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かぎろひの立つ  作者: 桂式部
第八章 早来ませ君 待たば苦しも
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 むかし、それは真緒から数えて六代ほど遡ったころだった。

 そのときの家の当主と、連れの何人かが旅をしていた。旅は長い道のりではなかった。

 行き先は桜の名所であり、当主にとって記憶にある大切な場所。特に一番大きな桜は、友と酒を酌み交わし、妻と愛を育み、子の名を考えたものだった。

 しかし、途中の雨で足を止められてしばらく進めずにいた。

 そしてもう一つ、問題があった。

 当主の馬は年老いていた。もうすでに寿命を迎える間近だったのだ。病にもかかっており、もはや捨て置くしかなかった。

 にも関わらず、当主は馬を手放せずにいた。馬が生まれたときからずっと連れ添った存在だった。狩りのときも、遠出をするときもずっとともにいた彼らの関係は、友であり家族であった。

 雨宿りをしながら、ずっとこの馬の側を離れなかった。食事も手ずから与え、寝るときも蹴られることを恐れずにともにしていた。

 付き人たちは当主を諌めるものの、あまりにあわれに思えてそっとしておくしかなかった。

 雨は異常だった。強い風とともに四日がすぎていた。

 これは何らかの祟りか、とすら恐れられた。食料も次第になくなっていき、宿として家を貸してる者も限界が近づいていた。

 そのときである。当主の元にある者が訪れた。その者は鬼だった。


「望むものを与えよう。それに見合った対価を寄越すのならば、どのようなものでさえ与えよう。述べよ、汝は何を望むのか」


 鬼はそう言った。

 当主は願った。馬の命を。この馬さえいればいいと。

 それは地の理に反するもの。定められた命を持つ者が、何者かによって生を伸ばしてもらうなど。

 けれども、鬼はそれを叶えた。馬は死ななかった。たちまち元気を取り戻し、それどころか若返っているようにさえ見えた。

 鬼は去っていった。当主はその対価を求められなかったことを忘れ、馬が元気になったのを喜んでいた。

 その翌日には雨はやんでいた。嵐はたくさんの爪痕を残していたが、晴れたことに一同は安堵した。

 当主は宿主に礼として、食料と金銀、土地の資産を約束した。

 あの雨では桜も散ってしまっただろうし、このままでは帰りも不安だと言って、その年はそこで帰ることとなった。

 翌年になって、桜を再び見にいくことになって、その途中で前の宿主の家へと向かったが、もう家がなくなっていた。

 周囲の者に聞いたところ、ある日火事があって全焼してしまい、中にいた者も全員死んでしまったということだった。

 せめてその墓を、と聞いたものの、村人たちは口を濁した。彼は常々、自分が死んだ時は墓を作らないでくれと言うような風変わりな者であったらしく、彼が生きていた証のものは何一つ残っていなかった。

 当主はそのことに落ち込み、そして桜の方へと向かっていった。

 だが、そこでさらに不幸があった。思い出がたくさんある大きな桜が枯れていたのだ。

 聞けば、昨年の嵐が原因だったという。枝があちこち折れ、雨は桜を根から腐らせていたのだ。

 そして当主は思った。


「これは、代価だったのだ。私の愛馬の命を長らえさせたことの。あの鬼は、その代価をこうしてとっていったのだ」


 それにしても重い代価であった。当主は意気消沈した。

 思い出の桜も、世話になった者も亡くなってしまった。せっかく馬が助かっても、これではやるせないではないか。

 思いつめた当主はそのまま病いに罹った。側近の看病もむなしく、当主は亡くなってしまった。

 残された馬もまた、悲しんだ。そして知っているのだ。自分の命が長らえたことが、これほどの重い代価を要求するはずがないと。

 そして自分だけは知っている。あの雨の日、あの晩。

 自分を看病する当主だけの元に、鬼が現れたのではない。鬼は自分にも、望みを言えと言ったのだ。

 馬は鬼に願ってしまったのだった。自分の主人に生きて帰ってほしいと。

 それがこの悲しみの始まり。

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