57.甘味の話
「キリンさんに、異世界のお菓子を教えていただきたいのですー」
私を訪ねて薔薇の宮へやってきたトリール嬢が、唐突にそう話を切り出した。
トリール嬢はお菓子作りが得意な、牡丹の宮の主だ。以前も、彼女にとっての異世界である地球のお菓子として、メイズ・オブ・オナー・タルトを紹介したことがある。私は曖昧にしかレシピを知らず、彼女がほとんど独力で作り上げてしまったのだが。
そんな彼女が、私へ新たな挑戦状を叩きつけてきたのだ。
「別に構いませんが、何故急に? タルト作りに満足でもしました?」
私はそうトリール嬢に尋ねるが、トリール嬢は首を横に振る。
「いいえ、実はハルエーナ殿下から、パレスナ様の結婚式に何か協力できないかと言われましてー」
全身でジェスチャーをしながら、トリール嬢が言う。
ちなみに、ここは薔薇の宮の来客室だが、この場にそのハルエーナ王女はいない。そしてパレスナ嬢もいない。パレスナ嬢は、白菊の宮の主であるミミヤ嬢に、婚姻の儀式の手順について指導を受けている。ミミヤ嬢、王族の儀式まで知っているとはすごい。さすが建国当時から存在する芋伯爵家。
「私にできるのは、披露宴でお菓子をお出しすることかと思いましてー。いくつか選んだのですが、インパクトが足りないなって」
なるほど、トリール嬢の言いたいことは解る。自分の得意分野で、結婚式に最大限の貢献をしたいのだろう。
儀式を教えに来ているミミヤ嬢も、そんな感じだしな。
私はそんな健気なトリール嬢に向かって、言葉を投げかける。
「しかし、異世界のお菓子ですか。いろいろありますが……」
「いろいろあるんですかー!?」
「……ありますが、どういう方針のものがいいですか?」
食いつき半端ないなこのお嬢様。どれだけ新レシピに飢えているんだ。
私の問いかけに、トリール嬢はうーんとわずかに悩み、そして答えた。
「この国で誰も味わったことのない味、でしょうかー?」
「なるほど……」
私は考えを巡らせる。誰も味わったことのない味。勘違いしてはいけないのは、あくまでこの国でだと言うことだ。
他の国で親しまれている味でも、この国では一般的ではない味ならいい。
「それなら、あれですね」
前々から思っていた。
この国の菓子には、カスタード味が足りない。
だから、卵を使ってカスタード味の料理を作る。
その料理とは、そう!
「三不粘です!」
「おお、サンプーチャン!」
「三不粘とは、中国という国の料理です。お菓子と言うよりは甘い料理でしょうか」
「おおー。でも、甘ければ大丈夫ですよ。披露宴は立食パーティですからねー」
「なるほど」
それなら、大丈夫だな。
「ちなみに中国は、四千年の歴史がある国と言われていました」
「おおー、それって、この世界よりも歴史が長かったりしませんかー?」
「長いですね。もちろん、一つの王朝が支配し続けていたわけでなく、新しい王朝が立っては衰退していったのですが……」
「歴史ロマンですねー。ファミー様がそういうの好きそうです。美味しいお菓子もいっぱい発明されていそうですねー」
私が中国で詳しいのは、お菓子よりもどちらかと言えば料理なのだが。
まあ、甘い料理のレシピを知っていてちょうどよかった。
「では、早速試作してみましょうかー。牡丹の宮へ行きましょうー」
「あ、薔薇の宮で大丈夫ですよ。そう珍しい材料は使いませんし」
そうして私達は、薔薇の宮の厨房に向かうのであった。
◆◇◆◇◆
厨房に到着した私は、その場を取り仕切る料理長から歓迎を受けた。今の後宮は男子禁制なので、料理長とその部下達も全員女性だ。
「いらっしゃい、キリンさん! 厨房を使いたいって? どうぞ存分に使ってくだせえ!」
料理長の私への好意がすごい。
それもそのはずだ。以前、街道を走っていたパレスナ嬢の馬車が山賊に襲われたとき、私がそれを助けたのだ。
そのときに、山賊に矢を射かけられて死にかけていた御者が、この料理長なのだ。命の恩人ってやつだな。
「では、しばらく厨房をお借りします」
さて、料理だ。しかし、今私は侍女のドレスだ。これで料理するのは気が引けるな。
そう思ったときのこと。
「どうぞ」
トリール嬢の侍女から、エプロンを渡される。よく見ると、侍女達とトリール嬢はすでにエプロンを着けて臨戦態勢に入っていた。
薔薇の宮までエプロン持参で来たのかこの人達は……。
まあいい。気を取り直して、料理の準備だ。
「ボウルを二つ用意してください」
「へい!」
料理長が返事をし、部下の料理人が道具を用意する。
そして、私も道具を準備だ。空間収納魔法から、一つの中華鍋と特別に頑丈なお玉を取り出す。
「おおー、立派な鍋ですねー」
トリール嬢が感心したように言う。この中華鍋は、野営のときなどにとても便利なのだ。
綺麗に洗ってあるが、念のためもう一度洗ってもらう。
「次に材料。バルクースでんぷん、砂糖、巨鳥卵、それと巨獣ラードです」
「それだけですかー?」
「ええ、それだけです」
「おお、想像もつきませんねー」
まずは、ボウルに水を入れ、そこにでんぷんと砂糖を混ぜ合わせる。
次に卵。卵黄だけを取り出し、でんぷん水のボウルへ追加する。鶏卵なら複数個卵が必要だが、この卵は地球の鶏卵と違ってとてもでかいので、使うのは一個で十分だ。もう一つのボウルにあまった卵白は、料理長に任せよう。
そして、卵黄を潰すようにしてボウルをかき混ぜる。ほどよくかき混ざったら、準備完了だ。
「これが三不粘のタネです」
「おおー、普通のでんぷん入り卵液ですねー。砂糖が入っているから甘いのでしょうねー」
次に、中華鍋を熱し、卵液を投入!
卵液は熱で固まり始める。それをお玉でかき混ぜながら、丸い形にしていく。
ある程度固まってきたら、弱火にして、ラードを少し入れて、それから――
「お玉で卵を叩く!」
「わー!」
トリール嬢の驚き声が聞こえるが、無視だ。
お玉の底で、卵を叩く! 叩く! 叩く! そしてひっくり返す! そして叩く! 叩く! 叩く! ひっくり返す! ラードを少し入れる!
「な、なんて乱暴な料理なんだ……」
料理長が冷や汗を垂らしながらそんなことを言う。だが、この程度で乱暴なんて言っていちゃあ始まらない。
ただひたすらに、叩いてひっくり返してラードを入れる!
「あの、これいつまで続けて……」
「あとちょっとです」
トリール嬢の言葉に、私は適当に答えた。
その後、私は二十分間ほど、ひたすら卵を叩き続けたのだった。
「ひえー……」
乱暴料理に、トリール嬢は感心しているんだか引いているんだか、よく解らない反応を返していた。
◆◇◆◇◆
「では、料理の格式の判定に定評のある、ミミヤ様に試食していただきます!」
「唐突に呼ばれたと思ったら……まあいいですけれど」
薔薇の宮の食堂。そこで、私達はミミヤ嬢を呼んで試食を頼んでいた。
当然、一緒に儀式の確認をしていたパレスナ嬢も来ているが、まずはミミヤ嬢に味わってもらうことにした。
「三不粘と言います。粘とはくっつくという意味で、三は三つ。不は否定の意味。歯にもトングにも皿にもくっつかないという料理です」
その見た目は、脂光りする不透明な黄色いスライムのようなものだった。
初めて見るものには、不可思議な印象しか与えないであろう。
それを見たミミヤ嬢は――
「まあ、面白い見た目ですわね」
どこかわくわくしたような表情で料理を見下ろしていた。
怪訝な顔をされることを覚悟していたが、杞憂だったようだ。
私はスプーンで三不粘を一口サイズに切り分け、小皿に移しミミヤ嬢の前へと改めて出す。
「では、試食をどうぞ」
私に促され、ミミヤ嬢は聖句を唱えて、トングを手に取った。トングは、箸のようなこの国の代表的な食器だ。
ミミヤ嬢がトングで三不粘を掴むと、三不粘はふにょんと柔らかく伸びて曲がった。
「ふふ、なんですかこれ。面白い……」
ミミヤ嬢はそう笑うと、三不粘を口へと運んだ。
もっちもっちとミミヤ嬢が咀嚼をする。
今彼女の口の中では三不粘がふにふにもちもちと弾み回っていることだろう。
そして、彼女は噛むのに満足したのか、少しずつ三不粘を飲み込んでいく。やがて、全て料理を飲み込んだミミヤ嬢は、ゆっくりと口を開いた。
「甘くて美味しいですわ……それにこの不思議な食感……」
ミミヤ嬢は大皿に残った三不粘を見下ろしながら、言葉を続けた。
「お茶の席にはいまいち合わないですけれど、披露宴は立食形式ですから、その場で出す料理としては合格でしょう」
「やった! キリンさんやりましたよー!」
「ええ、そうですね」
「では、私達も試食しましょうー!」
皆に配るため、三不粘は一口サイズに切り分けられる。この作業の時点で、三不粘は伸びて弾んで皆の目を楽しませていた。
料理の載った取り皿がお嬢様達や侍女達の前へと並ぶ。
そして、皆で聖句を唱え、もっちもっちと三不粘を食べる。
「甘くて美味しいー! 新感覚ー!」
我が主はお喜びのようだ。
「いいですねー。珍しくて披露宴に持ってこいですよー」
トリール嬢もお喜びのようだ。
「ふむ、まあまあですね」
私自身はまあまあといった感想のようだ。
ふにふにと口に広がるカスタードの風味が心地よい。
トングで持ち上げると粘っこく伸びるのに、口に入れても歯にくっつかないこの独特の食感。初めて食べたら不思議でたまらないだろう。
三不粘は楽しい料理なのだ。
「ねえキリン、一口じゃ足りないわ。もっと作ってきてくれる?」
我が主はおかわりをご所望のようだ。
「え、嫌ですけど」
そして、私は拒否をした。
「は?」
私の拒絶に、パレスナ嬢は固まる。
まあ、許してほしい。これにはのっぴきならない事情があるのだ。
「これ、作るの面倒なんですよね。火の前にずっとかかりきりになって、やっと一個作れるという、大勢に配るには欠陥のある料理です」
「ええー、それはどうなのよ」
パレスナ嬢が批難の声を浴びせかけてくる。でも、これをいっぱい作れとか絶対に嫌だぞ。
「大勢に配れないんじゃ、披露宴にお出しできませんよー」
トリール嬢がそう泣きついてきた。
しかもこの料理、時間が経つと油脂でカチカチになるんだよな……。作りたてを食べなくちゃ駄目な料理だ。パーティに出すなどもっての外だ。
でも、アフターサービスはばっちりなので、安心してほしい。
「大丈夫です。カスタード味なら、もっと手軽で美味しい料理がありますから」
その名も、カスタードプリン!
牛乳と卵と砂糖を混ぜた卵液を器に入れ、湯煎してオーブンで焼くだけ! カラメルを付けるならもう一手間! 大量生産可能!
私は自信満々にそれを宣言する。
「何故、それを初めから出さなかったのですか? 話は結婚披露宴の料理選定なのでしょう?」
ミミヤ嬢にごもっともなことを言われた。
「それは……」
私はもったいぶって言葉を溜めた。
そして。
「久しぶりに三不粘を作りたくなったからです!」
何個も作るとなると絶対に嫌になるが、一個作るだけなら楽しいからな。
実際、今回はすごい楽しかった。
こうやってまともに食べられるレベルで作れるようになるまで、かなり時間がかかったから思い入れもある。
「……そう」
ミミヤ嬢の、そして皆の冷たい視線が、私を射貫く。
ああ、ごめんなさい許して! カスタードプリン作りますから!
その後、私はカスタードプリンを作り上げ、その味に満足してもらい無事に許されるのであった。
って、ずっと料理を提供していたのは私なんだから、そう叱られる謂われはないな、これ。
まあ、披露宴に並ぶ珍しいカスタード味を提供できたことに、今は喜ぼう。




