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かぎろひの立つ  作者: 桂式部
第八章 早来ませ君 待たば苦しも
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 これは夢だ。京士郎はすぐにわかった。

 さっきまで雪の中にいたが、いま見えている景色は実った田の中であった。

 豊かな稲穂が揺れていて、暖かい。冬であったというのに、秋の光景だ。

 辺りを見渡す。志乃はいない。そのことに京士郎はため息を吐く。

 散々泣いた。散々探した。

 わかっている。彼女は跡形も残さずいなくなったことなど。

 だが、諦めずにはいられなかった。

 しかし、無情な結果に終わった。

 腕に力がこもる。京士郎は思わず、叫びそうになった。


「こらこら、そんな力を入れるな。夢が覚めてしまうであろう?」


 声が聞こえた。京士郎は顔をあげる。

 気づけばそこには巨大な岩があり、その上に誰かがいた。

 その者は人の姿をしているが、狐の耳と尾を持っている不思議な人物だった。見ればわかる、妖艶さ。

 京士郎はその者を見て、天狗を思い出した。だが、それがどうしてかわからなかった。


「あやつと比較してくれるな、虫唾が走る」

「俺の心が見えるのか?」

「ここはお前の夢の中。私は間借りしているだけ。であれば、ここはお前の心も同然よ」


 くくっ、と扇子で口を覆い隠してその女は笑う。愉快そうであったが、どうしてか京士郎は苛立たなかった。

 静寂の中に、風が穂をゆらす音が鳴った。耳の心地よい音だった。

 改めてみるも、京士郎は目の前の女が何者なのかわからなかった。鬼でなければ、清が呼び出した神霊でもなさそうだ。であれば、いままで会った中では天狗のような妖が近い。

 京士郎は少しだけ、岩に近づいた。


「どうして俺の前に現れた」

「なあに、美しい魂があると思えば、あまりに哀れだったからなあ。ふと、声をかけてしまいたくなった。歳をとるのは嫌だのう、ついつい、若人に手を伸ばしたくなる」


 目を細めて京士郎を見た。色気のある瞳だった。あの目で見られれば、男も女も関係なくとりこになってしまうだろう。

 だが、京士郎はそれを力なく見返した。狐の女はやれやれ、と首を振る。


「私の色香にも惑わされぬとは、さてはいよいよいい男だなお前は」

「女ひとり、守れないというのにか?」

「ふん、そこはまあ、あとで話すことにしよう」

「あとで?」


 京士郎が問い返すと、狐の女は頷いた。岩の上に立ち上がって、月を背にする。

 そこでようやく、京士郎は月が昇っていることに気づいた。あと少しで満ちる月。だが、京士郎の知っている月とは違うように見えた。


「そうだ。私の元へ来なさい。相手をしてあげる」

「だが」

「どうせ行く当てなどないだろう。それとも……むふふ」


 狐の女は少しだけ勿体ぶった。京士郎が促すのを待っている。

 遊ばれている。そう思うも、付き合わなければこの女はずっと待っていそうだと思えた。


「なんだ、それは」

「殺生石は私が持っている」


 京士郎の目が見開いた。

 打ち出の小槌、浅間の髪飾りに続いて、京士郎が手に入れなければならないもの。

 女は笑う。京士郎の瞳をじっと見ながら。


「お前のことならば大抵、知っておる。お前が如何にして生まれ、如何にしてそこにいるのか。さっきあったこともな。その上で言おう。お前が求めているものを、私は持っている」


 女は男を誘うような、色っぽい声で言った。

 京士郎は迷った。志乃とともに歩んだ旅。しかしその志乃がいなくなってしまったから、もはや旅を続ける理由はないかのように思えてしまった。

 もちろん、志乃はそんなことを望みはしない。京士郎もまた、旅の目的は志乃との行脚ではなく、この世を救うことにあると思っている。

 だが、志乃のいないこの世に意味などあるのだろうか、とすらいまの京士郎には思えてならないのだった。


「目的がないならば、まずは動いてみよ」


 女はそう言った。そうだった、この女には自分の心が見えるのだったと、京士郎は思った。


「……お前はどこにいる」

「ここより北東、那須。お前がいままで歩んだ道のりの中で、最も遠いものになるだろう」

「上等だ」


 京士郎はそう言う。女は満足そうに頷いた。


「我が名は玉藻。名は?」


 知っているだろうに、と思いながら答える。


「京士郎だ」

「では、京士郎。待っているぞ。なあに、待つのは慣れっこだ。ゆっくり来ても構わん。だが、あまりに遅いとこの世が滅びるから、それだけは注意だ」


 そう言うと、景色が急激に遠のいた。

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