72.ファッションリーダー
「午後は商家の方が訪ねてきます」
とある日の朝、王妃パレスナの私室で王妃と侍女一同は、本日の予定を確認していた。
本日はフランカさんとビアンカの親子が休み。そんな頼れる年長者が欠けている状況で、外部の人間を招いて面会する予定が立てられていた。面会は今日の午後である。
「商家ね。面倒ねぇ」
パレスナ王妃がうんざりというような顔で言う。
商家を招くのは、王妃用の装飾品の発注が目的だ。
以前スパイダーシルクのハンカチが届いたが、王妃が身につけるべきものはまだまだ足りていないらしい。パレスナ王妃が公爵家から持ち込んだドレスや装飾品があるが、国の顔として国民の前で顔を見せるには、持ち込んだ物では少々グレードが足りないものもあるようなのだ。
なので、商家に見本を持ってきてもらって直接目で確認し、色々と買いつけるのだ。
「面倒くさがってどうしますの」
侍女のメイヤが呆れたように王妃に言う。
「ええー、だって、服や装飾品なんて、適当にセットで用意してもらった物を身に付ければいいじゃない」
こ、この人は……。
私自身、装飾品の類は身につけない。だが、女に生まれ変わった身として、服はそれなりによいものを着て、身分や肩書きに相応しい格好をしようと昔から気を付けてはいる。だからこそ言わせてもらうと、パレスナ王妃のこの台詞は、典型的なファッションに興味がない人の考えだ。
ただの町娘ならそれでもいいのだろうが、彼女は王妃。皆の前に立ち、皆の手本にならなければならない存在なのだ。
「パレスナ様、あなたさまは王妃です。皆のファッションリーダーなのですよ」
そう言って私は、パレスナ王妃をいさめることにした。ファッションに興味のないクリエイターだが、王妃という立場がそれを許してはくれないのだ。
「ファッションリーダー……ええっ、私そんなのになったつもりはないけれど」
「王妃とはそういうものです」
パレスナ王妃の困惑の声に、私はそう断言して返した。フランカさんからの受け売りだけれどな。
王族の生活は国民の血税でまかなわれている。過剰な贅沢は絶対王政のこの国と言えども国民の反発を生む。だがしかし、王妃は国の顔である。みすぼらしい格好をしていては、他国から国全体の品格を疑われかねない。そんな王妃が着飾ってファッション界の先頭に立つのは、国のためにも必要なことなのだ。
そんなフランカさんが以前、夕食の席で言っていたことをパレスナ王妃に説明すると、他の四人の侍女も私の主張に乗っかってきた。
「そうですの。一番目立つのが王妃という存在。皆が注目するのですわ」
「着飾るのもー。王妃様の仕事ー」
「若く美しき王妃。その装いを皆様が参考にしようとするでしょう。まさに流行の最先端です」
「私も参考にしたいです! 今日は勉強させてください!」
順繰りに話しかけられ、パレスナ王妃はたじたじになった。
新任侍女達と王妃も、いい感じに打ち解けてきたな。気安くなりすぎないよう、ある程度のところで一線は引く必要はあるが、遠慮のない忠言はできた方がいい。なにせ、パレスナ王妃はところどころでだらしなくなるからな。絵画に人間性を捧げていると言ってもいい。
「そう言われても、私ファッションなんて全然詳しくないし……」
「お手伝いします! お頼りください!」
パレスナ王妃の情けない言葉にそう返すのは、この場で最年少の十二歳の侍女、マールだ。
いつも元気いっぱいなのが特徴で、声量を出しすぎて、はしたないと侍女宿舎でよく注意されているのを見る。
「そう……。あなた達、頼むわよ。私一人ではファッションリーダーなんて無理だから、あなた達がコーディネートしてくれるのよね?」
「うっ、いざそう言われると、いまいち自信が……」
パレスナ王妃のすがるような台詞に、たじろぐメイヤ達新任侍女四人。新任といっても新米ではないのだけれどな。
「私は貴族出身ではないので、無理ですね」
私は、王妃と侍女四人に予めそう告げておく。
「ちょ、キリンさん。ずるいですわ。裏切りましたわね」
メイヤが焦ったように言う。そんなメイヤに私は言葉を返す。
「私は前職は切った張ったの殺伐とした職で、ファッションとは長らく無縁でしたからね。新米侍女として、皆さんには期待しています」
「うわー。一番の年長者が逃げたー」
侍女のリーリーがこちらを批難してくる。でも、無理なものは無理だ。
「皆さんは生まれついての貴族の子女。美しく着飾ることには慣れていますよね?」
と、私は皆を見渡すが、さっと目をそらす彼女達。
「いざそう言われてみると、自信がないわね……。ファッションリーダー……」
そう言う侍女のサトトコも、貴族の出だ。何が不安だというのか。
「年長者のキリンさんがこの調子では、他の年長者に頼りたいところですけれど……」
「こんな日に限ってフランカさんが休みなのが痛いわね……」
「責任重大過ぎて辛いー」
「自信ないけど頑張ります!」
そんな侍女達を見て、パレスナ王妃は「あなた達も無理なんじゃない!」とふんまんやる方ない様子だ。
仕方ないな。対策案を出そう。
「私にいい考えがあります」
その私の言葉に、五人が一斉にこちらへと振り向く。お、おう。そんなに注目しなくても。
私は女子五人の視線に気圧されながら、言葉を続けた。
「王妃のファッション事情は、王妃に聞けばいいのです」
「ん? 私から今更、何を聞こうというのかしら」
パレスナ王妃が開き直る。いや、そうではないのだ。
「一つ言葉が足りませんでしたね。王妃のことは元王妃に聞けばいいのですよ」
「……ああ! それは名案ね!」
パレスナ王妃がなるほど、と納得しながらそう言った。
そう、王妃のことは元王妃に。元国民のファッションリーダー、王太后にヘルプを頼もうではないか。
◆◇◆◇◆
元王妃、王太后ユーナ殿下は十代の若さで今の国王を産んだという。その国王の年齢は現在二十八歳。つまり、王太后は王妃を引退したといえども、四十代と隠居するにはまだまだ若い年齢だ。
王太后は王族の一員であるため、アルイブキラの国土調整の仕事がある。しかし、生まれついての王族ではない王太后には、そこまで頻繁に仕事が回ってくることもないらしい。
そんな感じで内廷で暇を持てあましているとき、突如、今の王妃から助けを求める声があがった。
なんでも、元ファッションリーダーとして力を貸してほしいとか。
王太后は喜んだ。元々、今の王妃とは仲良くしたいと思っていたのだ。そんな中で、女として頼りにされるなんて、なんと嬉しいことだろうか。
これは、王妃のために一肌脱がなくては。
急きょ開催された王妃と王太后二人の茶会の場で、王太后はそんなことをとうとうと語った。
王太后は本来、物腰柔らかな温和な女性だ。だが、よほどパレスナ王妃に声を掛けられたことが嬉しかったのだろう。若い少女のように楽しげに、自分の心境を話していた。
「それで、今日これから商家が訪ねてくるのですね?」
銀髪金眼の容貌に、大人しいシックなドレスを着込んだ王太后。その王太后がパレスナ王妃に尋ねた。
「はい、是非ご指導いただけたらと……」
「あらあら、固いですよパレスナさん。ナギーに接するのと同じようにしてくれていいのですよ」
「……ええ、分かったわ、ユーナお母さん、よろしく!」
「あらあら、娘が二人に増えましたね。嬉しいです」
「私もお母さんができて嬉しい!」
そんな会話をパレスナ王妃と王太后が繰り広げた。ちなみに、王太后のもう一人の娘とは、王妹のナシーのことである。
商家が訪ねてくるまでもうしばらく時間がある。
二人はお茶を飲みながらしばらく雑談を続けた。そして、ふと自分につく侍女の話になる。
「パレスナさんのところには若い子が多いですね。あなた、おいくつ?」
王太后がそう話を振ったのは、この場で一番若い見た目の私だ。
さて、どうするか。ここで実年齢を答えたら明らかに話の腰を折るのだが、嘘をつくわけにもいかない。
「……三十歳です」
「えっ」
ほら、驚いた。なんの冗談をみたいな顔をしているな。
「魔法で歳を取らないようになっているので、十歳の頃で姿が固定されているのですが、三十歳です」
「ええ、そんなこと……」
王太后がパレスナ王妃の方へと振り向くが、王妃は「本当よ。キリンは昔、有名な庭師だったの」と私の言葉を肯定した。
「魔法で幼いまま……」
ぼんやりとそう呟いた王太后は、やがて何かに気づいたかのようにはっとした。
「それって私にも使えるのでしょうか?」
王太后は身を乗り出して私に向かって質問してきた。
ああ、若さを保つ秘訣って、知りたくなるよな。
「いえ、これは師匠に無理やりかけられた魔法の秘術なので、誰かに受け渡しとかはできません」
「あなたも、あなたもなのですね! 魔法宮の人達も、秘術だから教えられないって、そればっかり!」
確かに魔法宮にも、若さを保つ魔法を使っている人いるからな。
だが、若さを保ったり寿命を延ばしたりする魔法は、総じて高度な術である。他者にはおいそれと伝えられない秘伝の術か、そもそも自分以外には高度すぎて使うことのできない術式か。私の場合は後者だ。
私が魔女から受け継いだチッタの秘術。そのシステムとでも言うべき仕組みの一つが、不老長寿の術式であり、他の術式と複雑に絡み合って単独で取り出せないようになっている。
「はあ、なかなか都合よくはいかないものですね」
そう溜息をつく王太后。
四十代ともなれば若さを強く求める年齢か。この世界では魔法によるアンチエイジングの実現が可能というあたりで、夢を見てしまう人も多いのだろう。
私自身、十歳で歳が止まってしまったのは不本意だが、老いないこの体は三十歳になった今となってはありがたいことだと思える。
美貌を保てるとかではなく、体の節々の劣化がないという部分だ。内臓は若いまま機能を保ち続けるし、すり減った軟骨も再生するし、歯も再生するすごい術式である。
「仕方ないですから、今日は若いパレスナさんを着飾らせて楽しむことにしましょう」
「お手柔らかに……」
「楽しみですね。ナシーはこういうのは無難にこなしてしまうから、今まで母親の出る幕がなかったのですよ」
「ええっ。ナシー、意外としっかりものなのね」
そんな言葉を交わす王太后とパレスナ王妃。
そうしているうちに商人達が王宮に到着したと連絡があり、私達は内廷の応接室へと移動した。
そして、応接室に商人達が入ってくる。
「はじめまして、王妃殿下。おや、これは王太后殿下ではないですか」
「あら、あなたがたでしたか。パレスナさん、安心してくださいな。彼らは古くからある王家御用達の商会で、トータルコーディネートもお手の物ですよ。お任せしても、いい感じにまとめてくれます」
「本当? 助かるわ!」
「あなたがた、パレスナさんはなんというか……そう、ファッション初心者なのです。色々教えてあげてください」
「それはそれは。かしこまりました。では、まずは今のドレスに合うものから……」
そうして、パレスナ王妃を着飾らせる時間が始まった。
侍女達四人は、商人の言う言葉を聞き逃すまいと、パレスナ王妃の周囲に侍っている。
私は……正直、高貴な女性のファッションなどちんぷんかんぷんなのだが、侍女である以上勉強しないといけないだろうなぁ。
「こちらは塩の国の特産品でして、塩湖に生息する貝の中で育つ、特別な石で――」
うおう、海のない世界なのに真珠とか出てきたぞ。奥が深いな。
そうして一通りの装飾品や靴を見た後に、王太后が口を開いた。
「ドレスも作らせたいのですけれど、今日、布は持ってきていますか?」
「ええ、よいものを揃えていますよ」
そうして商人が用意していた新たな鞄から、布束が出される。
「王妃殿下の髪色と合うのは、こちらの色で――」
そうこうするうちに時間は過ぎ、結婚式の準備で針子室の針子を相手にしたときにはなんともなかったパレスナ王妃が、疲れからかすっかりノックダウン状態に陥っていた。
一方、侍女達四人は商人の詳しく解りやすい解説に、勉強になったと感心している。彼女達も将来結婚して貴族の妻として、商人を呼びつける側となる身だ。ここで得た経験はきっと役に立つことだろう。
私は、まあ、気長に勉強することにしよう。
「それではご注文の品は後日届けさせていただきます」
「ええ、よろしくお願いしますね」
「よろしく、お願い……」
そう言って王太后とパレスナ王妃は、退室する商人達を見送った。
商人達が全員応接室を出て扉が閉まると、パレスナ王妃は大きく息を吐いた。
「はー、正直、何がなんだか」
「あらあら、パレスナさんは、まずは装飾に興味を持つところから始めませんとね」
「装飾に興味かぁー。正直、自分を着飾らせることに全く興味はないのよね。王妃である以上、義務であるとは思うのだけれど」
「そうね。では自分の好きなことに絡ませましょう。パレスナさん、女の人を肖像画に描くなら、美しいものの方がいいですよね?」
「ええと……見た目に貴賤はないと言いたいけれど、美しい題材の方がいいわねー」
「なら、題材になる女の人をいかに着飾らせるかを考えましょう」
「題材、題材……」
パレスナ王妃は王太后と私達侍女を見渡し、そして私で視線を止めた。
「キリン、着飾りましょう?」
「ええっ、何故私なんですか」
そこは幼さと大人っぽさを兼ね備えた妙齢の侍女リーリーとかじゃないのか!
「武で人の頂点に立った強者、それがプライベートでは一人の淑女になる。そんなギャップが絵の題材としていいのよ!」
そのパレスナ王妃の言葉を切っ掛けとして、侍女達も色めき立つ。
「思えば、結婚披露宴の時のキリンさんには、装飾品が足りていなかったと思いますわ」
そうなのか? 城の針子さんに薔薇飾りとか付けてもらったのだが。
「私は覚えてないけどー。でも面白そうー」
「キリンさんは、普段からもう少しめかし込むことを覚えた方がいいわね」
「題材にされてうらやましいです! でもキリンさんならきっとできます!」
なんだよ、君達私をどうしたいんだ。
「あらあら、これは、部屋から色々持ってきませんとね」
王太后もなにやら話に乗ってくる。
「それじゃ、私室に戻って、キリン大変身よ!」
そうして私は、午後の仕事終わりの時間まで、一同に装飾品をつけられたり髪型をいじられたりと、ファッション訓練の実験台にされた。
女物の服で着飾るのにはいい加減慣れていても、こう、小物をつけたり化粧をしたりするのはまだ慣れないな。などと、精神的な疲労を感じるのであった。




