拾壱
夜になり、白路は恐る恐る、真緒の元へと向かった。
彼女は白路を歓待する。戸惑いつつ、白路は部屋に上がる。
だが、緊張もすぐにほぐれた。真緒の雰囲気が白路の緊張を溶かしていく。
二人は話していく。白路は人の話をこんなに話したのは初めてだったが、真緒はずっとにこやかに聞いていた。
草原を走るのは気持ちよかったが、海を走るのも違った楽しみがある。風に潮が混じっているのが難点、なんて、人の話ではないかのように思える。けれども真緒は、笑って聞いていた。
「白路の話は、とても面白いわ」
「そうか? 俺なんかより人……他の人の話の方が面白いと思うけどな」
「そんなことないわ。これが面白い、って強く推してるの好きじゃないの、私。でも白路の話は、自分がとっても楽しいのって伝わってくるの。それってとても大切なことだと思わない? そういう風に話す人、大好きだわ」
真緒にそんなことを言われてしまえば、白路は思わず赤面してしまった。
この少女には裏表がない。それが白路には悪意がないように映る。けれど、彼女のそれは人によっては傷つけられるようにも感じられてしまうだろう。
こうして話していて、真緒は孤独なのだと思った。
屋敷の中で、彼女の理解者はいない。家族は男が多く、女は母と真緒だけだった。侍女たちも、周辺の村娘の中から何人か雇って教え込まれた者たちだった。
それが彼女の琴の音に表れていたのだとわかった。そう伝えると、真緒は途端に表情を変える。悲しげな顔になり、ぼろぼろと泣き始めた。白路の胸に飛び込むと胸にすがって泣く。
「どうしたんだ、悪いことを言ってしまったか」
「いいえ、いいえ。ただ、そんな風に言ってもらったことがなかったので、どうすればいいのかわからなくなってしまって」
それは白路も同じだった。自分はこんな感情を知らなかった。
きっとこれが、恋というものなのだろう。白路はそう思った。真緒を離したくないといった。いつもの天真爛漫さの裏にある繊細さが、白路にこの少女を守らせようとしていた。
それからしばらく経った。隙を見ては、白路は真緒の元へと向かった。三日も通い続けたときもあれば、一週間も一ヶ月も空いたこともあった。
やがて少女は女になった。たくさんのことを知り、その中に恋もあった。その情は白路へ向けられ、やがて二人は人知れずに結ばれた。
子ができるまで、そう時間がかからなかった。誰の子かしつこく聞かれたものの、真緒は一切答えなかった。その光景を白路は馬の姿で眺めるしかなく、夜も訪れるのが難しくなっていった。
ある日である。白路の元に小鬼が現れた。小鬼は白路を見つけると、卑しい笑みを浮かべた。
「見つけたぞ。今日こそ、約定の代価をもらいにきた」
「約定? まさか!」
「お前が願ったこと。『自分の主人を帰してあげたい』だったな。それを取り立てにきた」
「俺がくれてやれるものは何一つないぞ」
「いいや、あるだろう。例えば、お前が愛した娘はどうだ?」
そう小鬼が言ったとき、屋敷で火の手があがった。白路は小鬼を見た。小鬼の笑みは深くなる。
白路は馬の姿で走り、小鬼たちを蹴散らしていく。火があちこちに移っており、人が右往左往している。そのどさくさに紛れて、白路は人の姿になった。倒れている侍の腰から刀を奪い、真緒の元へと向かった。
真緒の元に着くと、彼女は侍女たちに連れられて逃げているところであったが、鬼たちによって次々と倒されていった。残った真緒の手を白路が引っ張る。
「白路様!」
「様はいい! 逃げよう、ここから」
「どこへ? 家の者たちはどうなるのです?」
「ここから少し離れたところに大きな集落がある。いまは自分の身だけを考えろ!」
そうして始まった逃避行。白路は妖術をこっそりと使い、真緒を連れて逃げる。
真緒のお腹はかなり大きくなっていた。人の出産というものは知らないが、もうじきに生まれるだろうことはわかった。
時間が残されていない。日に日に弱っていく真緒を見るのが辛くなっていく。
山の中を越えて、鬼を避け獣を避けて進んでいく。
そして火を囲んでいたある日。
「俺は賊じゃない。わけあって、ここまで来たんだ。ともかく、お前たちに敵意はない」
そう言う男に出会った。赤い瞳は力強く、けれども儚げであった。風格は立派であったが、雰囲気は消えそうな気すらした。
こうして、白路の物語は京士郎の物語へと繋がったのだった。




