漆
村に着いた京士郎は、真緒を白路の元に託して、一番近い家に向かった。
煙が上っているのが見える。人がいる証拠だった。
中を覗いて、声をかける。
「すまない、誰か手を貸してくれないか」
出てきたのは、三十ほどの男だ。この家の長だろう。
「なんだ、夕暮れどきに。旅人とかなにかか。悪いが、うちには余裕がないんだ、他をあたってくれ」
「そんなことはいい。ここらへんに産婆はいないか」
「産婆? ああ、取り上げ婆か。誰か子を産むのか? そいつは一大事だ!」
男は家の中に声をかける。中には女が一人と、子が三人ほど見えた。出ていくことを伝えて、京士郎と共に歩き出す。
「遠くから来たのか? わざわざ子を産むために」
「子を産むためではないが、やむを得ない事情がある。いまは話している場合ではない」
そして、京士郎自身もよく知らないから、答えようがなかった。
昨日今日で始まった逃走ではないにしろ、すでに子がいつ産まれてもおかしくない状況であったのだろう、というのはわかるが。
「この先だ。うちの子も取り上げた婆がいる。俺からも頼もう」
「いいのか?」
「構うものか。これでも親だからな」
男はそう言って、村の一番端にある家へと入っていった。
年老いた女が一人、火をくべている。この女が、この村の産婆をしているものなのだろう。
「婆や、大変だ。いますぐ子が産まれそうなんだとさ」
「おや……そんなこと噂にも聞いてないねえ。どこのうちの子だい?」
「それが、この村のやつじゃないんだ」
な?、と男は京士郎を見た。京士郎は頷いて、婆に話しかける。
「頼む。手伝ってくれ。俺ができることならなんでもする」
「お前さんの嫁かえ?」
「違う。だが、俺の友であり、そして友の大切なやつなんだ」
京士郎はそう言った。婆は京士郎の瞳をじっと見つめる。
何かを悟ったのか、微かな笑顔を浮かべて言った。
「いまどき、珍しい眼をしているものだ。しかも人の形をしているとは。わしが小さいころは、森にお前のような眼をした優しい獣がいたものだが、いまでは音沙汰も知らん。よかろう、そのものを連れてきなさい」
その言葉に京士郎は頭を下げた。そして大きな声で白路を呼ぶ。
白路はすぐさまやってきた。背中には真緒を乗せている。
男は真緒の美貌に少し見とれていた。京士郎が促すと、二人で真緒を下ろした。そして婆の家へとつれて入る。
「この子か。おやまあ、べっぴんさんだ。それに良い布を使っている。どこかいいところの娘だろう」
「そんなところだ」
「任せなさい。名誉なことだねえ」
婆はそう言って、真緒を寝かせるように言った。京士郎は真緒をそっと寝かせる。
苦しそうな真緒。手をずっと握っていたいが、婆に追い出される。男が立ち入ることは許されないようだった。
その間に、婆のところへつれてきてくれた男が、今度はいろんな家の女たちを連れてきた。京士郎を見るとくすくすと笑っていた。どうやら勘違いされているらしい。
京士郎はため息を吐いて、馬の姿のままの白路に近づいた。彼は無言だった。
「なんとかなりそうだ」
「ならいいんだが。お産というのは、今も昔も命を懸けるものだ。そのときに側にいられないというのは、こんなにも歯がゆいものなのか」
白路は落ち込んだ声音でそう言った。京士郎はその背を叩く。
「側にいてやればいい」
「なんだと。こんな姿でか?」
「俺の父だって、人ではなかったらしいからな。直接聞いたわけではないが、そんなことをみんなに言われてはそう思うほかない」
京士郎は少し笑って言った。白路は押し黙った。
そして時間が経つのを待った。いまかいまかと、生まれるのを待つ。
ときおり様子を伝えにくる女の言葉によると、もしかすると夜が明けるまで生まれないかもしれないとのこと。それまで真緒の体力がもつかどうか、京士郎の目から見ても怪しかった。
白路とともに待つ京士郎。はたから見れば、武士とその愛馬に見えるだろうか、などと考える。
「それで、聞かせてくれないか。どうしてお前らは追われているんだ」
「軽蔑するだろう、それを知れば」
「聞いた俺が決めることだ」
そう言うと、梃子でも動かぬと座り込む。刀を抱いて、京士郎は待った。
白路は少し渋って、鼻を鳴らす。そして観念すると、口を開いた。
「それは昔のことだ。真緒の家の、さらに五代は昔のことだった。俺はその時代から、ずっとともにあった。そう、ずっとだ」
京士郎はそっと、その昔語りに耳を傾けた。




