90.令嬢と太后
塩の国への出立も間近に迫った二月の後半。パレスナ王妃はかつて後宮にいた元王妃候補者達を集め、王城の植物園でお茶会を開いていた。
一ヶ月ぶりとなる再会に皆は喜び、早速の歓談が始まった。
「それじゃあ、モルスナお姉様はお見合い婚でいいのね?」
パレスナ王妃がお茶の入ったカップを手元に置きながら、叔母であるモルスナ嬢に向けて言った。
現在、結婚相手はどうするかという話題となっている。
そこで、モルスナ嬢がお見合いを進めていると話したのだ。
「そうね。顔がよくて、資産があって、優しくて、趣味のマンガに口出ししてこない人なら誰でもいいわ」
「それはー、十分高望みしているのではー……?」
モルスナ嬢の挙げた条件に、思わずといった様子でツッコミを入れる菓子職人のトリール嬢。
だが、モルスナ嬢は不敵に笑って言葉を返す。
「これでも公爵家の人間よ? 高望みせずにどうするのよ」
「それはまあ、そうですねー」
「でも、私の子が家を継ぐわけでもないから、家柄でなく人柄で選ばせてもらうわ」
モルスナ嬢は王都で仕事を持っている法服貴族だ。公爵家である実家を出て、独り立ちしている。そして、どうやら伴侶に高い爵位は求めていないらしい。彼女の求めるいい男の条件に爵位は関係ないようだ。
兄が公爵という立場にいるから、兄とは違うタイプを求めているのだろうか。
「それに、別に若さは求めてないわ。かなりの妥協じゃないかしら、これ」
モルスナ嬢のその言葉に、確かにとうなずく一同。
まあ、資産持ちと若さは両立しにくい要素だからな。若くして家を継いだ領地持ちとかならともかく。
「そういえば、キリンさんは元庭師でかなりの資産家だったわよね。庭師とかにいい男いない?」
と、モルスナ嬢が私に話題を振ってくる。パレスナ王妃の後ろに控えている私は、モルスナ嬢に答えた。
「いますよ。庭師はエリート揃いですから競争率は高いですが、紹介できますよ」
「あら、言ってみるものねー」
そうしてモルスナ嬢の話題は終了。話の矛先は他の面々に向いた。
「トリールはどうなの? 職場にいい人いないの?」
パレスナ王妃がそうトリール嬢に尋ねる。
話を振られたトリール嬢は、口にしていたお茶菓子を飲み込み、のんびりとした口調で答えた。
「職場の人は、そんな対象としては見られないですねー。不出来な弟子といった感じでー。唯一の上司の職人長は既婚者ですしー」
どうやら司書長補佐のファミー嬢のように、王城で相手を見つけるとはいかないようだった。
まあ、トリール嬢も元王妃候補者。後宮入りした人間は箔がついて引く手あまただというから、相手探しに困ることはないだろう。
そんな話で盛り上がっている最中、近くに侍女を引き連れた集団が通りかかった。それにパレスナ王妃が気づく。
「あら、ユーナお母さんじゃない。メイヤ、ちょっと呼んできてくれる?」
「かしこまりました」
パレスナ王妃に指示を受けた侍女のメイヤが、集団に近づいていく。
そして、メイヤは集団を引き連れてこちらに戻ってくる。
「こんにちは、パレスナさん。お茶会でしたか」
「ええ、こんにちは! ユーナお母さんも少し休憩していかない?」
「いいですね。少し歩いて喉が渇いていたのです」
「よかった。キリン、椅子を用意してあげて」
植物園の東屋に用意された座席には余りがない。椅子を遠くから運んでくる必要があるが、わざわざ私を呼んだということはそういうことではないだろう。
「では、失礼ですが魔法を使わせていただきます」
私は空間収納魔法を使い、予備の椅子を空間の歪みの中から取り出した。
お茶会の開催にあたり、予期せぬお客様がいらっしゃるかもしれないと、侍女のフランカさんに椅子と茶器の予備を入れておくよう指示されていたのだ。さすが侍女歴の長いフランカさん。予備が役に立った。
私がパレスナ王妃の隣に席を作ると、侍女のサトトコがお茶を用意し始める。
そして、トリール嬢が手ずからお茶菓子を取り分けた。
お茶が入ったところで、パレスナ王妃が皆にお客様を紹介した。
「こちら、王太后のユーナ殿下よ。私の義理の母ね」
「皆様、よろしくお願いします」
「ユーナお母さん、今回は後宮入りした人達の集まりなの。紹介していくわね!」
そうしてパレスナ王妃は、ハルエーナ王女、モルスナ嬢、ファミー嬢、ミミヤ嬢、トリール嬢と順番にメンバーを紹介していった。
「あわわ、王太后殿下……あわわ……」
そんな中、思わぬVIPの登場にパニックを起こしている令嬢が一人。ファミー嬢である。
「何をそんなに慌てているの、ファミーさん。ほら、お茶を飲んで落ち着いて」
モルスナ嬢に背中をさすられ、深呼吸をするファミー嬢。
「だ、だって、王太后殿下ですよ……そのような尊いお方にお目にかかるだなんて……」
「ふふ、なにそれ。それを言ったら、パレスナだって王妃様じゃない」
「あ、そ、そうですね……」
モルスナ嬢の言葉にファミー嬢の身体の震えが止まり、ファミー嬢は大きく息を吐いた。
「うふふ、突然の来訪に驚かせてしまったようですね」
そんな二人の様子を王太后は微笑みながら見つめていた。
「ところで、突然割り込んでしまったけれど、皆様はどんなお話をしていたのでしょう」
王太后の言葉に、パレスナ王妃がすぐさま答える。
「将来の旦那様の話ね! 私以外、みんな結婚していないから、どんな相手がいいのかって話」
「ああ、確かに皆様は後宮を出てそんなに時間が経っていませんでしたね。ということは、これからお相手探しかしら」
「そうねー。お見合い婚で済ませようとしている人や、職場恋愛は嫌だって人とかね!」
「あらあら、大変ですね」
パレスナ王妃と王太后は、二人でそんな言葉を交わす。
「まだ話を聞いていないのはー、次はミミヤね」
パレスナ王妃のその台詞に、周囲の視線がミミヤ嬢へと集まる。
彼女は王妃の行儀指南役に就いている名家の娘だ。普段パレスナ王妃と顔を合わせてはいるが、浮いた話は聞いたことがない。
「私ですか。そうですわね。実家と協議しながらお相手を探しておりますわ」
「うーん、ミミヤみたいな古い名家だと、自分で相手を見つけてくるというわけではなさそうね」
「そうですわね。ですが、愛は育むもの。恋から関係が始まらなくても、きっと愛し合えるはずですわ」
「そうなるといいわね」
そんな会話がミミヤ嬢とパレスナ嬢の間でされる。
若いお嬢さんにしては、達観した恋愛観だ。ああいや、ミミヤ嬢は令嬢達の中でも最年長の二十歳か。こういう意見が出てきてもおかしくはないな。
「で、実際のところはどのような方が好みなのですか?」
と、そんなことをずばりと聞いたのは王太后だった。初対面だというのに攻めるなぁ。
「ええと、そうですわね……。ダンスが得意で、楽器が使えて……あとは、私の知らない世界を見せてくれる人でしょうか?」
「知らない世界、ですか」
「はい。上手く説明できないのですけれど……」
ああ、解る。ミミヤ嬢はあれでいてかなりの新しもの好きだからな。未知を体験させてくれる型破りな人物を期待しているのだろう。
そんな私の解釈に似たようなことを、令嬢達がああでもない、こうでもないと語り合う。
話題の中心になったミミヤ嬢は少し恥ずかしそうだ。
「ハルエーナはどうかしら。まだ十二歳だからそういう話は出てきていないかしら」
そして、次の話題は塩の国の王女、ハルエーナに移る。
「私は多分、この国で相手を探す」
「ああ、両国の友好のためとかそういうのかしら」
「そう」
「いい人が見つかるといいわねー」
「うん、いい男を絶対に捕まえる」
ハルエーナ王女が燃えている。
うーん、肉食。魔法使いがやってくるのを待つだけのシンデレラは、この場には誰もいないのだなと実感する。
「参考に、王太后の話を聞きたい」
と、そんなことをハルエーナ王女が言った。
「私ですか」
「うん。先王との馴れ初めを。王族なら、恋愛婚のはず」
「そうですねぇ。あれはもうだいぶ昔のことですね」
王太后が話題を振られて嬉しそうな表情を浮かべ、話を始めた。
「ナギー……ああ、先王陛下のことです。ナギーとは、練兵場で出会ったのです」
「練兵場」
思わぬ場所に、パレスナ王妃がオウム返しで呟いた。
「実は私、王妃になる前は近衛騎士だったのです」
「ええっ!」
周囲から驚きの声があがる。驚いていないのは、王太后付きの侍女達だけだ。
「練兵場で各師団合同の訓練が行なわれていまして、そこに当時王太子だったナギーが木剣を携えてやってきて、この中で一番強いのは誰だ! と私達に挑んできました」
なんだ、その超展開は……本当に王太后の馴れ初めなのか。
「そこで選ばれたのは、当時無敗だった私なのです」
うわあ、びっくりだよ。今の王国最強の人間は国王と言われているが、奴が強いのは血筋もあったのか。
「ナギーと模擬戦をしまして、私が勝ちました。ですが、その日からナギーがことあるごとに勝負を挑んでくるようになったのです」
「なるほど、そこで愛が育まれたのですね」
興味深そうなミミヤ嬢の言葉に、「いいえ」と王太后は首を振った。
「あくまで剣を交わすだけの他人同士でした。ですが、ある日、ナギーがこう言ったのです。『後宮を開くが、数合わせに入ってくれないか』と」
「それって、プロポーズでは?」
王妹のナシーが近衛騎士のオルトに後宮に入ってと告白したのは記憶に新しい。
だが、ミミヤ嬢の問いに、また王太后は否定の言葉を返す。
「いえ、本当に数合わせだったのですよ。当時、ナギーには好いている人がいなくて、当時の国王陛下からせつかれて後宮を開くことになり、慌てて王妃候補者を探していたのです」
「なるほど。最初からパレスナに相手が決まっていた私達とは、事情が違ったのですね」
モルスナ嬢の言葉に、王太后は「ええ」と答え、さらに続けた。
「ですが、当時の私は剣一筋で生きていたがさつな騎士。後宮に入ったのはいいものの、ドレスを着て他のご令嬢と交流を深めるという生活に、戸惑うばかりでした」
「今のユーナお母さんからは想像もできない姿ねー」
たしかに、王太后は完璧な元王妃という感じの人だ。いつも優雅にドレスを着込んで、頻繁に植物園の薔薇を見て過ごしており、剣を振るっている姿など見たこともない。
「困り果てる私を助けてくれたのが、ナギーでした。自分が後宮に入れたのだから、最大限世話をすると。その姿に、私はいつの間にか恋に落ちていました」
「ナギーお父さんもやるわね!」
パレスナ王妃が楽しそうに合いの手を入れた。
「そこからは、私が攻めに攻めました。偶然の両思いなどという都合のいい事態は、そうそう起きません。ですが、人は誰かに好きになってもらうと、自分も相手を好ましく思うという助言を母からいただき、アプローチを続けました。その結果、私は今こうして王太后という立場にいます」
そう王太后が話を締めると、「わあっ」と令嬢達が盛り上がった。
「よく解りますわ。相手に好きになってもらえると、こちらも相手を好きになるのです……!」
そんなことを言うのは、ファミー嬢だ。それに反応したのは、パレスナ王妃だ。
「さすが、恋人持ちは言うことが違うわねー。ファミー、あれから恋人とはどうなったの?」
ファミー嬢は王城図書館で司書長補佐という役職についている。
王城図書館には資料を探しに王城で働く法服貴族達がよく訪ねてくるらしいのだが、そんな利用者の一人である書記官と付き合っているという話をしたのが先月のことだ。
周囲の視線が、ファミー嬢に集まる。みんな興味津々だ。
「ええと、順調にお付き合いは続いておりまして、先日、結婚しないかとプロポーズをいただきました」
「まあ!」
またもや盛り上がる令嬢達。うーん、女の子って本当に恋バナが好きだな。
「もちろん返事はしたわよね?」
パレスナ王妃の問いに、「はい」と答えるファミー嬢。
「で、親御さんにはちゃんと報告したの?」
さらにパレスナ嬢が聞くが、「いいえ」と答えが返ってきた。
「彼が、自分から両親に挨拶しにいきたいと……」
きゃー、とさらに沸き立つ女性陣。
「ですが、わたくし、仕事に就いたばかりからか、なかなかまとまった休みが取れなくて……」
と、そのファミー嬢の言葉でやや盛り下がる一同。
そこで王太后がファミー嬢に問いかけた。
「貴女、西のホドラント領の子ですよね?」
「あ、はい。ホドラント領のハレー家です。兄が領主をやっておりますわ」
「ご両親も領主の館に?」
「はい、兄と同居しております」
「それはちょうどよかった。パレスナさん、塩の国への道中、ホドラント領を通るでしょう。案内をしてもらうという建前で、彼女をそこまで連れていきなさいな。ついでに、その彼もノジーに手を回してもらって、休みを取ってもらいましょう」
ノジーとは、国王の愛称だ。国王権限なら、そりゃあ休みも取れるな。
「素敵なアイデアね! ファミー、そうしましょうか」
「は、はい。ありがとうございます……!」
そういうわけで、私達の旅に二名、同行者が混ざることとなった。
そしてその後も歓談は続き、好みの男性のタイプはどんなのかという話になった。
話の矛先は周囲に立つ侍女達にも飛び、やがて私に話題が振られた。モルスナ嬢が喜々として尋ねてくる。
「キリンさんはどういう人が好きなの?」
「私は元男ですので、男性は好みではありません」
「あら、そういえばそうだったわね。うっかり忘れていたわ。じゃあ、女の子が好きなの?」
「そういうわけでもないですね。なにぶん、思春期になる前に肉体の成長が止まっていますので」
「そう。なら、ずっと独り身?」
「ええ、そうなりそうですね」
私がそう答えると、モルスナ嬢は残念そうな顔をした。
そこに、パレスナ王妃が割り込んで言った。
「うんうん、十年後も二十年後も私の侍女をよろしくね!」
彼女の侍女を続けることをまたもや念押しされる私であった。
そんなに主張しなくても、老後を迎えるまではパレスナ嬢についていくので、安心してほしい。
そうしてお茶会の席は恋の話題一色で染まり、歓談はしばらくの間続いたのであった。




