聖女の祝福 01
サンステラの降雪から三週間程遅れて、王都ツィーレでも最近はよく雪が降っていた。サンステラとは違って、通常は軽いにわか雪程度で、しっかりと積雪することはあまりない。
騎士団では、仕事以外ではどうしても籠もりがちになるこの時期に、訓練も兼ねて、闘技会が開催される。騎士達は、刃先を殺した専用のサーベルを持ち、勝ち抜き式で戦いを繰り広げる。参加は強制ではないが、大聖堂の聖女達が多く観覧に来るとあって、張り切って参加するものが多かった。
その日の朝、久しぶりに騎士の制服に腕を通したセルジュの前に、レイアがやってきた。珍しく、髪を結い、聖女の服を着ている。降誕祭の日以来の姿だ。
「……セルジュ、その格好。まさか闘技会に出るとは言わないよね」
驚いた様子のレイアに、セルジュは小さく息をつく。
「出ない。だが呼ばれた」
「……ジェラルド殿下?」
「ああ」
「だったら良かった」
ほっとした様子のレイアに、なぜそんなことを言うのかと、怪訝に眉を寄せれば、彼女はセルジュの内心を察したのか、少し笑う。
「だって危ないから」
「…………」
レイアとしては心配してのことなのだろうが、子供扱いされているような気がして、セルジュは少々面白くなかった。しかしそれをおもてに出すことはしない。
「君も行くのか」
そう聞くと、レイアはうなずく。
「うん。クィンが迎えに来るんだ。式典の打ち合わせがあるから、先に行くよ」
「……クィン? クィン・オードランか?」
「知っていたの?」
「ここ六年間の、優勝者だろう」
普段あまり騎士団に顔を出さないセルジュですら、その名前は耳にし、姿を確認したこともあった。なぜ彼が、レイアを迎えに来るかが分からない。
それを聞こうとしたら、扉からノックの音が響き、家令の先導で、当のクィンが姿を現した。
「お迎えに上がりました、レイア様」
「ありがとう、クィン」
そう言ったレイアは、セルジュの視線に気が付く。一瞬動きを止めて、その視線の意味に思い当たったのか、申し訳なさそうな顔をした。
「……ごめん。言ってなかったかな。クィンはずっと昔から、私の護衛騎士を務めてくれているんだ」
「クィン・オードランと申します」
クィンはセルジュに対し、丁寧に会釈した。
「……テオフィルが、護衛騎士ではなかったのか」
ずっとセルジュは、テオフィルがレイアの友人兼護衛騎士なのだと思っていた。いつもレイアを気にかけ、何かにつけて彼女の側にいたからだ。
「うん。テオもだよ。テオとクィンで交代してもらってる。聖女の仕事で出かける時だけね」
「カルタールへのお出かけは非公式ということでしたので、任につけませんでしたが」
アンジェリーヌの依頼で、セルジュとレイアの二人で向かった件だ。クィンは不満そうな顔をしていた。
「……テオフィルと君が、同じだけの実力があるということなのか?」
任務を交代する相手には、普通は同等の力が求められる。六年連続で闘技会で優勝する、このいかにも屈強な男と、中性的な風貌のテオフィルが同じ力を有しているとは、セルジュには思えなかった。
「セルジュ、テオはテオで、あれで結構――」
「仰ることはごもっともです。本来であれば、常に私がレイア様の側にいるべきなのですが」
「ちょっと、クィン」
「レイア様がテオフィルの我侭を聞いてしまわれるものですから」
「クィン」
「ですがご安心ください。テオフィルに任せる場所と、そうでない場所は、私が判断しております。レイア様の身を危険にさらすようなことは、決していたしません」
途中のレイアの声はすべて無視して淡々と話すクィンに、レイアは深く溜息をついていた。
クィンの階級章から、騎士団での立場はセルジュより下と分かるが、聖女のレイアとは立場の上下はないはずだ。テオフィルに比べて、彼のレイアに対する態度は、主君に対するそれのようだ。クィンが貴族の出身であるということは、階級章を見れば分かる。クィンの方が随分年上に見えるのに、一体なぜなのかと疑問に思った。
「君たちには、立場の上下があるのか?」
レイアに聞けば、彼女はすぐに首を横に振った。
「ないよ。でも、クィンはこの態度、変えてくれないんだ」
「レイア様には、十年前に姉の命を救っていただきました。その時から、レイア様に忠誠を尽くすと決めています」
「……クィンの姉上は聖女でね。溜まった闇を祓ったことがあって」
つまりクィンは、十年前からレイアが「魔女」であることを知っているということだ。とにかく、クィンが生真面目にレイアのために職務に従事しているということは理解できた。
そこでセルジュは、ふと思い出す。先程レイアは、式典の打ち合わせがあると言った。
闘技会の優勝者には、騎士団から優勝者の証として白銀のサーベルが授けられる。それを翌年、開式にあたって返還する。サーベルの授与と返還の儀式は、優勝者の指名した聖女が行う。レイアが珍しく聖女の服を着て、打ち合わせをするのというのなら、その理由は一つだ。
セルジュはクィンに向き直った。
「この六年間、君の指名した聖女は」
「当然、レイア様です」
サーベルの授与の際、聖女は騎士に祝福の口づけを贈る。その儀式は「聖女の祝福」と呼ばれている。口づけの場所に指定はない。
「…………」
セルジュの沈黙の意味を理解したのは、クィンだった。
「レイア様はご結婚されましたから、今後は聖女の祝福は辞退いたします。これまでの祝福は、額に受けました。私はレイア様を尊敬していますが、懸想しているわけではありません」
「クィン?」
何を言うのかと言わんばかりに、レイアが驚いた声を上げる。
「……そんなことは、誰も聞いてないだろう」
「ご心配をおかけしてはいけないと思いましたので」
「しかも今後も優勝するのが前提なのか」
「当然です」
「もういいから、クィン。セルジュ、ごめん。もう行くから」
無表情に淡々と答えるクィンを部屋から押し出すようにして、困り顔をしたレイアは出ていってしまった。
セルジュには、理由の分からない苛立ちだけが残った。




