86.国王と釣り
パレスナ王妃は午後のお茶休憩を日課としている。
内廷にあるお茶室で、王妃付き侍女達と一緒にお茶とお茶菓子を楽しむ時間なのだが、これには国王も参加する。
とは言っても、国王が仕事で忙しい日は欠席となり、女性のみのお茶休憩となることも多い。
惑星旅行から帰ってきて以来、先王が一部の仕事の引き継ぎを行ない始めたため、国王がお茶休憩の場に姿を見せたことはなかった。
だが、帰還から二週間経った今日、ようやく国王がお茶室に姿を見せた。
今日は、王妃付き侍女達も全員が出勤日。久しぶりに一堂に会したといったところだろうか。
お茶菓子を食べながらの会話も、大いに盛り上がった。
「へえー、それで、リーリー君はちゃんと彼と婚約できたの?」
メイヤの婚約破棄から始まった一連の騒動の話に、国王は興味深そうに耳を傾け、そして当事者の一人であるリーリーへとそう尋ねた。
「直接魔法宮に行ってー、告白してきましたー」
メイヤが婚約破棄を宣言してからもう十日近く経ち、それぞれの貴族の家を経由しての婚約破棄もスピーディに成立し、婚約者であったフェンさんはフリーになった。
そこで、大胆にもリーリーは彼の職場へ婚約を迫りに行ったのだ。野次馬として、パレスナ王妃一同も魔法宮へと訪ねていた。
「ほうほう。返事は?」
当然、その場には国王はいなかったので、事情を知らない彼は興味津々に結果を聞く。
「受けてくれるってー。幸せになろうって言ってくれましたー」
リーリーが嬉しそうにして、そう言った。これは、もう十分幸せになっているな。
フェンさんが、ろくに会ったことない人相手でも、美人のお嫁さんなら愛せるという感じのことを言っていたことは、私の胸のうちにしまっておこう。
「そりゃあよかった。丸く収まって安心したよ」
「そうねー。二組も侍女の婚約が決まっちゃったわ。そのうち結婚して侍女を辞めるかもしれないし、また侍女の補充が必要かしら」
国王の言葉に続いて、パレスナ王妃がそうしみじみと言った。
フランカさんのように結婚しつつも、王城侍女を続けているという人は少ない。王城侍女は、貴族の子女が花嫁修業をするための職でもあるからだ。
貴族の妻に相応しい礼儀作法を学び、適切な侍女の扱い方を学び、同じく侍女をしている者と仲を深め人脈を作り、結婚と共に次の若者へ席をゆずって辞める。そんな職なのだ。
私は、結婚退職する予定は一切ないから、王城に留まり続けいずれお局様扱いをされるのだろうが……まあ、それは別に構わないだろう。
お茶菓子のクリーム付き焼き菓子を時折口にしながら、話題は一転変わって惑星旅行の思い出話へと移る。
王妃付き侍女の中で旅行に参加したのは私とメイヤだけなので、他の侍女達は国王の語る旅の思い出を興味深そうに聞いている。
国王は旅行中、テアノンの名士と体感型ゲームである仮想体験遊具を通じて仲よくなり、互いに言葉が通じないながらも釣りゲームを二人で楽しんでいた。
国王は元々アウトドアの類が好きなようなのだが、王太子時代はともかく、国王になってからはその趣味を満喫できていない。当然だ。国王なのだから、近衛騎士のいる守りの固いところから出て、のんびり釣りキャンプなどをするわけにもいかないのだ。
だからか、安全なゲームの中で存分に釣りをできる状況に、彼はのめり込んだ。
だが、旅行は既に終わり、仮想体験遊具は当然この国には存在しない。
「はー、釣りがしたい」
旅行の話を終えると、国王はそんな言葉をぼやくように言った。
「王都に川があるから、そこで釣りをすればいいじゃない」
パレスナ王妃が、そう国王に向けて言う。
王都で日々排出される生活排水や汚水を捨てる川だ。とは言っても川に全て垂れ流しではなく、王都にはちゃんと下水道があり、それにつながった下水処理施設がある。
疫病の発生を防ぐために、『幹』の技術で作られている下水処理施設だ。魔法で下水は浄化され、綺麗な水にして川に流されている。
だから、川は綺麗で魚も住み着いている。だが、国王は首を振って、パレスナ王妃の言葉を否定した。
「川は王都の外れにしかないから、そこまで出向くことはできないのさ。近衛騎士の大集団を連れていくことになっちゃう。遊ぶだけでそこまで動員は、したくないなぁ」
「あら、陛下、前に町中に出没していたじゃない」
パレスナ王妃が国王の言葉にそうツッコミを入れる。
確か、パレスナ王妃がまだ後宮にいた頃、パレスナ王妃と一緒に町中の食事処に行ったら、なぜか国王がその場にいたんだよな。
「確かに、暇なときは町中に繰り出しているときもあるよ。でも、それはあくまで騎士がすぐに駆けつけられる、王城の近くの範囲で我慢しているんだ」
そうだったのか。まあ、王城周辺は治安もいいしな。それでも不用心だとは思うのだが。
「だから、釣りがしたくてもできないんだよねー。キリリン、『幹』からあの仮想体験遊具とかいうの、持ってこられない?」
「何言っているのですか。無茶を言わないでください……」
国王の無茶ぶりに、私は呆れたように言葉を返すしかなかった。
いくら娯楽用途では道具協会の規制が緩くなるとはいえ、あんなものオーバーテクノロジー過ぎるわ。魔法研究目的に国中の魔法使いが集まって、国王が遊ぶどころではなくなるぞ。
「じゃあ、何か妙案はないかなー」
「そんな急に言われましても……そうですね、釣り堀でも作ればいいのではないですか?」
「釣り堀。何それ、面白そうな響き」
私の適当な提言に、国王が興味を持ったのか食いついてきた。
他の侍女達やパレスナ王妃は特に興味はなさげだ。とりあえず、私は国王に向けて釣り堀について説明を始めた。
「釣り堀とは、川や湖などに魚の逃げられない囲いを作って、そこへ魚を放し、好きな時に釣りをできるようにした施設のことです。小規模なら、ただの池を作ってそこを釣り堀にすればいいでしょう」
「ああー、なるほど。邸宅の庭に池を作って、魚を飼育して鑑賞する貴族はいるけど、その魚を釣るってわけだね」
「そうですね。まあ、庭の池よりは大きめにして、すぐに魚がいなくなることのないようにはする必要があるでしょうね。池に住ませる魚は、川で網猟をしている漁師から生きた魚を仕入れて放流すればよいでしょう」
「結構大規模な施設になりそうだね。うーん、俺個人の用途でそんな贅沢をするのもなぁ」
「市民に開放してはいかがですか? 施設使用料を取り、魚の買い取り料を高めに設定すれば商売として回るかもしれません」
「それ、いいねー。でも、王都の住民用に作るとなると、大規模になりすぎるな……水は温泉水を冷ますとして……」
王都の地下からは、温泉が湧き出ている。王都の住民は、その温泉水を冷まして飲用水や生活用水として利用している。
「この国に釣り堀の前例がないなら、初めは小規模からやったほうがいいでしょうね」
私が一応の助言を言うと、国王はうなずいて答える。
「そうだね。貴族街にちょうど余っていた土地があるから、そこを使って貴族向けに作ってみようかな。よし、そうしよう! 貴族街なら近衛騎士のみんなも出かけることにうるさく言わないでしょ! よーし!」
国王は立ち上がりかけるが、お茶休憩の途中ということに気づき、椅子に深く座り直し、お茶のカップを手に取った。
その様子を見ていたパレスナ王妃は、小さく笑って言った。
「陛下は新しい貴族向けの案件で忙しいようだし、今日は早めに終わりましょうか」
「さっすがー、パレスナ。気が利くー」
「貴方の妃だからね」
そうやってイチャイチャしだした国王夫妻を横目に、私は膝の上で大人しくしていたキリンゼラーの使い魔に、皿に残っていたお茶菓子を分け与えた。
「魚も美味しいよね! 惑星フィーナの魚は全部混沌の獣になっちゃったから、久しぶりに食べたいな。キリン! 今度使い魔に魚を食べさせてほしいなー」
既に習得し終えたらしいアルイブキラの言語で、使い魔がそう言う。
古風な世界共通語とはうって変わって、ずいぶんと子供っぽい話し方である。これが本来のキリンゼラーの口調なのかもしれない。
使い魔とは言っても意識は持たないタイプで、キリンゼラーが完全に操作している。なので、つまりこの台詞はキリンゼラー本人によるものなのだ。
私は、そんな使い魔に向けて言った。
「今度、休みの日にでも川釣りに行こうか」
その私の言葉に、国王が反応する。
「あ、キリリンずるーい。はっ、いいさ。俺は侍女のキリリンにはできない、釣り堀作りを思いっきり楽しむんだ」
釣り堀かぁ。そういえば、この国で見たことはなかったな。他の国では導入していた所もいくつか見たのだが……。
そもそも、王都の住民に釣りを楽しむという文化は、存在しているのだろうか。
以前、カヤ嬢との会話で聞いたのだが、カヤ嬢の父は釣り好きで、実家近くの湖で園遊会を開き集まった人達と釣りを定期的に楽しんでいるらしい。
だから、貴族向けの遊びとしては、もしかしたら当たるかもしれないな。国王の手腕に期待である。
◆◇◆◇◆
「うちの国には塩湖がある。塩水の中でしか生きられない魚が住んでいる」
翌日、パレスナ王妃は国王と一緒に、塩の国の親善大使であるハルエーナ王女を招いて、お茶会を開いていた。
ハルエーナ王女は月の半分をこちらの国で過ごし、もう半分を塩の国で過ごす。
そして、先日、彼女が塩の国からこちらに戻ってきたので、歓迎の意味を込めて小さなお茶会を王城の植物園で開いたのだ。
国王は今日も時間を作れたらしく、同席している。
そこで、国王は昨日話していた釣り堀について、ハルエーナ王女に話したのだ。
この世界では、釣りはおおよそ男性の趣味だ。なので、幼い少女に釣りの話題を振るのはどうかと思ったが、彼女はしっかりと返事を返してきた。しかも、自分の国の特色をアピールするという、親善大使として満点の対応だ。
「へえ、塩湖。まるで、惑星フィーナにある海みたいだね」
仮想体験遊具で海釣りも楽しんだ国王が、ハルエーナ王女の言葉にそう反応した。
それにハルエーナ王女も応じる。
「海に住んでいた生物をあの塩湖に移したと、父から聞いている。その生物を保護し、繁殖させ、管理するのが王族の務め」
滅びゆく惑星から脱出するための宇宙船として改造された、二千年前の世界樹。惑星フィーナ由来の様々な生物が、脱出の際に集められたという。さながら、前世の聖書に出てくるノアの方舟のごとしだ。
そんな惑星の生物が失われないようにしているのか、現在の世界樹上にある国々の環境は多彩だ。
塩の国の塩湖も、海を再現した区画なのだろう。そして、再生した惑星フィーナに帰る日まで、海の生物達は塩湖で大切に管理されているというわけだ。
「塩湖では釣りは禁止。漁も制限されている。でも、釣り堀がある。釣り堀で釣るのは大丈夫」
「なるほど。そこに行けば、海の魚を釣れるわけだ」
「釣り堀、来る?」
「行きたいけれど、遠いからなぁ」
「大丈夫」
国王とハルエーナ王女はそう言葉を交わしていたが、ハルエーナ王女が何やら手荷物から一つの封筒を取り出し、お付きのネコールナコールに渡した。
義体の上に頭を乗せて天使モードになっているネコールナコールは、その封筒を国王のもとへと運び、渡した。
むむむ、あの封筒、塩の国の国章が押されていたぞ。国からの書状か。
封筒が渡ったのを確認したハルエーナ王女は、言葉を続ける。
「併合式典の招待状。式典に出た後は、うちの国を存分に観光していくといい」
「ああ、そういえば日取りが決まったって、旅行前に連絡来てたね。今月末だっけ」
封筒の裏表を確認した国王は、側で待機していた秘書官に封筒を渡してそう言った。
「ん。準備できてる?」
「ははっ、大丈夫ー。釣り堀に夢中でも、そこは抜かりないよー」
ハルエーナ王女の問いに、国王はそう軽く答えた。
併合式典か。これにはパレスナ王妃も参加する。王妃付き侍女として、おそらく私もついていくことになるだろう。
「いやー、それなら、向こうについたら釣り堀、案内してもらおうかな。こっちで作るときの参考にしたいから」
「了解」
国王とハルエーナ王女の間で、そんな予定が交わされていた。
他国の王が国内を移動するのは結構大事だと思うが、ハルエーナ王女、結構軽く答えるなぁ。
まあ、他国の王を歓迎するのは、友好国として必要なことかもしれない。
「海も湖も、妾達、端末の天敵じゃな」
「天界の使いは難儀だねぇ」
元の位置に戻ったネコールナコールが、そこらをうろついていたキリンゼラーの使い魔と、何やらそんなことを話している。
天使や悪魔は熱で生きる生物だから、冷たい水は御法度だ。身体を洗うときも、人肌より温かい水を使わないと、熱を奪われて生命活動に支障をきたすという。
こりゃ、水辺ではハルエーナ王女の護衛として期待できないな、この天使。
しかし、式典までまだ半月以上あるが、移動を考えるとそろそろ準備を考えなければいけないのか。
旅行から帰ってきて一段落したと思ったら、また慌ただしい日々が始まりそうだ。侍女という仕事も、なかなか飽きないものだな。
侍女の仕事が私に向いているかは未だに判別できないが、長く続けていけそうで安心である。
「えっ、川にも釣り堀あるの? それも見る見る。王都の川にも釣り堀、いずれは設置したいね」
この釣り馬鹿が国主の国にずっと仕えるのは、少し不安なところがあるかもしれないな。




