セルジュははじめて知った。


「……好きだよ、セルジュ。すごく好きで、苦しい」


 震える声で言ったレイアのまぶたに、頬に、セルジュは唇を落としていく。


「俺も、好きだ。……愛してる」


 心を捧げてセルジュはもう一度、確かめるようにレイアの唇に唇を重ねた。何度も口づけを繰り返せば、レイアが吐息とともにセルジュの首に腕を回してくる。

 その存在を確かめるように、いつまでも離れないように、二人は互いを抱きしめ合った。


 胸に湧き上がる狂おしい思いに、セルジュは翻弄されそうになる。きっと想像以上に、彼女に溺れてしまうのだろう。

 しかしこの気持ちは、誰に咎められることも、遠慮することもない。二人はもう、結婚しているのだから。


 幸せは、ここから始まる――。

(DAS ENDE)

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