61.幕開け
「ほら1号!起きて!朝だよ!」
「ん...りょー」
2号の問いかけで、俺は目覚めた。壁に立てかけてある時計を見る。時刻は5時半を回っていた。昨日あんなことがあったから、疲れていたのだろう。調教まで、残り30分を切っている。
「てかお前、俺が寝てても意識あるんだな...」
「まぁね。ボクと1号の精神が80%くらい合わさればそんなことないんだけど...まだまだみたいだ。せいぜい10%がいいとこじゃないか?」
「そうなのか...」
俺は少し落ち込んだ。あんな一生懸命になってやった滝行でも、たかが10%しか合わせることができないのか...。これ、菊まで間に合うかな...
「あぁ、そんな落ち込まなくて大丈夫だよ。これからは滝行なんてやらなくても、普通の調教をやっていけば徐々に%は上がっていくからさ。後は...ボク達がどれだけ心を合わせられるか、だね」
補足するように2号は言った。まぁ、ただ走るだけで滝行いいなら楽か。でも、「心を合わせる」ってのが気がかりだな...。そんなに上手くいくか?
…………
「シンジさん、おはようございます。早速調教へ向かいましょう」
俺たちが話していると、いつものように林が迎えに来た。俺は話をやめ、コースへ行く準備をした。
――
「おはようシンジ!もう1人のお前と過ごした最初の夜だったが、よく眠れたか?」
コースに着いて開口一番、調教師は笑いながら言った。昨日は2号も疲れていたみたいだから、一緒に早く寝てしまった。2号が居たからといって、面倒なことなど1つもなかった。俺は調教師に「大丈夫だぜ」と伝えるように、笑い返した。
「そうかそうか!そりゃあよかった!...じゃあ早速、新しいお前の力を見せてもらおうかな!行けるか?もう1人のシンジ?」
「だとよ、2号」
俺は2号に尋ねるように言った。普段は心の中で会話しているのだが、それでは調教師が分からないから、今回は実際に言ってみた。
「あったりまえじゃん!初めてのレースで、見せつけてやろうよ!1号!」
若さと勢いの乗った、力強い返事だった。俺は2号の方を向いてニヤリと笑い、調教師にそのことを伝えた。
「お!威勢がいいな!そういう奴、俺は大好きだぜ!よし、じゃあ今回の模擬レースの相手を紹介しよう」
まぁ、今回もパケットかナイトだろうな。その2人の内可能性が高いのは―俺と同じトライアルを控えたパケットだろう。俺はそうタカをくくっていた。
「今回の相手はずばり、アースガルドだ!」
「え!?」
アースガルドと言えば...青葉賞でナイトを妨害して、俺が説教かましたやつじゃないか。俺と一緒に模擬レースをやるって事は、あいつ、心を入れ替えて頑張ってるのか?
「シンジさん――」
「ん?」
後ろから声がした。聞いた事のない声だった。一体誰なのか?俺は後ろを振り返ろうとしたその時――
「ほんっとうに、ありがとうございましたぁぁぁ!シンジさんのおかげで俺、変われましたぁぁぁ!」
他馬が振り返るほどの圧倒的声量で叫ばれた。俺は思わず耳を塞ぎそうになる。その叫びが収まってから、俺はその声の主を見た。光る毛並み、凛とした表情、ハイライトが煌めく目。過去の面影など一切無いが、そいつは本当にアースガルドだった。
「お前...キャラ変えた?」
思わず言葉が口から漏れてしまった。しょうがないだろ、こんなに変わってたら。
「ええ!シンジさんにお叱りを受けたあの日から、私たち3頭は必死に練習を繰り返してきました!辛いことや苦しいこともありました!周囲からの視線や嫌がらせを受けることもありました!ですが、これは我々が招いたことと踏ん張り、日々レースを勝つために努力し続けました!」
「そうしたら、次第に我々に対する怒りや批判というのは、少なくなっていきました!そして今では、セントライト記念からの菊花賞制覇を狙うほどに、成長出来たというわけです!だから、本当に感謝しています!」
その言葉はアラフォーのおっさんには熱すぎる言葉だった。思わずやけどしそうなくらい、火力が高かった。まぁいい、どんな相手だろうと、自分の実力を出すだけだ。俺はスタート位置へ向かった。
「シンジさん」
始まる前、俺は林に声をかけられた。なんだ、と振り返りながら返した。
「俺は本当にワクワクしてたんですよ。シンジさんの新しい力を。シンジさんは俺が今まで出会ってきた中で最高の馬です。だからこそ、期待していました。その「力」に。頼みましたよ、2人とも。」
林は本当に嬉しそうに言った。俺たち2人は無言で頷く。見せてやろうぜ、2号!
「ではこれから、芝2200m、模擬レースを行う!では各馬位置について―」
俺はゲートに入りながら、ワクワクしていた。俺も自分自身の新たな力に、興味津々だったからだ。
「よーい、スタート!」
ゲートが開くのと同時に、俺は全速力で前へ駆け出した。相手との差を最初につけることが、大逃げでは鉄板だ。幸い、アースガルドはダービーの時のような大逃げスタイルではないらしい。スタートから勢いを抑えているような感じがしたからな。これを好機と見た俺は、アースガルドから3〜4馬身ほどのリードを取った。
「1号!君の本当の力が使えるのは、気持ちが高まり、心が1つになりやすくなる最後の仕掛けだけだ!それまではいつも通り走ればいい!」
2号が頭の中で話しかけてきた。了解、仕掛けの時だけね。なら、インコーナー加速が必要だな。これは頭に入れておこう。
第1、第2、第3コーナーを、ゆったりと駆け抜ける。スプリングスターさんから教わった力の抜き方は、スタミナの節約に適している。アースガルドはまだ仕掛けて来ない。このまま、最終コーナーと直線で決着をつける気か。
「さぁ、そろそろ最終コーナーです!インコーナー加速の準備はいいですね!」
「へっ、たりめーよ!」
林の合図に、俺は軽く返したくぅー、テンション上がってきたー!
「...今です!」
バチン、と気持ちいい音でムチが入った。これがインコーナー始動の合図だ。俺は思いっきり内ラチへと入り込む。そして、そのまま少しばかり膨らみながら―俺は一気に脚を回転させた。
インコーナー加速は無事に成功した。アースガルドも最終コーナー付近で仕掛けだしたようだが、もう遅い。このまま普通に走っても勝てそうな気もするが...俺にはもう1つの「切り札」があるんだな!
俺は心を研ぎ澄ます。滝行で打たれている時のように、心を1つにする。ただ――早く走るということだけを胸に抱いて――
瞬間、俺の身体に電流が走った。0.1秒にも満たない集中の中に、異物が入り込んだような感覚だ。
「これか?これが正解なのかよ!2号!」
「あぁそうだよ!このまま、空の向こうまで突っ走って!」
2号は叫んだ。気がつくと、俺の真横に2号がいた。そう、遺物の正体は2号だった。2号の精神が、俺の心と1つになろうとしていたのだ。これなら、いける!
「行くぞ!これが、「新時代の幕開け」だ!」
俺はありったけの力を込めて1歩を踏み出した。
その時だった。俺が意識する間もなく、もう片方の脚が回ってきた。身体が軽い。まるで、脚に翼が生えたかのように、スムーズに進んでいく。踏み込む力も格段に上昇している。まさに、全ての能力が「覚醒」したような感覚だ。
「これが、真の力なんですね……シンジさん!」
俺はその勢いのまま、走り抜ける。もはや、俺に追いつける馬など誰も存在しなかった。6、7、8と、残酷なまでに差は広がっていった。
「うん、これが、ボクが憧れたキミの走りだよ。1号」
俺はゴール板を駆け抜けた。後ろからは誰も追いかけてこなかった。まさに、「独走」と言っても過言では無い。
「っっっっっきっもちぃぃぇぇぇぇぇ!」
俺は爽快感を感じながら、天を仰いだ。




