王国の魔女 03
サンステラ聖堂は、当然ながらツィーレ大聖堂ほどは大きくも立派でもなく、用意されていた部屋は、二室のみだった。食事と入浴を終えて三人は、明日の出発に向けて早々に休むことにした。
「おやすみ、レイア。明日は早いから寝過ごさないでね」
テオフィルは部屋のひとつに一人で向かおうとする。
「……なぜテオが、当然のようにひと部屋使うのかな?」
不満げな顔をしたレイアに、テオフィルはごく当り前のことだというように、きっぱりと答えた。
「僕とレイアが同室では、夫であるセルジュ様に悪い。僕とセルジュ様が同室では、僕の恋人に悪い。その点、レイアとセルジュ様は夫婦で、誰にも遠慮することはない。何か問題が?」
「…………」
「それじゃあ、また明日。セルジュ様、おやすみなさい」
一礼したあと、テオフィルは音を立てて扉を閉めた。立ち尽くすレイアに、セルジュは後ろから声をかけた。
「どうでもいいから、早く部屋に入れ」
レイアは仕方がないという様子で振り返り、セルジュが開けたもう一室の扉の中へ入った。そこは、温かみのある煉瓦色を基調とした落ち着いた部屋で、思っていたよりもずっと立派であった。薪ストーブには充分に火があって、部屋はしっかり温かい。
扉を閉めてセルジュは、そのまま真っすぐに一人掛けのソファに向かうと、そこに腰を下ろした。足を組んで、レイアを見つめる。
「説明してくれ」
「……説明って何を」
「ロザリーがどういう状態で、君が何をしたのかをだ」
「ああ……」
何のことかを理解してレイアも、側にあったソファに腰をかける。嘆息してからレイアは、セルジュの疑問に答えはじめた。あまり言いたくはないけれど、仕方がない。レイアはそんな表情をしていた。
「聖女はね、闇を祓う際に、意図せず闇を少し体に取り込んでしまうんだ。普段は本人たちも気が付いていないんだけど。それは聖女の体内で澱みとなり、徐々に体を蝕む。闇を抱えられる容量は、人によって違うんだ。請け負う仕事の量にもよるし。何も知らずに人生を終える聖女の方が多いかも」
「つまり、ロザリーが抱えてしまった闇を、君が祓ったというのか」
「まあそうだね」
「……聖女は闇を祓うというが、俺には、君が取り込んだように見えた。今日だけじゃない、カルタールでも、大聖堂でもそうだった」
「…………」
レイアはちょっと困ったような表情をして、小さく笑った。
「それに気付いた人って、少ないんだよ。まあ、あまり見る機会がないからだけど」
それも当然なのかもしれない。セルジュだって、レイアと行動を共にする前までは、聖女の力を目にしたことは、ロザリーのことを入れても、数度だけだった。
「私の体はちょっと特別で、人より少し、いやかなり容量が大きいんだよね。だから他の聖女が闇を祓う方法とは違う。聖女は闇を、少しずつ浄化させて自然に戻す。でもいくらかは浄化しきれずに残ってしまう場合もあるんだ。私はそうやって少しずつ溜まった闇も、誰かが生み出した闇も、聖女の抱えた闇も、等しくこの体の中に吸収することができる。だから私は、本当は聖女ではなく魔女なんだ」
さらりと言われた言葉に、セルジュは怪訝に眉を寄せた。
「……魔女?」
「そう。はるか昔は、その特異性ゆえに迫害を受けてしまったこともあったらしい。でも今日のように、聖女にとっても魔女は必要だからね。大聖堂はいつしか歴史からその存在を隠したんだ。だから普段は聖女として生きてる。こういう状況にならないと、違いはそうそう分からないしね」
「では、君の他にもいるのか」
「それが、今はいない。でも、そろそろ探さないとね。私一人じゃ手一杯だし」
やれやれといった様子のレイアに、セルジュはなぜか無性に不安を覚えた。
「……君はどうなる」
「どうなるって?」
「体に闇を吸収して、いつまでも無事でいられるのか。君の中の闇は、誰が祓う」
「特異体質だからね。大丈夫、どうにもならないよ。祓う必要もない」
「…………」
そう言われても、セルジュは厳しい顔つきでレイアを見つめるばかりだった。
レイアは居心地が悪そうな表情になる。
「もしかして、疑ってる?」
「君は平気な顔をして嘘をつく」
「本当に大丈夫だから。それより疲れたし、もう寝よう?」
困った様子でレイアが話を切り上げてしまったので、セルジュは深い溜息をついて、追及を諦めた。これ以上詮索しても、彼女は何も話さないだろうと思った。
セルジュは一人掛けのソファから立ちあがる。背中にあったクッションを持って、カウチソファへと移動した。
「君はベッドを使え」
頭にクッションを引いて、天井を仰いで体を横たえれば、レイアが慌てて立ちあがった。
「待って、セルジュ」
「いいから寝ろ」
「ベッドを使って。私がそこで寝る」
「そんなことをさせられると思うか?」
「私だって、セルジュにそんなことさせられない」
「いいから、寝ろ」
もう一度強く言ったが、レイアは首を横に振る。それから彼女は、何かを決心したような顔つきになって、セルジュに近づいてきた。
「分かった。だったら、一緒に寝よう」
「…………」
「幸いベッドは広い。枕もふたつある。ほら、行こう」
と言うやいなや、返事も待たずにレイアは、セルジュの腕を取って強引にその体を起こそうとする。
「セルジュがベッドを使わないなら、私は一晩中起きてる」
「…………」
それで、折れた。仕方がなくセルジュは立ちあがると、レイアに引かれるがまま、ベッドに入る。夫婦になってもう九か月が経つが、一緒に寝るのは初めてのことだ。
セルジュとは反対側からベッドに入ったレイアに背中を向けたまま、セルジュは不機嫌に言った。
「間違いがあったらどうする」
セルジュは目を閉じていたが、レイアがくすりと笑ったのが気配で分かった。
「別にいいけど。あなたと私は夫婦だし」
「…………」
その瞬間、セルジュは目を開いて、上体を起こした。驚くレイアを一瞬で組み敷き、苛立たしげに彼女を睨んだ。
「こういう状況で、あまり男をからかうなよ」
「…………」
両の手首をセルジュにしっかりと拘束され、レイアは小さく目を見開いていた。
セルジュを見上げる黒い瞳が戸惑うように揺れていて、セルジュの心を刺激する。レイアが小さく息を呑めば、その唇がかすかに震えた。
これ以上は、駄目だ。しばらくの沈黙の後、セルジュは自らを律して、レイアから離れた。
「……寝ろ。明日は早いと言われただろ」
再びセルジュがレイアに背中を向けると、ややして小さな声が聞こえた。
「……うん」
ベッドサイドにあったランタンの灯りを、レイアが落としたようだ。部屋が暗くなって、とろとろと燃える薪ストーブの炎が、柔らかく部屋を照らしている。
少し経ってからセルジュは、レイアに言いそびれていたことをようやく口にした。
「ロザリーを助けてくれて感謝する」
「……いいよ。それが私の役目だから」
ぬくもりに包まれながら、セルジュはゆっくりと目を閉じた。




