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今だけは 03

 ひどく懐かしい夢を見ていた。


 王都ツィーレの都市機能も今ほど発展しておらず、今ではツィーレ周辺に整備された葡萄畑も、その頃はまだ街の中に点在していた。

 大聖堂のすぐ側にあった葡萄畑で、レイアは手に持った葡萄の房からその粒をちぎっては、ぱくぱくと口に運んでいた。黒紫色に熟した葡萄の薄い皮が、口の中でさくっと割れると、まろやかな甘みと少しの酸味がみずみずしく広がる。


『食べ過ぎるなよ』


 振り返れば、セルジュが少し呆れたような顔をしていた。彼の手にも、ひときわ立派な葡萄がひと房。


『それ、すごく大きくて甘そう』


 近づいてねだれば、セルジュは仕方がなさそうに、そこから一粒をちぎって、レイアの口に運んでくれた。


『まるで子供だな』


 そう言って苦笑したセルジュの瞳は、その背に広がる空と同じように澄んでいた。口調とは裏腹の優しいまなざしに、レイアは嬉しくて笑う。


『甘いよ、ほら』


 セルジュの持っている房から一粒をちぎり、彼の口元に差し出す。セルジュは抵抗せずにそれを口に含んだ。


『ね?』

『……そうだな』


 セルジュは少しだけ、口元をほころばせた。普段はなかなか見せない、その控えめなほほえみが美しくて、なぜだか涙が出そうに胸が苦しくなった。


「……セルジュ」


 呼び声と共に、レイアは目を覚ました。


 しばらく呆然としていたが、やがて意識がはっきりする。無言で上体を起こせば、すっかり見慣れたレイアの部屋の、ベッドの上だった。

 上着だけは脱いでいたが、昨日の姿のまま。溜息をついて片手で目を覆うと、そこはしっとりと濡れていた。


「レイア様、お目覚めでございますか」


 侍女が控えめに声を掛けてきた。サイドテーブルにあった時計を確認する。起床の時刻は過ぎていたが、今日は午前の予定がなかったので、レイアが自然と目を覚ますまでは、待っていてくれたのだろう。

 レイアは目元に残っていたものを拭い取って、侍女の方を向いた。


「ごめん、遅くなったね」

「いいえ、とんでもございません。水をお持ちいたしましょうか?」

「ありがとう。……昨日、私はどうやってここに戻ったのかな」

「セルジュ様が、お抱きになってお戻りでした」

「……そう。謝らないとね。セルジュは出かけた?」

「いいえ、午前中はお出かけのご予定はございません」

「分かった。ありがとう」


 侍女は水を取りに行き、それからレイアの身支度を手伝ってくれた。


 全てを整えてさっぱりしてからレイアは、セルジュのいる、フランクール家の中庭に面したテラスへ向かった。


「セルジュ」


 声を掛けると、テラスに用意された椅子で本を読んでいたセルジュが顔を上げた。

 秋の柔らかな木漏れ日が、ガラステーブルの上できらきらと揺れている。テーブルには、淡く光を弾く炭酸水の入ったグラスと、収穫したばかりのみずみずしい果物が盛られたガラスコンポートがあった。大きな果実は美しくカットされ、葡萄は一粒一粒丁寧に房から取られている。


「昨日、連れて帰ってくれたんだってね。迷惑かけてごめん。……最後、セルジュと会ってから記憶がないんだけど、何か失礼なこと、しなかったかな」


 セルジュの隣の椅子に座りながら白状すれば、セルジュは黙ってレイアを見た後、本に視線を戻しながら答える。


「……別に」

「そう? それなら良かったけど」


 レイアは葡萄に手を伸ばした。光を浴びて宝石のように輝く粒を口に含めば、弾けるように果汁があふれ出した。


「美味しい」

「……あれだけ飲んで、よく飽きないな」


 視線を上げて呆れるような声で言ったセルジュに、レイアはもう一度葡萄を指でつまんで、それを差し出した。


「だって美味しいよ、ほら」

「……いるかいらないか――」

「聞かない。はい」

「…………」


 しばらく逡巡していたが、結局セルジュは諦めて、口を開いた。しぶしぶながらも、レイアの手から直接葡萄を口にする。


「美味しい?」

「……そうだな」


 少々不本意そうではあったものの、セルジュの声は穏やかだった。

 再び本に視線を戻したセルジュを、頬づえをついて眺めるレイアに、自然と笑みがこぼれる。


 レイアの心は満たされていた。セルジュが目の前にいるという事実に。優しい木漏れ日の中で、セルジュが平穏な時間を過ごす。それがレイアにとっては、この上なく幸せなことだった。

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