今だけは 01
王都ツィーレは、秋の香りに包まれていた。ツィーレの周辺は葡萄畑に囲まれており、穏やかな風とともに、果実の甘い芳香と、暖かみのある土の匂いが漂っている。
これから多くのワインが造られ、ツィーレから広く国内に供給されていく。ツィーレではこの五日間、葡萄の収穫祭が続いていた。人々は伝統的な衣装や葡萄農家の作業着を身にまとい、葡萄を踏み、ダンスを楽しむ。街には人々の声や賑やかな音楽があふれていた。
貴族や騎士、聖女達には王宮からの招待状が届き、その美しい庭園で収穫祭を楽しむ。招待客はみな、出来たばかりのワインや、秋の味覚を味わっていた。その傍らでは、国内の屈指の楽師や歌姫達が、最高級の音楽を奏でている。
王家への堅苦しい挨拶は初日に済ませ、セルジュとレイアは庭園に数多く用意された真っ白い円卓でワインを楽しんでいた。
「この収穫祭、来年でちょうど百年目になるらしいね。来年はもっと盛大になるのかな。楽しみだね」
朝から速いペースでワインを飲み続けるレイアは、昼頃には頬を赤く染め、とろりと瞳を潤ませていた。
同じように飲んでも、顔色を変えないセルジュが答える。
「君とは離婚している頃だな」
「確かに。残念だね」
にこにこと笑みを浮かべて機嫌よくレイアが言うので、セルジュは少々苛立った。やはり彼女が何を考えているのか、分からない。
「でも来年もあなたには、こうやって同じようにワインを楽しんでいて欲しいな」
「君も必ず招待される。アンジェリーヌ殿下のお気に入りだ」
「そうかな? それなら、また一緒に過ごせるかな」
「さあな」
視線の先では、沢山の人々が思い思いにこの時間を楽しんでいる。聖女達は皆揃いのドレスを着ていたが、レイアだけはいつもの騎士の格好だ。今日はセルジュも同じだが。
今更ながら、セルジュは彼女に質問をした。
「君はなぜ、他の聖女と違う服装で許されているんだ」
「ああ、これ? 私、割と何でも自由にさせてもらえるんだ。こう見えて、実は聖女の中では結構偉い人だから」
冗談っぽく言いながら、レイアは他の聖女達に目を向ける。
「あの柔らかい服、苦手でさ。軽いけど、走りにくいし。こっちの方が動きやすい」
なぜ走る必要があるのかと一瞬思ったが、思い返せば確かに彼女は走っていた。大聖堂の一件のように、一刻を争う事態も多いのかもしれない。
「あとさ、時々椅子を蹴り飛ばしたりするから」
「……酔ってるのか?」
けたけたとおかしそうに笑うレイアの意味不明な言葉に、セルジュは怪訝な顔をした。
「いったいどんな淑女だ」
「挨拶に来た新妻を無視する人に言われたくないな。いったいどんな紳士?」
からかうように目を輝かせてレイアが笑うので、セルジュはあの時のことを思い返した。確かに、それはそうだ。
そうしていると、人の群れの中から、アンジェリーヌがこちらに手を振っているのに気が付いた。二人で立ちあがってアンジェリーヌの元へ向かうと、丁寧に挨拶をした。
「レイア、少し顔が赤いわ」
「ええ。ここはとても楽しいし、ワインがとても美味しいので」
「良かったわ。セルジュは? 楽しんでる?」
「そうですね」
「良かった!」
光が輝くような笑みをこぼしてアンジェリーヌは、レイアの手を取った。
「ねえ、レイア。セルジュはわたくしの大事な従兄弟なの。ずっと大切にしてね」
「はい、もちろん」
アンジェリーヌとの会話はそれで終わった。アンジェリーヌには休む暇などなく、またすぐに沢山の人の群れに囲まれてしまう。それでも嫌な顔ひとつせず、むしろ楽しんで過ごしているのだから、アンジェリーヌも大した器だった。
元いた場所に戻り、腰を落ち着けてからセルジュは、隣のレイアにちらりと視線を送った。
「君は平気な顔をして嘘をつく」
レイアは一瞬何のことかという顔をしたが、すぐに思い当たったのか、くすりと笑った。
「嘘じゃないよ、セルジュのことは大切だって言ったと思うけど。離婚はするけど、大切に思う気持ちはずっと変わらないよ。信じてない?」
首をかしげてのぞきこんでくるレイアに、セルジュは無言だった。王宮の広い庭園と、そこを泳ぐように行きかう人々を見つめる。
信じていない、わけじゃない。そう返す前に、レイアが口を開いた。
「あなたの大切な人は、どんな人だった?」
ふいに聞かれ、セルジュは思わずレイアを見る。レイアはとろりとしているが、いつものように優しい眼差しをこちらに向けていた。
「私はあなたと同じ学校に通っていたと言ったよね。あなたが恋人と一緒にいるところ、見たことがあったよ」
テオフィルは、セルジュを調べたと言っていた。以前彼に言われた言葉が思い出された。
『レイアはあなたが誰を愛していても、構わないと言いました』
レイアはセルジュの過去を、知っている。見てか、聞いてなのかは分からないが。
今この時、レイアがどういう気持ちでそう言ったのか、セルジュには想像ができなかった。
「……恋人じゃない」
「そうなの?」
「ああ」
「どんな人だった?」
もう一度聞かれて、セルジュは少し沈黙し、それから小さく嘆息してから答えた。
「……驚く程感情が豊かだった。よく笑い、泣いて、怒って。よくもそんなに心の内を曝け出せるものだと呆れたこともあった」
言葉にすると、心の中でロザリーの姿が浮かんだ。くるくると表情を変える、眩しい人だった。
「素直で他人を疑わなかった。俺とは、真逆だ」
「そう」
レイアはセルジュの瞳を真っすぐに見ていた。その潤んだ瞳は、宝石のようだった。
「前に話したこと、覚えてるかな。人はいつか、還っていくって言ったよね」
「……ああ」
「あなたの願いは、今生でなくても、いつかきっと叶うよ。セルジュの願いが叶うよう、私も祈るから」
セルジュは言葉を失った。レイアのそのあたたかさが、セルジュの胸を打っていた。
レイアが何を考えているのかは分からない。だが今、彼女の言葉には嘘がなく、本当にセルジュのために祈るのだろうと、そう信じることができた。
セルジュは、やがて小さく苦笑した。
「……今生でない、か。気が遠くなる話だな」
「そうかもしれないね」
再びゆったりとワインを口に運ぶレイアを、セルジュは見つめ返した。
「その時君はどうなる。君の願いは何だ」
「……私?」
レイアは思いもよらなかったという様子で、きょとんとした。それから少し考えて、ゆったりと笑った。
「それじゃ、セルジュの幸せを見守ろうかな」
「……自分の幸せを考えろ」
わずかに眉を寄せてセルジュがそう言えば、レイアはふわりと花が咲いたようにほほえんだ。
「セルジュはやっぱり優しいね、アンジェリーヌ殿下が言ってたとおりだ」
誰に対しても、そうというわけではない。自分自身を知っているからセルジュは、何も答えずに視線を逸らした。
内心のわずかな動揺を無視するように、グラスに残っていた苦みのない爽やかな味を、セルジュは一気に飲み干した。




