70.黒幕
完結秒読み
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「シンジさん……明日は遂に中山への乗り込み日ですね。全身全霊……どうですか?」
林が心配そうに聞く。
「……だめだー!」
俺は取り乱しながら叫んだ。そう、今日はもうレースの1日前! あれから何度も何度も試したが、結局『2秒以上』全身全霊を発動することが出来なかったのだ。それに加えて、全身全霊を実走で試すことも出来なかったんだ。あまりにも発動時間が短すぎて。
「これはもう……実践での爆発にかけるしか無いな……」
林の後ろから調教師がヌルッと出てきて言った。そのガタイでやられると怖ぇよ。
「やっぱりですか……少し、不安です」
林はその言葉通り、下を俯いて言った。
「シンジさんを信じてない訳では無いですけど……ここで負けたら、誠さんも、この日常も、全部崩れる訳じゃないですか。それが……怖くて……」
林は少し鼻声になりながら言った。1番最初に出会った時の塩対応とはえらい違いだ。感情も出してくれるようになったし、一人称も俺になったし。何より、『仲間のことを本気で思ってくれるようになった』。そんな林を、俺は嬉しく思っている。上から目線? いや、平行な、 対等な視点さ。だからこそ、俺は負けたくない。それを、相棒にも伝えなきゃな。
「安心しろよ。俺だって、この日常は壊させないさ。多分、最後に勝敗を分けるのはメンタルだと思う。俺らの『勝ちたい』って気持ちがあれば、自ずと結果は出るはずさ。だからもう、メソメソすんなよ。取りに行こうぜ、頂点を!」
俺は元気よく、覇気のこもった声で林を鼓舞した。
「ふふ……そうですね! 絶対、勝ちましょうね!」
林は嬉しそうに笑う。この流れも何度目だろうか。じゃ、いつものお決まり、返しときますか。
「当たり前だ!」
俺は林にそう言って、馬房へと戻って行った。明日にはもう出発だ。ここで、林とは別れることになる。もしかしたらこれが最後に……いやいや、縁起でもねぇ事を考えない方がいいな。とりあえず、今日はもう寝よう……
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翌日の朝、俺はあまり眠る事が出来ず、馬運車が到着する前には起きてしまっていた。その分、馬運車で睡眠を取ったからいいんだけどね。
「さ、降りるぞ」
厩務員の指示に従い、馬運車の荷台から降りる。目の前に映るのは、有馬記念が行われる中山競馬場。いつ見ても圧巻だ。
「さて……行きますか」
レースまでの待機時間、俺は少しの間中山競馬場の馬房で過ごすこととなる。そこにコガネが入れば……お礼を言わないとな。
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「えーと、コガネはいるかなぁー?」
俺は辺りを見回す。だが、そこに金色の毛並みの馬はいなかった。
「おはよう、シンジくん!」
「うわっ!」
背中を脚でこずかれ、俺は驚きながら振り向く。そこに居たのは漆黒の馬体――ナイトオルフェンズだった。
「ああ、なんだ。ナイトか」
あの後、ナイトは約束通りアルゼンチン共和国杯を勝利し、無事有馬記念への出走が決まった。筋骨隆々なその身体が、くぐり抜けてきた死線の数々を物語る。
「この数ヶ月間、僕は君を超えるために頑張ってきたんだ。負ける気は――ないよ」
ナイトは普段見せないような鋭い視線をこちらに向ける。おもしれぇ。
「ふふ。それは俺だって同じだ。負けねぇぞ」
俺たちはアイコンタクトを取り、その場から去ろうとした。だが、その時だった。あの尾花栗毛、皇帝の帽子のような、特徴的な流星の馬が現れたのは。
「ちょっと済まない。君が……シンジスカイブルーかな?」
大柄なその馬は、確かに俺の名前を読んだ。その笑顔はどこか底知れず、恐怖を煽るような不気味なものだった。だが、俺はこの顔を知っていた。ずっとずっと、あの日から。俺の運命が決まった、あの日から。
「お前は……レイワカエサル!」
「あらら、知ってたの?」
その馬は、やはりレイワカエサルだった。何しにここに……
「今日は君に、祝福をしに来たんだ!」
「祝福だと?」
何を言ってるんだこいつは。俺はカエサルの方を見て、少し睨みをきかせる。
「どうやら君も、『魂合成』に成功したようじゃないか! うーん、めでたいねぇ!」
カエサルは不自然に笑った。やっぱり、こいつが……コガネの言ってた事は正しかった。
「そんな君には僕からのサプライズがありまーす! それは……」
「お前が俺らを競走馬に転生させた黒幕ってことだろ?」
俺は先手を取って、カエサルのセリフを奪ってやった。カエサルは少し驚いたような顔をした後、今度は大きく笑いだした。
「お前……どうやらコガネから聞いたな。だからそんなに詳しいし、魂合成も出来たんだろ」
俺は無言で頷いた。
「でもさぁ、そこまで詳しい事は知らないよね。冥土の土産に教えてやろう!」
頼んでねぇよ。俺はそう言おうとしたが、何とか抑えた。単純に、気になったからだ。
「俺が人を競走馬に転生させる事ができる理由……それは……」
「俺自身が神に選ばれた、最初の『転生者』だからだよー!」




