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かぎろひの立つ  作者: 桂式部
第八章 早来ませ君 待たば苦しも
88/109

8/6 18時に第87部分を更新しております。

 狐を追う京士郎。那須の山を駆け下りる。

 ここまで集落など見当たらず、京士郎はまた孤独な夜を過ごすことになるかと思った。

 木々は風に揺れて鳴るが、日は沈みかけている。

 京士郎自身は夜であっても動くことはできる。京士郎の目は暗闇の中でも遠くまで見通せるから、気を余計に配ることはない。

 だが、あまり動きすぎると周辺に住む者やたまたま通りかかった者に迷惑をかけるとわかっているから、そうしてこなかった。

 かと言って、前を走る狐が止まらないからには、追わないわけにもいかないだろう。

 玉藻が遣わした狐は体力の底を知らないのか、ずっと走り続けていた。

 やがてたどり着いたのは、少しだけ開けた場所だった。山の中にあって、そこだけぽっかりと開いていた。

 そしてその中央には火があった。気配を感じて、振り返る。


「我らを追ってここまで来たか、賊め!」


 そう叫んでいるのは、刀を構えた男だった。

 刀などろくに握ったことがないのだろう、構えがよくない。

 いいや、人と争ったこともないように見える。瞳に殺気がない。

 京士郎はとっさに、刀を落とそうと踏み込もうとするが思いとどまった。

 それは男が背中で女を庇っているのが見えたからだ。このご時世に珍しく、女を連れた旅人。しかも他に連れもいないように見えた。

 きっと自分と志乃も、こういう風に見えたのだろう、と京士郎は思った。


「そこで止まれ! 真緒まお、下がっていてくれ。見てはならぬぞ」

「はい、わかりました!」


 二人のやりとりを聞いて、京士郎は微笑ましく思った。事実、少し笑っている。

 京士郎はためらうことなく、刀を落とす。そして手には何も握ってないことを示した。敵意のないことを伝えるためだった。

 驚いた顔をして瞬きを繰り返す二人に京士郎は言った。


「俺は賊じゃない。わけあって、ここまで来たんだ。ともかく、お前たちに敵意はない」


 足元を見るも、狐はもういなくなっていた。本当は追いたいところだが、ここで二人を見過ごしてしまうのは、どうにも嫌だった。

 顔を見合わせる二人を見て、なんとなく、恋仲なのだろうと見当がついた。


「し、信じられるか!」

「だとしたら、そっちは刀を持ったままでいい。俺もこの火にあやかりたいだけだからな」


 京士郎はどかっと、火の脇に座った。二人を挟むようにして。

 むろん、京士郎からしてみれば火も刀も恐れるに足りない。どれもこれも、二人が安心するためだった。

 不可解な京士郎の言動に、男は警戒しつつもひとまずは納得し刀を下ろした。


「いいか、少しでも怪しい動きをしてみろ。たたっ斬ってやるからな」

「それでいい。ところで、そこの魚がそろそろ焼けるぞ」

「あっ」


 男はしゃがみこんで、焼いていた魚を見た。堪えきれず、京士郎は小さく笑った。

 よほどのお人好しなのか、短絡的なのか。自分も人のことは言えないがな、と思いながらも京士郎はそんな印象を抱かずにはいられなかった。


「お前の分はないからな」

「いらんいらん、二人で食ってろ」


 男の言葉に、京士郎は手を払って答える。まるで子どもの強がりだと思ったが、そう歳は変わらないだろうな、というのが京士郎の見立てだった。

 魚を食べ終わった二人を見て、京士郎は問いかける。


「賊と言っていたが、お前たちは追われる身なのか」

「言っておくが、俺たちは何も悪いことをしてないからな」

「わかっている。それにもし悪さをしていたとしても、こうして火を分かち合った仲だ。この火に免じて見逃そう」


 京士郎はそう言った。男はいよいよ、頬を緩める。


「面白いやつだな」

「初めて言われたぞ、そんなこと」

「そうかい? それに、少し俺に似ている気がする」

「それは勘弁願いたいな」

「な、なにおう!?」


 男が憤ったが京士郎も真緒と呼ばれた女も笑う。

 そのせいか、男も怒りを収めた。それほど本気にしていなかったのだろう。

 が、京士郎自身も、男になぜか親近感を抱いていた。勘弁願いたいのは本音であるが。


「ねえ、この人は信頼できるわ」

「……お前が言うなら」


 真緒の言葉に、男は頷いた。京士郎は頷いた。


「先ほどのご無礼をお赦しください。食も分けず、申し訳なく思います。私は真緒。貴方は?」

「京士郎だ。……京からやってきた」


 志乃がかつて使っていた文句を、京士郎は自分で使った。こんな日がくるとは思いもしなかった。

 そう聞いて驚いたのは、女の方だった。


「まあ、京から? 遠い道のりだったでしょう。それもお連れもなく。見たところ、どこか名のある家の者でしょうか」


 それはきっと、この星兜を指してのことだろう。確かに見る者が見れば上等なものであることはすぐにわかるだろう。


「母はそうだったらしいが、俺はよく知らないんだ。俺を生んだとき、母は亡くなったから」

「失礼しました。好奇心から、恥ずかしいことをお聞きして」

「いいや、構わない。隠し立てても仕方ないことだ。気遣いだけもらおう」


 京士郎がいうと、女は頭を下げて応える。

 かわって、男の方が名乗った。


「俺は白路しろという」

「真緒に、白路か。心得た」


 続いて、白路が話す。


「こちらの事情を話せば長くなるが、端的に言えば、この真緒は地元では名のある家の者だった。だが、わけあって賊に襲われ……」

「なるほど、わかった」


 きっと、それは母が里を逃げ出したことによく似ているのだろうと、京士郎は思ったのだった。

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